第13話 少年魔王と国王陛下(上)
リールベルタ王国の首都、テルエナンザ。そこは小規模ながらも首都だけのことあり、それなりに堅牢な城塞都市だった。外敵の攻撃を防ぐための街壁、そして中央にある王城を護るための城壁の二重壁によって護られている。
しかし、かつての大工たちが苦心して積み上げたであろう、二重の城壁は共に無残な姿をさらしていた。二枚ともその一部に巨大な穴が開き、人の行き来が自由となってしまっているのだ。
破壊された城壁のすぐ傍に居を構えていた住民は、四足の巨大な魔獣が苦も無く城壁を破壊し、その背に数人の人間を乗せて歩いていくのを目撃したと言う。
「魔王だ。魔王が来たんだよ! この国はもうおしまいだ!」
もともとの噂に加え、ますます『魔王』の存在に信憑性を与えてしまったその事実に、人々は怯え、家の中に引きこもった。
──その翌日には、城壁を破壊された王城より、一つのお触れが出されていた。
『リールベルタ王国は魔王ネザク・アストライアの支配下となった。暫定統治者として現国王は引き続きその任に着くが、この国は魔王のものである。国内の人間は、魔王ネザクとその一行に粗相のないよう、心がけるべし』
人々は驚き、戸惑い、嘆き、そして憂えた。だが、事実は変わらない。伝え聞こえてくる話では、王国が誇る魔導騎士団、その精鋭たる207名全員がことごとく命を落としたという。魔王の圧倒的な力を思い知るには十分すぎる情報だ。刃向おうという気など起きないし、生活の糧を考えれば、国外への逃亡についても考えられない。
国内にそんな混乱が広がっていく中、テルエナンザ城内にはいたって平穏な時が流れていた。使用人も兵士も貴族も王族でさえも、侵略者たちは誰一人殺さなかった。むろん、彼らに剣を向け、抵抗する者はその限りではなかったが。
リールベルタ国王、ダライア二世はいつも通り、自分の執務室で国内の諸問題に関する書類に目を通し、決裁の印を押している。まだ三十歳ほどの、比較的年若い王だ。黙々と何かを忘れるように書類に没頭する彼は、仕事をきりの良いところまで仕上げると、ようやくそこで息をついた。
「きゃはははは! おもしろーい!」
「いたた! ちょっと乱暴だよ、君」
「あははは! お兄ちゃん、こっちこっち!」
「あ、ほら走り回ったら危ないでしょ?」
国王は溜め息をつく。目の前に見えているものを極力視界に入れないよう、背後にある窓から外の景色に目を向ける。ちょうどそこからは、破壊された城壁の一部が良く見える。たった今処理していた書類も、城壁の修理に関するものだった。
「いったい、なんなのだろうか……」
小さいながらも独立を護ってきた国の王として、己の代でそれが崩れることは恥である。だが、これはないだろう。これは酷い。悲しすぎる。遠い目をして現実逃避を図る国王であったが、その耳に否応なく自分を呼ぶ声が響く。
「ぱぱ!」
3歳になる娘、エレナの声だ。母親に似て可愛らしい金髪。大きくなれば、さぞや美姫として人々からもてはやされるだろう──自慢の娘。そんな娘に一人の父親として笑顔を向けてやるべく、国王はゆっくりと振り返る。
「ぶは!」
吹き出してしまった。それはもう諦めよう。だが、その後はしっかりと腹筋を引き締め、どうにか続きをこらえてみせる。
「どうしたの? ダライアさん」
そこにいたのは、少女と見紛う美しい金髪の少年だ。国王が顔を真っ赤にしているのを見て、不思議そうに首を傾げている。特にどうと言うことはない。少々美しすぎることを除けば、ごく普通の少年だった。
……その額に『ハゲ』の文字が書かれていなければ。
「……魔王陛下。鏡を見ることをお勧めします」
魔王陛下。そんな呼称で呼ぶべき相手でさえなければ。
「え? 鏡?」
魔王と呼ばれた少年、ネザクは言われるがままに鏡を探す。国王が腰かけたデスクの前の床に散らばる、数々の玩具。その中には、エレナがおままごとで使う手鏡も転がっていた。
「ん? ああ! な、なんだよ、これ! 僕はハゲじゃないよ!」
そこが問題なのだろうかと、思わず突っ込みを入れたくなるのを我慢する国王。横目で娘の顔を見れば、きゃっきゃと笑いながらネザクの顔を指差している。
「あ、さては! エレナだね! どうりで僕の頭で何かやってると思ったら……」
寝ている時に書かれたのではないなら、普通は気付く。どこまで鈍い少年なのだろうか。
「あははは! お兄ちゃん、はげー!」
「こら! 待てってば!」
国王の執務を執行するための部屋で、二人の子供が駆け回っている。片方は自分を降伏させて支配下に置いた魔王。片方は自分の最愛の娘。娘は、なぜかネザク少年がいたくお気に入りのようで、ここ数日は、ああしてひたすら彼と戯れている。
「これはなんだ? 俺の国は本当にこんな子供に落とされたのか?」
つい、口からそんな言葉がこぼれてしまった。すると、タイミングを見計らっていたわけではないだろうが、廊下に続く扉が開き、一人の女性が姿を現す。平時ならノックもなしに入ってくる無礼者などいない執務室。だが、小さな2人の無礼者が暴れまわる室内で、そんなことを気にする理由は既にない。
「あら、ネザク。やっぱりこんなところにいたのね?」
「あ、カグヤ。ねえ、聞いてよ!」
「……」
つややかな黒髪を腰のあたりまで伸ばし、目の覚めるような白皙の肌に黒水晶の双眸をはめ込んだ黒衣の美女。艶めかしい雰囲気すら漂わせる彼女は、訴えかけるように自分を見上げるネザクの顔を見て、凍りついたように固まる。
「ぷ! くくく! あはははははは! なにそれ、なにそれ! すっごく面白いわよ、ネザク! あなた最高!」
カグヤは、腹を抱えて笑い出した。
「わ、笑わないでよ!」
「あはははは! おなか痛い! ぷ、くく……! こ、来ないで、ネザク。そんな額で真面目な顔しちゃ駄目よ! お姉ちゃんを笑い死にさせるつもり?」
なおも引かない笑いの発作に、ぜえぜえと息をするカグヤ。そんな彼女を見ていると、自分が笑いを我慢していたことが馬鹿馬鹿しくなってくる国王だった。
「いいじゃない、ネザク。次からその顔で謁見の間に出たら? 『ハゲ魔王ネザク』って言うのも、インパクトがあるんじゃない?」
「カグヤ~!」
顔を真っ赤にして叫ぶネザク。
「はいはい、ほら、じっとしてなさい。今拭いてあげるから」
「う、うん……」
カグヤがようやく笑いを収め、手にしたハンカチで彼の額を拭いてやる。
「あ、あれ? なかなか落ちないわね? これ、墨じゃないの?」
「え? いや、だってこれ、エレナがやったから……」
ネザクが横目でエレナを見やる。すると彼女は、手にしたものを持ち上げて見せた。真っ黒な瓶のような物。そこには、こう書かれていた。
『強力髪染め液。※注意:肌に付くと二、三日は落ちない場合があります』
「う、うそだああ!」
叫ぶネザク。呆気にとられるカグヤ。
「あははは! お兄ちゃんおもしろーい!」
エレナはケタケタと笑う。
「我が娘ながら、末恐ろしいな……」
意識してやったなら、3歳にして稀代の策士だ。無意識にやったのなら、同じく3歳にして稀代の悪女と言ったところだろうか。
「……ちょっとエレナ。あなた、小さいからって調子に乗り過ぎよ?」
カグヤは口を尖らすようにしてエレナに詰め寄る。
「なんで?」
首を傾げるエレナ。思わず抱きしめてやりたくなる可愛さだ。と国王は思った。だが、カグヤにその可愛さは通じなかったらしい。
「あんまりネザクを苛めないでよね」
わずかだが、語気を強めてそう言ったのだ。国王にしてみれば、少々不味い状況だと言えた。本人であるネザクがいくら許しても、その側近たちが無礼な真似を許さないということは、十分考えられる。今までは娘が小さいからこそ大目に見てもらえたのだろうが、今回の件はその限りではないかもしれない。
だが、国王が何とか弁解しようと口を開きかけた時だった。先に言葉を発したのはエレナだ。
「ネザクお兄ちゃん、このおばちゃんが苛める……」
そう言って少年の背中に隠れたのだ。びしり、と空気がひび割れる音がした。
「な、な、ななな……!」
「ぷ、くくく、あははは! 大丈夫だよ、エレナ。あのおばちゃん、実は結構優しいんだ」
ネザクは楽しくて仕方ないとばかりに笑っているが、カグヤの顔は、既に国王ですら怖くて見られないものになっている。
「ネ~ザ~ク? 自分が何を言ったか、わかってるわよねえ? この若く美しいお姉様に向かって『おばちゃん』? うふふふ……そっか、そうなんだ? もう、早くそう言ってくれればよかったのに」
不気味な低い声で笑うカグヤ。
「え? な、なに?」
さすがに不安になったのか、ネザクは顔を青ざめさせる。
「お姉ちゃんの『若さ』が信じられないんでしょ? なら、たっぷりその身体に教えてあげようかなーってね?」
「……えっと、具体的にはどうするんでしょうか?」
なぜか敬語になるネザク。
「ん? お子ちゃまには刺激が強すぎるもの、こんな所じゃ話せないわ」
両手を頬に当て、顔を赤らめるように言うカグヤ。
「ちょ、ちょっと、カグヤ?」
「なあに?」
「ごめんなさい」
「駄目よ」
「いや、ほら僕も出来心っていうかさ……」
「わたし、とっても傷ついた」
「だから、ごめんって」
「だーっめ。うふふ。今夜は楽しみねえ」
「うああああ」
顔を青褪めさせてうめくネザク。彼の様子を見ていると、カグヤの態度や話の内容から推測されるほど、色事めいた話ではないのかもしれない。──などと国王が思った、その時だった。
「ネザクお兄ちゃんをいじめないで」
両手を広げ、ネザクとカグヤの間に割って入るエレナ(3歳)。
「え? なに? なんなの?」
いきなりのことに、きょとんとした顔をするカグヤ。
「エレナ?」
ネザクも驚いてエレナに声をかける。
「これ以上、ネザクお兄ちゃんをいじめないで。代わりに、わたしをいじめてもいいから……」
エレナ(3歳?)は、健気にもそう言ってカグヤを見上げている。その身体がわずかに震えているところなども、いじらしさの演出としてはちょうど良いものになっていた。
「エ、エレナ。君って子は……」
ネザクは酷く感動した声を出した。国王は馬鹿馬鹿しい思いで彼らの様子を見守るばかりだが、少年にとっては心を打たれる場面だったらしい。目に涙まで浮かべている。それを見たカグヤは、狼狽えたように二歩、三歩と後退する。
「……な、何よ。うう、くう……。み、見てなさい! わたし、あんたなんかに負けないんだから!」
捨て台詞を残し去っていくカグヤ。呆然と見送る国王。そして、得意げに胸を張り、ネザクへと向き直るエレナ(3歳 ※たぶん嘘)。
「もう大丈夫だよ、ネザクお兄ちゃん」
「あ、ありがとう、エレナ」
がしっと彼女に抱きつくネザク。だが、彼は忘れていた。彼の額には依然として『ハゲ』の文字が燦然と輝いていることを。そしてそれは、恐らく二、三日は落ちないであろうことを。
その光景を目の当たりにして、国王は確信する。
「ああ、俺の娘は、悪女だったんだな」
──王城内のとある一室にて。
「魔王だと? ふざけおって! どいつもこいつも腰抜けばかりだ! どれだけ強力な術師か知らんが、人間には違いあるまい」
「ああ、そうだとも。魔導騎士団が全滅したのは確かに痛いが、使える兵がいなくなったわけじゃない。奴らは城で寝泊まりしているのだ。不意打ちでもなんでもしてしまえばよい!」
そこには数人の男たちが集まり、策謀を企てていた。
「だが、これはチャンスでもある。腑抜けた国王は魔王にあっさり降伏した。しかし、われらは違う。今こそ立ち上がって魔王とやら倒し、この国を取り戻すのだ。そうなれば現王を廃し、王弟殿下に即位していただくこともできるだろう」
現国王であるダライア二世の弟は、現在二十五歳。王となるべく英才教育を受けた兄と違い、甘やかされて育った青年であり、貴族たちの傀儡としては都合の良い人物だった。そんな彼を擁し、実権を握らんとする一派。彼らの正体を推測するなら、そんなところだろう。
「やはり、確実なのは毒殺であろう。奴らは所詮、力だけが頼りの無法者だ。毒殺を警戒して毒見役を設けるような知恵など回るはずもない」
「なるほど、だがどうやって毒を仕込む?」
「調理人を買収すればよい。今でも奴らはこの城で、贅を尽くした料理を平らげているのだからな。そこに混ぜれば一発だ」
「なるほど……」
「よし、そうと決まれば早速手配だ」
秘密の会合には、志を同じくする者だけが集まる。だが、ここでの『志を同じくする』という言葉の中には、『お互いが警戒する必要のない程度の力を持った者』という意味も含まれている。有能すぎる味方ほど、危険なものもないからだ。
だから、彼らは気付かない。自分たちの希望的観測を自分たちで補強し続けることの危険性を。そしてなにより……彼らの背後に、暗く愚かな絶望の王が迫りつつあることに。
彼らは気付いてはいなかった。
次回「第14話 少年魔王と国王陛下(下)」




