第2話 英雄少女と星霊剣士
魔王と呼ばれる少年が、ただの成り行きで世界征服を決意したその日のこと。
大陸中央に位置するエレンタード王国の学園都市エッダ。
そこでは、一人の少女が都市に数ある各種学院の中でも最難関とされる英雄養成学院の入学試験に、『史上最低の成績でトップ合格』を果たしていた。
都市の一角に、広大な面積を持つルーヴェル英雄養成学院。今回の『入学試験』のゴールでもあるそのグラウンドには、受験者到着の知らせを受けた教員たちやその他の学院関係者が集まっている。
今回の試験の試験官でもある教員たちは、皆一様に開いた口がふさがらない有様だ。ただ茫然と、ガッツポーズを決めている一人の少女を見つめている。
「やったぜ! あたしが一番でいいんだよね?」
歓喜の声をあげる元気いっぱいの少女。炎のような深紅の髪には、銀の髪留め。少し日焼けした健康的な肌。勝気そうな赤銅色の瞳は、嬉しげに輝いている。見た目だけで言えば、可憐で美しい少女である。だが、今ではこの場にいる誰もが、彼女がそんな可愛い存在ではないことを知っている。
「……エリザ・ルナルフレア、合格」
そんな中、初老の男性が震える声で宣言する。濃い紫のローブは、この国においては身分の高い術師のみが身に着けることを許されるものだ。
「ん? 辛気臭いなあ、先生。せっかくこのあたしが入学してあげたんだから、もっと元気よく宣言してよ」
「……言っておくがエリザくん。確かに君はこの入学試験において、これまでの最高記録を一週間ほども上回る短期間でゴールしてみせた。……だが、その点を除けば、君の成績は最低だと言ってもいい」
「ええ? なんでよ。そんなのずるい。卑怯だ!」
不満顔で叫ぶ少女。この学院に入学できる最少年齢は15歳だ。だから彼女は最低でもその年齢には達しているはずだったが、まるで小さな子供のように口をとがらせている。
学院の試験官長エルムンド・ギエナビクは、頭痛をこらえるように顔をしかめて言葉を続ける。
「いいかね? この試験は単に速さを競うものではない。この学院において養成される『英雄』とは、ただ強いだけの存在を指すのではない。所詮、人が自分ひとりの力で為し得ることには限界がある。英雄とは人々を導く存在だ。人々の先頭に立ち、正しく己が身をもって道を示す。ここは、その資質を養うための学院なのだよ」
つまり、優れた術適性や単なる戦闘能力の高さだけで、合格できるような試験ではないということだ。指定されたルートを複数のチェックポイントを経由しながら進み、あらゆる妨害を排除し、試練を乗り越えて学院までたどり着くこと。それがこの学院独特の『入学試験』である。
学院が用意した無数の妨害・試練は、状況に応じて知恵を絞り、己の力を臨機応変に生かすことが可能な人材のみが突破できるよう、吟味されたものだ。
そのため、この学院では、この試験で制限時間内に到着できた者は無条件で合格としている。とはいえ、一方で入学後のクラス分けや資質の見極めを図るため、コースの各所に試験官を配置し、様々な観点からの採点も行っていた。
試験官たちによる一応のフォローはあるが、完全な命の保証はしてもらえない。それが人々をして、この試験を難関と言わしめる理由の一つだった。
だが、彼らは見てしまった。
──そのチェックポイントに配置されていたのは、試験官の一人でもある月召術師が召喚した、幻界第二十七階位の魔石巨兵ルーンゴーレムだった。あらゆる衝撃を吸収する身体に、魔法に対する高い耐性を備えたこの『魔』は、額の刻印に一定以上の魔力が込められた魔法を直撃させない限り、傷一つ付けることはできない。
攻撃魔法が使えるものはそれを見抜いてこれを撃破し、使えぬものはそれを見抜いてこれとの戦闘を避ける。そうした正しい判断ができるかどうかを問われる。
だが、しかし──
「出たな、怪物。あたしと勝負だ!」
元気良く、叫ぶ少女。一方、敵を感知したゴーレムは直ちに攻撃態勢に入る。虹色に輝く巨体から唸りを上げて振り下ろされる剛腕は、岩を砕き、大地を陥没させるだけの威力があった。
それに対し、少女の行動はあまりにも無謀だった。迫りくる巨大な拳に、手にした剣を叩きつけたのだ。どう見ても、装飾過多で実用には不向きな剣。だから、剣はへし折れ、少女の小柄な体は無惨にもひしゃげて弾き飛ばされる──試験官はそんな光景を予測して、治癒の魔法を用意した。
しかし、そんな用意も結局、腰を抜かして尻餅をつく彼自身の擦り傷を癒す程度にしか、役に立たなかった。
炸裂音。破壊音。しかし、悲鳴も苦痛の呻き声さえも聞こえない。当然だ。ゴーレムは声など発さない。代わりに聞こえたのは、少女の「ふう、紙一重だったな」という無駄に決め台詞を意識したような声のみだ。
あんぐりと口を開けた試験官の前には、腕から胴体の半ばまでを粉々に砕かれ、幻界への送還が始まったルーンゴーレムの残骸があった。
──試験で用意される関門の中には、試験官自身が仕掛け人となるものもある。旅人や街の人間を装って受験者たちに声をかけ、助けを求めるふりをしながら、解決に時間のかかりそうな難題を押しつけるのだ。
もちろん、それと見抜いて断る者がいれば、それでもいい。しかし、本当の正解は、それと見抜きながら、断ることなく、それでいて試験官がわずかに提示しているヒントを元に、短時間で問題を解決してみせることだ。
十代の少年少女に課すには意地の悪い課題だが、これこそまさに英雄の資質を問う試験と言えた。
だが、当の少女は──
「へえ、おじさん、困ってるの? ……そっか。じゃあ、あたしに任せといて! だいじょーぶ! 大船に乗った気持ちで待っててよ!」
ろくに試験官の話も聞かず、遥か遠い高山地帯に自生するという薬草を取りに向かう……のではなく、周辺の村や町を駆けずり回り、薬草を所持している人間を探して回った。これは、やり方としては正解に近いが、ある意味で正解からは最も遠い。
『相手の嘘を見抜いたうえで、ヒントを頼りに用意された薬草の所持者を探す』のが正解なら、これはその真逆だ。
『頭から相手を信じたうえで、近場で見つかる確証もない薬草の所持者を探す』
結果とすれば、たとえ闇雲であろうと学院が用意した所持者は見つかる。彼女の恐るべきバイタリティとあわせ、思考する時間がゼロだったせいもあってか、発見までに費やした時間は他の正解した受験者と変わらなかった。
しかし、本来なら大幅な減点対象だ。薬草の有無が直ちに命に関わるものではないという設定である以上、学院の仕掛けを見抜けたのでないかぎり、依頼を断って先に進むのが第二の正解なのだから。
英雄養成学院の試験という大事を前に、見つからなかったらどうするつもりだったのか? 試験官が街の人間の振りをしたまま聞けば、少女の口からはこんな答えが返る。
「ん? そんなん、見つかるまで探すに決まってるじゃん。ってか、そんなことより! よかったね、おじさん! これで病気の娘さんも元気になるんでしょ?」
「…………」
試験官は、人を試すのが仕事である。だが、彼は屈託のない顔で笑う少女を前に、自分の行いを恥じたい気持ちに襲われていた。
──最後は、山越えの試練だった。凶暴な無数の『月獣』が生息するその山中を、いかに腕に覚えがあるとはいえ、まだ十代にしかならない少年少女が単独で乗り越えるのは無謀なことだ。
だから、この試験ではいち早くそれを見抜き、迂回して指定された別ルートを進むか、あるいは山のふもとから地下に続くダンジョンの入口を見つけ出し、突破することが求められる。
仕掛けられた数々のトラップを回避し、複雑に入り組んだ迷路を反対側へと抜け出るまでにかかる時間は、短く見積もっても丸一日。迂回した場合は、さらに四日はかかるルートを選ばなくてはならない。
「ダンジョン? なにめんどくさいこと言ってんの?」
ずんずんと山に入ろうとする少女に対し、その試験官はダンジョンのことを伝えたうえで、彼女を止めようとした。もちろん、試験としてはこの時点で減点である。月獣の中には、時に学院の教員たる彼らの手にも余るものがいる。命の保証をしない試験とはいえ、入学希望者が次々と命を落とすような試験では、各国からの批判は免れえない。
減点した後とはいえ、一応の忠告だけはする必要があった。
「いやいや先生、よく聞いてくれよ」
少女は顔の前で一本指を立てながら、それを左右に振って見せる。どうやら本人としてはかっこいい仕草のつもりのようだが、試験官からすれば、十代も半ばの少女からそんな真似をされては、馬鹿にされているような気分にしかなれないだろう。
「……そこに山がある。だったら、越えないでどうする!」
無駄に格好のよいことを言いながら、試験官が止めるのも聞かずに山中に入り込む少女。もちろん、今までもそうした無謀な受験者がいなかったわけではない。担当した試験官は、少女の試験点数をさらに減点することに決めつつ、入念に整えられた装備を身に着けて後を追う。
「お! 来たな。ここで会ったが百年目! よし、あたしが相手だ。かかってこい」
時折出現する月獣の中には、熟練した剣士や魔導師でも単独での撃破が困難なものもいる。だが、そうした月獣たちは頭もよく、滅多に人間を襲うことはない。……それこそ、むやみやたらに力を振りかざし、他の月獣たちを倒しながら奥へと踏み入ったりしない限りは。
月獣オンテルギウス。
ゆらゆらと濃厚な魔力を紫の体毛から立ち昇らせた巨大な獣。大きな顎には鋭い牙が並び、頭部には赤い2つの瞳と蒼い2つの複眼が輝く。口の端からは黒い炎のような息が漏れている。
これには、さすがの試験官も肝を冷やした。もはや助けに入るどころの話ではない。彼自身、まさかこんな大物と出くわそうとは思いもしなかった。この月獣は、退治するのに魔法騎士団の一個小隊が必要となるような正真正銘の化け物なのだ。
……だが、彼はこの後、驚愕の光景を目にすることになる。
雄叫びを上げ、巨大な顎を全開にしたまま、少女へと飛びかかるオンテルギウス。少女は相変わらず折れやすそうな剣を手にしていたが、それを握る手とは反対の手、つまりは左手に突如として『盾』が出現する。
同じく派手な紋様の銀の盾。しかし、一見して装飾品のようなその盾は、鋼鉄をも噛み裂くオンテルギウスの牙を難なく受け止め、弾き返す。オンテルギウスにしてみれば、少女の柔らかな肉体を噛み裂くつもりが、予想外の硬い異物が牙を直撃したのだ。面食らったように飛びさがる。
「ふふん、結構やるじゃん! じゃあ、次はあたしの番だ!」
少女は赤銅色の瞳に好戦的な光をたたえて、月獣を睨む。だが、どことなく楽しそうな顔だ。呆気にとられて見守る試験官は、信じられないとばかりに首を振っていた。
「嘘だ……。盾はともかく、オンテルギウスの攻撃を至近距離で受け止めるだって?」
月獣オンテルギウスは、ただの巨大な狼とは違う。月に狂うことで全身に満ちた魔力により、肉体の強化と回復はもとより、毒の息の生成や麻痺の眼光といった特殊能力まで持ち合わせている。近づくだけであらゆる心身の異常を引き起こす怪物と正面からぶつかり合うなど、狂気の沙汰だ。
「なんか、燃えてきた! よし、いっくぞー!」
少女は元気いっぱいに叫ぶ。少なくともその姿からは、毒に苦しむ様子も眼光に麻痺する様子もまるで見られない。
少女はいつの間にか無くなっている剣のかわりに、右手に手甲をはめていた。そして、山中における足場の悪さをものともせず、猛然とダッシュ。オンテルギウスが吐き出す黒い火炎を素早く回避し、その懐に潜り込む。下から突き上げるような拳の一撃。さらに、のけぞった相手の頭頂部へ、身を捻るように上から振り下ろした拳を叩き込む。
少女の足元に這いつくばったところで、頭を蹴り飛ばされ、耳障りな悲鳴を上げて吹き飛ぶオンテルギウス。
「で、でたらめだ……。駄目だ。コレは駄目だろう……」
その姿を見た時点で、その試験官は考えることを放棄した。
それから間もなくのこと。
凶悪な月獣がひしめき、地元の人間から『魔の山』と恐れられるその山中には、散々に痛めつけられ、四つの目から涙でも流さんばかりの有様で疾駆する、月獣オンテルギウスの姿があった。
「ひゃっほー! 速い速い! やればできるじゃん!」
その背に、赤い髪の少女を乗せて。
結果、彼女が山越えにかけた時間は、わずか二時間足らずだった……。
「……アルフレッド様に匹敵しかねない星喚術師。そんな才能が我が校に入学してくれるのは、素晴らしいことだ。だが、コレは駄目だろう……」
エルムンド試験官長は、かつての邪竜戦争における英雄の名を引き合いに出しつつ、山越えの際の試験官と同じ感想を抱く。と、そのときだった。
「やあ、エルムンド。聞いたよ。なんでも凄い子が入ったそうじゃないか」
「あ、アルフレッド様……」
エルムンドが頭を下げつつ名前を呼んだのは、一人の青年だった。落ち着いた蒼い眼差し。癖のある薄茶色の髪を首の後ろで結んでいる。理知的な顔立ちで物腰も柔らかく、一見したところでは魔術師のようでもある。しかし、蒼い軽鎧に身を包み、腰に長剣の鞘を提げたその姿は、戦士そのものだ。
星霊剣士アルフレッド・ルーヴェル。
十年前の戦争において、世界を恐怖に陥れた邪竜。戦争そのものの元凶でもあったそれを滅ぼし、世界に平和をもたらした『五英雄』の中心人物。
「あ! もしかして、あんたがアルフレッド?」
彼に気付いた赤い髪の少女が、恐ろしい勢いで駆け寄ってくる。
「こ、こら、エリザ君! アルフレッド様になんという口の利き方を!」
慌てて少女をしかりつけるエルムンド。だが、アルフレッドはそんな彼を手で制すると、微笑したまま少女を見下ろす。
「元気がいいね。君にはこの学院で頑張って、いろいろなことを学んでもらいたいな」
まるで年下の友人にでも話しかけるかのような優しい言葉。だが彼は、二十代の若さでありながら、学園都市エッダにおいて名士ともいうべき英雄養成学院の学院長の地位にある。ましてや邪竜戦争の英雄ともなれば、世界のどの国を訪れたとしても、最上級の賓客として迎えられるべき立場だ。
学院の副院長でもあるエルムンドは、そんな彼の気さくな態度に感じ入ったような頷きを繰り返していた。
「ふふん」
だが、少女はもっと不敵で、とにかく大胆だった。生ける伝説ともいうべき英雄に、びしっと指を突きつけ、高らかにこう宣言したのだ。
「あたしは、あんたを超えるためにここに来た!」
少女特有の甲高い声。不思議とよく通るその声は、その場にいた全員の耳に、確かな意味を伴って届く。だが、その意味を解するのに、その場の誰もが数秒の時を要した。
「あ あ、が、あががが……」
静寂から一転、エルムンドの間抜けな声が響く。口を開けすぎたばかりに、顎が外れてしまったらしい。
もちろん彼だけでなく、その場にいた誰もが、開いた口が塞がらずにいる。今、この少女は何と言ったのだろうか? 邪竜戦争の英雄にして、世界でも最高の名声と最強の実力を備えた星霊剣士アルフレッドを超える?
当のアルフレッドも、驚きに目を丸くしている。眼前に少女の細くしなやかな指を突きつけられたまま、硬直したように動かない。だが、さすがと言うべきだろう。彼は微笑をさらに深くして、彼女に尋ねる。
「心意気は立派だけれど……、どうやって超えるんだい? 俺を打ち負かすのかな?」
「違うってば。それじゃ英雄じゃないじゃん」
「じゃあ、どうするの?」
アルフレッドは、楽しくて仕方がないと言った顔で少女の答えを待つ。
「……『魔王』だ」
「え? ま、まおう?」
唐突な言葉に、アルフレッドは不思議そうに首を傾げる。
「あんたが邪竜を倒したのなら、あたしは魔王を退治する。……ふふん、どうだ!」
「いや、『どうだ』って言われてもね……」
晴れやかに笑う赤毛の少女、エリザ・ルナルフレア。大胆不敵な赤銅色の瞳には、紛れもない本気の輝きが宿っている。
その輝きを前にして、アルフレッドの胸の奥で、忘れかけていた『何か』が躍る。
挫折を知らない子供だけが持ち得る特権。それでいて、いつの時代も変わることなく、万人を惹きつける魅力的な宝物。お伽話にしか登場しない魔王なるものを退治する──そんな『夢』を誇らしげに語る彼女の顔は、アルフレッドにはひどく眩しいものに感じられたのだった。
そしてこれは、彼が生涯で唯一、自分を超える素質を持った弟子に出会った瞬間でもある。
次回「第3話 少年魔王と第一の騎士」