第15話 英雄少女と学外研修(上)
ルーヴェル英雄養成学院には、『学外研修』と呼ばれる授業がある。
各々の生徒が学院を卒業後、どんな立場となるにしても、学院で学んだことを世の中で生かすことができなければ意味がない。そのため、各学年のカリキュラムでは、定期的に生徒を学外での活動に従事させることとなっているのだ。
しかし、一年生のうちは、社会科見学や就業体験のような形をとることが多く、研修の内容も学園都市エッダのボランティア斡旋所を利用した奉仕活動などが中心である。
だが、それとは別に、学院内でも一定程度の実力を認められた生徒に対し、半ば実戦形式で行われる特別研修も存在する。
他と区別して『学外任務』と呼ばれることもあるそれは、学院と業務提携している都市内の傭兵斡旋所から、軽易な任務を受注して遂行させるというものであった。
「まあ、本来なら一年生のエリザとリリアが参加するものじゃないんだけど、実力的には十分だからね」
学院長のアルフレッドは、グラウンドに集合した特殊クラスの面々を見渡した。なお、五人目となるはずの最上級生ルーファス・クラスタは、現在の学院でただ一人、単独での学外任務を認められていることから、別行動となっていた。
「ちっ! 実力はわかるけどよ。……俺だって一年の時は街のゴミ拾いだの、爺さん婆さんの道案内だの、みみっちいボランティアばっかりやらされてたんだぜ?」
銀狼族の少年、エドガーが不満げにつぶやく。
「仕方がないさ。さすがに一年の頃から単独で傭兵所の任務を任せるのは、心配だったからね。……それはともかく、みみっちいボランティアだって? その発言はいただけないぞ、エドガー」
口調は穏やかなまま、アルフレッドの声がわずかに低くなる。ただ、それだけの変化。しかし、当のエドガーはびくりと身を震わせ、慌てふためいて弁解を始める。
「うわわ! いやいやボランティアも大事な仕事だってことぐらい、わかってますって!」
エドガーのあまりの怯えっぷりに、エリザとリリアは思わず顔を見合わせた。
恵まれた才能とありあまる力を振りかざし、かつて学年一の問題児と言われていたエドガー。噂によれば、そんな彼もアルフレッドが直々に『指導』するようになって以来、随分と大人しくなったらしい。
「……やっぱり、先生って怒らせると怖いよな」
「ええ。『欲望の迷宮』から帰還した後の『お仕置き』……あれは地獄でしたわ」
「うう……! 思い出させるなよ。頭が痛くなってきた」
エリザはあの日、密室に監禁された挙句、約六時間にわたってみっちりと数学の勉強を叩き込まれた。
リリアはあの日、『ダサイから嫌』と言って拒否し続けてきた学校指定の体操着を着用させられた挙句、衆人環視の中で日が暮れるまでグラウンドを走らされ続けた。
なんだかんだと言いながら、生徒のことをよく把握している学院長先生であった。
「もちろん、エリザとリリアには通常のボランティア活動にも参加してもらうつもりだよ」
アルフレッドは釘を刺すように言う。生徒を極力特別扱いしない方針自体は、健在であった。
「うん! あたし、ボランティアとか大好きだもん。問題ないよ」
「下々のために汗を流すことも、高貴なる血を持つ者の責務ですわ」
エリザとリリアが口々に言うと、くすりと笑い声が聞こえてきた。
「ふふ、やっぱり二人って似た者同士よね」
白い髪に銀の瞳。それはこの星界でも希少な存在である月召術師を数多く輩出している部族、月影一族の特徴だ。
「ルヴィナ先輩。滅多なことは言わないでくださいませ。わたくしのどこが、この猪突猛進英雄馬鹿娘と似ていますの?」
「そうだ、そうだ! あたしのいったいどこが、この陰険腹黒高飛車娘と似ているって言うんだよ?」
「ぷ、ククク! あはははは!」
ルヴィナは可笑しくてたまらないと言った様子で、腹を抱えて笑っている。そんな彼女の様子を、エドガーは呆気にとられた顔で見つめていた。
「うそだろ? ルヴィナ先輩が笑っている?」
微笑むぐらいならエドガーも見たことはあった。だが、『ある特定の状況』を除けば、ルヴィナはおしとやかで影の薄い印象の少女だ。そんな彼女がここまで大きな声で笑っているのは、初めて見たかもしれない。
特にここ最近はルーファスが学外研修でいないことが多いため、エリザとリリアが入学する前までは、エドガーは彼女と二人きりでアルフレッドの授業を受けていた。そんな彼からすれば、これは衝撃の光景だ。
「あー、おかしい! そういうところが似た者同士なのよ。二人とも」
くすくすと笑い続ける白髪の少女の姿に、エドガーの胸が高鳴る。
「先輩って実は、結構可愛いところもあるんだな……」
エドガーは、エリザに気があることからもわかるとおり、おしとやかなタイプの女性より、明るく朗らかな女性が好みだ。そのため、これまでルヴィナに気を留めたことはなかったのだが、却ってこれまでとのギャップからか、余計に意識してしまったのかもしれない。
──などと小難しい理屈はともかく
「……惚れたぜ、先輩」
エドガーは、実に気の多い少年だった。
「まあ、とにかく今回は四人一組で任務に臨んでもらう。もちろん俺も引率としてついてはいくけど、手は出さない。君たちにはぜひ、良いチームワークを発揮して任務を乗り切ってもらいたいな」
アルフレッドが言うと、エリザが途端に目を輝かせる。
「チームワークかあ! ……ねえ、先生。先生たち五英雄も、やっぱりチームワークとか良かったの?」
「え? あ、ああ……まあ、そうだね。うん。英雄と言えど、一人では何もできない。仲間と力を合わせてこそ、道は開ける。どうか、そのことを忘れないでほしいな」
頭の中をよぎるかつての仲間たちの姿に、何となく歯切れが悪くなるアルフレッドだった。
──学園都市エッダの一角にある傭兵斡旋所。主に商人や貴族といった傭兵を雇うことの多い裕福な階級が利用する場所だが、そうした者たちは自分で斡旋所まで来ることはない。そのため、こうした場所に入ると、傭兵希望の荒くれ者ばかりが目立つ。
アルフレッドが躊躇なく斡旋所の扉を開けて中に入ると、待合室で待機していたらしき傭兵たちが、ぎょっとした顔でこちらを見る。その顔触れは人間種族のほか、エルフ族や獣人族など実に多種多様である。人種の坩堝──大陸中央の華たるエレンタード王国の傭兵斡旋所としては、特に珍しくもない光景だ。
「やあ、ナンシー」
アルフレッドが声をかけた相手は、奥のカウンターにいる眼鏡をかけた獣人族の女性だった。
「うそ? アルフレッド様?」
その女性、ナンシーは驚きの声と共に眼鏡の下の目をこする。その後頭部には小さな羽根が生えており、彼女が鳥の獣人族であることが見てとれた。
「どうしたんですか? 直々にお越しになるなんて」
「ああ、俺が直接受け持っている生徒たちなんだ。研修用にちょうどいい依頼、何かあるかな?」
「ええ、それはもちろん。失敗しても依頼主に迷惑がかからないことを条件にすれば……これとこれなんかどうでしょう?」
ナンシーは手にした帳簿を開き、二つの案件を指差して見せる。
ひとつは、近隣の畑を荒らす月獣退治。
ひとつは、学園都市エッダと王都エレンタードを結ぶ交易路の警備業務。
「うーん、そうだな。みんな、どっちがいい?」
「月獣退治!」
全員の声が唱和する。
「……だってさ」
「でも、いいんですか? 見たところ一年生に見える子もいますけど、月獣退治は危険が伴いますよ? この依頼に関しては、どんな月獣かも情報が不足していますし……」
「いざとなれば俺もついてる。心配ないさ。まあ、この子たちに限っては、そんな必要もないだろうけどね」
──月獣。
星界に存在するあらゆる生物は、白月、紅月、蒼月、黒月に象徴される四月界の影響を免れることができない。
とりわけ各々の季節で月界が星界に最も接近する1日──『禁月日』においては、星界に生息する獣が月の光を浴びて狂い、特別な魔力を得ることがあった。
通常の獣とは明確に一線を隔する力を得た獣。それが月獣である。
「みんな、いい? 今回の依頼を整理すると、エッダ周辺にある農場の畑を荒らす『月獣』──これを突き止めたうえで退治することよ」
最年長のルヴィナが他の三人に確認するように話すと、挙手をする者が一人。
「はい、エドガーくん」
ルヴィナが少年を指差すと、彼は照れたように頭を掻いた。
「いや、確認なんすけど……なんで獣が『月獣』だってわかったんです? 姿も確認できてないはずでしょう?」
「ええ。だから推測の域を出ないようだけど、依頼票記載の情報によれば、魔法で作った獣用の罠でさえ、ことごとく破壊したうえで畑を荒らしているそうよ。そうなれば可能性は高いでしょうね」
「……なるほど」
「どうしたの? エドガーくん。珍しく真面目ね」
「へ? い、いや、そんなことは……」
不思議そうな目でルヴィナに見つめられて、言葉を詰まらせるエドガー。
アルフレッドはこの間、一切の口を挟まない。これは彼らチームが受託した任務なのだ。
「まず、その破壊された罠とやらを確認してみませんこと? 場合によっては、わたくしの霊戦術で読み取れる情報もあるかもしれませんわ」
リリアの言葉に、一同が頷きを返す。どうやら方針は決まったようだ。
だが、その時だった。
「月獣かあ。そう言えば、あの山でオンテルギウスと一戦交えて以来かな?」
「ぶばふぉ! げほ! げほ!」
エリザの何気ない一言に、エドガーが咳込んだ。
「ん? どしたの、エドガー?」
「い、いや、お前ってもしかして、入学試験で山越えしたのか?」
「うん」
「で、オンテルギウスと……やりあったって?」
「うん。まあ、あいつもなかなかやる奴だったけど、あたしに勝つには、まだまだ修行が足りなかったみたいだな」
「……」
「それがどうかした?」
「い、いや、なんでもない」
言えない。言えるわけがない。
実はエドガーは、入学試験の際に同じ真似をして、月獣オンテルギウスに遭遇している。迂闊にも麻痺の眼光を持つ月獣相手に正面から挑みかかり、痺れる身体を魔闘術で無理矢理動かして逃げ回る羽目になったのは苦い経験だ。ましてやそのまま道に迷い、丸一日以上山中をさまよっていたことなど、エドガーには口が裂けても言えるはずがなかった。
「……まあ、ここは頼もしいと思うべきなんでしょうね」
ルヴィナは、呆れ顔で言った。
そんな会話を続けているうちに、気付けば依頼主が待つ郊外の農場へとたどり着く。
「君たちが依頼を受けてくれる傭兵の人たちかい?」
あまりに若い少年少女が訪れたことに、いぶかしげな声を出したのは農場の地主であるマグダフ氏。四十代ほどの小太りな男性だった。アルフレッドは農場の手前で待機し、依頼人への任務の説明についても、すべて生徒たちに一任していた。そのため、一同の中では最年長であるルヴィナが先頭に立って交渉している。
傭兵斡旋所と学院の業務提携のこと、今回の作戦で成功した場合の報酬は通常より値引きされるものであること、失敗の際には支払いの必要は一切生じないことなどを伝えると、ようやくマグダフ氏の顔に安堵の表情が浮かんだ。
「なるほど。それならお任せしようかな。未来の英雄さんたちに仕事が頼めるなんて、実に光栄なことだよ」
軽く笑いながら、マグダフ氏は言われるままに一行を破壊された罠の保管場所へと案内してくれた。
マグダフ氏は、学園都市エッダの郊外に大きな農場を構える大地主だ。多くの従業員を抱え、生産される農産物を都市の住人や行商人たちに販売することで多大な利益を上げている。
「早いとこ退治してくれないと商売あがったりでね」
敷地内に建つ納屋には、リリアが一人で入っていった。少ない手がかりからなるべく多くの情報を霊戦術で読み取るためには、周囲の雑音は少ない方がいいとの理由だった。
一方のエリザは、マグダフ氏の話を聞きながら、物珍しそうに周囲を見渡している。言葉を話さず、大人しくさえしていれば、エリザは可憐な美少女そのものといった容貌だ。
恐らくはそのせいだろう。赤銅色の瞳をきらきらと輝かせ、たわわに実った果実や野菜を見つめる彼女に、マグダフ氏がにこやかに声をかけた。
「そうだ。もし、上手く退治してくれたら、ここの作物をご馳走するよ……って、うわ!」
「ほんと?」
まさに、瞬間移動だった。それなりに離れた場所にいたはずのエリザは、気が付けばマグダフ氏のすぐ目の前に立ち、彼の顔を期待に満ちたまなざしで見上げている。
「あ、ああ、もちろん、本気だよ」
マグダフ氏は目の前で起こった超常現象(?)に瞬きを繰り返しながら、どうにかエリザに返事する。少しずつではあるが、彼も何かがおかしいことに気付きつつあるようだ。
「よーっし! 俄然やる気が出てきた! おじさん! あたしはやるぜ! 最前線はあたしに任せて、おじさんは祝勝パーティーの準備、よろしく!」
声を張り上げてはしゃぐエリザに、上級生二人はやれやれと首を振る。と、そこへ納屋に入っていたリリアが出てきた。
「……まったく。ピクニックに来た幼児だって、もう少し大人しくしているんじゃありませんこと? 中にまで声が聞こえてきましたわ」
「ん? ああ、ごめんごめん。で? どうだった?」
悪びれもせずに謝りながら首尾を尋ねてくるエリザに、リリアは複雑そうな顔をした。
「思った以上に厄介な相手かもしれませんわ」
次回「第16話 英雄少女と学外研修(下)」




