第17話 少年魔王とお買い物(上)
西の辺境国家リールベルタ。
国王が暫定統治者となり、依然として従来どおりの施政を執り続けているこの国では、魔王による支配が始まって以降、大きな混乱はない。
王城を支配する魔王ネザクの要求は、ただひとつだ。支配者としての彼の名前や容姿、その他もろもろの情報を国中に流布させること。それさえ守っていれば、国民にも王族にも、これまで通りの変わらない生活が約束されている。
「じゃあ、そんなわけでネザク。今日は城下町でお買い物をしましょう!」
「なにがそんなわけなんだよ。カグヤの言うことはいつも唐突だよね?」
「気にしない気にしない。それよりあなた、その格好で行く気?」
なぜか町娘のような衣服に着替えているカグヤは、ネザクの皮肉をあっさりと無視しながらも、核心を突いた質問をしてくる。
「も、もちろん、着替えるよ! そうだよね? こんな恰好で出歩くわけにはいかないし、うんうん、早速着替えなくちゃね!」
何故か渡りに船とばかりに着替えを主張しはじめるネザク。だが、そんな彼の腕を引っ張る者がいた。
「駄目ですよお。今日は待ちに待った、わたしがネザク様を着せ替えさせてもいい日なんですよ? 今日は一日、この格好をたっぷり堪能させてもらいます」
うっとりとした顔でそう言ったのは、黒髪のメイド少女、リラだった。彼女は白い頬をほんのり紅潮させて、つまりは興奮を露わにした顔で、ネザクの頭から爪先までをじっくりと眺めている。
「い、いや、ほら、でも出かけるんだしさ……さすがにこの格好は恥ずかしいと言うか、なんというか……」
ネザクは言いながら、自分の姿を改めて見下ろす。
それは、一言でいえばメイド服だ。特別なものではなく、リラが身に着けるごく一般的なメイド服。だが、少女と見紛う顔立ちのネザクが着用すれば、当然そこには美しいメイドの少女が現れる。
無論、ネザクは男だ。顔立ちが女性に見えるからと言って、女装の趣味はない。そんな彼にとって、女物の服を着て城内を歩かされるのは、羞恥の極みともいえる拷問だった。
だが、無情にも外見というものは、本人の内面を平然と裏切るものである。むしろそんな風に恥じらう気持ちが、より一層彼の『女性らしさ』を引き立ててしまったのかもしれない。
廊下ですれ違った誰もがその姿に振り返り、あんなに可愛いメイドがいただろうかと首を傾げる。エリックでさえ、初めて見たときは思わず見惚れてしまい、直後に激しい自己嫌悪に陥ってしまったほど、彼のメイド姿には破壊力があった。
「もちろん、わたしもご一緒しますし、安心してくださいね!」
「うう……」
なのに今度は外を歩かされると言う。ネザクはもはや半泣きだった。
「……カ、カグヤからも何か言ってよ」
救いを求めるような視線をカグヤに向けるネザク。だが、『面白いことが大好き』な彼女に向かって、そんな目を向けること自体が間違いだ。その場に居合わせたエリックは、少年の学習能力の無さにあきれるばかりだった。
しかし、ここで意外にもカグヤは、ネザクのために助け舟を出してみせた。
「リラ。気持ちはわかるけど、さすがに外までこの格好じゃ可哀そうよ」
「そうですか? うーん、残念です」
「だよね! さすがはカグヤ!」
しょんぼりとした顔でうつむくリラに対し、逆に顔を輝かせて喜ぶネザク。だが、これだけで終わらないのが、カグヤのカグヤたるゆえんなのかもしれない。
「だから、代わりと言ってはなんだけど、明日もリラにネザクの特別着せ替え権を進呈しちゃうわ」
「え? 本当ですか! やったあ!」
リラはその言葉に、飛び上がらんばかりに喜ぶ。
「……そこに僕の意思はないんだね」
ネザクはもはや、諦めたように項垂れた。
「さ、それじゃ、出発するからきびきび着替えなさい」
「五分以内にお着替えしないと、そのままの格好で連れてっちゃいますよう?」
満面の笑みを浮かべたまま、ネザクを急かす二人の女性。
「カグヤはともかく……リラって一応、僕のお城の使用人のはずだよね?」
あまりの言葉に虚しい反論を試みるも、リラは全く聞いていない。
「ああ、楽しみです。あ! そうだ! カグヤ様。城下町でネザク様の新しいお洋服とか、買ってもいいですか?」
「ええ、これからあなたに渡すお小遣いの範囲でなら、いいわよ。ちなみに、うんといいものがあったら、わたしも追加出資しちゃうかも」
「さすがは、カグヤ様です!」
一部始終を見守っていたエリックは、ネザクの肩に精一杯の労いの気持ちを込めて手を置いた。
「負けるなよ。生きていれば、きっといいことあるさ」
「……ほんと? 多分カグヤって、ずっと僕と一緒なんだと思うけど、それでもほんとにそう思う?」
エリックは言葉に詰まる。
カグヤ。黒の魔女。彼の胃痛の主たる原因。
「……む。いやほら、あれだ。前向きに考えようぜ。将来、今よりもっと酷いことがあるかもしれないと思えば、今が最悪なんだと思わないで済むんじゃないか?」
「……前向き思考どころか、それってとことんネガティブだよね!?」
嘆くネザクを前に、自分の無力さを痛感するエリックだった。
──王都テルエナンザの城下町は、城壁の復旧工事も進み、元のにぎわいを見せている。一時期は魔王の支配下に置かれるということで戦々恐々としていた住民たちも、この状況に慣れつつあるのだろう。
城門を出て堀に架けられた跳ね橋を渡り、街に繰り出すネザクたち。今回のメンバーはネザク、カグヤ、リラ、ルカ、リゼルの五人だ。
一方、どこまでも苦労人のエリックは、城内におけるもろもろの雑事を片付けるべく、部下の騎士たちとともにせわしなく働いている。
「はあ、はあ……危なく置いていかれるところだったわ」
肩で息をするルカ。出発直前に外出の話を聞かされて、慌てて準備を整えたためか、いつもの三つ編みが若干乱れている。
「ごめんね、ルカちゃん。つい夢中になっちゃって」
外出の旨を親友に伝えることもそっちのけで、リラがやっていたことと言えばもちろん、ネザクに外出用の服を着せ替えさせることだった。女物の服でないからと言って、適当なものを着させるなんて、リラにはもってのほかなのだ。
「良く似合ってるじゃない、ネザク」
「うーん、まあ、男物だからいいけどね」
カグヤに褒められて、まんざらでもないネザク。身に着けているのは、王族のみが着ることを許される式典用のきらびやかな衣装だ。ネザクのためにサイズを調整されたその一品には、マントまで付属されている。着慣れないその衣装は歩きにくくはあったものの、少年の一般的な感覚から言って『格好良い』と言える部類のものだった。
当然、そんな恰好で街中に出れば注目を集める。彼の名前、彼の容姿は人々に伝わっているところであり、誰もが驚いて道を開け、そのあまりの美少年ぶりに男女を問わずため息を漏らす。
「それじゃ、まずはどこに行きましょうか?」
ネザクの衣装をぽーっとした顔で見つめるリラは放っておいて、ルカがカグヤに尋ねる。
「もちろん! お昼ご飯を食べに行くのよ。お城の料理も食べ飽きちゃったのよねー」
「お買い物って、それが目的なわけ?」
ネザクが半眼で尋ねる。
「ううん、それ『も』目的なの。うふふ、買いたいものだっていっぱいあるわよ」
ちなみに彼女が持ち出した金銭は当然、国庫に収まっていたものだ。全体の額からすれば微々たるものだが、それなりの大金ではある。カグヤは、そのうちいくらかを他の四人にお小遣いとして渡していた。
「それじゃ、そのへんの人にお勧めの店を聞いてみましょ?」
そう言って、物怖じもせずに道行く人に声をかけるカグヤ。一見すると町娘のような地味な服を着ている彼女には、いつもの黒衣の時のような妖艶な雰囲気は皆無だ。それでも彼女には、天然の魅力がある。目の前で微笑みかけられ、距離を詰められ、鈴の鳴るような声で呼びかけられれば、どんな男でも鼻の下を伸ばしてしまおうというものだった。
何人かに聞き込みをした時点で、目的の店を決め、歩き出す一行。
「ねえ、リゼル。聞いてもいい?」
歩きながら、思いついたように言うネザク。
「なんでもどうぞ、ネザク」
「えっと、その……なんというか、随分変わった恰好をしてるよね。何かあったの?」
ネザクの言葉に、ルカは溜め息をついた。ああ、始まったわ。と言いたげな顔だった。
リゼルは、いつになく女性らしい服を着ている。
恐らく城に来た仕立て屋から購入したものなのだろう。上半身の衣装は大胆に背中が開いている一方、比較的身体に密着する形となっており、彼女の豊かな胸の形がはっきりと強調されている。シースルーで丈の短い上着を羽織り、帯留めのスカートは太ももから膝辺りの部分で左右が不揃いの長さとなっている。白い脚は剥き出しだが、足元の靴から伸びる紐状の飾りは膝下あたりまで達している。
この国では、あまり見ないタイプのものだ。周囲からは完全に浮いてしまってはいるものの、大人びた印象のリゼルには良く似合っている。少なくとも、誰が見ても『変わった格好』とまでは言うまい。
「わたくしは、おめかししている」
そんな言葉を口にしたリゼルの顔に、奇妙な布さえ巻きついていなければ。
「おめかし、ね。うーん、でもリゼルって、せっかくきれいな深紫の目をしてるんだから、隠さない方がいいと思うんだけどな……」
びくりと身を震わせるリゼル。だが、ネザクの褒め言葉に反応したわけではないだろう。それがルカには嫌と言うほどわかってしまうが、ネザクはまるで気付いていない。どう助け舟を出したものか難しいところだが、そもそもここまで正解に近い言葉を口にしている相手に、気付かせるも何もないだろう。
と、思っていたら──
「ネザク」
「なに?」
「わたくしは、おめかししている」
──繰り返した。
ここにきて、まさかの繰り返しだった。
「ぶふ!!」
思わず吹き出してしまったのは、ルカの方だ。ある意味、全てを理解したうえで見ているから、笑えてしまう場面と言うものはあるのかもしれない。だが、ネザクの立場はそうではなかった。
「えっと、おめかしでしょ? うん、あれ? お……めかくし?」
その瞬間、ルカの目には、確かにリゼルの顔が輝くのが見えた。
──だが、それも長くは続かない。
「うーん、ちょっと強引じゃないかな?」
「……!」
まさに天国から地獄へ。急激な変化を見せるリゼルの表情。その背後には、ゆらゆらと揺らめく無念の炎が垣間見えた。がっくりと肩を落とし、ついで目隠しを外す。無表情のまま、自分の服に手を掛けようとして、その手を掴まれた。
「駄目だよ、リゼル。せっかくの可愛い服なんだし。もったいないじゃないか」
言われてリゼルは、はっとしたようにネザクの顔を見る。さすがのルカにも、この後の展開は予想がつかなかった。
「ネザク」
「なに?」
「ネザクは、わたくしが『可愛い』と、嬉しいか?」
「ええ!?」
唐突なリゼルの言葉に、ネザクは目を丸くする。
「え、えっと……そ、そりゃ、可愛くないより可愛い方がいいと思うけど……」
顔を真っ赤にしながら、そんな言葉を口走るネザク。
「そうか。ならばわたくしは、『可愛く』なろう」
決意に満ちた声で断言するリゼル。呆気にとられてその様子を見ていたのは、ルカだけではない。
「ま、まさか、リゼル。あなたまで、わたしの前に立ちはだかろうと言うの?」
「うう、天然クールで一途な美人さんが相手なんて……負けちゃいそうです」
カグヤとリラ、二人は驚愕の表情でリゼルを見つめている。一方のリゼルは、自分の服を撫でまわしながら、何かを確認するようにつぶやいていた。
「この服を研究しよう。可愛いとは何か? ネザクは何を可愛いと思うのか?」
まじめだった。というか、まじめ過ぎだ。
それはさておき、この後の展開はさらにルカを悩ませることになる。
「お師匠さま。わたくしが可愛くなるため、ご指導願いたい」
「今度はそっちの路線なの!?」
それなら自分が『お師匠さま』である必要はないのではないかと思うルカだったが、リゼルの真剣な瞳の前に「頑張ります」以外の言葉は続けられそうになかった。
「うう、だからさ、そりゃ、可愛い方が嬉しくないと言ったら嘘になるけど、でも、その、どんな格好でもリゼルはリゼルなんだし……」
ネザクは、話の展開にまるで気付いていない。ひたすらに言い訳じみた、よく分からない言葉をぶつぶつとつぶやいている。
「もしかしてネザク様って……天然のたらしなのかしら?」
暗界第二階位、暗く愚かな絶望の王リゼルアドラをして、『わたし、あなたのために可愛くなる!』的な台詞を言わしめた少年など、空前絶後のたらしと言うほかはないだろう。
しかし、ルカは内心で首を振る。自分で口にした疑問とはいえ、馬鹿馬鹿しい限りだった。なぜならば──
「──結局のところ、あれって全部、可愛いペットか弟に対する愛情って感じなんだよねえ。いつかネザク様を普通に一人の男性として見てくれる人とか、現れるのかな?」
改めて少年を見れば、未だに顔を赤くしてうんうんと唸っている。
「……可愛すぎるし、無理かも」
自らも少年を可愛い生き物を愛でるような目で見ながら、ルカはそう結論を下したのだった。
次回「第18話 少年魔王とお買い物(下)」




