第136話 魔王と英雄の邪神退治
エクリプス王城のはるか上空に浮かぶ『灰色の真月』。
空を飛んでその真上に到達したネザクは、自分が身体を抱えるエリザに声をかける。
「準備はいいかい?」
「……まだ、駄目」
「え? ま、まだ?」
いつものエリザとは思えない返事に、驚いて聞き返すネザク。
「突入する前に、あたし、言っておきたいことがあるんだ」
「なに?」
ネザクは彼女を背中から抱えているため、その顔を窺うことはできない。
「あたし……ネザクのことが好きだよ」
大きく息を吐き、それから、思い切って告白の言葉を口にするエリザ。
「そっか。僕もエリザのこと、好きだよ」
しかし、ネザクは意外なほどに平坦な口調で返事をした。
「え? ちょ、ちょっと待ってよ。あたしの好きって言うのは、一般的な意味じゃなくて、その……」
「うん。僕、一人の女の子としてのエリザが好きなんだ」
戸惑うエリザが言い返す暇も与えず、ネザクは「好き」と言う言葉を繰り返す
「……うう。ひ、卑怯だぞ! ネザク。人が言おうとしたことを先に言っちゃうなんて!」
憤慨したように言うエリザだが、ネザクも負けじと言い返す。
「卑怯なのはどっちかな? こんな場面でどさくさに紛れて言うことじゃないよね? ちゃんとここから生きてかえって、改まってから言うべきだと思うんだけどなあ」
「……ネザク」
「なんだい?」
「あたしがこんなことを言うのもなんだけど……お前、随分と成長したんだなあ」
「なんだよ、それ! もう……エリザはこんな時まで……ううん、いつでもどこでも、『エリザはエリザ』なんだね」
「ええー? それこそ、『なんだよそれ』だぜ」
「あはは! まあ、僕はそんな君だから好きなんだけど……」
「ん? なんか言った?」
「ううん。それより、今度こそ準備はいいかい?」
「おっけー! この続きは祝勝会の後にしよう! 行くぞ!」
「おおー!」
二人は無邪気に声を張り上げ、それから、『灰色の真月』めがけて滑空していく。
──荒れ狂う力の渦。
外界から遮断された『灰色の真月』という特殊空間内にあってもなお、その化け物は自身に集めた『狂気』を回転させ、暴走させ、破壊の力を増大させていく。
〈クルエ、クルエ、クルエ、クルエ、コワレヨ、コワレヨ、コワレヨ、コワレヨ、コワレヨ、シネ、シネ、シネ、シネ、シネ、シネ、シネ、シネ、シネ!〉
人の声帯から発せられたとは思えない、無機質な声。狂ったように繰り返される破滅的な言葉とは裏腹に、声の主には特に感情の色は見えない。
それもそのはず、その化け物には、『顔』が存在していなかった。身体の形こそ一応は人間の四肢を模してはいるものの、その細部は不明瞭でぼんやりとした闇が揺らめき、形を変え続けている。当然目鼻立ちなどわかるはずもなく、時折ニタリと真っ赤な口が闇の顔に半月状の裂け目となって現れるのみだ。
声は、その真っ赤な半月から紡ぎ出されているようだった。
「うへえ……こいつは不気味だな」
エリザは『灰色の真月』内部に降り立つと、右手に紅水晶の神剣を構え、左手に蒼水晶の霊剣を提げたまま『星月の邪神』と向き合う。
「見た目もそうだけど、どんな能力があるかわからないんだ。迂闊に飛び込むのは危険だよ」
エリザの隣で四色の四枚羽根を羽ばたかせながら、ネザクはわずかに宙に浮かんでいる。身体の要所に取り付けられた各種装飾品が一斉に輝きを放ち、ネザクのみならずエリザにも様々な加護を付与していく。
常人なら目の前に立っただけで発狂しかねない『狂気』をまとう『邪神』を前にして、少年魔王と英雄少女はひるむことなく相手を見据えた。
すると、ようやくこちらに気づいたとでもいうように、『星月の邪神』が動く。
《ヨアケ・ナキ・セカイ》
魔法の詠唱にも似た言葉。それと同時に『邪神』が腕を持ち上げた次の瞬間──
「うくううう!」
黒い奔流が世界を覆う。重く、どこまでも冷たい漆黒の水が二人に向かって押し寄せてくる。エリザが左手に持った蒼水晶の霊剣を掲げ、不可視の障壁を生み出して食い止めるものの、黒い奔流は今にもその障壁を砕かんばかりに勢いを増していく。
「エリザ! ……発動、《天魔法術:無月の焦熱外法》!」
星界・月界を問わず、世界中から『真月』をかき集めたネザクの魔法は、押し寄せる黒い水を超高熱の障壁で遮る。すると障壁に接触した水は一瞬で蒸発し、水滴の一粒さえ残さずに黒い奔流が消滅していく。
「腕ひとつ動かしただけでこれか……。長期戦は不利だね」
ネザクは《魔王兵装:無月の天魔錫杖》を構えたまま、大きく息を吐く。
「じゃあ、やっぱり攻撃を仕掛けてみるしかないか。……まずは、これだ。発動、《降魔法術:斬月の神剣乱舞》」
先ほどに『心月の邪竜』を撃破した、現在のエリザが使用しうる最強の攻撃魔法。無数に浮かんだ真っ赤な神剣が、一斉に『星月の邪神』めがけて降り注ぐ。
が、しかし──
《オワリ・ナキ・クルシミ》
真っ赤な半月状の口から洩れる、不気味な詠唱の声。両手を頭上に掲げた『邪神』の身体から無数の黒い蛇が姿を現し、降り注ぐ神剣一本一本に食らいつく。次々に巨大な顎を開き、紅い刀身を丸呑みにした黒い蛇たちは、神剣もろとも爆散して消滅していく。
「くそ! 簡単に防がれちゃった!」
「なら……僕の番だ。……発動! 《天魔法術:無月の天雷外法》」
ネザクの錫杖の先から、小さな光の玉が放たれる。真っ直ぐ『邪神』の元へと迫った光は、その身体に接触するや否や、上空から極大の雷撃を呼び寄せる。数十、数百という規模で降り注いだ雷撃は、互いに重なり合い、天を衝く光の柱と化して『星月の邪神』の身体を飲み込んでいく。
轟音が耳をつんざき、まばゆい光が視界を覆い尽くす中、周囲に広がる衝撃波をエリザが左手に持った『限りなく澄んだ月の牙』で吸収して耐えた二人は、『邪神』が立っていた場所に目を向けた。
ところが──
「まったくの……無傷?」
ネザクが呆然とつぶやく。今の魔法は間違いなく、通常空間で使用されていれば、エクリプス王国そのものを吹き飛ばしかねないだけの威力があった。これまでネザクが意識して使用を避けていたはずの切り札のひとつでもあったはずだが、『星月の邪神』の立ち姿には一切の変化がない。
「……え? 消えた?」
驚くネザクの視界から、『邪神』の姿が掻き消えた。
「うあああ!」
次の瞬間には、ネザクの隣にいたはずのエリザが、苦悶の声を上げながら倒れた。
「エリザ! ……くそ! 発動、《天魔法術:無月の強化外法》」
空間を渡り、すぐそばに出現した『星月の邪神』。何らかの力でエリザの背後から攻撃を仕掛けたらしいその人影は、さらなる追撃を仕掛けるべく、腕を振り上げている。
ネザクは無我夢中で究極の身体強化魔法を発動すると、エリザへの攻撃を阻止するべく、『邪神』の腕に錫杖を叩きつける。
「エリザから離れろ!」
しかし、ネザクの錫杖は『邪神』の持つ闇の腕を素通りし、空を切ってしまう。しかし、ネザクはそれでもあきらめず、無謀にも今度は素手で『星月の邪神』の身体を殴りつけた。
しかし、ここで意外なことが起こる。
それまでネザクの攻撃を一切受け付けなかった『邪神』が、その一撃には大きく身体を歪め、遥か彼方へと吹き飛ばされていったのだ。
「え?」
意外なほどの手ごたえに、意味も分からず瞬きを繰り返すネザク。しかし、直後には気を取り直し、倒れたエリザの様子を確認する。
「う、うう……」
「酷い傷だ……。早く治療しなきゃ!」
ネザクは手のひらに高い再生能力を有する『魔』の能力を凝縮し、深い傷を負ったエリザの背中に押し当てた。
「う、うう……!」
急激に治癒されていく傷口の違和感に、うめき声を上げるエリザ。ネザクは状況の不利を感じて歯噛みする思いだった。
まず、こちらの攻撃は全くと言っていいほど通じていない。
にもかかわらず、『星月の邪神』の攻撃はと言えば、『星辰』の力によって守護され、かつ、ネザクの《ルナティック・ハイアームズ》の加護の恩恵を受けていたはずの彼女の防御をやすやすと突破してきたのだ。
「一撃一撃がこんなに強いのに……空間移動までするなんて……」
治療を施しながらも、ネザクは強化された感覚で敵の出方をうかがい続ける。『星月の邪神』はかなりの距離を吹き飛ばされていたはずだが、それでも空間移動ができるなら距離など無意味だ。出現した瞬間を狙って攻撃するか、回避に転じるかを判断するしかない。
「あ、ありがと、ネザク。くそ、油断しちゃった……」
「ううん。無事でよかった。でも気を付けて。あいつまた、転移してくるかも……」
「うん。そうとわかれば、あたしに任せて」
エリザはそう言って立ち上がると、両手に持った剣を交差するように構え、目を閉じた。
「発動、《降魔剣技:斬月の無明心眼》」
精神を集することで、周囲の空気に己の心を溶け込ませる技。それは星の申し子たるエリザだけの特異技能であり、周辺のあらゆる事象を感知するものだ。
「……そこだ! 発動! 《降魔剣技:斬月の双竜弧閃》」
エリザは、至近距離に出現した気配に向かって両手の剣を振りかざし、無数の剣閃を網目のように撃ち放った。
〈キィイイイイイ!〉
さすがの『星月の邪神』も、空間転移直後を狙われたのでは反応できなかったのか、奇怪な叫び声を上げつつ、闇の身体に無数の赤と青の傷を作りながら大きく飛びさがる。
「……エリザの攻撃が効いた?」
ネザクは痛みに悶えるかのように身体を揺らす『星月の邪神』を見つめ、何かに気づいたようにつぶやく。そういえば、これまでネザクの攻撃には無反応だったこの『邪神』も、エリザの攻撃にだけは防御行動をとっていた。
「星の力なら効果があるのか? いや、でも……そうじゃない」
ネザクは思考を進める。このまま闇雲に攻撃し続けていても、勝ち目はない。勝つためには、何か突破口が必要だった。
「続けてくらえ! 発動、《降魔剣技:斬月の流星連撃》!」
エリザはダメージを受けた『邪神』に休む暇を与えず、立て続けの攻撃を仕掛ける。
《スクイ・ナキ・ヒゲキ》
『星月の邪神』の詠唱に合わせ、周囲の空間からボコボコと音を立てて出現したのは、『邪神』と同じく闇でできた身体を持つ人形のようなモノたちだ。『邪神』よりもさらにおぼろげなヒトガタをした異形たちは、エリザの放つ剣閃を受け、悲鳴も上げずに消滅していく。
だが、そのせいで彼女の斬撃は『星月の邪神』本体には届いていない。
「くそ! 人の形をした盾なんて、悪趣味にもほどがあるぜ!」
エリザは次々と出現する闇人形たちを切り捨てていくが、肝心の『邪神』に近づくことができないでいた。
「……ネメシスの話だと、『星月の邪神』は『星辰』と『真月』が混じり合った力を狂わせ、暴走させて『狂気』を生み出しているってことだった。だとすれば、『星辰』そのものでも有効打にはならないはずだ。でも……」
彼は『邪神』を殴りつけた自分の拳を顔の前に掲げ、まじまじとそれを見た。錫杖で殴っても効果がなかったのに、素手での攻撃は有効だった。それは何を意味するのか?
ネザクは思い出す。……リゼルの語った、『少年魔王の在り方』を。
しかし、そうしている間にも、『邪神』の攻撃は続く。
《キボウ・ナキ・ミライ》
空高く浮かび上がった『星月の邪神』は、掲げた両手に巨大な火の玉を掴んでいる。紅、蒼、黒、白、銀、金と目まぐるしく色を変えるその炎は、それだけで世界を破滅させるだけの力を有しているかのようだった。
「く! あんなの、防ぎきれない!」
エリザは焦燥に駆られた声で叫び、両手に掲げた剣を構える。
「エリザ、ここは僕が防ぐ! 君は反撃の用意を!」
「……え? ああ、わかった! じゃあ、信じて待つ!」
エリザはほとんどためらいもなく、ネザクに信頼の言葉を返す。
「僕は魔王だからね。……みんなの力、『貸してくれ』とは言わない。……悪いけど、『使わせてもらう』よ。……発動、《ルナティック・ハイドレイン》」
ネザクは錫杖を掲げ、世界中から『真月』を強引にかき集めていく。力の弱いものからは加減しつつ、力ある者からはそれなりに、数百万の民、数百万の『魔』、それらすべての力がネザクの元に集約していく。
無限の月を集めた魔王は、その力を解き放つ。
「発動、《天魔法術:無月の水鏡外法》」
『星月の邪神』が振り下ろした腕の動きに合わせ、隕石のように落ちてくる巨大な火の玉。しかし、ネザクが発動した魔法は、その直前で巨大な鏡を作り出し、その炎を反射する。
自らが放った炎に飲み込まれる『星月の邪神』を見て、ネザクはようやく理解した。
「やっぱり、効かない。……『星辰』も『真月』も『狂気』も効かない奴に、有効だった攻撃。それはたぶん……」
四月の光を身に纏い、心に星を寄り添わせるもの。
「よし! あたしが行く!」
エリザが紅水晶の神剣を右手で突き出し、蒼水晶の霊剣を左手に下げたまま、炎の中から姿を現す『邪神』の姿を睨みあげて叫ぶ。
そんな彼女に向かってネザクは……
「エリザ! それはバラバラに使っちゃ駄目だ! だってそれは……本来なら、『ひとつ』のものなんだから!」
エリザが驚いて動きを止めざるを得ないほどの大声で叫んでいた。
次回「『ステラ』~やっと出会えた」