第27話 英雄少女とふたたびのダンジョン(上)
「よし! リベンジだ!」
日射し照りつける『紅季』の到来と共に、何故かますますテンションが高まっていく赤毛の少女が叫ぶ。
「……暑いですわね」
相棒の言葉の意味を追及するのもダルいのか、白金の髪の少女は、ぐったりとした顔でつぶやく。彼女たちは、街道の警備という退屈な学外任務を終え、学院に戻ってきたところだ。
解散する前に一息つこうと特殊クラスの面々がやってきたのは、この学院内において、彼らが唯一出禁になっていない飲食店『星霊カフェ』だった。だが、店の主人は噂に聞く五人の来店に顔を引きつらせ、せめて店内の被害は避けたいとばかりに、この暑い盛りにも関わらず屋外テーブル席へと案内していた。
「ルーファス先輩、白霊術でみんなを涼しくしてください」
白髪に銀の瞳──見た目には涼やかな印象のルヴィナも、暑さは感じているらしい。
「……俺は冷房係なのか?」
憮然とした顔で言うルーファス。女性的な顔立ちに斜めに走る刀傷。しかし、不思議とそれが似合って見える少年だった。
「何か言いました?」
「……いや、なんでもない」
ルヴィナとルーファス、このクラスにおける二人の力関係は、すでに定まってしまったらしい。
「発動、《そよぐ涼風》」
ぼそりとつぶやくルーファスの言葉と同時、周囲に涼やかな風が吹き始める。ちなみに、女性陣三人はこの瞬間、しっかりと自分のスカートを押さえていた。
「……そういう時には何事も起きないんだもんなあ」
エドガーがつまらなそうに言うと、ルヴィナがぎろりと彼を睨む。
「まるで何かが起きて欲しかったみたいね。エドガーくん?」
「い、いえ! 滅相もございません!」
必死で首を振るエドガー。力関係が定まっているのは何も、ルーファスに限っての話ではなかったようだ。
「……ふう、ようやく涼しくなってきましたわ。ザ・女の敵、ルーファス先輩の白霊術も大したものですわね」
だらりと垂れ下がっていた印象のあるリリアのツインテールが、わずかに持ち上がっているように見えるのは風のせいだろうか。
「……いちいちその枕詞を付けるのは、どうにかならないか?」
「なりませんわ」
即答するリリア。とはいえ、イメージだけで微妙なさじ加減の術を絶妙に制御するルーファスに、感心していないわけではない。
「みんなして、あたしを無視するな!」
席から立ち上がり、憤慨したように拳を握る赤毛の少女、エリザ。
「この暑いのに、よくそんなに元気ですわね」
「暑いと思うから暑いんだよ。こんなの、涼しいと思えば涼しくなるんだからさ。もっと元気出していこうぜ」
「……意味が分かりませんわ」
「あはは」
エリザは快活に笑う。と、そこへ注文していた料理が運ばれてきた。いかにも精のつきそうな肉料理ではあるが、リリアには暑い盛りにそんなものを食べようという気が知れなかった。
「お! 待ってました! ……はぐはぐはぐ、うーん、うまい!」
運ばれてきた料理に勢いよく食いつきはじめるエリザ。既に彼女は、先ほど自分が叫んだ言葉を忘れているらしい。
「…………」
一同はそれを黙って見守っていたが、何も言わず、そのまま自分たちが注文した品物を口にする。とはいえ、食事にはまだ早い時間であるため、エリザ以外はデザートや飲み物の類だ。
「……いやあ、最近ほんとに暑くなってきたな」
「あれ? でもエドガーくんって、南の獣人国家バーミリオンの出身でしょう? あそこはここよりもっと暑いと思うけど……」
「いや、暑さの種類が違うんですよ。ここはなんというか、蒸し暑いのが気になって」
「……何を言ってますの。だらしない。わたくしの故郷なんて北国ですのよ?」
「ああ、リリアさんはプラグマ伯爵領だものね。気持ちはわかるわ。そういえば、エリザさんはどこの出身だったかしら?」
エドガーとルヴィナ、そしてリリアの三人は流れるように会話を続ける。
──だが、ルヴィナの問いにエリザが口を開くより早く。
「む? そういえば、エリザ。先ほど言っていた『リベンジ』というのは、どういう意味だ?」
ルーファスが思い出したように尋ねた。
彼とエリザ以外の三人は、揃って顔に手を当てながら大きく息をつく。声には出さないが、「明らかな厄介ごとを、どうしてわざわざ掘り起こすんだ、お前は!」という心の叫びが聞こえてくるようだ。
「ん? ああ、そうそう! 忘れるとこだった。ほら、今日の学外任務、つまんなかったじゃん。だから、そのリベンジ」
「先生に復讐するのか?」
「その発想が怖いよ! そんなわけないだろ。えーっと、だから要するに……」
ルーファスに突込みの言葉を入れながら、エリザは自分が何を言いたいか上手くまとめられないようだ。
「……はあ。つまり、つまらなかった分、何か別の面白いことで埋め合わせようという訳ね?」
「そうそう、それそれ! さっすがリリア! あったまいい!」
「褒めても何も出ませんわよ」
「うん、いらないよ。あたしがリリアを褒めたいだけだもん」
「……う。で、ど、どうするつもりですの?」
リリアは、自分の照れをごまかすように先を促す。
「うん。ほら、前にリリアと二人で行った『欲望の迷宮』があるじゃん。あれ、結局二十階までは行ったけど、実際には制覇できなかっただろ? だから、それもかねてのリベンジ」
エリザの言葉に、リリア以外の三人が動きを止める。
「おバカ! それは秘密にしておくよう、先生にも言われてたでしょう!」
慌ててリリアが注意するも、これでは却ってエリザの言葉がリアリティを増すだけだ。
「……悪い。よく聞こえなかったんだけどさ。いま、『欲望の迷宮』って言わなかったか?」
「え、ええ。多分、聞き間違いだと思うんだけど……二人で行ったとかって……」
エドガーとルヴィナは、いまだ硬直から解放されない身体はそのままに、口だけを動かした。
「地下二十階制覇、だったか?」
さらにその直後、二人があえてぼかして言った部分を、あっさりと口にするルーファス。だが、彼も驚いていないという訳ではなさそうだ。手にしたグラスが中途半端な位置で止まっている。
「制覇じゃないよ。そこに出てきた魔動人形みたいなのに勝てなくて、引き返しちゃったんだから」
エリザが少し悔しさをにじませたような声で言うと、硬直していた三人の身体から、一気に力が抜けた。
「……はあ、どこまで非常識なのよ、あなたたちは」
ルヴィナが呆れたように息をつけば、
「普通、入学したての新入生が『欲望の迷宮』なんか潜るか?」
エドガーがやれやれと首を振る。
「……つまり、『欲望の迷宮』に再び挑みたいというわけだな? あえてこの場で話したということは、今回は俺たち五人で行くつもりか?」
「うん! あたしもリリアもあれから大分強くなったし、何よりこの五人なら二十階どころか、三十階だって行けちゃうんじゃないかと思うんだよね」
ルーファスに問われ、エリザは自信たっぷりに言葉を返す。
「まあ、二人であそこまで行けたんですから、可能性は十分ありますわね」
呆れたような顔をしながらも、リリアが言っていることはエリザへの同意だった。ルヴィナは、そんなリリアを信じられないといった目で見つめる。暴走しがちなエリザのブレーキ役。ルヴィナはリリアのことをそう考えていたが、とんでもない。
『火に油を注ぐ』という言葉があるが、彼女の場合は隣で燃える『もう一つの火』そのものだ。二つ合わせて炎になる分、性質が悪い。
「……そんな危険な真似、賛成できないわ」
「うーん、そんなこと言わないでさあ。ルヴィナ先輩だって最近の訓練、物足りないって思ってるでしょ?」
「べ、別にそんなことは……」
図星だったのか、言い淀むルヴィナ。
「まあ、確かにな。俺も学外任務は単独でも受けてきたが、傭兵斡旋所と学院との提携である以上、危険度の高い任務や失敗が許されない任務は受けられない。生温い仕事は多かったな」
「でしょでしょ! さっすがルーファス! 話が分かる!」
エリザはルーファスの言葉を聞いて、嬉しそうにはしゃぐ。
「ルーファス先輩の『性質の悪さ』も、エリザ相手だと滅多に発揮されないのよね……」
「む? 何か言ったか?」
「いいえ、なにも。……三人が賛成って訳ね。あとはエドガーくん? あなたはどう?」
ルヴィナは、途中から黙ったままのエドガーに水を向ける。
「……俺も、挑みたいっす」
「あら、珍しいわね。あなたまでそんなことを言うなんて」
見た目や普段の言動に反し、エドガーは実のところ、常識的な人間だった。少なくとも、ルヴィナはそう思っていた。
「……この特殊クラスにいると、実は俺って全然たいしたことないんじゃないかって、思えちまうんです。英雄王の息子だとか、そんなことでいい気になってた自分が馬鹿みたいで……だから俺は、本当の意味で強くなりたい」
「……そう。変わったわね。エドガーくんも。その志は立派だわ」
ルヴィナは、エドガーのことを少しだけ見直したような目で見る。
「い、いや、そんな大したことじゃ……、ル、ルヴィナ先輩にだって認めてもらいたいし……」
「え?」
「あ! いやいや! 何でもないです!」
「そ、そう?」
よく聞き取れなかったが、何か気になることを言われた気がする。そうは思ったが、ルヴィナとしてはこの場の話をまとめることが先決だった。
「わかったわ。止めても聞かないでしょうし……ただし、アルフレッド先生にちゃんと相談しましょう。いいわね?」
「うーん、先生に相談かあ……」
気乗りしない様子のエリザ。
「先生に黙って行ったりしたら、それこそわたしたちは先生の信頼を裏切ることになるのよ?」
「うう……! わ、わかった。うん、そうだよね」
ルヴィナはようやく胸を撫で下ろす。エリザを説得するには、こういう論法が一番確実だ。後は先生が許可を出さないでくれれば、この問題は収まるだろう。
──そして、翌日。
「わたし、信じられません」
ルヴィナは彼女にしては珍しく、頬をふくらませるようにして不満の言葉を口にする。
「まあまあ、そろそろ機嫌を直してくれないか? 今くらいの階層ならともかく、先へ行けば君の力と戦術眼は攻略に欠かせないはずだよ」
アルフレッドは少し困ったような顔をして、彼女をなだめる。
「先生は、わたしの信頼を裏切りました」
ぷいと横を向くルヴィナ。
「いやっほー!」
「邪魔な獣どもは退きやがれですわあああ!」
『欲望の迷宮』、地下三階。襲いくる魔法生物の群れを相手に、エリザとリリアが大暴れしている。エリザはともかく、リリアのテンションが高くなっているのは、彼女の足元で黒焦げになっているルーファスと無関係ではあるまい。
「あれは、そろそろ治療してあげないと可哀そうだよな……」
アルフレッドもそんな彼が不憫に思えるようで、ぼそりと独り言を漏らした。
「聞いていますか、先生?」
「あ、ああ。だけど、その話は、もうしただろう? 慢心は即、死に繋がる。けれど君たちには、英雄として即、活躍が期待される実力がある。なら、早めに自分に何ができて何ができないか、その限界を見極めておく方がいい」
「で、ですけど、何もここまで危険な迷宮に挑むことはないじゃないですか」
「まあ、それはモチベーションの問題だよ。……エリザとリリアのことだけじゃない。君も含めた他の三人についてもね」
何かを見透かしたような目で、意味ありげに微笑むアルフレッド。ルヴィナは、そんな彼の目がなんとなく苦手だった。
「モ、モチベーション? わ、わたしには別にそんなもの……」
「正直、学院に入学して一か月も経たないうちに、エリザとリリアがこの迷宮の地下二十階に到達したときは、度肝を抜かれたよ。末恐ろしい才能だと思った。彼女たちなら、恐らく確実に、俺たち五英雄を超える英雄になる。そんな確信さえ持った」
否定の言葉を続けようとするルヴィナに、脈絡もないことを口にするアルフレッド。
「…………」
ルヴィナは、不満げな──否、『悔しそうな』顔で沈黙する。
「ほら、ね。だけど、悔しいと思う必要はないよ。確かに彼女たちは強い。だけど、この先、彼女たちには確実に君の力が必要になる。俺はそれこそ、絶対の自信を持って断言できるね」
そう言って笑うアルフレッドに、ルヴィナは軽く息を吐いて応じる。
「……わたし、先生のことがちょっとだけ嫌いです」
「そりゃ、残念。寂しいね」
「でも……他の誰よりも、尊敬してます」
「え?」
「……ああ、なんて効率の悪い戦い方なのかしら。見てられないわ」
何かを誤魔化すように言いながら、エリザたちに向かって駆けていくルヴィナ。その頬がわずかに赤くなっているのを確認し、アルフレッドは軽く苦笑する。
──地下十階。
『パラサイトナーガ』に寄生された首無巨人が出現するフロアだ。
「エリザさん! あなたは敵の武器を落とすことを最優先に! 近づきすぎないように注意して!」
「おっけー! 喰らえ、必殺! ソードブレイカー!」
エリザは巨大なハンマーを出現させると、巨人が構える二本の大剣に叩きつけ、文字通りに撃ち砕く。
「リリアさんは、死霊で敵の頭上を牽制! ルーファス先輩は、敵の足を狙ってください!」
「わかりましたわ! 発動、《奪う亡者の腕》」
「承知した。発動、《水流の鞭》」
リリアの死霊が首のない巨人の『頭上』から精気吸収を仕掛けて気を逸らしたところで、留守になった足元にルーファスの水の鞭が絡みついて引き倒す。
「エドガーくん! 『パラサイトナーガ』よ! 皮膚を魔闘術で強化して前線を維持!」
「了解です! 発動、《鉄の外皮》」
巨人の皮膚を食い破って出現した毒々しい色の蛇は、すぐそばにいたエドガーへと喰らいつく。だが、魔法によって硬質化した外皮に阻まれ、その身体を傷つけるまでには至らなかった。
「よし、今よ! 『バーゲスト』!」
ルヴィナに召還されていた獄界第十九階位の『魔』。煉獄の狂犬バーゲストは、その隙を逃さず『パラサイトナーガ』に喰らいつき、その胴体を噛み裂いた。
「よっし! 楽勝、楽勝! みんな、すごいじゃん! まさかここまで圧勝できちゃうなんて思わなかったなあ」
「まったく、この程度の敵に勝ったぐらいで、よくそこまで喜べますわね」
皆で勝ち取った勝利が嬉しいのか、満面の笑みで喜ぶエリザに対し、リリアは当然と言わんばかりに気のない返事を返す。だが、勝ち誇ったように胸を張っているのでは、その言葉にも説得力はない。
「油断は禁物だろうけど、二十階ぐらいまでなら楽に行けそうっすね」
ルーファスは、そんな風に声をかけてくるエドガーに対し、真剣な顔で首を振る。
「俺はこの地下十階に到達するまでの間に、既に三回ほど生死の境をさまよった気がするのだが……」
「あ、ははは……そうでしたっけ」
乾いた笑いで応じるしかないエドガー。
「……ふん、わたくしとしたことが、滅すべき女の敵を三回も『仕留め損なう』なんて、まだまだですわね」
さらにそんな声が聞こえてきたとなれば、エドガーとしては、ますます首をすくめて黙らざるを得ないのだった。
次回「第28話 英雄少女とふたたびのダンジョン(下)」




