『ステラ』~やっと出会えた
──悠久の時の彼方。
『ソレ』は生まれた。闇の中、光り輝く星として。
しかし、どんなにまばゆい輝きも、それを見るものがなければ意味がない。どこまでも続く闇の中で、ただ一人、輝きを放つ『ソレ』には、自身の輝きを認識することすら叶わない。
それはまさに──『原初の精神』
つまるところ、『ソレ』はどうしようもなく孤独だった。彼我の存在しない世界で、自我をもって生まれた悲劇。やがて『ソレ』は、考えた。
語りあい、笑いあい、見つめあう。そんな相手が欲しい。
喉から手が出るほど渇望し、そして……『自らの身を引き裂く』ほどに切望した。
やがて『ソレ』の目の前に、待望のモノが現れた。
『月夜の闇』に浮かぶ銀盤。絶対の孤独を癒す、もう一人の自分。
それは、生み出された側にとっても同じことだった。元はひとつの存在なのだ。大きさこそ違え、その魂に刻まれた孤独の記憶は同じもの。だからこそ、それらは互いに憧れを抱いた。己の身を分けておきながら、その相手を激しく求め、叶うことなら重なりたいとまで熱望した。
愛しい相手の目を焼くほどに。愛しい相手の身を裂くほどに。
──それは、遥かなる過去の話。
しかし、今なお続く、互いを求め合う物語の続き。
「『星辰』と『真月』は、ひとつのものなんだ。だからエリザ、君はその両手に持った二つの力──『星辰の剣』と『真月の牙』を……ひとつに合わせなければ駄目なんだ!」
ネザクは再び膨大な力を集約し始めた『星月の邪神』の攻撃を抑えるべく、新たな障壁魔法を構築しながら叫ぶ。
「で、でも、そんなこと言われても、どうすればいいか……」
実のところ、エリザはリリアから『限りなく澄んだ月の牙』を手渡されはしたものの、その力を扱いきれていなかった。これまでの戦闘でも、せいぜいが障壁の構築などの形で補助的に使っていたに過ぎない。
「でも、これは君にしかできないことなんだ。『斬月の御子』──火の玉のように激しく燃える、星の愛……その象徴として生まれた君にしか……」
相手の身を裂くほどに、激しい愛情。エリザは歴代の『星辰の御子』とは異なり、そうした『斬月』の意志に特化した存在としてこの星界に生を受けた。
「僕の攻撃は『邪神』には効かない。でも、唯一、素手での攻撃なら通じた。それは僕のこの身体が月を纏う星であり、星を抱く月だからなんだ。永遠に叶わない想いに絶望し、すべてを破壊しようとする『狂える星辰』にとって、その絶望を払いのける『叶うべき願い』そのものだったからなんだ」
「叶うべき……願い?」
「太陽と月が共に寄り添い、互いを見つめあう儚き想い……『残月の御子』として生まれた君になら、それがきっとわかるはずだよ」
ネザクが口にしているのは、あまりにも抽象的な言葉だ。彼自身でさえ、無意識に口をついて出るそれらの言葉の意味は、完全にはわかりかねている。
しかし、エリザは何かに気づいたように目を見開いた。
「あたしは……孤独で、一人で、寂しくて……自分と同じものなんて、どこにもいないと思ってて……でも、同じじゃなくても、『傍にいてくれる誰か』が存在することが嬉しくて……」
エリザは、何かを思い出すようにつぶやく。
《月夜の闇》が《暁の曙光》に払われてもなお、愛しい相手と共にあろうとする儚き想い。エリザは歴代の『星辰の御子』と異なり、そうした『残月』の意志をその身に映した存在としてこの星界に生を受けた。
すると、エリザのつぶやきに呼応するように、左手に掴んだ蒼き霊剣と右手に掴んだ紅き神剣が輝きを増していく。
輝く剣は互いを引き寄せ、エリザはその力に逆らうことなく、二つをぴったりと重ね合わせた。
「……発動、《神代兵装:残月の神霊剣》」
エリザの手の中に出現したその剣には、刀身が存在しなかった。
いや、正確には、うっすらとした光の粒子が刀身の形に連なっている。しかし、その長さは、先端が肉眼で確認できないほど、遥か彼方まで伸びていた。
すると、その直後のこと。
〈クルシイ! サビシイ! クルオシイ!〉
耳をつんざく叫びと共に、それまでネザクの構築する障壁魔法に凶悪な圧力をかけ続けていた『邪神』の動きが止まった。闇でできた身体の輪郭は、時にぼやけ、時に実体化し、明滅を繰り返しながらのたうち回っている。
「……よし、じゃあ僕も頑張らなきゃね。僕の『夢』は、皆に愛される魔王になること。その夢のためならば、世界の一つや二つぐらい救ってやるさ」
ネザクは、手にした『杖』に意識を集中する。星界・月界を問わず、すべての世界から彼がかき集めた『真月』。それは『星神』を愛する『月の想い』だ。
そしてネザクは、そんな『真月』の望み……『夢』を体現した存在だった。その事実はそのまま、彼もまたエリザと同じく、『星月の邪神』に思いを届かせる力を有していることを意味していた。
「発動……《神代兵装:夢月の魔王杖》」
ネザクの手の中の杖は、エリザの剣と同様、その形を失う代わりに闇の粒子となって無限の長さを獲得していく。
エリザとネザク。二人はそれぞれの形で『星と月』の力を手にしていた。
しかし、それまでのたうち回っていたはずの『邪神』もまた、ここで落ち着きを取り戻したかのように宙に静止すると、二人の武器とは対照的に、それまでおぼろげだったその姿をはっきりと実体化させていく。
〈アエナイ! ミエナイ! ドコニイル? キミハ……ドコニ……?〉
金の髪を長く伸ばし、白衣を身に纏う美しい人物。男にも女にも見える『邪神』の頭には、醜くねじれた黒い角が生えている。瞳は血のように紅く輝き、そして……頭上に掲げたその手の先には、『太陽』そのものが浮かんでいた。
「く! エリザ! 行くよ!」
「うん!」
『五人の月の神』によって生み出された、この《灰色の真月》でさえ焼き尽くしかねない力を前に、二人の少年少女はひるむことなく立ち向かう。
《エイエン・ノ・コドク》
『星月の邪神』と少年魔王と英雄少女。
それぞれが最後の力を込めて放った一撃は、ついに《灰色の真月》の世界そのものを崩壊させるに至った。激突し、せめぎ合う二つの力は、猛烈に荒れ狂う嵐となって少年少女を翻弄する。
「うあああ! エ、エリザ!」
吹き飛ばされながらも、必死に背中の翼で姿勢を制御し、ネザクは自分の愛する少女の姿を探す。
「見つけた!」
崩壊していく世界の中で、真っ赤な髪の少女が一人、真っ逆さまに落ちていく。
「くそ! エリザ!」
ネザクは彼女の姿めがけて羽ばたこうと試みるが、猛烈な力の乱流は彼の強靭な翼の動きでさえ、自由を大きく制限されるほど激しいものだった。
落ちる。落ちる。落ちていく。
落ち行く先は、無限の闇。次元の狭間に生み出された、永劫の闇の世界。
一度入れば出ることなど叶わない。
「エリザが……いなくなる」
ぼそりと、ネザクの口からそんな言葉が飛び出す。
落ちる。落ちていく。ばっくりと口を開いた、暗黒の渦の中に。
「嫌だ。そんなの、絶対に嫌だ!」
愛する少女の存在の消滅。それを思った時、ネザクは気づく。自分は彼女のことが好きだ。そしてその想いは、他の誰に対する者より強い。『皆に愛される魔王』であることよりも前に、彼女を愛し、彼女に愛される自分でありたい。
エリザ・ルナルフレアという少女は、自分にとって『他の誰でもない特別な一人』なのだ。
そうと自覚した次の瞬間、気づけば、ネザクはエリザの手を取っていた。
「え? ……今のは、空間転移?」
心月の御子ルーナが、そして『星月の邪神』がやってのけたような、何の前触れもない瞬間移動。
「エリザ! 良かった!」
気絶したままのエリザの身体を、思い切り抱きしめるネザク。すでに周囲の嵐は止んでいる。足元には固い地面があり、白季の暖かな空気が二人を包み込んでいる。
「エリザ! エリザ!」
無我夢中でエリザにしがみつくネザク。すると、さすがにその手荒な扱いに目が覚めたのか、エリザがゆっくりと目を開けた。
「……う、むむ」
「エリザ! 気が付いたかい? ああ、良かった!」
「え? ネザク? ……っていうか、きゃああ!」
エリザは驚きに目を丸くした後、彼女にしては珍しく、女の子らしい悲鳴を上げた。
何と言っても目が覚めたと同時、涙を浮かべたネザクの顔が視界全面を覆い尽くしていたかと思えば、その彼が急に自分の身体に覆いかぶさるように抱きしめてきたのだ。
これで驚くなと言う方が無理な話だった。
「ちょ、ちょっと、ネザク? な、なにこれ? なんで、あたし、こんな……」
「エリザ! エリザ! 良かった! 生きててくれて!」
バタバタと抵抗するエリザだが、ネザクは彼女の身体をしっかりと抱え、離そうとはしなかった。掌から零れ落ちていきそうだった、何よりも大切なもの。それが今、自分の腕の中に間違いなく存在していること。ネザク少年は、その幸せを一人、十分に噛み締めていた。
「うう……だ、駄目だ、これ。は、恥ずかしいけど……こんなの、振りほどけるわけないじゃん……」
エリザもまた、自分を大事に思い、抱きしめてくれている少年の心地よい温かさに、その身をゆだねざるを得ないのだった。
「……やっぱり、ネザクは甘えん坊だな」
とはいえ、つい、そんな憎まれ口をたたいてしまう。するとネザクは、彼女の身体から手を離さないままに顔を上げ、抗議するようにエリザの瞳を見つめてくる。
「エリザが悪いんじゃないか。あともう少しで、死んじゃうところだったんだよ?」
「あう……」
美しくも愛らしい少年の瞳に見詰められ、エリザは全身がかあっと熱くなるのを感じていた。
「ご、ごめん。……それと、ありがと」
どうにかそれだけ口にして、顔を横にそむけるエリザ。
そして、ようやく彼女は気づく。
「あ、あ、あ……」
「どうしたの、エリザ?」
エリザのうめき声に、ネザクは不思議そうに問いかける。
「だ、駄目! ネザク! 離して!」
「え? え?」
突然暴れ出したエリザに、目を丸くするネザク。すると、その時だった。
「あらあら、ネザクったら、皆の目の前で恥ずかしがって嫌がる女の子を抱きしめちゃうなんて、いつからそんなに大胆になったのかしらねえ?」
それは、この状況においては、彼が最も聞きたくなかっただろう『姉』の声。多少の嫉妬と喜びと意地の悪さをないまぜにしたような、魔女の声だ。
「え? み、みんな……? う、うわあああ!」
見覚えのある面々に囲まれていたことにようやく気づき、ネザクはエリザの暴れる動きに合わせ、飛び退くように彼女から距離を置いた。
しかし、状況は既に手遅れに過ぎていた。
「あ、ああ……」
とはいえ、カグヤ以外の面々は、彼女のように野暮な言葉を言うつもりはないらしい。ただ黙って、生暖かい視線を二人に向けてくる。しかし、二人にとっては何よりそれが辛かった。
「ううー! ネザクのばかー!」
先ほどまで泣いていたのはネザクだったはずだが、今度はエリザが半分涙目となって、顔を真っ赤にしながら叫んでいる。
「こら、エリザ? 駄目じゃない。あなたを助けてくれたネザク君にそんなことを言っちゃ」
たしなめるように言って笑ったのは、リリアだ。言葉とすれば一般的な内容にとどまっているように思えるが、言いたいことは、『恋人のことを悪くいうものじゃない』ということだ。それが見え透いている分、エリザはますます恥ずかしさを募らせていく。
「……やれやれ、でも、二人とも無事でよかったよ。あの化け物をどうにかしてしまうなんて、大したものだね」
この中では一番人の良いアルフレッドが、ようやくそんな助け舟を出したことで、二人は安堵の息を吐いたのだった。
「どうやら、その『化け物』については、まだ終わっていないみたいだぜ?」
アルフレッドの言葉を継ぐようにそう言ったのは、アズラルだ。その言葉に、一同は彼が指示した方角へと視線を巡らせる。するとそこには……
「あれは……ルーナ?」
エリザがリリアに尋ねる。しかし、リリアは首を振って答えた。
「そうとも言えるし、違うとも言えますわ。あのあと、彼女の体の中に四色の光が入っていくのが見えましたから。……だからきっと、あれは……『真月』そのものなのでしょうね」
王都エクリプスの上空。先ほどまで《灰色の真月》が存在していた空間に、その『少女』は浮かんでいた。
真紅の髪を長くたなびかせ、春を迎えた可憐な花のような笑みを浮かべた彼女は、闇夜の月を思わせる金の瞳で目の前に浮かぶ相手を見つめている。
その『少年』は、美しかった。初夏の陽光のようにまばゆく輝く金の髪、見るものの心に焼き付くような鮮烈な紅の瞳。しかし、その笑みは、世界に夜明けを告げる暁のように優しげだった。
〈やっと……やっと出会えた〉
その声は、星界・月界を問わず、すべての世界に生きる者たちの心に届く。平凡な言い回しでありながら、それは悠久の時を経た万感の……否、幾億もの想いを詰め込んだかのような、重い言葉だった。
〈ああ……ステラ。わたしの……わたしの姿が見えるのね?〉
真紅の髪の少女は、金の瞳に涙を浮かべ、声を震わせている。永い苦しみを超えて発せられた少女の声もまた、それを聞く者の心を揺さぶり、歓喜の涙を誘うものだった。
〈ああ……やっと見えたよ。綺麗な君が、愛しい君が、誰よりも大切な僕の『ルーナ』の可憐な姿が……〉
〈うれしい。うれしい! 待ってたの……ずっと、ずっと!〉
〈ごめん。本当にごめん。……でも〉
空に浮かぶ二人の姿は徐々に近づき、やがて一つに重なっていく。
〈もう君を……離さない〉
〈わたしも……あなたを決して離さない〉
しっかりと抱きしめあい、お互いの存在を確かめ合う二人の少年少女。互いを求め、求めすぎるがゆえ互いを傷つけてきた『星』と『月』は、ついに『ひとつ』に重なり合う。
その瞬間、世界には慈愛に満ちた光があふれたのだった。
第2部最終章最終話です。
次回、登場人物紹介を挟んで『エピローグ 二つの光が見守る世界(全六篇)』が始まります。