第16話 英雄少女と学外研修(下)
「厄介な相手? そんなに強力な月獣なの?」
ルヴィナが尋ねる。だが、リリアはその問いに首を振る。
「いえ、あの罠を破壊したのは多分、月獣グラスコアです」
「なんだ、雑魚じゃねえか」
エドガーは、ふんと鼻を鳴らすように言った。
「グラスコアって言えば、要は巨大ネズミだろ? 大して強い奴らじゃないぜ。ま、リリアも実戦は初めてだもんな。怖かったら俺の後ろで見ててもいいんだぜ?」
誰に格好良いところを見せようとしているのか、威勢のいい言葉を口にして胸を張るエドガー。だが、この場合は相手がまずかった。だいたい、リリアはエリザとともに『欲望の迷宮』地下二十階に到達した、れっきとした実戦経験者なのだ。
「……足手まといは今のうちに始末しておくことにしますわ」
「へ? って、どわああ!」
周囲の地面からにょきにょきと生えてきた半透明な腕に悲鳴を上げ、慌てて飛びさがるエドガー。
「こらこら、リリアさん。落ち着きなさい。それより、あなたが厄介だというからには他にも理由があるんでしょう?」
「はい。ルヴィナ先輩。恐らくこの月獣たち、何者かに操られていると思いますわ。統制のとれた意思のようなものを感じましたから」
「……操られている? それってまさか」
ルヴィナが何かに気付いたように目を見開く。
「獣人族の霊戦術師だろうな」
言葉を続けたのは、どうにか亡霊の腕をよけきったエドガーだった。彼は軽く息をつくと、苦々しい顔で首を振る。
「やれやれだ。誇り高い戦士であるべき獣人族に生まれながら、後方でこそこそ霊戦術を使うような半端者が相手とはな」
「エドガー先輩? それはわたくしへの侮辱ですか?」
「へ? いやいや、言い方は悪かったけど、そうじゃないんだ。もともと獣人族には魔闘術こそ至上の魔法だという文化があるんだよ」
「野蛮な文化ですのね」
「……それは侮辱じゃないのか?」
やれやれと首を振るエドガー。実際、獣人族には魔闘術の術適性が得られる紅季に生まれるものが多い。限界はあるにしても、獣人族は子供を産む季節自体を調整しているのだ。
「ねえ、よくわかんないんだけど、月獣が操られてると、どうして獣人族の霊戦術師の仕業になるんだ?」
不思議そうな顔で質問したのはエリザだった。
「あなたも大概、物を知りませんわね。本来、霊戦術師は周囲の器物に魔力を憑依させて術を行使します。生物ではなく、あくまで対象は『器物』です。ただ、獣人族であれば、例外的に月獣にも術を作用させることができるのですわ」
「ふうん、なるほどな」
エリザが納得したように頷き、そして次の瞬間、弾かれたように顔を上げる。
「って! つまり、おじさんのところの作物を盗んでる奴がいるってことじゃん!」
「ええ、だから厄介だと言ったのです。対人戦闘となれば、そもそもわたしたちが引き受けていい依頼かどうかも分かりません。先生に聞いてみるべきですわ」
「……そうね。そうしましょうか」
リリアの提案に、ルヴィナも同意するように頷いた。
──結局、アルフレッドの判断は『任務続行』だった。それだけならまだしも、彼はさらにこんな条件を付けた。
「犯人は生け捕りにすること。できる限り傷もつけちゃ駄目だ。いいね?」
彼ら四人なら、それができるとの判断だった。そもそもアルフレッドには、在学中に生徒たちにあえて殺人を経験させるつもりはない。
殺さずの英雄となるか、流血の英雄となるか。
それも生徒達自身が将来判断することだ。
ならば、善悪や必要性の有無について、自分で判断できるような素地は身に着けさせるとしても、殺人自体はこの学院で強制的に経験させるべきものではない。それがアルフレッドの考えだった。
「それでは作戦を立てましょう。全員、わたしの指示に従ってもらうから、そのつもりでね」
ルヴィナの戦術眼は、すでに一流の域に達している。アルフレッドが任務続行の判断を下したのも、そうした要因が大きかった。
そしてその日の夜には、次に襲撃される可能性のある畑をルヴィナが予測し、皆の配置を決定したうえで作物泥棒が来るのを待つこととなった。
作戦の概要はこうだ。
月獣グラスコアについては、ルヴィナとエドガーで対処することで畑の被害拡大を抑える。術者の場所をリリアが霊戦術で特定し、エリザが捕縛にかかる。抵抗したり逃げたりするようなら、無理に抑え込もうとせず、動きを牽制しながら逃走を封じる。リリアの到着を待って、精気吸収魔法で動きを止める。
無駄のない、合理的な作戦に思えた。しかし、アルフレッドは低くつぶやく。
「実戦にはアクシデントがつきものだし、作戦通りにいくとは限らないけどね」
アルフレッドが見守る中、畑への襲撃が始まる。というか最初の襲撃からして、予想外の出来事が起きていた。
「どわ……なんだよ、あの量!」
エドガーの驚愕の声。波のように押し寄せる巨大なネズミ型の月獣グラスコアは、今まさに、実り豊かな畑の作物を蹂躙しようと迫っている。
「エドガーくん! ぼーっとしないで! ……発動《地を伝う炎の波》」
間一髪、ルヴィナの発動した白霊術により、畑の直前には真っ赤な絨毯が出現する。グラスコアの群れは先頭集団の何匹かが炎に巻かれ、急ブレーキをかけたように立ち止まる。
「やっぱり、操られているみたいね」
本能で動く月獣にとって、炎は確かに恐怖の対象だ。しかし、群れの後方にいた連中までもが一度に動きを止めるのは、それだけでは説明できない。
「くそ! こうなりゃ、片っ端から薙ぎ払うだけだ! 発動《赤熱の獣王》」
エドガーは身体に魔力をまとい、その姿を変えていく。二足歩行であることに違いはないが、人間そのものだった顔立ちは、鋭い牙が生えそろった銀の狼へと変貌を遂げていた。
だが、今回はそれだけではない。全身を覆う銀の体毛の先に、真っ赤な光がまとわりついている。魔力の燃費こそよくないが、触れたものを焼き尽くす魔闘術の高位魔法の1つだった。
「うおおお!」
雄叫びを上げながら、群れの真ん中に飛び込むエドガー。さすがは十年前の戦争の折、敵方から『銀牙の獣王』と恐れられた英雄の息子だけのことはある。乱戦状態の中でも抜群の戦闘センスを発揮し、次々とグラスコアを打ち倒していく。
「すごいわね。エドガーくん」
いつになく張り切って戦う少年の姿に、驚きの目を向けるルヴィナ。しかし、同時に彼女の目は、戦況全体を見つめている。
「いけない……。あっちから回り込ませるつもりね。でも、この期に及んで逃げようとしないのはチャンスかしら?」
言いながら、ルヴィナは軽く手をかざす。敵の一団が炎の絨毯を迂回しようとする先には、あらかじめ一体の『魔』を伏せさせてあった。
「やりなさい。『フォルマーク』」
霊界第二十階位の骸骨騎士団。『十体で一体』の骨の兵士達は、手に手に血で錆びた剣を持ち、グラスコアたちの行く手を遮る。たちまち乱戦が始まるが、ただの月獣と月界に住まう『魔』とでは格が違う。このまま戦わせておけば、敵の通過を許すことはないだろう。
「……後はリリアさんとエリザさん。二人に任せるしかないわね」
依然として敵全体の動きを注視しながら、ルヴィナは小さくつぶやいた。
一方、リリアは霊戦術を駆使して周囲の気配を探り続けていた。畑のある場所からは少し離れた藪の中。こちらの気配を気取られないようにしながら、慎重に魔力を周囲に拡張していく。
「まだか? リリア?」
「しっ! 静かに。相手も霊戦術師である以上、お互いの気配の読み合い、化かし合いになっているのです。……まあ、当然ですけど、わたくしのほうが上手だったようですわね」
感知に成功する。畑からそう離れていない、こんもりとした林の中。術者の気配は確かにそこから感じ取れた。
「エリザ……」
「うん。わかった。後はあたしに任せとけ」
「……気を付けなさい。敵もどんな奥の手を隠しているか、わかりませんわ。わたくしが駆けつけるまで、慎重に行動するんですのよ?」
念を押すように言うリリアに、エリザは白い歯を見せて笑う。
「うん。心配してくれて、ありがと」
「……な、何を世迷言をほざいてますの? べ、別に心配なんて……」
「じゃあ、行ってくる!」
エリザは勢いよく藪から飛び出した。敵が感知されたことに気付いても、逃げ出す暇を与えない最高速。エリザはリリアに指示されたポイントへ、真っ直ぐ駆け抜けた。後を追うリリアとは、そのスピードが桁違いだ。
「そこかあ!」
林の中に突込み、一本の木の枝に腰かけた人影を視認する。
「ふにゃ!? まじっすか? なんでバレてんの?!」
予想外に若い声。それも少女のものだ。エリザは一瞬だけ驚きを見せたものの、足を止めることなく、その木に向かって突進しようとした。
「やば! じゃあ、こいつでどう!?」
エリザの目の前に現れた大きな影。それは、グラスコアとは比較にならない巨大な獣の姿だった。黒い外皮から不気味な刺を生やす目のない熊。明らかに尋常の獣ではなく、月獣の一種だろう。
「邪魔すんな!」
右腕を覆う銀のガントレット。エリザは、ありあまる自身の力を怪物の胴体めがけて叩き込む。
「え!? 一撃? 嘘でしょ!?」
折れ砕ける刺と吹き飛ぶ巨体。術者にとっては切り札だったらしいその月獣は、軽く五メートルは離れた場所でぴくぴくと痙攣している。
「よーっし、観念しろ! 農家のみんなが精魂込めて育てた作物、タダで盗んで食べようなんて、たとえお天道様が許しても……」
決め台詞を口にしながら、樹上の人影にびしっと指を突き付けるエリザ。しかし、当の相手はと言えば、
「なんなのさ、この変な女……化け物? ここはひとつ、退散退散!」
驚くほど敏捷な動きで枝から枝へ飛び移り、脇目も振らずに逃げようとした。
「あ! ちょっとこら! 台詞の途中で逃げるな!」
慌ててエリザも後を追おうとする。が、その直後。
「にゃにゃ!? うあああ!」
着地したはずの木の枝が折れ、転落する人影。先ほどまで青々とした葉を茂らせていた木の枝は、何故か精気を失ったようにボロボロに枯れていた。
「……まったく、何をやっていますの」
エリザの後ろには、ようやく追いついたリリアの姿があった。
──エリザが星喚術で創り出した鎖にぐるぐる巻きに捕縛されているのは、獣人族の少女だった。林の中、木に寄り掛かった体勢で座った彼女は、落ちた時の打ち所が悪かったのか、目を回して気絶したままだ。
「えっと、この子が犯人ってことで、間違いないのかしら?」
ルヴィナが戸惑ったような声で言う。
「うん。間違いないよ。あっちで転がってるでっかい月獣も操ってたし」
「……俺は見てない。何も見てないぞ」
呪文のように繰り返すエドガー。エリザの言う『でっかい月獣』の名は、ホロウナイトベア。かなり強力な部類に入る月獣であり、学院一年生の少女が単独で、それも『片手でぶん殴って』倒せるような相手ではない。
「まあ、それより目を覚ましてもらわないと困りますわね」
リリアが腰のポーチから取り出した小瓶を少女の顔の前にかざす。
「発動、《気付の香気》」
ふわりと空気が香り、気絶していた少女の意識が戻り始める。
「ん、んにゃ……、あれ?」
「ふっふっふ。あたしの勝ちだな」
勝ち誇ったように胸を張って見下ろすエリザに、少女は猫のような瞳孔を丸く拡げて叫ぶ。
「あ! ばけもの!」
「ば、化け物? 酷いこと言うな!」
ムキになって言い返すエリザを押さえると、ルヴィナは少女の目の前に膝をつく。ちょうど視線を合わせた格好だ。
「さて、それじゃ素性の確認から行きましょうか。あなたのお名前は?」
「……ふっふっふ。聞いて驚け見て驚け! 我こそは月下を駆ける大怪盗、シュリ・マルクトクァール様だ!」
「……素直に名乗ってくれてありがとう、シュリさん」
胸を張って堂々と自分の名前を口にする少女に、ルヴィナは礼を言う。
「え!? なんでシュリの名前を?」
名乗った自覚はなかったのか、驚愕の表情を浮かべるシュリ。掛け値なく本名だったようだ。ルヴィナは額に手を当てて、呆れたように息をつく。
「……では、大怪盗さん。あなたには、みみっちくも農作物泥棒の容疑がかかっています。大人しく連行されてくださいね」
「み、みみっちくもって……」
微笑みかけるルヴィナの言葉に、顔を引きつらせる獣人の少女。あさっての方向に視線を泳がせながら、ぶつぶつとつぶやき始める。
「うう、ドジったなあ。まさか、こんな連中がいるなんて……」
「わたしの言ってること、わかります?」
静かな声。
「う! うーん、この鎖、簡単には切れそうもないしなあ……」
「聞こえてますよね?」
ぴくりと身体を震わせつつも、顔を背けたままのシュリ。
「……こ、の、み、み、は! 飾りなんですか? じゃあこんなもの、要りませんよね?」
「うきゃああ! 耳、耳、引っ張らないで! ご、ごめんなさい! 出来心だったんです!」
シュリはこめかみに血管を浮き上がらせたルヴィナに猫耳を引っ張られ、悲鳴を上げる。
「ルヴィナも実は結構怖いんだなあ……」
「え、ええ。わたくしたちも気を付けましょう」
顔を見合せるエリザとリリア。一方のエドガーは、浮かない顔をしている。
「『金虎族』かよ。驚いたな……」
涙目でルヴィナに謝り倒している少女の頭には、金髪の中から獣耳が生えていた。その目はネコ科の動物そのものではあるが、その他は人間と大差ない外見だ。それどころか、可愛らしい少女にさえ見える。
──しかし、金虎族。銀狼族よりもさらに希少な存在であり、単純な戦闘能力を見ても、その高い敏捷性を武器に、強靭さが売りの銀狼族とさえ肩を並べる。
「うう、お腹が減ってて……仕方なく……その、ほんとにごめんなさい……」
シュリはしおらしく反省の言葉を口にする。金色の猫耳も意気消沈したように垂れ下がっている。
「……な、なあ、さすがにちょっと可哀そうじゃないか?」
エリザは情に訴えてくる相手には酷く弱い。このままだとこの少女を逃がしてやるなどと言い出しかねない。それと悟ったリリアは、早々にアルフレッドに相談することを皆に提案したのだった。
──それから、アルフレッドとともにマグダフ氏の元を訪れた四人は、約束どおり彼から畑の作物をふんだんに使った料理をご馳走になった。エリザのあまりの大食漢ぶりに、マグダフ氏の顔が徐々に青褪めていったのは、ご愛嬌と言ったところだろう。
一方、例の獣人少女はと言えば、学園都市の警察機構に引き渡されることとなった。特に人的被害はなかったことから、重い罪には問われないだろうが、しばらく刑務所内に留置されることは確実だった。
「みんな大したものだよ。君たちは僕の自慢の生徒だ」
アルフレッドは学院への道すがら、そんな言葉を口にして四人を大いに喜ばせたのだった。
──しかし、その翌日。刑務所から一人の少女が脱走を果たす。
だが、この刑務所の警備が甘かったせいではない。刑務所では、霊戦術師専用の魔力を憑依させにくい材質でできた牢を用意し、収容にあたって徹底した所持品検査も実施していたはずだった。だが、当の彼女は、刑務所側には想像もできないような脱出方法を有していたのだった。
「わははは! この大怪盗、シュリ・マルクトクァール様をいつまでも閉じ込めておけると思うなよ?」
全く反省した素振りも見せないまま、シュリは都市を後にする。
「さて、次はどこに行こうかな。やっぱり、さっきみたいに強い連中がいそうもない、辺境の小さな国にでも行くしかないかなあ……」
そんなことを言いつつ、西に進路をとる少女。彼女の行く先には何が待つのか。空に輝く月のみぞ知る、と言ったところだろうか。
次回「第17話 少年魔王とお買い物(上)」




