第132話 暗黒宮殿~屋上庭園~(下)
「……一度ならず二度までも邪魔をしてくれて」
《暗く愚かな闇の果て》の暗黒球体を炎の障壁でかろうじてガードしたルーナ。その憎々しげな緋色の瞳には、周囲に散らばる白い樹木の破片を踏み砕きつつ、全速力で駆け抜けてくるリゼルの姿が映っている。
「……発動、《暗愚なる王の剣》」
星心さえも騙しぬく、暗愚王の《星心黒月》。その力を剣の形に凝縮したこの魔法は、『斬られる』という結果そのものを星界に認めさせることで、空間ごと対象を斬断するものだ。
間合いはまだ遠い。しかし、リゼルは構わず、黒く歪んだ闇の剣を横薙ぎに振りぬいた。
対するルーナは、『心月の邪竜』から吸収した力を真紅に輝く盾に変え、自らの身体を隠すように構える。
「その名のとおりの愚か者ね。いかにあなたが『黒月』の力を有していても、空間操作にかけては、『心月』を超える力などありはしない!」
宙を走る漆黒の剣閃は、彼女の周囲の器物を上下二つに切り裂きこそしたものの、盾に隠れた彼女の身体はまったくの無傷だった。
「今からでも遅くはないわ。あなたも霊賢王や獄獣王のように、『世界の真実』にこうべを垂れなさい!」
ルーナは真紅の盾を肘にかけると、黄金の剣を片手にリゼルに迫る。
「発動! 《真影剣技:狂月の蛇影連斬》」
宙を走る剣閃の光は、無数に分かれてリゼルの元へと殺到していく。リゼルは《暗愚なる王の剣》でそれを防ぎつつ、後方に飛んで距離を取ろうとした。
しかし、光の筋はグニャリと曲がって長く伸びると、飛び退く彼女に追いすがり、その腕を、その足を、そしてその身体を次々と傷つけていく。
「真実を知らぬは、あなたの方だ」
リゼルは傷ついた身体を即座に回復させ、再び黒剣を構える。
「戯れ言を! 発動、《真影法術:狂月の色食絶空》」
しかし、ルーナの手から放たれた四色の光は、その黒い刀身めがけて吸い込まれるように突き進む。光はリゼルが反応する暇もなく彼女の剣に直撃し、暗愚王の力の結晶たる黒剣は、虫に食われたかのようにぼろぼろと崩れていく。
「あはは! 互いに反目しあうばかりの四月なんかに、このわたしが負けるわけがないでしょう? 貴方もその剣と同じように、無に帰してあげるわ!」
ルーナの叫びに呼応して、先ほどまで真紅の輝きを帯びていた彼女の盾が、先ほどの光と同じ、紅・蒼・黒・白の四色に染まっていく。
「くふふふ。《神代兵装:狂月の無明魔盾》」
緋色の瞳に狂気の光を宿しつつ、ルーナは左手に四色の盾を構え直し、その盾に添えるように黄金の剣の切っ先をリゼルに向けた。
「……発動、《漆黒の千本魔槍》」
小手調べとばかりに、リゼルが放つ千本の黒い槍。しかし、それらは案の定、ルーナの構える盾に直撃した途端、音もなく砂となって崩れていく。
「どうしたの? もう魔力切れかしら? 無理もないわね。『メイズフォレスト』は、わたしの手に落ちている。……『栄養失調の王』なんて笑い話にもならないわよ?」
ルーナは盾を構えたまま突き出した剣先から、真紅の光線をリゼルめがけて撃ち放った。
「く……!」
恐るべき威力を誇る光線が、すさまじい速度で次々と連射される。避けきれなかったものが頑丈な暗愚王の身体を削るように突き抜けていき、徐々に回復さえも追いつかなくなっていく。
「あははは! さっさと死ね! 消えろ! あんたなんか、あんたたちなんか! みんな死ねばいい! わたしを一人、『星の牢獄』に閉じ込めて、勝手気ままに『あのヒト』の愛を求めるあなたたちなんか、死んじゃえばいいんだ!」
「それは違う。四月はすべて、同じ月。その目的は同じものだ」
「うるさい! 何も知らない癖に! わたしの孤独を知ろうともしなかった奴らの眷属が、くだらない嘘を吐くな!」
まさに攻防一体となった戦い方をするルーナに、リゼルは反撃の糸口を探し続けている。『四色の力』を支配下に置く彼女は、リゼルにとって相当な難敵だった。
「ほら、ほら! どうしたの? もう終わりかしら? さっさとあんたを片付けて、わたしはあの二人を殺さなくちゃなんだから、早く死になさいよ!」
しぶとく耐え続けるリゼルに苛立ったのか、ルーナはそれまで極細の光線だった攻撃を、巨大な光の柱に変えて撃ち放つ。
しかし、所詮は怒りに任せて放った攻撃だ。収束率も低く、弾速でさえ先ほどよりも遅かった。リゼルは一部を魔法で防ぎつつ、大きく跳躍することでこれをあっさりと回避する。
「この『彼女』には、言葉は届かない。ならば、わたくしのするべきことは……」
リゼルは小さく独り言を言いながら、同じ庭園の中で始まったもう一組の戦いに目を向ける。
〈ヒィイイイ〉
奇妙な声を上げ、いびつな形の翼を広げるトカゲのような姿の『邪竜』。周囲の空気を帯電させるような凄まじい規模の『狂月』をまき散らし、その一部をルーナに送り込み続けている。
「エリザ! 僕の合図に合わせて攻撃を!」
「うん!」
ネザクは『魔王兵装:無月の天魔錫杖』を構え、その先端の輪に魔力を集中させていく。本来なら、星界全土に己の存在を刻んだ今のネザクには、あたり一帯を一瞬で焦土に変えるだけの力があるはずだった。
しかし、『邪竜』によって『ルナティック・ハイドレイン』の一部が妨げられ、また、彼自身が無数の『魔』を『ルナティック・ハイルール』で操り続けていることもあり、現時点では彼はそこまでの力を行使できない状況にある。
しかし、それでもなお、錫杖に集まる魔力は、災害級が裸足で逃げ出すレベルのものとなっていた。
「発動、《天魔法術:無月の呪縛邪法》」
解き放たれたネザクの魔力は、巨大な鎖に姿を変えて、翼を広げて飛び立とうとする『邪竜』の身体を縛り上げる。
〈ヒィイアァアァァ!〉
喉から人の魂を狂わせる悲鳴を上げて、地に叩きつけられる『邪竜』。
「エリザ! 今だ!」
「うん! 行っくぞー!」
エリザは紅水晶の刀身を有する《英雄兵装:斬月の降魔神剣》を手に、一直線に地に落ちた『邪竜』へと走り寄っていく。
「くらえ! 発動! 《降魔剣技:斬月の星心弧閃》」
一気に宙へと飛び上がり、身体を斜めに傾けながら回転させるように剣を振るうエリザ。彼女の身体の回転に遅れる形で放たれた弧を描く真紅の剣閃は、身体に巻き付く鎖を破壊しようともがく『邪竜』の身体に広範囲にわたって叩きつけられた。
〈ルィィィヒィイイ!〉
真っ赤に開いた傷口から狂気の煙を吐き出しながら、悶え苦しむ『心月の邪竜』。
これまで一切の攻撃を無効化してきた四色の鱗も、月を斬ることに特化したエリザの剣の前には、まるで歯が立たない。身体が両断されなかったのが不思議なくらいの深手だった。
しかし、『邪竜』は再び一声咆えると、身体にできた傷を見る間に回復させていく。体内に抱え込む数万の人間たちのほか、わずかながらも世界中から集めている『狂月』の力により、『邪竜』には無限の生命力があった。
「これはまともな戦い方じゃ、倒しきれないね……」
ネザクは何かを思案するようにつぶやきつつ、牽制の魔法を次々と『邪竜』に叩きこんでいた。
「くっそー! こんな奴にあんまり時間かけてるわけにはいかないのに!」
エリザは悔しげに言いながら、『邪竜』が放つ炎や雷を盾で弾き、剣で斬り裂いている。
そんな二人の戦いを横目で確認しつつ、リゼルは決意も新たにルーナを睨む。
「よそ見をしている場合? 心配するだけ無駄よ! 『あの子』は不死身にして無敵の存在。あの二人たちが勝てる見込みは万に一つもありはしない」
しかし、ルーナの言葉にリゼルは大きく首を振る。
「わたくしは、任された。だから、あなたは……わたくしが抑える!」
リゼルが鋭く叫んだ直後、ルーナの背後に出現した漆黒の球体。これこそが盾の死角を突くことで彼女の防御を突破するべく、影を通して送り込んだリゼルの切り札だった。
「背後? く!」
ルーナは身を捻ってかわそうとするが、間に合わない。
「……発動、《暗く愚かな永劫の闇》」
暗界第三階位による補充も効かず、自身の力だけで『真月』を取り込み続けるしかできないリゼルは、この魔法に己の力の大半を注ぎ込んでいた。否、すべてと言い換えても過言ではない。一歩間違えれば、『星心』の抱く闇を覗くことで、どうにか顕現を続けてこれている彼女自身が送還されてしまう恐れさえあった。
「うあああああ!」
『メイズフォレスト』の生み出した漆黒の石床ごと、黒い乱流に飲み込まれていくルーナ。真紅の髪、四色の盾、そして黄金の剣の輝きまでもが黒く塗りつぶされていく。そして、最後に残されたのは、どこまでも深い闇がわだかまるブラックホールだけだった。
「……く」
最後の力を使い果たしたリゼルは、苦しげに一つうめくと、ゆっくりと床に膝をつく。
だが、その直後だった。
「うあ!」
背後から放たれた真紅の炎が、リゼルの背中を焼き払う。灼熱の炎に押されるように前へと飛び離れ、振り向いた彼女の目に飛び込んできたのは、ゆっくりと漆黒の床から這い出てくるルーナの赤い髪だった。
「今のは危なかったわね。でも、何度も言うけれど『心象暗景メイズフォレスト』がわたしの手にある限り、あなたは絶対にわたしに勝てないわ」
身に纏うぼろぼろの軍服を手で直しつつ、唇の血を舐めとってみせるルーナ。満身創痍に見えなくもないが、時間がたてば『邪竜』からの力の供給により、回復してしまうだろう。
「さあ、思い残すことはないかしら? このまま送還なんて、させてあげないわ。今この場で、あなた自身を滅ぼしてあげる」
リゼルが力を使い果たしたことを知ったルーナは、手にした剣をゆっくりと彼女の喉元に突きつける。
リゼルもまた、背中に受けた傷を治す余力もないままに、万策尽きて動くこともできないでいた。
しかし、その時──
「発動、《森羅万象の因数分解》」
リゼルの足元から、聞きなれた少年の声が響く。と同時、剣を振り上げたルーナの前で、リゼルの身体が消失する。──否、正確には落下していた。よりにもよってこのタイミングで、この場所の床に穴が開く。
それは、一人の少年が持つ天性の才能によるものだった。
誰もが羨まないその才能──『性質の悪い特異体質』を持つ少年、ルーファス・クラスタ。
「よし、これで屋上に出られそうだ……っと、むお!」
屋上庭園の真下にある部屋で、ルーファスがいきなり落ちてきた少女の身体に押しつぶされる。
「え? リゼル?」
その隣では、リリアが驚きの声を上げている。
「……リリア」
いきなり足元の床が消失し、一階層下に落ちたリゼルではあったが、そこはさすがに『第二階位』だけのことはある。特に怪我を負うこともなく、平然と『座り込んだ』ままの姿勢でリリアを見上げていた。
ちなみに、彼女が女の子座りの体勢で尻の下に敷いているのは、ルーファスの顔だった。
「……って、ちょっと! リゼル、早く退きなさいよ!」
それに気づいたリリアが顔を赤くしながら、リゼルが立ち上がるのに協力してやる。すつとその下ではルーファスが、何が起きたのかわからないといった顔で呻いていた。
「な、なんだ? 今のは……何やら柔らかい感触が……」
「うるさい! この変態!」
『何もこんな時にまで』との思いからか、リリアは口汚くルーファスを罵り、そして、ようやくリゼルの状態に気付く。
「あなた、大丈夫? 酷い怪我じゃない! ルーファス? 何をしていますの? 早く治療を!」
早口でまくしたてるリリアに、ルーファスは大きくため息を吐く。
「……何をと言われても、『何もそこまで言わなくとも』と落ち込んでいただけだが……いや、すまん。すぐに取り掛かろう。……発動、《癒しの精霊光》」
ルーファスの魔法により、リゼルの背中の火傷が治癒されていく。
その間、リリアは頭上に空いた穴を見上げていた。
「あら、ルーナ。また会ったわね? 懲りずに心臓を刺し貫かれたくて、待っていてくれたのかしら?」
「……リリア。霊賢王どもも、大して役には立たなかったってわけね」
苦々しげにリリアを見下ろしたまま、吐き捨てるように言うルーナ。リリアたちは『霊賢王』を撃破してすぐ、謁見の間の奥にある部屋に向かった。しかし、そこには屋上への階段がなく、ルーファスが天井を破壊するべく『分解魔法』を使ったのだった。
「でも、今さらあなたたちが来ても手遅れよ。ここにいる『わたし』は、あの時の『影』とは違う。あなたの『限りなく澄んだ月の牙』への対抗策も既にある。……それに、もはや暗愚王はすべての力を使い果たしているわ。送還自体、時間の問題でしょうね」
勝ち誇ったように笑うルーナ。しかし、リリアは凛とした顔で彼女を見上げ、力強く宣言する。
「おしゃべりな女ね。それに、勘違いも甚だしいわ。……わたしのこの『月の牙』の本来の使い道はね……『これ』なのよ」
いつの間にか、彼女の手には限りなく透明な蒼い霊剣が握られている。そしてその切っ先は、リゼルの胸を刺し貫いていたのだった。
次回「第133話 暗黒宮殿~地底湖~」