『ルーナ』~くらいセカイでただヒトリ
遥かなる太古。自身の憧れに四肢を裂かれ、『四神』と化した『ソレ』は、そのまま元の姿に戻ることは無かった。悠久の時の中にあって、無限の命と無限の力を有する『ソレ』がなぜ、元の形を取り戻せなかったのか?
それは、『心の臓』が奪われて、四神の手の及ばぬものとなってしまったからだった。
星心障壁──『憧れの星』が放つまばゆい烈光は、『心月』を囲い込み、その表面を星そのものに染めあげていた。
しかし、力の源にして力の中心たる『心月』を失った四神たちは、執念の末に『障壁』に開いた穴を見つける。『禁月日』と呼ばれる特定周期に開く穴。彼らは残る力を『牙』に変え、穴を穿って星に染まった『心月の地』に突き立てた。
真月回収機構──『月の牙』によって、『四神』は力を取り戻し、『四月』となった。しかし、『憧れ』にはまだ足りない。四月は相争うように『魔』を生み出し、『憧れの星』の光に己の色を注ぎ込む。
「『四月』は……わたしを『代用品』としてしか見ていない。支配の蒼、情念の黒、闘争の紅、同化の白。わたしの心ではなく、星に染まったわたしの一部に、『あのヒト』の影を見ているだけ」
邪竜によって飲み干され、荒野と化したエクリプス王城の跡地。軍服の上着にスカートをはいた一人の女性が、静かに眠る邪竜の背の上に立ち、ぼんやりと空を見上げている。
「『あのヒト』も……わたしを囲い、わたしに孤独を与えながら、決してわたしの『深奥』には触れてくれない。……誰も彼も、わたしを真の意味で求めてくれるものなどいない」
彼女──ルーナが見上げる先には、月のない夜空がある。この日は、『白季』の第20日目だった。星界においては、禁月日から一週間が経過した日には、空に月が昇らない『新月』が訪れる。
「新月。月のない空こそが……わたしの影が映るキャンバス」
真紅の髪を風になびかせ、ルーナはゆっくりと空に手をかざす。
「わたしに向かって手を伸ばしてくれたのは……『月の牙』。あなたたちだけよ」
つぶやきながら、ルーナは視線を下へと向ける。巨大な体躯を丸めたまま、眠りについた『心月の邪竜』。その周囲には、ゆらゆらと揺れる三つの影がある。第一階位の神を除けば、世界でも最古と言うべき『魔』──各月界第三階位の『月の牙』。
暗界の『黒き牙』、心象暗景メイズフォレスト。
獄界の『紅き牙』、演武魔獄ブレイヴプリズン。
幻界の『白き牙』、神霊幻木エルシャリア。
黒と紅と白の影。星界から『真月』を吸い上げ、『四月』に供給する役割を担う彼らは、自らの伸ばした手の先にいた『彼女』に触れて、『彼女』の孤独に呼応した。
「うふふ! 悠久の時を経て、ようやくあなたたちは、わたしの元に集ってくれた。ブルーブラッドのことは残念だけれど、今はもう、あなたたちがいてくれれば十分よ」
そう言って、ルーナが腕を振った途端、三つの影に変化が現れる。わずかではあるが影そのものが振動しはじめていた。
「うふふ! ……そうね。最後の宴ですもの。盛大に執り行いましょう。この世の終わりを迎えるにふさわしい城を築き、王を並べ、臣下を揃えて、彼らが来るのを待ちましょうか」
最初に大きな動きを見せたのは、黒い影だった。ゆらりと揺れながら地面に沈み込んだかと思うと、薄く広く延ばされるように大地の上を覆っていく。
そうして形成された『黒い水面』の中からは、闇そのものを固めたかのような黒い鉱物が次々と浮かび上がってきた。それらはやがて、見えざる巨人に操られるかのように基礎の石組みとなり、柱が造られ、外壁が積み上げられて、徐々に建造物の形を成していく。
ルーナと邪竜の姿は、せり上がる地面に乗って上昇しながら、周囲に積まれる漆黒の石材によって覆い尽くされていった。
そしてそのまま、人知を超えた不可思議な現象はしばらく続き、最後に姿を現したのは、天を突き刺す尖塔を備えた漆黒の城だった。
すべてが飲み込まれ、更地と化していたエクリプス王城の跡地には、今やかつての城とは比較にならない威容を誇る、禍々しい悪夢の宮殿が出現している。
「……素敵だわ。それでは、貴方の名前にちなんで、こう名付けましょう──『暗黒宮殿メイズパレス』」
宮殿の五階部分、最上階の一フロアを完全にぶち抜いた広大な広間。その中央におかれた漆黒の玉座に腰を下ろし、ルーナは一人、呟き続ける。
続いて変化を見せたのは、赤い影だ。ルーナが見つめる目の前で、その影は徐々に人型へと集束していく。やがて、眠る邪竜と玉座に座るルーナを除き、誰もいなかったはずの広間には、新たな人物の声が響く。
〈ああ? なんだ? ここは……〉
一本角を生やした巨大な獣人。彼は不思議そうに周囲の景色を見渡している。
「ようこそ、獄獣王グランアスラ。……あなたはエリザとの戦いのとき、わたしの有する記憶の一部に触れてくれたわ。だから、わたしはあなたを歓迎する」
〈歓迎? ……ふん。俺は確か、エリザにやられて……〉
敗北の瞬間を思い出したのか、グランアスラは悔しげに顔を歪める。
「仕方がないわ。『斬月の御子』は、文字どおり『星辰』が持つ『月を斬り裂く力』に特化した能力を有している。『四月』が彼女に勝つには、『月』としての自分を偽り、同化するぐらいしか手は無いでしょうね」
〈ちっ! バトルの敗北に言い訳はいらねえよ。だが、未だに信じられねえな。俺は本当に蘇ったのか? あの時は、本気で死んだと思ったんだがな〉
「ええ。……本来なら『斬月の御子』の本気の攻撃を受ければ、仮初の意識が受けたダメージは『星心障壁』を超えて月界にある本体にも及ぶ。……あなたを守護する『ブレイヴプリズン』が無ければ、今頃あなたは消滅しているでしょうね」
〈……そうか。ようやく合点がいったぜ。その『守護』とやらは、てめえの差し金だったってわけか? なら、てめえは俺に何を望む? 『心月』よ〉
「うふふ。見かけによらず、頭がいいのね。わたしが何者なのか、わかっているのなら話が早いわ。……簡単よ。今から10日後、この城にエリザたちが来る。あなたには、彼女たちと戦ってもらう」
〈ぐははは! そいつは願ってもねえ! 今度こそ、俺が勝ってやるぜ!〉
全身に岩の鎧を貼りつけた紅月の王は、天井に頭が着かんばかりの巨躯を揺らし、げらげらと笑う。
最後に残ったのは、白き影。唯一姿を変えることもなく、ゆらゆらと揺らぐそれは、何かに怯えているように見えた。ルーナはそれを見つめ、小さくつぶやく。
「……自らを『歪んだ星』に同化するだなんて、本当に愚かな白。でも、エルシャリア。たとえどんな理由であれ、あなたがわたしの孤独に手を伸ばしてくれたことを、わたしは決して忘れない。……だから、あなたにも役割を与えてあげる」
玉座で足を組んだまま、ルーナは白影に手をかざした。すると、歓喜に打ち震えるように影が揺らぎ、やがて……玉座の背後に城全体を縦に貫く巨大な白い柱が出現した。
染みひとつない滑らかな柱の表面には、無数の泡が小さく沸き立ち、やがてそれは、ボコリと膨らんで何かを吐き出す。
「白月の異兵──幻樹王ティアマリベルの眷属たち。あなたたちには、この暗黒宮殿の衛兵役でも担ってもらおうかしら? 一夜限りの人形劇。でも、だからこそ、キャストは多い方がいいでしょう?」
玉座の背後で生まれゆく兵士たちは、共通した特徴を有している。彼らは皆、皮膚や髪の毛は愚か、眼球の虹彩に至るまでのすべてが白い。そのためか、不気味極まりない人形が整然と並んでいるようにさえ見えるのだが、唯一、各人の装備だけが異なっている。
漆黒の鎧や槍、剣や盾と言った装備品は、どうやら衛兵や騎士、その他の役回りに応じたものとなっているらしい。白い人間が黒い装備を身に纏い、一糸乱れぬ立ち姿で広大な広間に並んでいく様は、ある意味では壮観ともいえる光景だった。
実際には、白い柱は下の階層の部屋にも露出しているはずであり、同様に次々と異形の兵士が姿を現し、城内の至る所を徘徊し始めていた。
「これで三つ。けれど、せっかくの宴ですもの。きっちり、四色を並べましょうか」
ルーナは背後に手を回し、白い柱に腕を差し込む。ぼこぼこと波打つ表面にずぶりと刺さった彼女の腕は、何かを探るように動いた後、目当てのものを引き摺り出した。
〈ぬ、ぐ……うう〉
ぼとりと床に落ちたソレは、うめきながらもゆっくりと身を起こす。蒼い短髪に金に輝く瞳を持った若者だった。
頭を振って意識を覚醒させた彼は、玉座に座るルーナに鋭い目を向ける。蒼いローブに身を包み、威厳と覇気を備えた青年。生まれながらの支配者である彼にとって、自分以外の存在が『玉座』にあるのは許しがたいことである。
しかし、ルーナは玉座に腰かけたまま、組んだ足を解こうともせず、彼に向かって嫣然と微笑みかける。
「ようこそ。霊賢王ミナレスハイド。わたしはあなたを歓迎するわ」
〈……な、なんだ? お前は一体……〉
怪しく輝く緋色の瞳に見つめられ、ミナレスハイドは戸惑ったような声を出す。この時点で、彼の中からは、彼女が玉座に座ることへの違和感が消えている。
「わたし? わたしは、ルーナ・クライステラ。くらいセカイでただヒトリ……孤独に膝を抱え、本当の自分に戻る日を夢に見続けているモノ──その『映し身』と言ったところね」
抽象的なルーナの言葉に、霊賢王はすぐに気付く。彼女こそ、自分が望んだ存在なのだということに。
〈……はは! ふははは! まさか、まさか、このような形で、『真月』に還ることのできる日が来ようとは!〉
「御霊導く賢なる王よ。わたしはちゃんと見ていたわ。あなたが『染色』の呪縛を自ら打ち破り、『在るべき月の姿』を目指して戦い続けてくれていたことを」
慈愛に満ちた声で呼びかけるルーナに、霊賢王は自然と膝を着いていた。
〈当然です。我らは本来、『真月』であるべきなのです。不完全な現状を良しとし、あまつさえ自己満足の『染色』にふける神々など、信じるに足る存在ではない。……して、『心月』よ。あなたはわたしに、何を与えてくださるのでしょうな?〉
膝を着きながらも、ミナレスハイドは支配的な声音でルーナに問いかける。それに対し、ルーナは気分を害した様子もなく、その笑みを更に深くした。
「正しい世界をあげる。……『星辰』を超えるために、わたしはこの星界に生きる『子どもたち』の狂気を集めた。今や全世界に広がった『狂気の嵐』は、わたしに無限の力を与えてくれる。後はただ、わたしの力の吸収を妨げる『無月の魔王』を滅ぼすだけよ」
〈無月の魔王……ははは! そうか! わたしに屈辱を味あわせてくれた、あの小僧か! くはははは! それはいい。このミナレスハイド。正しき世界の実現のため、そして、あの小僧を血祭りに上げるべく、存分にこの力を振るいましょうぞ!〉
「ええ。頑張ってね。……ことが終われば『星心障壁』など、わたしにまとわりつく歪んだ星界ごとすべて、吹き飛ばしてやるわ」
ルーナの声に、一段と強い憎悪の念が籠る。すると、それに呼応するかのように、玉座の傍らで眠りについていた『心月の邪竜』が目を覚ました。
〈ヒィィィィン!〉
顎を持ち上げ、鋭い牙が並ぶ口を開いた邪竜は、咆哮とも悲鳴ともいえない音を発する。聞く者の心をざわつかせ、不安と恐怖をあおる音。もし、この場にまともな精神を持つ人間がいたとすれば、数秒ともたずに発狂してしまっていただろう。
「あら、いい子ね。……あなたの中の『子どもたち』も、いい声で哭いてくれているのね?」
玉座に座るルーナは、自分の傍まで顔を寄せてきた『邪竜』の鼻先を愛おしげに撫でる。実のところ、ルーナが地下奥深くで精製した『心月の魔石』から生み出されたこの『邪竜』は、彼女にとって愛しい息子も同然の存在だった。
ましてや、その『息子』は、異空間を形成する腹の中に数万人の人間たちを生きたまま飲み込み、生かさず殺さず発狂させ続けることで、ルーナに流れる『狂月』の力を増幅させ続けているのだ。
「大丈夫よ。可愛い貴方にも、ちゃんと出番はあるから。そのために十日後にしたのだもの。きっと彼らなら、準備万端整えて、仲間を揃えて来てくれるわ」
言いながら、座っていた玉座から立ち上がるルーナ。軍服の腰にくくりつけられた鞘から、優美な黄金の剣──《神代兵装:狂月の真影絶剣》を抜き放つ。
「うふふ! あと十日間もあれば、この星界を滅ぼすに足る『狂月』を集めるには十分ね。そうなれば、後は仕上げを持つばかり……いまや星界で知らぬ者のいない魔王と英雄たちが無惨に敗れるその姿は、きっと更なる絶望と『狂気』を生んでくれるでしょう」
歌うような声で笑いながら、彼女が振るった剣の周囲には、禍々しい真紅の炎が踊り狂っていた。
第2部第5章最終話です。
次回、登場人物紹介を挟んで第2部最終章となります