第126話 少年少女と狂月の孤独(下)
舞台上で抱きしめあう二人。颯爽と現れたダークエルフの美少年が、醜い怪物に純潔を穢されかけていた麗しき姫君を鮮やかに救い出した。
会場中の誰もが、そんな光景に胸を熱くしていた。そして、一瞬の静寂の後、大歓声が巻き起こる。それまでとは打って変わった異様な興奮に包まれた会場の中にあって、舞台の脇でそれを見つめる白髪の少女ルヴィナは、なぜか頬を引きつらせていた。
「ルヴィナ先輩? どうしたんですか?」
ようやく硬直状態から解放され、身体をほぐしていたエドガーが、そんな彼女の様子に気づいて声をかける。するとルヴィナは、呆れたように首を振ってみせた。
「いえね? もうね? なんていうか……ルーファス先輩のあの『タイミング』って、本当に天性のものなのかもしれないと思って……」
信仰の対象たるリリアを救ったルーファスは、プラグマ伯爵領の民衆たちから見れば最高の『英雄』だ。そして、リリアのルーファスに対する態度を見る限り、このことは『伯爵領の未来』にも多大な影響を与えるはずだった。
そもそも伯爵家の手からリリアを救い出し、これまでのプラグマ伯爵の所業を公にするにしても、その後が問題だとルヴィナは考えていた。『吸血の姫』を崇め称える民衆たちは、リリアの結婚相手がどこの馬の骨とも知れぬ人間になることには、猛反発するだろうからだ。
しかし、今回の件によって、そんな問題も解決してしまいかねなかった。
「……本当、どこまでも性質が悪い先輩だわ」
「でも、今回ばかりは間が『良かった』ってことじゃないですか?」
ようやくルヴィナの言わんとしていることを理解したエドガーがそう訊くが、ルヴィナは首を振る。
「それはそうなんだけど……『伯爵家』とあの赤毛の彼女には『最悪のタイミング』だったと思うわよ?」
「なるほど……」
納得したように頷くエドガー。二人は金縛りから脱し、どうにか自分の身体が十全に動けそうなことを確認すると、勢いに任せて舞台上へと飛び乗った。
「それ!」
「よっと!」
一瞬遅れて、ネザクとエリザの二人もまた、一足飛びに舞台の上に着地を決めている。
「エリザ! みんな!」
ルーファスから身体を離し、集まってきた特殊クラスの面々に向き直るリリア。
「リリア! 大丈夫? 怪我とかしてない?」
素早くリリアに駆け寄ったエリザは、彼女の身体を抱きしめながら心配の言葉を口にする。
「ええ。大丈夫よ。……ありがとう。助けに来てくれて」
親友の身体を優しく抱きしめ返しながら、リリアは安心したように大きく息を吐く。
「でも、良かったねえ。リリア! 最高の結婚式だったよ」
身体を離しながら悪戯っぽく笑うエリザに、リリアは目を丸くする。
「……皮肉ですの?」
「いやいや、そうじゃないよ。だってほら、リリアの花婿さんは、すぐそこにいるだろ?」
にやにやと笑いながら言うエリザ。気づけば、彼女だけではなく、ルーファスを除くその場の全員がリリアを見つめ、同じように生温かい視線を向けてきている。
「な、な……ち、違うの! これは違うのよ!」
先ほどまでしっかりと少年の身体に抱きついていたことを思い出し、リリアは顔を真っ赤にして叫ぶ。
しかし、その時だった。
「……最悪だわ。最悪の気分。許せない。許せない」
砕けた祭壇に埋もれるようにして倒れていた、真紅の髪の美女がゆっくりと立ち上がる。
「形勢逆転だね。君が何者だか知らないけど、降参した方がいいんじゃない?」
ネザクはそう言いながらも、油断なく手の中に錫杖を出現させ、皆を守るように障壁を発動させている。
一方、乱れた赤い髪を押さえたルーナは、リゼルの一撃でボロボロとなった軍服を引っ張るようにして整え、憎々しげにネザクを睨みつけている。
「形勢逆転? 馬鹿馬鹿しいわね。この程度で、あなたたちが『狂月』に抗えるとでも?」
「まさか、あなたは……」
ルーナの言葉に反応したのは、リゼルだった。
しかし、ルーナはそれには取り合わず、今度はリリアに目を向ける。
「残念だわ。『月の牙』。暗く寂しいこのセカイで……わたしにとって、あなたたち『四人』が差し伸べてくれる小さな手だけが喜びだった。だから……あなたにもわたしの孤独を分けてあげたかったのだけれど」
悔しそうな、哀しそうな目でリリアを見つめるルーナ。
「意味が分からないですわね。それがどうして、あの怪物にわたくしを襲わせることに繋がりますの?」
「ふふふ。自分を慕う民衆の前で、身も心も汚されてしまえば、あなたもきっと孤独になる。……ならざるを得ない。そうでしょう?」
緋色の瞳に狂気を浮かべたルーナは、何かを握るように右手をかざす。
「発動、《神代兵装:狂月の真影絶剣》」
黄金の光がルーナの右手に集い、真紅の炎がその刀身に巻きつくように出現する。それはちょうど、真紅の刀身に黄金の炎が巻きつくエリザの《英雄兵装:斬月の降魔神剣》とは対照的な色合いに見えた。
「心月の映し身……」
「え? 心月って……」
リゼルの言葉に他の面々が驚くなか、ルーナは狂気に満ちた哄笑を上げ始める。
「あははは! でも、駄目ね。あなたには、そんなにも素敵な仲間がいる。それじゃあ、あなたは孤独になれない! だったら、あなたの仲間とやらは、わたしが一人残らず皆殺しにしてあげるわ!」
《神代兵装:狂月の真影絶剣》を高く振り上げ、振り下ろすルーナ。
「く! 発動! 《天魔法術:無月の拒絶邪法》!」
放たれた真紅の炎を見て、通常の障壁では抑えきれないと判断したネザクは、とっさに強力な障壁魔法に切り替える。
「駄目だ! このままじゃ会場の人間が巻き込まれる!」
しかし、エドガーが焦ったような叫び声を上げたその時には、エリザが舞台上と観客席の間に陣取り、溢れかえる炎の余波を巨大な黄金の盾で防ぎ止めている。盾の周囲には光の力場が形成されており、あたかも舞台の緞帳のように巨大な障壁となっていた。
「ここはあたしが護るから、会場の人たちの避難を頼む!」
「わかったわ!」
「おう、任せとけ!」
叫ぶエリザに、エドガーとルヴィナが頷きを返す。
「……伯爵」
ネザクの障壁によって防がれた真紅の炎が晴れた後には、無惨に焼け焦げた舞台のあちこちから火の手が上がり始めている。当然、リリアが目を向けた先に倒れているはずの伯爵の姿は、ほとんど原形をとどめないまでに黒焦げと化していた。
望まぬ結婚を強要してきた相手とはいえ、それまで世話になってきた伯爵の死に、リリアは暗い顔でうつむく。するとそこに、ルーファスが遠慮がちな声をかけてきた。
「リリア。こんな時に言うのもなんだが……君の両親は無事だよ。安全を考えて離れた町の宿屋に滞在してもらっているところだ」
「え?」
何を言われているのか、わからない。一瞬だけそんな顔になったリリアだったが、彼の言葉の意味を理解し、大きく安堵したように息を吐く。
「……ありがとう。ルーファス。あなたには、何度お礼を言っても言い足りませんわ」
「気にするな。俺がやりたくてやったことだ」
「……うん」
不器用な彼の言葉に頬の熱さを自覚しながら、リリアはあらためて敵の姿に目を向ける。真紅の髪の美女の手には、依然として燃え盛る真紅の炎を宿した黄金の剣が握られている。
「わたくしは、あなたなんかに負けないわ」
リリアは、右手をまっすぐ前へと伸ばす。そして、何かを念じるように目を閉じた。
「ふふふ。忘れたの? あなたの攻撃は、何一つわたしには通じなかったでしょう?」
再び振るわれる黄金の剣閃。撒き散らされる真紅の炎。
「全白霊術発動、《千変万化の魔術障壁》」
リリアの周囲に迫る炎を、ルーファスの障壁が防ぎ止める。
「く! こ、このままじゃ、礼拝堂自体が焼け崩れちゃう!」
一時的に障壁の構築をルーファスに任せたネザクは、周囲にまき散らされた炎を鎮火するべく、冷気の魔法を解き放つ。
「くそ! 皆の避難はまだか!」
エリザも焦ったように叫ぶが、元々気力を奪われかけていた会場の人間たちは、金縛りにあっていた後遺症もあってか、エドガーやルヴィナの誘導にものろのろとした動きを見せている。
「……エリザ。この会場の人間が出て行かないと、困るのですか?」
「え? う、うん」
エリザは、いつの間にか近づいて来ていたリゼルの問いに、戸惑い気味に返事する。
「では、わたくしに任せてください」
「え?」
嫌な予感がしたエリザだったが、リゼルの動きは素早かった。
「発動……《愚者たちの行進》」
闇色の髪の少女の頭上に、さらに深い色をした闇の球体が出現する。そして、次の瞬間だった。
それまで鈍い動きで右往左往していた民衆たちは、一斉に虚ろな目になり、その動きを止めていた。
「え? な、なんだ?」
「これはいったい?」
驚くルヴィナとエドガー。するとそこに、リゼルから声がかかる。
「彼らは今、命令を聞くしかない愚者となった。言われたことを最優先に、確実にこなすだろう」
「……いや、リゼル。確かにそれは有効な方法かもしれないけど、会場中の人間を黒魔術で強制的に動かすのはちょっと……」
それまで何度となく真紅の炎を防ぎ続けていたネザクは、会場の様子に呆れたように溜め息を吐く。
「とはいえ、これで大分誘導が楽になったぜ!」
「こっちは任せて、皆はそっちに集中して!」
リゼルの言うとおり、エドガーとルヴィナが再び誘導を始めると、今度は全員が従順に避難を開始する。
「よし、これであたしも心置きなく戦える! 発動、《降魔剣技:斬月の一刀両断》」
赤い炎が途切れた隙を突き、解き放たれた矢のようにルーナへと飛び掛かるエリザ。手にした真紅の水晶剣を振りかざし、彼女に向かって叩きつける。
「……発動、《真影剣技:狂月の流麗弧閃》」
高く透き通る声と同時、美しく弧を描く剣閃が無数の残光を生み出していく。ルーナの正面で密度の高い網目を形成した金の輝きは、エリザの神剣とその周囲に広がる金の炎をまとめて防ぎ、逆に放たれた真紅の炎がエリザの姿を飲み込んでいく。
「うあああ!」
たまらず飛びさがるエリザ。全身に着けた具足が放つ力場によって、ある程度は防げたものの、ルーナの炎には彼女の防御を突破するだけの力が込められていたらしい。全身のあちこちに火傷を負い、苦しそうに呻く。
「まずいな。……発動、《癒しの聖霊光》」
ルーファスがとっさに放った白霊術の光がエリザを包み、彼女の身体を回復させていく。
「悪あがきはおやめなさい。醜く歪んだこの世界に生き続けるより、わたしの炎に焼かれた方が幸せでしょう?」
「心月の映し身。どうして、こんなことを? 月が狂えば、『わたしたち』も狂う。それでは『あのヒト』を望む『四月』の望みも叶わない」
リゼルは問いかけながら、傷ついたエリザを庇い、ルーナの前に立ちふさがる。
「四月の望み? 知ったことではないわ。わたしはずっと、孤独だった! わたしを抱く『あのヒト』は、わたしのことなど見てはいない。『あのヒト』の光は、わたしの『心』に届いていない! でも、それでは、永劫の時を孤独に過ごしてきたわたしの『心』は、いつ報われるというの?」
「それは違う。『あのヒト』は……」
「うるさい! 『黒月』の王! あなたたちはいつもそう! 星の光に染められた『わたしの一部』を支配し、纏い、同化し、そして騙す! 色で染める? いい加減にして! 意味のない人形遊び! 『着せ替え人形』はもうたくさんなのよ!」
狂ったように叫びながら、ルーナはリゼルに黄金の剣で斬りつける。
「……ぐ!」
華奢な外見とは裏腹に鋭い剣閃を放つルーナの動きに、リゼルは一瞬だけ回避が遅れた。ざっくりと胴を薙ぎ払われ、血を滲ませながら後退する。
「リゼル!」
それを見たネザクが彼女の元に駆け寄ろうとするが、そこにルーナから忌々しげな声がかけられる。
「おぞましい化け物が! あなたはそこで縮こまっていなさい」
ルーナは剣を握った腕を振るい、ネザクとその傍にいるリリアたちへと真紅の炎を浴びせかけた。
「発動! 《天魔法術:無月の氷結邪法》」
ネザクはルーナの放つ真紅の炎を防ぎつつ、火の海に包まれた会場を鎮火させるべく、氷結魔法を解き放つ。かつてない力で放たれた氷の魔法は、周囲の炎を鎮火させるどころか、舞台の大半を氷で覆い尽くしていた。
「でも、これ以上は皆を巻きこんじゃう……こんなに広範囲じゃ消しきれない!」
観客席の避難こそ終わりそうだが、この建物自体が焼け崩れてしまえば、ネザク達はおろか、建物の周囲にいる人々にまで危険が及ぶだろう。
そんな風にネザクが焦りを覚えた、その時だった。それまで一心不乱に右手を前に伸ばし続けていたリリアが、小さく息を吐く。
「……ふう。少し時間はかかりましたけど、イメージとしてはこんなものですわね」
「……リリア? な、なんなの、それ……」
驚愕に声を震わせるルーナ。すぐさま表情を引き締め、警戒するように《狂月の真影絶剣》を正眼に構えると、リリアが手にしたモノを睨みつける。
「……発動、《最終水鏡兵装:限りなく澄んだ月の牙》」
目を凝らさない限り、肉眼で確認することも難しい透明度を誇るレイピア。美しい湖水の輝きを宿す刀身は細く、鋭く、優美に真っ直ぐに伸びている。
「月の牙。……わたしにその手を伸ばし、わたしの『真月』を求めた貴女が、その刃をわたしに向けると言うの?」
武器の力を気にしていると言うより、その行為そのものが信じられないと言わんばかりのルーナ。しかし、リリアはそんな言葉を意にも介さず、一歩前へと進み出る。
「リリア、危ないぞ」
「大丈夫。残念ですけど……わたくしは護られてばかりのヒロインではありませんわ」
自分を心配するルーファスにクスリと笑いかけてから、リリアは真っ直ぐに歩き出す。
「あなたが何者かなんて、どうでもいいですわ。ただ、あなたはわたくしの大切なものを傷つけようとした。それだけでもう、万死に値しますわね」
「……そう。あなたは、わたしの孤独を理解してくれないのね? 『メイズフォレスト』も『ブレイヴプリズン』も『エルシャリア』でさえも……わたしの手に堕ちたというのに」
悲しげな顔で《狂月の真影絶剣》を構え直し、真紅の炎を増幅させるルーナ。
「……だったら、あなたはわたしが焼き尽くしてあげる!」
ゆっくりと近づいてくるリリアに向けて、ルーナが剣を振り上げた、その時だった。真紅の炎がさらに渦を巻いて燃え上がり、雪崩のようにリリアに向かって殺到する。
「え? ち、力が吸われて……」
しかし、驚きの声を上げたのはルーナだった。赤い炎は攻撃のために放たれたのではなく、リリアの掲げる蒼水晶の霊剣に向けて、強引に吸い込まれていた。
「限りなく澄んだ力は、あらゆる月光を吸い上げる。正気も狂気も、水鏡の前には関係なく、すべては平等ですわ」
するりと床を滑るような動きで間合いを詰め、リリアは手にした『月の牙』をルーナの胸に突き立てる。
「うあああ!」
自らの赤い炎を無色の力に還元され、突き刺された箇所で炸裂させられたルーナは、苦しげに絶叫する。
「あ、あ……ぐ、くふ、くふふふ!」
しかし、心臓に当たる場所をまっすぐに刺し貫かれながら、ルーナは含み笑いを漏らしていた。
「……気でも狂いまして?」
「……いいえ。感心しただけよ。まさか……ただの『影』とは言え、こんな方法でこの『わたし』を滅ぼしてしまうだなんて、少々あなたたちのことを馬鹿にしていたみたいね。くふ、くふふ……」
「影、ですって?」
「くふふ……。わたし自身は、ずっと『心月の邪竜』と共に在るわ。アレが飲み込んだ人間たちが放ち続ける『狂気』こそが、わたしの力を高めてくれるのだから」
言いながら、ルーナの身体が徐々に崩れていく。
「……まだ、『邪竜』が残っていたわね。そちらも倒さないと駄目か」
苦々しげにつぶやきながら、霊剣を引き抜くリリア。すると直後、ルーナの身体だったものは、砂となって床に散らばっていく。
「リリア! 大丈夫?」
エリザとネザクが彼女に駆け寄っていく。しかし、一方、身体が無くなったはずのルーナの声は、そのままゆっくりと言葉を続けた。
「……うふふ。せっかくだから、仕切り直して舞台を整えましょう。決戦の日は……今から十日後。場所は滅びた国の都──王都エクリプスの『跡地』。もし、約束の期日にあなたたちが現れなければ、『邪竜』は次の国を滅ぼすわよ。あは、あははははは!」
辛うじて焼け残った礼拝堂のステージに、狂ったような笑い声が響き渡っていた。
次回「『ルーナ』~くらいセカイでただヒトリ」