~魔王と英雄のデート~
「デ、デート?」
「う、うん……」
顔を赤くしたまま、どうにか誘いの言葉だけは口にしたものの、エリザの方からはおうむ返しの言葉しか返ってこない。とはいえ、ネザクには同じ言葉を繰り返すこともできそうない。二人の間には、微妙な沈黙が続いた。
しかし、それほど長い時間のことではなかった。ネザクにとっては永遠にも感じられたその時間も、実際にはわずか数秒ほどのことだろう。
そして、その数秒後に言葉を発したのは、やはりエリザだった。
「う、うん。……いいよ」
「え!?」
彼女の顔をまともに見ることもできず、うつむき加減で返事を待っていたネザクは、その言葉に弾かれたように顔を上げた。
「な、何を驚いてるんだよ。いいって返事しただけだろ」
目を向けた先には、照れたように頬を赤らめ、赤銅色の瞳で自分をみつめる少女の姿がある。
「あ、ありがと」
「べ、別にお礼を言われることじゃ……、その、むしろ……」
エリザはそこで口ごもるように唇を動かした後、大きく息を吸い込んで言葉を続けた。
「あ、あたしも……ネザクにデートに誘ってもらって、嬉しかったんだから……」
「あ、う、うん。よかった……」
意を決して少女を誘った少年は、その言葉こそ控えめなものだったが、内心では『初戦』に勝利したことで歓喜に打ち震えんばかりだった。
……ちなみにこの女子寮への道、他の学院生たちが誰も通らないというわけではない。現に今も二人のそばを女子寮へと戻る何人もの学院生たちが通過しており、そのおよそ9割がネザクファンクラブのメンバーだ。加えてエリザとネザクの『薄い本(ばーじょんいろいろ)』が出回っている以上、このシチュエーションは彼女たちにとって、涎を垂らさんばかりの代物であるはずだった。
にもかかわらず、誰一人として、二人に注目する者はいない。
なぜなら、今も物陰に潜んだままでネザクの快挙にガッツポーズをきめているリゼルが、『認識阻害』の魔法をかけているからだ。
ただし、この魔法──当の本人にはかけられていないため、女生徒たちは物陰から誰もいない場所を見つめて会心の握り拳を作る彼女のことを、それはそれは不思議そうに見ていたのだった。
──それから二人は、それぞれ寮に戻って身支度を整えてから、学院入り口で落ち会うことになった。
「ううー! どうしよう! どうしよう、どうしよう!」
自室に戻り、ベッドに置かれた枕を抱えて身もだえする赤毛の少女。その隣のベッドでは、部屋着に着替えてすっかりくつろいだ格好のリリアが、呆れたように肩をすくめている。
「エリザ。まだ時間はあるとはいっても、そんなことをしていては遅刻してしまいますわよ?」
「うう……わかってるよ」
エリザは渋々といった様子で顔を埋めていた枕から身体を離し、リリアに向き直る。
「……なんだか、こうして見ると、あなたも立派な『女の子』なんですのね」
「ひ、他人ごとだと思って……」
「でも、何が問題なんですの?」
「な、何が問題って……」
「だってあなた、ネザク君のことが好きなんでしょう? だったら、デートなんて喜ぶべきことじゃない」
「ううー! そ、それは……それはそうだけど……でも、その、あたし、今までデートなんてしたことないし……。どんな服を着てけばいいのかだってわからないよ」
どうしたらいいのか、わからない。エリザの頭の中はそんな言葉でいっぱいだった。あの時、ネザクにデートへ誘われた瞬間も、彼女の頭は真っ白になってしまい、どうにか夢中で口にした返事があれだったのだが、今思い出すだけでも顔から火が出るほどに恥ずかしい。
「……あなたねえ」
やれやれとばかりに首を振ると、リリアはゆっくりと立ち上がり、エリザの座るベッドへと歩み寄っていく。
「リ、リリア……?」
「こんなことは言いたくはないのだけれど……」
言いながら、ベッドの上に上ってくるリリア。
「え? え?」
戸惑うエリザに構わず、リリアは彼女の目と鼻の先の距離まで間合いを詰める。二人分の体重に、ベッドがギシリときしむ音を立てていた。
「ちょ、ちょっと、リリア? なんか、近いんだけど……」
のけぞるように身体を離そうとしたエリザだが、リリアはその両手でその顔をがっしりと押さえた。
「はっきり言って、あなたは黙ってさえいれば、そんじょそこらの女の子なんて束になっても叶わない、美少女ですわ」
「ええ?」
思わぬ褒め言葉に、顔を真っ赤にするエリザ。
「でもねえ、エリザ。あなたは、黙っていないでしょ?」
「……むー。なんだよ。お転婆だから駄目だって言うの?」
頬を膨らませ、文句を言うエリザ。しかし、リリアは笑って首を振る。そしてそのまま、エリザの顔から手を離し、体の向きを変えて彼女のすぐ隣に腰を下ろす。
「黙っていないからこそ、あなたはあなたなのよ。誰もが皆……太陽のように笑うあなたが好きなの。お転婆でも男勝りでも関係ない。むしろ、そうやってあなたがあなたらしく輝いてくれさえすれば、傍にいる人は皆、あなたに勇気をもらえるの」
抱えた膝に傾けた顔を乗せるようにして、エリザを見上げるリリア。彼女の絹糸のような白金の髪が、さらりとその動きに合わせて零れる。
「リリア……」
「もちろん、わたしもよ。……だから、もっとシャンとしなさい! 英雄少女エリザ・ルナルフレア。わたしの大事な親友は、どこに出しても恥ずかしくない素敵な女の子なのだから」
「……う、うん。うん! ありがとう。リリアにそう言ってもらえて、すっごく嬉しい。自信が出てきた!」
「ふふふ。そうそう、その意気よ」
リリアはそう言って笑うと、飛び跳ねるようにしてエリザのベッドから降りた。
「よし、それじゃあ、早いとこ、出かける準備をしなくっちゃ! リリア! ほんとにありがとね!」
それからエリザは慌ただしくバタバタと準備を整え、自分で考えたもっとも『可愛い』と思う衣装に着替えると、急いで部屋を飛び出して行ったのだった。
「まったくもう……世話が焼けるわね。ほんと、火の玉みたいだわ」
リリアは自分のベッドの上に戻ると、小さく息を吐く。そして……先ほど自分が口にしてしまった、『台詞』の数々を思い出してしまう。
「……ああ! もう、わたくしったら、なんであんな恥ずかしいことを!」
ベッドの上の蒲団を胸元に寄せ集め、抱きかかえながら転げまわるリリア。
「うう、あの子があまりにも不甲斐ないものだから……。でも、それにしたって、あれはありませんわ! ああ、穴があったら入りたい!」
それからしばらくの間、エリザとリリアの部屋からは、バタバタと騒がしい音と共に、少女の奇声が響き渡っていたのだった。
──男たるもの、女性を待たせるべきではない。
その教えは、寮に戻ったところで会ったエドガーの言葉だ。どうやらここ最近、エドガーはルヴィナと順調な交際を続けているらしく、温厚なネザクが思わず「ウザイ」と言いたくなってしまうほどに惚気話を連発してくるようになっていた。
とはいえ、今回のアドバイスに関してはまさにその通りだと思ったため、ネザクは急いで準備を済ませると、いち早く校門の前にたどり着いていた。今度はさすがにリゼルを同伴するわけにもいかず、ネザクの周囲には、時折彼を『神』と崇めるファンクラブのメンバーが集まったりもした。しかし、そのことで彼に少しでも迷惑がかかれば、その犯人は彼らの元締めたる『双子姉妹』に酷い折檻を受けることになるだろう。
結果として、ネザクは遠巻きに感じる視線に耐えながら、エリザを待つ羽目になってしまった。
それから、空に輝くふたつの太陽が共に赤く染まり、西の地平に降り始めた時間になって、ようやくエリザが姿を現す。
「ご、ごめん! 服を選ぶのに手間取っちゃって……遅くなったかな?」
少しだけ息を切らせて駆け寄ってきたエリザの姿に、ネザクは見とれたまま固まってしまう。
「え、えっと……変、かな?」
エリザは身体をもじもじと動かしながら、ネザクの顔をためらいがちに窺っている。
今日のエリザの服は、以前リリアと街に出かけた際、彼女に付き合わされて買ったもので、エリザとしては『可愛らし過ぎて自分には似合わない』とこれまでほとんど着る機会のなかったものだった。
上半身には真っ白なブラウス。袖と襟の部分に細かいレースが編み込まれたフリルがあしらわれており、首元には小さな黒いリボンが結ばれている。ブラウスの上には襟元が大きく開いた水色の上着を羽織っているが、それは腰のあたりでいったん幅を狭くした後、腰元に向かって広がるように流れている。
下半身には紅いスカート。プリーツの入ったシンプルなものだが、普段の制服のものと比べても、随分と短い。代わりというわけではないが、足元には色合いの地味なロングソックスを履いており、膝上あたりまでの肌を隠している。
ネザクの視線は、誓ってほんの数秒のことだが、スカートとソックスに挟まれた、白い太もも付近に向けられていた。
「ネザク? どこを見てるのさ?」
「あ! い、いや……その、ごめん。あんまりにも可愛かったから……」
エリザに怪訝な声で問いかけられ、慌てて弁解するネザク。するとエリザは、頬を赤く染めながらも、半眼でネザクの顔を覗き込む。
「可愛いって……あたしの足が?」
だが、この問いかけは明らかに失敗だっただろう。
なぜなら、ネザクの性格を考えれば……
「ち、違うよ! エリザのことに決まってるじゃないか! そ、その……つい、そっちには目が行っちゃったけど、そんなこととは関係なく、今のエリザはすごく可愛いよ」
と、馬鹿正直な返事が返ってくることは当然の成り行きだからだ。
「わ、わああ! ちょ、ちょっと、ネザク? そ、そんなこと、あんまり大声で言うなってば!」
そう、ここは校門前だ。それも授業終了後のこの時間、街に出かけようとする生徒たちも多く、それでなくともすでに十分な数の『ファンクラブ』のメンバーが彼らを遠巻きに見ているのだから。
「きゃあああ! 今の、聞いた? ネザク君、顔を真っ赤にしちゃって……」
「初々しいわあ! あの二人、持って帰って飾りつけできないかしら!」
これは女性陣のいわゆる『黄色い声』といったところか。
「お、おお……何というか、美男美女と言うより、美少女二人って感じだよな……」
「や、やばい。ノリと勢いでファンクラブに入ったつもりだけど……なんか俺、変な性癖に目覚めそうだ……」
男子学生たちに至っては、随分と危ない会話を囁きあっている。
「…………うう、うあああ」
エリザは、ハイエルフのアリアノートに負けず劣らず耳がいい。したがって、これらの声は、余すところなく彼女の耳に聞こえていた。
「はあ、はあ、ネザクたん……エリザたん……。まさかあの本の中身が現実のものになるなんて……」
もはや「アウト」としか言いようのない荒い吐息交じりの声が聞こえてきた時点で、エリザはキレた。
「うああああ! もう! お前ら、うるさい! 見世物じゃないんだぞ! いい加減にしないとぶっ飛ばしてやる!」
かざした手の中に蒼と紅の混じり合う《神霊剣》を出現させ、大声で怒鳴るエリザ。学院生たちもさすがにこれには恐れをなしたのか、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
「はあ、はあ、はあ……」
顔の熱さを自覚しながら、どうにか呼吸を整えるエリザ。うるさい外野こそいなくなったものの、目の前には依然として、その元凶とも言うべき人物がいるのだ。
「ご、ごめん、エリザ。僕が考えなしに大きな声を出したばっかりに……」
その『元凶』は、野次馬の一人が言っていた通り、『美少女』と呼んでも違和感がないほどに愛らしい顔をうつむかせ、自分に向かって謝罪の言葉を口にしてくる。文句の一つでも言ってやろうと口を開きかけたエリザも、思わず言葉を失ってしまう。
「うう……なんか、それ、卑怯だ」
「卑怯? 何のこと?」
可愛らしく首をかしげる少年に、ますます何も言えなくなったエリザは、大きくため息を吐き、やむなく話題を変えることにした。
「ネザクの方から誘ってくれたんだから、今日の行き先は決めてるんでしょ?」
「うん。もちろんだよ。そ、それじゃあ……行こうか?」
「うん。よろしく、ネザク」
「あはは、こちらこそ」
どうにか元の調子を取り戻した二人は、そのまま肩を並べて歩き出す。
次回「~少年魔王と英雄少女(完結編)~」




