第24話 英雄少女と学園の先輩(下)
ルヴィナ・ハーティシア。
雪のように白い髪と銀の瞳。
英雄養成学院の三年生にして、大人びた落ち着きを感じさせる少女。
西方の大国、クレセント王国の支配階級である月影一族。なぜかこの一族には、月召術の適性を持って生まれるものが多い。だからこそ、一国の支配階級たり得ているわけであるが、ルヴィナの生まれは特殊だった。
月影一族は、エルフや獣人といった他の種族との混血を嫌う。一族に新しい血を取り入れる目的があっても、相手は通常の人間に限られる。
だが、ルヴィナは月影一族とエルフ族の間に生を受けた、混血児だ。異種族の血は一族の力を汚れさせると信じられており、彼女は一族の中では『存在しないもの』としての扱いを受けた。ゆえに、一族でも有数の力を持つ月影の巫女が彼女の存在を知らないのは当然と言えた。
エルフ族の父親は、月影一族の母親を残して行方をくらませたと聞かされている。自分と母を見捨てた父。自分には、そんな汚れたエルフの血が流れている。周囲から蔑まれ、そして、自らの血を蔑んできた彼女にとって、英雄養成学院で力をつけることは、生き抜くための手段でしかなかった。
「わたしは、一族にわたしの力を認めさせたいの。そのためにこの学院に入った。……ふふ、そう考えれば、あなたの方がよほど崇高な志を持っているわよね」
ルヴィナは目の前で麺料理をすするエリザに、穏やかな口調で語りかける。
──エリザはこの日、ルーファスとルヴィナを仲直りさせるため、彼女を食事に誘いだしていた。『星霊亭』は依然として出入り禁止となっているため、食事の場所は学園内の麺料理の店『星雲軒』のテーブル席だ。
「まずは、お互いが腹を割って話さないとな」
朝から張り切ってそんなことを言い出したエリザに、リリアは呆れ顔だった。
しかし、何だかんだと言いながら、彼女は彼女でエリザに協力してやるつもりのようで、隣の席に腰かけたまま、箸で上品に麺をすくっては口に運んでいる。
「わたくしは自分の力を周囲に認めさせようと頑張ることが、悪いことだとは思いませんわ」
リリアはそう言いながら、テーブルの下でエリザの足を踏みつけた。
「あぶ! いたた……」
「大丈夫?」
いきなり声を上げたエリザに、心配の声をかけるルヴィナ。
「大方、急いで食べ過ぎて、舌でも噛んだのじゃありませんこと?」
「うう……」
すまし顔のリリアに、恨みがましげな視線を向けるエリザ。だが、自分が目の前の料理に夢中になったばかりにルヴィナの話を聞いていなかったのは自覚しているようで、特に文句は出なかった。
「でもさ、ルヴィナ先輩。あたしは思うんだけど……力を認めてもらったら、今度はその力をちゃんと使ってみたくならないかな?」
「そうね。あの日の授業でミリアナ様のお話を聞いて、わたしもそう思ったわ。どうせなら、自分のためだけじゃなく、みんなのために役に立つことをしたい。そっちの方が認めてもらいやすいとも言えるだろうしね」
「うんうん! あーでも、そういえばアルフレッド先生が言ってたよね? 英雄は一人じゃ何もできない。チームワークも大事なんだって」
話題の進め方が少々ぎこちない。持って行きたい方向はリリアにもわかるのだが、あまりに不自然では、ルヴィナに見抜かれてしまうだろう。
「……そうね。そう思う。だから、本当はルーファス先輩のことだって……」
「そうそう、ルーファスのことだって……って、え? あれ? あたし、まだそこまで話してないよね?」
段取りをすっ飛ばされて、赤銅色の瞳を瞬かせるエリザ。
「ふふ。あなたの考えていることぐらい、わかるわよ。人の仲直りまで世話をしたがるなんて、あなたって本当にお人好しね」
くすくすと笑うルヴィナは、日ごろの大人びた落ち着きようとは打って変わって、年頃の少女のようだ。
「うう……だってさ、あたし、みんなには仲良くしてもらいたいんだよ。単なる喧嘩ぐらいならいいけど、ルーファスとルヴィナ先輩は、それどころじゃなかったしなあ」
あっさりと開き直るエリザ。一方のリリアには、この結果が予想できていたようだ。平然とお茶をすすっている。エリザに隠し事などできるわけがない。でも、隠し事などできないからこそ彼女に任せるのが効果的で、自分の役割は最終的なフォローで良い。リリアは、そこまで達観していた。
「ま、まあ、彼の『都合の良すぎる偶然』が故意かどうかは別にして、彼がエルフ族なのがいけないのよね。どうしても父親のことが頭をよぎっちゃって、余計に許せなくなるの」
「なるほど。でもそれは、さすがにルーファスが可哀そうじゃない?」
「そうだけど。……そうだけど! でも、あれだけの回数、被害を受け続けてるのよ? 無理もないと思わない?」
「え? う、うん、そうだよね」
語気を強めて同意を求めてくるルヴィナに、エリザは何故か上の空だ。そして唐突に何かを思いついたように言葉を口にする。
「あ、そ、そうだ。実はルーファスにも話を聞いてみたんだけどさ。そしたら、今度、改めて自分のしたことについて謝りたいって言ってたよ?」
「……なるほど。そういう展開だったのね? で、彼はどこ? ここに来る予定なのかしら?」
悪戯っぽく見つめてくるルヴィナ。エリザはとうとう、降参のポーズをとった。ついでに自分の隣で済ました顔のままのリリアに、助けを求めるような目を向ける。
「うう、ばればれだよう、リリア……」
「はいはい。まったくもう……」
リリアはいつの間にか自分の目の前にある料理を平らげ、口元をナプキンでふき取っている。
「ふふふ、あなたたちって本当にいいコンビよね。うらやましいわ」
これまで同じ一族の者からさえ「いないもの」扱いされていきたルヴィナにとって、人間と『吸血の姫』という異なる種族の二人が親友となり、こうした掛け合いをしている姿はある意味、羨望の的だった。
「仕方ありませんわね。台本にないこれ以上のアドリブは、エリザが知恵熱を出してしまうでしょうから、わたくしがお話ししますわ」
「知恵熱ってなんだ!」
エリザの抗議の声を無視し、リリアは言葉を続ける。
「もうすぐエドガー先輩がルーファス先輩を連れてきます。『被害』が出ないよう、万全の体勢でわたくしたちが見守りますから、できればお話だけでも聞いて差し上げたらどうでしょう?」
「……はあ。後輩からそんな風に言われたら、断れるわけがないわ。……実はリリアさん。あなたも思った以上におせっかいで、お人好しなのかもしれないわね」
「ま、まあ、同じクラスのメンバーが険悪な雰囲気なのは、好ましくありませんから」
「エリザの影響じゃないかしら?」
「んな!? ち、違いますわ! 断じてあり得ねえことですわ!」
「リリア、言葉遣い言葉遣い……」
「はうう……」
エリザに指摘されて、あわてて口をつぐむリリア。
それから間もなく、エドガーがルーファスを連れて現れた。
緊張の二大巨頭(?)会談の始まりである。
「む、ああ、ルヴィナ。偶然だな……」
ルーファスは、恐ろしくぎこちない言葉をルヴィナにかけてきた。
「……ああ、そのへんのくだりは、この馬鹿正直娘のおかげで全部すっ飛ばされていますわ。席を空けますからどうぞ、向かい合わせでおかけになってくださいな」
「ば、馬鹿正直娘って……」
褒められているのか、けなされているのか。どちらともつかない言葉に微妙な顔をするエリザ。一方、リリアと席を替わる際のルーファスは、酷く緊張した面持ちでゆっくりと動いている。
「……なんですの?」
「い、いや、なんでもない」
いぶかしげな顔をするリリアに、言葉少なに答えるルーファス。
「さて、それじゃ腹を割って話そうよ」
結果としてルーファスの隣に腰かけることになったエリザが、そう言って口火を切った。
「…………」
「…………」
沈黙。静寂。気まずい雰囲気。
いきなり対面させられて、何を話せと言うのだろう? そんな微妙な空気が漂っている。
「う、ああああ! もう! 黙ってないで話そうよ! ほら! まずはルーファス! 謝るんでしょ?」
「あ、ああ、そうだな」
勢いに任せて叫ぶエリザに、圧倒されたように頷くルーファス。
「……な、なあ。いいのか、あれ?」
「むしろ、あれぐらい強引な方が話は進みますわ。『ナントカとエリザは使いよう』とは、よく言いますでしょう?」
「いや、言わないだろ……。お前もたいがい、親友に向かって酷い毒舌を吐くよな……」
エドガーとリリアは隣のテーブルから、観客を決め込んで見守ることにしたようだ。
「そ、その……済まなかった」
「…………」
神妙に頭を下げるルーファスに、黙ったまま下を向くルヴィナ。
「わざとではないとか、偶然だとか、そんなことは言い訳にはならない。何より悪いのは、俺がこれまで君にしっかり謝罪をしてこなかったことだと思っている」
「…………」
「俺は女性の心について、疎くてな。だから、その……下着を見らたり、着替えを見られたりすることが、どれだけ女性の心を傷つけてしまうことなのか、わかっていなかった。だから、改めて謝らせてほしい。すまない。本当に悪かった。君を傷つけて申し訳ない」
先ほどのエリザが発した大声が嘘のように、あたりを静寂が包み込む。一応は食事時のこの店には、他にも多くの生徒たちがいる。だが、彼らもまた、箸を止めて事の成り行きを見守っているようだった。
「……本当に、性質が悪い人ですよね、先輩って」
「む、すまん」
「……そんなふうに謝られたら、許さないわけにはいかないじゃないですか。過去数十回にわたるあの『被害』を、これ一回で水に流させるなんて、酷いと思いませんか?」
ルヴィナは少女のようにわずかに頬を膨らませ、ルーファスを睨みつけている。
「だ、だが、それならどうすれば……」
「そうですね……これからは、学外任務の時は、わたしの言うことに絶対服従して動いてください。いつも勝手な真似ばかりされて、迷惑だったんです」
そう言って朗らかな笑みを浮かべるルヴィナ。自分の中にある、エルフ族に対するわだかまり。彼女はそれを乗り越えるべく、仲間としての提案をする。
「む、まあ、それは構わないが……そんなことでいいのか?」
「それと、リリアだけじゃなく、わたしに対しても今後、細心の注意を払ってくださいね? でないと次は、本気で『魔』をけしかけますから」
「……肝に銘じておこう」
ルーファスは神妙な顔で頷いた。すると、その横でエリザが盛大に手を叩く。
「よーっし! これで二人とも仲直りだな! そうと決まれば乾杯だ! おじちゃーん! こっちのテーブルにジュース追加ね!」
エリザは店の主人に見えるように手を挙げるため、勢いよく立ち上がろうとした。
だが、そのとき……ちょうどルーファスが動かしたコップが、彼女がテーブルに突こうとした掌の下に入り込む。
「へ? うわわ!」
誓ってルーファスは、わざとそんなことをしたわけではない。何気なくテーブルのふきんを手に取ろうと邪魔なコップをどかしただけだ。だが、その結果──
「あ、危ない!」
「むお!?」
バランスを崩して倒れかかるエリザ。当然、その真下にいたルーファスは、彼女の身体を倒れないように支えてやる形になった。
「うわっととと、危なかったあ。ありがと、ルーファ……」
エリザの言葉が途中で途切れる。身体を硬直させ、顔を真っ赤に染める赤毛の少女。
ルーファスの手は、よりにもよって彼女の胸のあたりで倒れかかる身体を支えていた。さすがにこれで、気付かないはずはない。
体勢を戻したエリザは、自分の胸を両腕で抱えるようにして、ぶるぶると身体を震わせている。彼女にしては珍しく、目には涙がたまっており、赤銅色の瞳は怒りに満ちて、ルーファスを睨みつけていた。
「む! いや、待て! わざとではないぞ? 済まない! 悪かった!」
「……悪かったって何が?」
気丈にも声を抑えてエリザは問う。彼女としては、自分がかつて彼に話したとおり、相手を傷つけたことを謝るべきだとの考えに基づく質問だった。だが、彼は誤解する。それはかつて、同じ状況に至った時のリリアの質問が原因だったのだが、この場面において、それは最悪の勘違いだった。
「む? い、いや、悪くはないぞ?」
「え?」
「いや、だから、その、確かにリリアに比べれば小振りな感は否めないが、それはまだまだ発展途上と言うべきだろうし……、その、むしろ弾力と言う面ではリリアにも勝っていた部分があったと思う。だから、決して触り心地が悪いなどと言うことは……」
そこまで言ってようやく、彼は自分の失敗を悟る。というか、明らかに遅すぎだった。手遅れにもほどがある。
「ば、馬鹿なのね。この人……」
ルヴィナは呆気にとられた顔で見守るだけだ。
「う、あ、あ、あ……」
顔どころか全身を真っ赤に染め上げ、目には怒りの炎をぎらつかせたエリザ。何故か彼女の手には、武器と言うより『拷問具』と呼んだ方がいいのではないかと思えるような、ごつい星具が具現化されている。
「う、うふふ、まったく、ほんとうに、この男は……」
エリザの方を向いたルーファス──その背後からの声。周囲に数百数千の死霊を漂わせ、黒い雷を全身に纏い、白金のツインテールを角のように逆立てた少女。
「いや、ほんと。俺、ルーファス先輩のこと、まじ尊敬する。すごいわー、これは俺、絶対に真似できないと思う……」
「なんだって?」
「なんですの?」
「ひ、ひい! ご、ごめんなさい!」
うんうんと感心したように頷いていたエドガーは、鬼気迫る迫力で仁王立ちする二人の少女に睨まれて、情けなくも頭をすくめる。
「まあ、なんだ。……これを生き延びることができれば、俺も一つ、成長できると思うんだが、どうだろうルヴィナ?」
「知りませんよ、そんなこと」
ルヴィナが呆れたようにルーファスへ言葉を返した直後──
「死ね! このド変態男が!」
「女の敵はここでくたばりやがれですわあああ!」
少女の叫び。店内の備品が砕ける轟音。悲鳴と怒号。
混乱渦巻く店内でエドガーは思った。
「こりゃ、この店も間違いなく出禁だよなあ。俺たち五人とも」
第2章の最終話です。
次回「第2章 登場人物紹介」の後、第3章となります。




