第14話 少年魔王と国王陛下(下)
その日、王城内のとある一室に、奇妙なオブジェが出現していた。
その第一発見者となったのは、誰あろうルカだった。魔王一行のメイドである彼女は、習い性となっているのか、自ら城内の掃除を買って出ていた。元からの城の使用人たちは恐縮しきりであり、ルカとしては仕事がやりづらい部分もあったのだが、この日ばかりは自分がやっておいてよかったと胸を撫で下ろした。
そこは小会議室として使われる部屋である。その中央には会議用テーブルが置かれているのだが、今はなぜか、その上に高く積み上げられた物体がある。
「……に、人間よね? これ?」
多少のことでは動じなくなりつつあるルカも、これには驚いた。積まれているのは人間だ。恐らくは五、六人の人間。恐ろしく複雑に入り組んだ形状に手足が組み合わされている。一部は関節が外れているんじゃないかと思えるような有様だった。
ちらりと視線を脇に向けると、案の定、そこには癖のない闇色の髪を肩まで伸ばした美女がいる。彼女は何故か、男物の服に前掛けを付けたような恰好をしていた。
「……これは、リゼル様がやったんですか?」
どうにか、その質問だけを口にするルカ。
「これは、わたくしの傑作」
頷くリゼル。だが、ルカには相変わらず意味が分からない。最初は、これも何かのダジャレなのだろうかと考えないでもなかったが、とてもそうは思えない。今までのような、ある種の『分かりやすさ』がないのだ。
「えっと、これは何の意味があるんでしょうか?」
「お師匠さまには、わからないか?」
紫紺の闇を宿すクールな瞳には、残念そうな光。そんな目をされても、わからないものはわからない。
「いや、さすがにちょっと……」
「作品番号:九千七百八十六番。タイトル『頑張ったけど、ぐっちゃぐちゃ』」
美しく透き通った女性の声で語られる、芸術作品らしきもののタイトル。ルカは、頭を抱えそうになった。今の言葉だけでも、色々と推測ができてしまったのだ。正直、どれひとつとして事実であってほしくない推測だが、少なくとも、そのうちの一つは正解だろう。
──こういう時の、自分の賢しさが嫌になるルカである。
「……ちなみに、九千七百八十五番のタイトルをお聞きしても?」
こめかみを押さえながら問いかけるルカに、こくりと頷く秀麗な顔立ちの美女。
「タイトル:『努力したけど、めっちゃくちゃ』」
「いちばんダメなパターンじゃないですか! 『違うといいな。そうだったら最悪だな』を、地で行くのは止めてください! ……っていうか、そのパターンで九千七百八十六個あるんだったら、却ってすごいんですけど!?」
ルカは思わず、相手への敬意をかなぐり捨てて叫ぶ。だが、リゼルは表情一つ変えず、胸を張ったまま誇らしげに立っている。
「で、でも、なんでこんなものを? ネザク様に笑ってもらうための物には見えませんけど……」
気を取り直して尋ねるルカに、リゼルは首を傾げる。闇色の髪がさらりと流れる。
「これは、わたくしの趣味」
「はう……。多分そうかなーって思いましたけど、そういうことじゃなくてですね……」
ルカは頭痛をこらえるように根気よく問いただす。
「この人たちはどうしたんですか?」
「……ネザクを毒殺したいらしい」
「ど、どくさつ!?」
思わず声が大きくなってしまった。リゼルの言葉は相変わらずわかりづらいが、彼らはここで弑逆(?)の謀議を行っていたということらしい。だとすれば自業自得と言うことにはなるのだが──
ルカは改めて男たちのオブジェを見上げる。
「相手が悪かったですね……」
自分の主君を毒殺しようとしていた相手とはいえ、あまりに気の毒な姿だ。命こそあるようだが、息も絶え絶えといった有り様である。
「お師匠さま」
「あ、はい。なんでしょう?」
お師匠さまと呼ばれて反射的に返事してしまう自分に、既に疑問すら持てないでいるルカだった。
「改めて問おう。わたくしの傑作、どうだろう?」
どうだろうと言われても、わかるわけがない。
「……えっと、その、……だいたいタイトルが『頑張ったけど、ぐっちゃぐちゃ』って時点で、傑作じゃなくて失敗作ですよね?」
ルカとしては、ツッコミを入れたつもりである。いつもなら、ここでリゼルから尊敬のまなざしと共に拍手が返ってくるはずだった。
しかし今回は──
「なんと……そんな、馬鹿な……」
この世の終わりとでもいうような顔で紫紺の目を見開き、後ずさる。先ほどまでの無表情ぶりが、嘘のような豹変の仕方だった。
「あれ? えっと、リゼル様?」
「そんなはずはない。む、そうか。ここだな? ここがいけないのだな? 確かにわたくしも、気に入らない箇所だった」
そう言ってリゼルは、積み上がった男たちのオブジェ──その中ほどにある一人の首を掴み、グキリと曲げようとする。
「わわわ! 駄目ですって! 死んじゃいますよ!」
「しかし、それならどうすれば」
「どうすればもなにも……」
返せる答えなどあるはずがない。だが、考えている暇はなかった。
「そうだ。このパーツを取り外して、こちらと入れ替えればよい」
「それ腕です! 力業で引き抜こうとしちゃダメ! ああ、そっちは脚……!」
目の前で血みどろのオブジェが完成するのだけは、なんとしても阻止しなければならない。ルカは慌てて彼女を止めに入るのだった。
──その後。
エリックは、ルカに泣きつかれて向かった先で、魔王暗殺を企んでいたという男たちを発見した。リゼルの恨みがましげな視線に耐えながら、どうにか絡み合うオブジェを解いて捕縛し、事の次第を報告するべく、気絶したままの彼らを謁見の間へと『運搬』する。
「魔王陛下。反逆者どもを連行いたしました」
この城に来て以来、公の場においてエリックはネザク少年を魔王陛下と呼ぶようにしていた。この威厳のない少年魔王に、少しでも箔をつけてやろうという涙ぐましい努力の1つだ。
だが、そんなネザクは……
「あ、うん。ありがと」
なぜか額にハチマキを着けていた。気の抜けた顔で玉座に座り、時折額に手をやっている。威厳もへったくれもあったものではなかった。
「リゼル様によれば、この者たちは魔王陛下の毒殺を企んでいたとのことですが……」
ひくひくと引きつる顔の筋肉を制御しつつ、エリックは報告を続けようとする。だが、それを遮ったのは、ネザクの座る玉座の後ろから彼のハチマキにちょっかいを出していたカグヤだった。
「関係者に聞いた方が早いんじゃないかしら? ……ねえ王様、このひとたち、知ってる?」
彼女の視線は斜め下。ネザクの座る玉座より一段低い場所に設けられた即席の玉座に座る人物へと向けられていた。
国王ダライア二世。もとより国への忠誠心など大して持ち合わせていなかったエリックとはいえ、元の主君ともいうべき人を前に緊張を隠せない。カグヤのあまりに気安い物言いは、エリックの心臓に大きな負担をかけていた。
「魔女め……言葉遣いを考えろ」
聞こえないように口中でぼそりとつぶやく。
一方、問いかけられた国王はと言えば、苦い顔をして連行された六人を見る。
「弟の取り巻き連中だな。おおかた俺の代わりに弟を王に据えるための謀略だったのだろう」
吐き捨てるように言う。彼と弟は仲が良くなかったようだ。
「ふーん。つまり、あなたの差し金ではないってこと?」
カグヤの声は無感情なようでいて、冷たい。
「ああ」
「それを信じろと言うのかしら?」
なおも無感情なカグヤの言葉。
「わたしはね。ネザクを毒殺しようだなんて奴、許せないの。それに少しでも関わった奴がいれば、全員同罪よ?」
カグヤはそう言うと、気絶したまま床に転がる六人の元へと近づいていく。そして、そのうちの一人の傍に屈みこむ。つまらなそうな顔をして、汚いモノにでも触るように、男の頭に指を触れる。
「発動《黒の夢》、発動《腐る屍》、発動《根の恐怖》」
カグヤが一言、また一言と口にするたびに、男の身体がビクビクと痙攣する。
「な、なにをしてるんだ?」
突然の出来事に、戸惑い気味の声で尋ねるエリック。
「ん? ああ、心を壊しているのよ」
「黒魔術か……」
エリックは嫌そうに顔をしかめる。世間一般において、闇と人の心を支配する黒魔術は、忌避の対象となっている。エリックも多少は慣れたとはいえ、面と向かって『人の心を壊している』などと言われれば、平静ではいられない。
「うん。こんなものね。……発動《闇蜘蛛の糸》」
最後にカグヤが発動した黒魔術により、男は目を覚ます。
「オハヨウゴザイマス、かぐやサマ」
抑揚がなく、一言一言がはっきりし過ぎている発音。それだけでも彼が正常な状態にないことはわかった。
「うん。上出来ね」
満足そうなカグヤ。
「なにをしたんだ?」
聞きたくはないが、訊かねばなるまい。エリックとしては、反乱分子の処遇方法は確認しておくべき事項だ。
「文字通りの操り人形よ。わたしの言うことなら何でも聞く状態になったってわけ。でも、ここまで支配を深くするには、元の心を壊した上で、直接触って術をかけないと駄目なのよ。あーあ、面倒ね。あと五人もやらなきゃだなんて」
カグヤは言いながら、次の男へと近づいていく。
「……この魔女だけは敵にまわしたくないな」
エリックは背筋に感じる寒気をこらえながら、深々と息を吐いた。普段の言動に騙されてしまいがちだが、彼女は見た目ほど可愛い存在ではない。
腹黒くて冷酷で、愉快犯にして確信犯。かてて加えて──
「……やっぱり、めんどくさい。後はエリック。適当に処理して」
「気が変わるのが早すぎだろ……」
彼女の気まぐれぶりもまた、健在のようだった。
「まあ、そんなことより、問題は王様よね。どうなの? 実際のところ、ネザクを暗殺して利益を得られるのは、あなたも同じだと思うのだけど? ……本当にこの連中と関係ないのかしら?」
カグヤは、先ほど人の心を壊した手を掲げて見せながら、国王に問いかける。常人なら震え上がらんばかりの場面だ。しかし、当の国王はと言えば、まったく動じた様子もない。
「……信じられぬのなら、信じなければいい。俺の生殺与奪を握っているのは貴様たちなのだからな」
そんな投げやりな言葉まで、吐いてみせる。
魔王ネザクによる占領当日。巨大な魔獣により城壁が破壊され、守備兵たちが雷をまとった『魔』によって無力化された。頼みの親衛騎士団は、蒼い亡霊騎士によって一刀のもとに切り捨てられた。最後に、黒の魔女が怪しげな術でこちらの身体の自由を奪い、にこやかに笑いながらナイフの刃を喉元に突きつけてきた時点で、彼は全てをかなぐり捨てた。
理不尽すぎる力を前にして、諦めの道を選ぶしかなかった。すでに己の命でさえ、どうでもよいと思えるほどに。
「あらあら、すっかりいじけちゃったのね」
「なんだと?」
屈辱的な言葉に、国王の胸に怒りがたぎる。彼はごく平和に国を統治してきた。大きな諍いもなく、災害に見舞われることもない国を、自分なりに発展させてきたという自負があった。
しかし、この魔女どもは自分の城へずかずかと土足で上がり込み、有無を言わさぬ力で服従を誓わせ、屈辱的な宣言までさせたのだ。怒りを抱くなという方が無理だった。
「ふうん。ちゃんと怒れるんじゃない。あっさり降参しちゃった挙句、随分と大人しいから心配したわ」
「どういう意味だ?」
「だって、わたしたちには、国の統治の仕方なんてわからないのよ? あなたがしっかりしてくれなくちゃ、困るのよ」
その言葉に、国王は初めて違和感を覚える。暫定的な統治者。あの御触れでは、そう宣言させられた。彼はそれを魔王の支配がはじまるまでの一時的なものだと捉えていたのだが、彼女の口ぶりには違うニュアンスが含まれているように思える。
「魔王は……この国を統治する気がないのか?」
カグヤへの問いかけのつもりだったが、ちょうど本人に呼びかけた形になってしまったらしい。ネザクが目をぱちくりさせている。
「ん? あ、えっと、そうだよ。統治なんて素人の僕にできるわけないしね。だから、ダライアさんには、引き続き王様としてこの国の統治をお願いしたいんだけど」
「……目的がわからない。ならばお前たちは何のために……」
「世界征服だよ。これから先、こうやって次々と国を占領して、僕が支配者ですって宣言する。世界全部の国でそれをすれば、世界征服したことになるんじゃないかと思ってさ」
ほとんどカグヤの受け売りだけどね──と、ネザクは補足するように言う。
──国王は、盛大に天を仰いだ。
「世界征服だと? 馬鹿げている。子供のたわごとだ。そんなことができるわけが……」
「かもね。でも面白そうだと思ったんだ。最初はカグヤに唆されただけだけど、やってみると意外に楽しい。いろんな人とも知り合いになれるしね」
国王は、そこで初めて気づく。彼は今まで、召喚された『魔』の存在や黒の魔女ばかりに気を取られていた。しかし、その中心にいるのは、この少年なのだ。
こともなげに荒唐無稽な夢を語る彼は『少年』だ。『魔王』などという言葉に振り回されていたが、彼のもっとも恐るべきところは、その点なのだ。
──それは、無限の可能性を秘めたモノ。恐れを知らず、退くことを知らず、『できるか、できないか』ではなく、『やりたいか、やりたくないか』で己の行動を律する存在。
彼は、魔王ではなく少年であるがゆえに、無意識にして無邪気なる支配者なのだ。
「……わかった。俺はお前を『支配者』と認めよう。そのうえで、この国は俺が統治する」
国王は言った。ネザクは笑みを浮かべる。
「うん。よろしく。……あ、でも、もう一つお願いがあるんだけど」
「なんだ?」
「エレナがもう少しお淑やかになるように、躾けてあげてくれないかな? 父親でしょ?」
困ったような顔で言うネザクは、まだ気になるのか、自分の額に手を当てている。国王は小刻みに身体を震わす。どうにも抑えられそうにない。だが、もはや我慢する必要はないのかもしれない。
「ふはははは! まあ……悪いが、あの子は俺の手には負えそうにないぞ」
国王は、腹の底から湧きあがる感情を笑いと共に吐き出した。
次回「第15話 英雄少女と学外研修(上)」




