第133話 暗黒宮殿~地底湖~
城門のすぐそばに出現した、地の底へと続く螺旋階段。
アルフレッドが光の魔法で周囲を照らす中、二人は無言のまま、下へ下へと降りていく。
「…………」
時折、アルフレッドはカグヤの横顔に目を向けては見るものの、彼女はこちらを見ようともせず、足元を注視しながらも周囲に気を配っているらしかった。
黒く、流れるようなつややかな髪。張りのある白い肌は、かつての幻樹王のように無機質なものではなく、ほのかに人としての体温を感じられるような赤みが差している。
長い睫に縁どられた瞳は、アルフレッドが幼いころから変わることなく、理知的な光をたたえている。しかし、彼は知っていた。彼女はいつだって大人びた瞳の奥に、誰もが意外に思うほどの熱情を隠しているということを。
「……ちょっと」
「え?」
突然、カグヤに声を掛けられて、アルフレッドは我に返ったように返事する。気づいてみれば、カグヤの頬がぴくぴくと動いているのが分かる。
「なんで人の顔をジロジロ見てるのよ。用がないなら、周囲をちゃんと警戒しなさいよね」
頬を赤らめ、憮然とした顔で言うカグヤ。どうやらアルフレッドは、余程に彼女の横顔を凝視し続けてしまっていたらしい。
「あ、いや……ごめん。その、考え事をしていてさ」
「考え事? 何か気になることでもあるの?」
とっさに口をついて出た言い訳に対し、心配そうな顔で聞き返してくるカグヤ。言葉に詰まったアルフレッドは、その場を言いつくろうための言い訳を探し、それからおもむろに口を開いた。
「……え、えっと、その……カグヤ。あらためて、ありがとう。こんな俺についてきてくれて」
「何よ。今さらそんなこと? ……礼なんか、いらないわよ。わたしが好きでしてることなんだから」
「それでも、ありがとう。この先に何が待っているかはわからないけど、俺は必ず君を守るよ」
「あなた、わたしがここに入る前に言ったこと、忘れたの? わたしは……」
「わかってる。君にも戦うための力があるということも、君がただ守られているだけの存在じゃないってことも、全部、わかってるんだ」
アルフレッドは、カグヤの言葉に被せるようにまくしたてた。
「じゃあ、どういう意味なのよ」
不機嫌そうな声で言い返すカグヤ。
「誓いだよ」
「誓い?」
「ああ。俺が男として……自分の愛する女性を絶対に護り抜くという、誓いの言葉さ」
「んな!?」
一気に顔を朱に染めるカグヤ。
「君には迷惑なだけかもしれないけど……でも、俺の気持ちは、あの時からずっと、変わっていない。だから、その決意をあえて言葉に出して言ってみたかったんだ。……ごめん」
一気にそれだけ言って、頭を下げるアルフレッド。
「……うう」
「カグヤ?」
うめくような声を出したカグヤに、アルフレッドは不安げな目を向ける。カグヤはさきほどから、ちらちらと彼の顔を見上げては目を逸らし、何かを言いかけては口をつぐむといったことを繰り返している。
そしてついに……
「ああ、もう!」
カグヤは頬を赤く染めたまま、諦めたように大きな声を上げた。
「わかったわよ! ええ、わかりました! わたしの負けよ!」
「い、いや、カグヤ? 負けっていったい何が……」
「いい? よく聞きなさい!」
「え? あ、はい」
彼女のあまりの剣幕に戸惑いつつ、どうにか返事をするアルフレッド。そんな彼の顔に指を突きつけるようにして、カグヤは口を開いた。
「わたしはねえ、あなたのことが……ずっと、ずっと昔から……!」
大っ嫌いなのよ──その台詞は、彼がカグヤと再会して以降、何度となく言われてきたものだ。そのたびに少しばかり傷ついてきたアルフレッドだが、嫌われているなら好かれる努力をすればよいとばかりに、これまでめげずに頑張ってきた。
そして、今回、彼のその努力は……
「……だ、大好き……なのよ」
それまでの勢いはどこへやら、突きつけていた指までもが力なく下に下がり、カグヤは消え入りそうな声でそう言った。
「え? カグヤ、い、今……大好きって、言わなかったかい?」
自分の耳に聞こえた言葉が信じられない。呆然とした顔で、アルフレッドは問いかけの言葉を返す。
「うるさいわね! 言ったわよ! 言っちゃったわよ! 悪い? あなたのこと、ずっとずっと嫌いだとか言っといて……本当は『大好きでした』なんて、笑っちゃうわよね! だから何? 笑いたければ笑えばいいでしょう? し、仕方ないじゃない! す、好きなものは好きなんだもん!」
おそらくカグヤは、自分が何を口走っているのかわかっていないに違いない。アルフレッドは湯気が上がりそうなカグヤの顔を見て、そう結論付けた。しかし、それでもその言葉に込められた想い自体は本物だろう。
「カグヤ!」
感極まったアルフレッドは、そのまま勢いよくカグヤへと抱き着いた。
「だいたいねえ! あなたが……って、きゃあ! ちょ、ちょっと?」
想い人に抱きしめられ、悲鳴にも似た声を上げるカグヤ。
「カグヤ! 好きだ! 大好きだ!」
「ちょ、ちょっと、ばか! 離れなさい! 今がどんな状況だか、わかってるの?」
「好きだ! ずっと好きだった。会えなかった十年以上もの間、君のことを思わない日はなかったんだ」
「だ、だから、それはもうわかったから……。ああ! もう! いい加減にしなさい!」
無理やり引きはがすように、アルフレッドの身体を押しのけるカグヤ。すると、さすがにアルフレッドも、それに抵抗するようなことはせず、名残惜しそうに彼女の身体から手を離した。
「ご、ごめん……」
「べ、別に、いいわよ。そ、そういうのは、全部問題が片付いてからにしてよね」
頬に赤みを残したまま、そっぽを向くように言うカグヤ。そんな彼女のかわいらしさに、アルフレッドはふたたび彼女を抱きしめたい衝動に駆られたが、どうにかそれを我慢した。
それから螺旋階段を下ることしばらく、彼らはついに、終着点ともいえる場所にたどり着いた。
階段を降り切った先には、土でできた大地があり、周辺には広大な空間が広がっている。アルフレッドの光魔法がなくても、周囲がほのかに明るく見えるのは、そこかしこに黄金の鉱物が転がり、それ自体が淡い光を放っているせいだった。
「水の音? これは……湖か?」
「地底湖ってところかしらね」
二人の目の前には、黒々とした闇の中、鏡のように穏やかな水面を広げる湖の姿があった。
「なにか、来る」
「カグヤ、油断するなよ」
水面に広がる波紋は、湖の上を何かが渡ってきていることを示している。周囲の鉱石の光だけでは心もとないと考えたアルフレッドは、ここで『星霊剣レーヴァ』を抜き放ち、黄金の刀身に魔力を込めて松明代わりの光に代える。
闇の中、湖の上に浮かび上がったモノの姿は……
「あれは……まさか、『邪竜』?」
アルフレッドは驚きの声を上げる。しかし、正門で見た四色の鱗を持つオオトカゲの姿とは違う。それは、漆黒の鱗に覆われたドラゴンだった。
かつて倒したはずの相手。あり得ないその姿にあっけにとられたアルフレッドの目の前で、異形の竜はその咢を大きく開く。赤くぬらぬらとした喉の奥に、膨大な量の魔力が収束していく。
「危ない!」
放たれた奔流は、すさまじい破壊力で二人の周囲を薙ぎ払う。彼らが下りてきた螺旋階段さえも粉々に打ち砕き、爆風は穏やかだった湖の水面を激しく波立たせている。
「……すまない。カグヤ。助かったよ」
自分たちの周囲を覆う《闇》の気配を感じ、アルフレッドは安堵の息を吐く。あらゆる魔法を吸収する『黒月』の映し身の力……《わたしの闇》
「いいわよ。それより、このまま攻撃を受け続けるのは危険だわ。防げなくはないけど、ここの天井がいつ崩れてくるか……」
漆黒の邪竜は、湖の上に浮かんだまま、連続して魔力のブレスを放ってきていた。
「あれが『新月の邪竜』なら、一度は倒した相手なんでしょう? あなたの攻撃で何とか倒せないの? わたしの魔法じゃ、ああいう心のない敵の相手はきついのよ」
「うん。ただ、あの時も五英雄五人がかりであいつの動きを封じて、そのうえで『太陽』を使った攻撃で倒したからね」
この地底湖には、当然、日の光など届かない。
「太陽……アズラルの言うことが本当なら、『星辰』の力の源だったわよね?」
「ああ。それこそ、エリザぐらい『星辰』の力を自在に使えれば別なんだろうけど、俺には、『太陽』の力を借りずにあそこまで『純度』の高い星の力は使えそうもない」
それでもアルフレッドは、周囲に『星霊楯ラルヴァ』をレンズのように展開し、どうにか星の力を星霊剣に吸収しようと試みていた。しかし、全くと言っていいほど集まらない。ここは地の底であり、周囲の器物にも全くと言っていいほど、太陽光が当たったことはないのだ。
「きゃあ!」
すぐ近くに崩れてきた瓦礫に、カグヤが驚いて悲鳴を上げる。なおも激しいブレスを吐き続ける『新月の邪竜』を睨みつけ、アルフレッドは悔しげにうめく。
「くそ! このままじゃ……。俺は、今度こそ彼女を護り抜くと誓ったはずなのに……」
あの日の後悔。あの日の誓い。それこそが、アルフレッドの『星心克月』。
「今のはちょっと驚いただけよ! いいからあんたは集中して、あの化け物をやっつけてよ!」
隣から聞こえてくる、カグヤの声。自分がどうしても守りたいと願い、護りきれなかった、かつての少女の声。アルフレッドが手にした剣に、光が宿る。星霊剣レーヴァの黄金の刀身が、わずかに赤みを帯びていく。
「こ、これは……? 『太陽』もないのに……」
戸惑いながらも、アルフレッドは手にした剣に魔力を集中し続ける。そうしている間には、ブレス攻撃だけでは埒が明かないと考えたのか、波音を立てながらこちらへとその巨体を近づけてくる。近くで見れば、その姿はやはり、大きなトカゲをほうふつとさせるものだった。
「アルフレッド! 早く!」
「ああ、わかってる! 行くぞ!」
敵からのブレス攻撃が止んだことを知ったアルフレッドは、菱形の光でできた『星霊楯ラルヴァ』を階段のように目の前に展開すると、そこを駆け上がって跳躍し、大上段に『星霊剣レーヴァ』を振りかぶった。
「発動! 《心元日輪の星霊剣》!」
自らのうちにある『星辰』を源に、星の力を凝縮させた真紅の斬撃。それは『真月』の塊ともいうべき『邪竜』の脳天から腹の下までを一気に両断し、直後、すさまじい爆発を引き起こした。
「うわあああ!」
「きゃあああ!」
たまらず爆風に吹き飛ばされる二人。
「カグヤ!」
アルフレッドはどうにか受け身をとって立ち上がると、同じく吹き飛ばされて倒れているカグヤの元へと駆け寄っていく。
「カグヤ! 大丈夫か? く……怪我をしてる」
倒れたまま気絶したカグヤの頬には、一筋の血が流れている。アルフレッドはとっさに『白霊術』での治癒を施すが、そのさなか、別の声は響いた。
「……わたしの眠りを邪魔するのは……だれ?」
驚いて声のする方に目を向ければ、そこには、一人の幼女が座っている。質素な白い衣服をまとい、真紅の髪を伸び放題に伸ばしたまま、膝を抱えてうずくまるように座る幼女。その顔立ちこそ、正門前で出会ったルーナ・クライステラにそっくりではあったものの、その緋色の瞳には、彼女のような意志の光は感じられない。それどころか、感情の色さえ希薄な空虚さを漂わせている。
「き、君は……?」
腕の中のカグヤがどうにか正常に呼吸していることに安堵しながらも、アルフレッドは警戒を緩めず、幼女に問いかける。
すると、幼女が名乗った。
「……わたしは、ルーナ。わたしは月。『あのヒト』の牢獄に囚われて、誰とも会えず、誰とも話せず、無限の時を眠り続けるモノ」
「ルーナ? さっきの彼女と同じ名前? いや、彼女は確か……『もう一人の自分』と言っていたか……」
アルフレッドがそうつぶやくと、幼女ルーナは何かに気づいたように顔を上げた。
「うふふふふ……。クライステラ──わたしの『映し身』。自分勝手にわたしを閉じ込め、そのくせ、わたしを見てもくれない『あのヒト』への復讐の刃。《斬星の真影絶剣》」
くすくすと笑いながら、彼女はゆっくりと立ち上がる。気づけば、彼女の周囲にはいつの間にか、黄金の鉱石が大量に浮かび上がり、剣や槍などの形に姿を変えていた。
「そういえばあなたも……あの忌々しい『光』を見せてくれたわね? うふふ! なら手始めに、『あのヒト』によく似たあなたも……わたしが切り刻んであげる」
彼女は片手を振り上げる。すると、宙に浮かんだ黄金の武具の数々が、一斉にその切っ先をアルフレッドに向けてきた。しかし、アルフレッドにはどうすることもできない。先ほどの一撃で魔力の大半を使い果たしていることもあるが、カグヤを抱えたこの状態で戦うことなどできるはずもなかった。
「くそ! 結局、俺は……彼女を護れないのか! ちくしょう!」
自分の無力に怒りの声を上げるアルフレッド。
だが、無慈悲な黄金の光は、彼の叫びなどお構いなしに降り注ぐ。
その時──
「いいえ、あなたは随分頑張ってくれたわ。だから……ここから先は、『わたし』に任せてもらっていいわよ」
彼の腕の中で、気絶しているはずの彼女が言う。周囲に広がる濃密な闇は、物理と魔法を問わず、すべてを飲み込む《真の闇》だった。
次回「第134話 日輪と鏡月」