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少年魔王の『世界征服』と英雄少女の『魔王退治』  作者: NewWorld
エピローグ 二つの光が見守る世界
162/162

~少年魔王と英雄少女(完結編)~

 デートプランに関しては、からかわれるのを我慢して姉に泣きつき、ルヴィナやリリアにも相談したうえで、考えに考え抜いたものだった。


 夕日に照らされた石畳の路地を歩き、二人が最初に向かった先は、街中にあるアクセサリーショップである。リリアやルカ、リラといった少女たち御用達のその店は、さすがに女性向けの商品を扱っているだけあって、きらびやかな装飾の看板はもとより、内装自体も明るく華やかなものとなっている。店内には女性客が多く、やはり、エリザやリリアくらいの年代の少女たちの姿が目立つ。


 それはさておき、ネザクがこの店を選んだのには、理由があった。

 

 リリアから聞いた情報では、エリザは服に関しては『動きやすさ』を重視したものを好み、今日着ているような可愛らしいタイプのものは敬遠しがちだという。それでは当然、デートに出かけた先で『彼女に買ってあげる衣服』としては味気ないだろう。


 しかし、一方、エリザは意外にもアクセサリーなどの小物の類については、実に女の子らしい趣味の持ち主だった。たとえば、彼女がいつも紅い髪につけている銀の髪留めである。今までそうした部分に注意を払ってこなかったネザクは気づいていなかったが、彼女は、毎日違うデザインのものを身に着けている。いくつかの髪留めをローテーションで使っているには違いないが、ネザクにとっては驚きの事実だった。


「えっと……ここって小物屋さんだよね? 何か買うの?」


 デートと言うものがよくわかっていないエリザは、そんなことを聞いてくる。むろん、ネザクにとっても同年代の女性を自分の意志でこうした店に連れてきたのは初めてのことであり、緊張は高まるばかりだ。


 それでも彼は、準備期間に繰り返した『シミュレーション』を思い出し、エリザに言葉を返す。


「うん。エリザに、何か買ってあげたいんだ」


「え? あ、あたしに?」


 目を丸くして自分を指さすエリザ。


「ほ、ほら、せっかくのデートなんだし、僕からプレゼントがしたいと思ってさ」


「あ、う、うん。ありがと……」


 エリザはそう言うと、恥ずかしさのあまり朱が差した顔で頷きを返す。


 ちなみに、そんな二人は店の中でも注目の的だった。


「な、何あの二人……ちょー可愛いんですけど……」


「ど、どうしよう。ああ、この目にしっかりと焼き付けておかないと……」


 少し年上と思われる女性客が、ひそひそと言葉を交わしあい、初々しい少年少女の姿をよだれを流さんばかりにうっとりと見つめている。


「よし、いいぞ。頑張れ、ネザク君」


「ちょ、ちょっと店長? 他のお客さんの相手も忘れないで下さいよ」


 一方こちらは、ネザクがこれまで幾度となくこの店に『予行演習』に来ていたこともあり、顔なじみとなってしまった店主と店員の会話だ。見たところ初老の域に差し掛かったかに見える店主は、握り拳を握って密かにネザクへとエールを送っている。


 しかし、今回ばかりは耳のいいエリザも、それらの外野の声を聴いている余裕はなかった。エリザの好みなどを聞きながら、ガラスケースに並べられたアクセサリの類を確認して回るネザクの後ろ姿に、ぼんやりとした視線を送っている。


「あ、エリザ。これなんかどうかな?」


「ふえ? あ、う、うん……」


 突然声をかけられ、我に返ったように返事をしたエリザは、ネザクの指さす先に目を向けた。するとそこには、色鮮やかな青い宝石がはめ込まれ、金の太陽と銀の月を小さくあしらった髪飾りが置かれていた。


「……うわあ、きれい」


 エリザは思わず、その造形の美しさに見とれてしまう。


 一方のネザクは、そんな彼女の横顔を見つめながら、内心で安堵の息を吐いていた。色々と探し回る振りをしてはいたものの、実のところ、最初からこの髪飾りを買うことに決めていた。事前の下見の際、彼女の髪によく似合いそうな髪飾りを見つけたネザクは、他の人に売らないようにと店主に話を通しておいてあったのだ。


「あれ? でも、これって……」


 エリザはふと、我に返ってその髪飾りの値札を見た。


「ね、ねえ、ネザク。いくらなんでもこれは高すぎるんじゃ……」


 戸惑い気味に言うエリザだが、その目はしっかりと髪飾りに向けられている。どうやら、余程に気に入ったのだろう。しかし、この店に置かれているアクセサリの中でも、この髪飾りは一際高い値段がつけられている。


 だが、ネザクはそんなエリザの言葉に軽く首を振って答えた。


「大丈夫だよ。ほら、前に王様とかから褒美としてもらったお金もあるからね」


「いや、そういうことじゃなくて……だって悪いよ。こんなに高いの……」


 髪飾りに着けられた値段は、小市民の家の出であるエリザにしてみれば、ただの装飾品に出すものとは思えない金額だ。欲しいとは思うけれど、手を出すわけにはいかない。そんな思いがありありと見てとれる顔で首を振るエリザ。


「エリザ。値段なんか、関係ないよ。僕はこの髪飾りを見て、君にすごく似合いそうだなって思ったんだし、君がこれを着けてるところを見たいと思ったんだ。だから、そんな僕のためにも、もらってくれないかな?」


「……ネ、ネザク」


 途端に顔を真っ赤に染め、消え入りそうな声で少年の名前を呼ぶ少女。


「駄目かな?」


 少年はにっこり笑って問いかけの言葉を繰り返す。


「そ、そんなのズルいよ。そんな風に言われたら、断れるわけないじゃん……」


「よし、じゃあ決まりだね! あ、店員さん! これ、買いたいんですけど!」


「あ、ネザク……」


 エリザが戸惑うのをよそに、ネザクは店員を呼び寄せ、カウンターへ行って購入の手続きを済ませてしまう。しばらくして、おろおろと狼狽えているエリザの元に、ネザクが上機嫌な顔で戻ってきた。


「お待たせ」


「う、うん」


 いつもの元気はどこへやら。エリザはもはや、借りてきた猫のように大人しくなってしまっていた。ネザクはそんな様子がおかしくて少しだけ含み笑いを漏らしてしまったが、すぐに気を取り直すとあらためて彼女に声をかけた。


「じゃあ、少しだけ屈んでくれる?」


 残念ながら、現時点では少年と少女の身長には、ほとんど差がない。そのため、少年が少女の頭に髪飾りを着けようとするなら、屈んでもらった方がやりやすかった。


「屈む? えっと……こんな感じ?」


 しかし、そんな意図には気づかないエリザは、言われるままに膝を曲げ、頭の高さを低くする。


「うん。よし……それじゃあ……」


 ネザクはごくりと唾を飲み込むと、慎重な手つきでエリザの真紅の髪に手を伸ばす。これも先日、恥を忍んで姉に『練習台』になってもらった成果もあってか、どうにか失敗することなく、髪飾りを留めることができた。


「え? あ……」


 ようやくここで、ネザクが自分に何をしたのかに気づき、後頭部に手を回そうとするエリザ。するといつの間にか、店員が姿見の鏡を持って近づいてきていた。


「ほら、エリザ」


 ネザクに促され、エリザは自分の姿が映った鏡を見る。真紅の髪の中に輝く、金の太陽と銀の月。その中央には、冴え冴えとした光を放つ青い宝石が輝いている。


「あ、あうう……」


 今の可愛らしい服装も相まって、普段の自分とは随分とかけ離れた姿になっていることを自覚させられたエリザは、一気に恥ずかしさを感じてしまっていた。


 するとそこに、ネザクからトドメの一言が放たれる。


「うん。綺麗だよ、エリザ。そうしていると、どこかの国のお姫様みたいだ」


「…………」 


 限界だった。彼女は思う。これはいったい、どんな拷問なのかと。もちろん、嬉しいことは嬉しい。間違いなく、自分が好意を抱く目の前の少年は、自分に愛情を向けてきてくれている。そのこと自体は問題ない。けれど、これまでこうしたこととは無縁だった少女に対するには、あまりにも情けも容赦もない攻撃だ。


 どこまでも真っ直ぐに自分を見つめ、どこまでも明け透けな愛情をひたむきにぶつけてくる少年の『攻撃』は、無防備な少女から逃げ場を一瞬で奪い取っていた。


「う……」


「う?」


「うにゃああああ!」


「え? エリザ?」


 突然、パニックを起こしたように両手で顔を覆い、その場にしゃがみ込むエリザ。そんな彼女を見て、ネザクは過去に温泉で彼女の裸を見てしまった時のことを思い出した。


 ここでようやく、彼は気づく。

 ああ、これは『やりすぎ』だったのかと。


 考えに考え抜いたデートプラン。それは言い換えれば、アドバイスをくれた女性陣のロマンチックな希望をどこまでも取り入れたものだった。だからこそ、このアクセサリショップにおける立ち居振る舞いはすべて、事前に練習済みだった。しかし、エリザは違う。恋愛初心者にしてデートなど未知の次元の出来事としか思っていなかった彼女には、あまりにも刺激が強すぎたのだろう。


「あ、ご、ごめん。エリザ。ほら、落ち着いて」


 あわてて彼女の傍にしゃがみ込み、その背中をさするネザク。しかし、エリザは……


「ひゃうっ!」


 甲高い声を上げて飛び上がってしまった。


「あ……ごめん」


 今度はあわてて手を離すネザク。


「うう……こんなの、恥ずかし過ぎるよう……」


「ごめんごめん、悪かったよ。とにかく、このままじゃみんなの注目の的だから、早くお店を出よう」


 すでに周囲には、生暖かい目で二人を見守る野次馬が集まってきている。今や知らぬ者のいない英雄少女と少年魔王、この二人が共に街を歩いているだけでも注目を集めて当然なのだが、加えてこの二人、誰がどう見ても初デートなのだ。


 このままでは町中の人間が集まってきてしまう。そうネザクに諭され、エリザはやむなく立ち上がると、ネザクに手を引かれるままに店を出たのだった。


「……ネザクは可愛い」


 そんな二人を見送る影が一つ。

 ちなみに、ここに至るまでの二人のやり取りは、陰に潜んだ暗愚王の手によって、とある人物向けに『絶賛生放送中』だったことを、この日の二人は知る由もない。


 その『とある人物』とは……


「う……ふう……。はあ……。可愛い、可愛いわ! ネザク! 初々しくて最高よ! さすがはわたしの弟ね!」


 寝台の上に腰掛け、枕を抱きしめるように身悶えているカグヤだった。

 彼女がぶんぶんと頭を振るたび、彼女の周囲に闇の混じった艶やかな髪が振り乱される。


「カ、カグヤ……。さすがにこれは悪趣味じゃないか? やっぱり覗きなんてよくないよ」


 自室の椅子に腰かけ、そんな彼女に深々とため息を吐いたのはアルフレッドだ。


「まったく、急に家にやってきたから何かと思えば……、どうして俺の部屋でこんな盗撮まがいの『上映会』を開催しなくちゃいけないんだ?」


「仕方がないでしょ。わたしの教員寮の部屋じゃ、いつ他の連中にばれるかわからないんだもの」


「ばれるって……それってつまり、これが悪いことだって自覚はあるわけだ」


「違うわよ。どうせ可愛い弟の姿を愛でるなら、落ち着ける環境の方がいいじゃない」


 枕を胸元に抱きかかえたまま、当然のように言い返すカグヤ。


「落ち着ける環境……か。喜んでいいのかどうか、微妙だな」


 なおも二人のデートの様子が映し出された壁面を食い入るように見つめるカグヤに、アルフレッドは複雑な視線を送る。

 自分の部屋を落ち着ける場所だと言ってくれるのはありがたいが、一方で自分を男として意識してくれていないのだろうかと不安にもなる。あの日、地下へ向かう階段での告白は、なかったことになったのだろうか。


 とはいえ、アルフレッドはこんな風に彼女と過ごす時間をひどく懐かしいものに感じていた。幼かったあの日、自分より年下でありながら、自分よりもずっと頭が良く、小生意気で可愛らしかったあの少女は、いつの間にか大人の魅力を十分に備えた妖艶な美女に成長していた。


 けれど、こうして無邪気(?)に枕を抱え、寝台の上ではしゃぐ姿を見ていると、やはり彼女の本質は、今も昔も変わっていないのだと気づかされる。


「エリザも初々しくて可愛いわね。……ふう、すっかり堪能させてもらったわ。ありがと、リゼル。さすがにこれ以上は野暮ってものね」


 カグヤはようやく満足げに息を吐くと、これまで映像を送ってきていたリゼルにねぎらいの言葉をかけている。少しばかり興奮していたせいなのか、今の彼女はローブの裾をまくり、胸元を軽くはだけて寝台に腰掛けていた。


「……カグヤ」


「ん? なにかしら?」


 アルフレッドに呼びかけられ、ようやく彼の方に目を向けてくるカグヤ。


「どんな理由があるにしても、男の部屋に一人でやって来て、そんな恰好をするのはどうかと思うよ」


 理性を総動員して、そんな言葉を口にする。しかし、カグヤは軽く首を傾げるだけだ。


「何言ってるのよ。そんな度胸ないくせに」


 馬鹿にしたような一言。

 それを聞いたアルフレッドは、ゆっくりと椅子から立ち上がり、寝台に座る彼女を見下ろす。その瞳は、いつもとは異なる熱を帯びていた。


「……俺だって、男なんだけどな」


 絞り出すような一言。

 寝台に座ったままのカグヤは、そんな彼に上目遣いの視線を向ける。


「……うん。知ってる」


 少し恥ずかしそうに頬を染めて笑うカグヤ。この時点で、総動員されていたアルフレッドの理性は、完膚なきまでの敗北・撤退を余儀なくされることとなった。


「カグヤ!」


 彼女の両肩を押さえるようにして、そのまま寝台に押し倒すアルフレッド。黒髪が白いシーツの上にふわりと広がる。押し倒されたカグヤは、少し驚いたような顔をしたものの、何かを思い出すようにクスリと笑った。


「……なんかこうやって押し倒されるの、実は二度目よね?」


「え? あ、ああ……」


 バーミリオンの山岳地帯にあった温泉での出来事だ。あの時、自分の身体の下にあったのは、一糸まとわぬ彼女の裸体だった。


「変なこと、思い出したでしょ?」


 なおも頬を赤く染めたまま、悪戯っぽく笑うカグヤ。


「……君が可愛すぎるのが悪いんだよ」


「……い、言うわね。でも、そんな歯の浮く……むぐ?」


 なおも言い返そうとしたカグヤだったが、覆いかぶさってきたアルフレッドに唇を塞がれ、それ以上の言葉を口にすることはできなかった。




 ──ネザクとエリザの二人は、常人離れした脚力で一気に街中を駆け抜け、小高い丘の上に造られた小さな公園にたどり着いていた。

 夕日はすっかり西の空に沈み、空の色も徐々に黒の深みを増していく。眼下に広がる町並みには、段々と明かりが灯される家が目立ちはじめ、夜の訪れを感じさせた。


「もう! ほんとにずるいよ。自分ばっかり余裕な顔しちゃってさ。……あたしばっかり、なんでこんな……かっこ悪い……」


 丘の上から街を見下ろせる形で設けられたベンチに腰掛け、エリザはがっくりと肩を落とす。それがおかしくてネザクは吹き出しそうになってしまったが、ここで笑ったりすればそれこそエリザに怒られてしまうだろう。


 そっと笑いを噛み殺すと、ネザクはエリザの目の前に立ったまま、彼女に声をかけた。


「びっくりさせちゃったことは謝るよ。でも、ひとつだけどうしても……わかってほしいことがあるんだ」


 ベンチに腰掛けたエリザに柔らかな視線を向け、静かに、そしてゆっくりと語り掛けるネザク。その真剣な声の調子に、エリザもうつむいていた顔を上げ、彼の顔を見上げる。


「今日のために、随分と練習したんだ。お姉ちゃんにはからかわれるし、リリアさんやルヴィナ先輩には冷やかされるし……結構しんどかったけど……それでも、どうしてもこのデートを成功させたかったんだ」


「あ……」


 何かに気付いたように、声を漏らすエリザ。当日ではないとは言え、恥ずかしい思いをしていたのは、自分だけではなかったのだ。そもそも、自分をデートに誘うために、この少年はどれだけの勇気を振り絞ったのか。エリザはようやく、そのことに思い至った。


 ネザクの言葉はなおも続く。


「君に喜んでもらいたかったから。君に……僕の感謝の気持ちを捧げたかったから」


「え?」


 感謝の気持ち。それはエリザが予想していた……というより、期待していた言葉とは異なるものだった。けれど、少しだけがっかりした顔のエリザに気付くことなく、ネザクはさらに先を続けた。


「君と出会って、僕は変われた。君は僕に、たくさんのものを与えてくれた。初めて会ったとき、君は僕に『夢』を教えてくれたよね。次に出会った時、君は身勝手な僕のために怒ってくれた。そして、三回目に出会った時、君が教えてくれたのは、『僕は独りじゃない』ってことだった。そのすべてがあって、今の僕がある」


「……別に、そんな大したことはしてないよ」


「そうかな? でも、まだあるよ」


「え?」


「君はこんなに恐ろしい力を持った僕の隣で、いつだって屈託なく笑ってくれた。そんな君の、太陽みたいな笑顔を見るたびに、空っぽだった僕の心には、あったかい何かが詰まっていくような気がしたんだ」


「ネザクは……みんなに愛されてるじゃないか」


 反論するように言い返すエリザ。その赤銅色の瞳には、夜景を背にして立つネザクの姿がある。少年は微笑を浮かべ、その水色の瞳でエリザのことをまっすぐに見つめてくる。


 それだけでエリザは、自分の顔が熱くなってしまうのを自覚する。


「うん。エリザのおかげで、僕は僕の夢を叶えた。今じゃ、『魔王』という言葉は、世界の救世主であり、皆の人気者を意味するものになってるしね。でも……だからこそ、僕は気づいたんだよ」


「気づいた?」


「うん。確かに僕は、魔王として皆に愛されることができた。でも、『僕自身』はそれじゃ駄目なんだ。それじゃ、足りないんだ。僕は一人の男として、好きな女の子に愛されたい」


「あ……」


 その言葉の意味するところを理解したエリザは、自分の全身がかあっと熱くなるのを感じた。ネザクは微笑んだまま、右手を真っ直ぐに差し出してくる。


「好きだよ。大好きだ、エリザ。僕は、君じゃなきゃ駄目なんだ。だから、これからも僕とずっと一緒にいてほしい」


「ネ、ネザク!」


 エリザはネザクの差し出した手を勢い良くつかむと、そのまま彼の胸に飛び込むように抱きついた。


「エリザ……」


 胸に飛び込んできた小柄な少女を、しっかりと抱きしめ返すネザク。戦いのときの強さからは考えられないほどに、華奢で細身の身体だ。ネザクには、それがたまらなく愛おしく感じられた。


「ネザク。あたしも、ネザクのことが好き。大好き! いつも危なっかしくて、放っておけなくて、でも……一緒にいるとすごく楽しくて、時々すごく頼もしくて……そんなネザクが、あたしは好き」


 抱きしめ合う二人は、いつしか見つめあい、やがて、どちらともなくその顔を互いに近づけていく。恐る恐るといった風情でなされたその口づけは、軽く触れあっただけのものだ。時間にしてもほんの数秒にも満たないものだった。


 しかし、ネザクとエリザにとっては、まるで一世一代の儀式であったかのように感じられた。互いの身体を離した後に大きく息を吐き、それからようやく緊張を解いてベンチへと座り込む。


 二人の間には、なんとも言えない沈黙が続いている。これが物語などであれば、口づけをかわした後に場面転換が行われて終わるのかもしれないが、いかんせん、現実には時間は連続性を持って二人の間を流れている。


 どうにか場の空気を変えてでも、互いに声を掛けなければ、このまま動くこともままならない。


「あー恥ずかしかった!」


 耐えかねたようにエリザが叫ぶ。


「う、うん。そうだね……」


 しかし、ネザクがそれを台無しにした。恥ずかしそうにそんな返事をされてしまえば、エリザも後が続かない。失敗に気付いたネザクが「まずい」という顔をしたと同時、エリザは恨みがましげな目をネザクに向ける。


 だが、その時だった。

 グルルっという独特の音があたりに響いた。顔を真っ赤にするエリザと、思わずその方向に目を向けたネザク。二人には、音の出所は明らかだった。


「ううー! なんでこのタイミングで鳴るかなあ!」


 自分の腹に忌々しげな目を向けるエリザ。


「あはは! そうだったね。もう夕食の時間だ。それじゃあお腹も空くわけだよ」


「笑うなー!」


 涙目で怒るエリザだが、ようやく妙な緊張から解放されたせいか、どこかほっとした顔をしている。


「うーん。実はこの後、事前に見つけておいた、すごくおしゃれなお店で夕食をとるっていうプランがあるんだけど……」


 とネザクが言えば、エリザは大きく首を振る。


「駄目駄目! こうなったら星霊亭に行って『ジャンボスタミナスペシャルミックス』を食べるしかないもん!」


 明らかにやけくそ気味に叫ぶエリザに、ネザクはやれやれと肩をすくめる。


「ははは。でも、そっちの方がエリザらしくていいかもね」


「ん? なんか言った? 早く来ないとおいてくよ?」


「あ、ううん。なんでもない! 今行くよ」


 善は急げとばかりに歩き出したエリザの後を追って、ネザクはゆっくりと駆け出していく。そんな二人の頭上には、大小二つの月が寄り添い、優しい光で街を、そしてこの世界を照らし出していた。

「少年魔王の『世界征服』と英雄少女の『魔王退治』」はこれにて、完結となります。

 平成24年7月に掲載を開始して以降、1年半近くに渡って連載を続けてこれたのも、これまでお読みいただいた皆さまのおかげだと思っています。


 特に何度となく感想をいただいた方々には、感謝の念に堪えません。

 あらためて、この場をお借りしてお礼を申し上げたいと思います。


 本作はこれにて一応の完結ですが、平成26年1月3日現在、他に「異世界ナビゲーション」という小説も連載中です。本作をお読みいただき、同じ作者の他の作品を読んでみたいと思っていただけたなら、ぜひ、こちらも読んでいただければ幸いです。

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