第121話 英雄少女と北国への旅
結局、ルヴィナは改めてリリアを問い詰め、問題の本質をあぶり出すことに成功した。洗いざらいを白状させられたリリアは、なぜかげっそりとした顔で首を振る。
「……ルヴィナ先輩の尋問には、誰も逆らえそうもありませんわね」
飴と鞭、その他ありとあらゆる手段を用いてきたルヴィナだったが、最後の決め手はやはり、凍てつく吹雪を感じさせる銀の瞳の一睨みだった。
「あはは……。そう言えば、シュリを作物泥棒で捕まえた時も怖かったもんね……」
女子寮の部屋で『旅支度』を整えながら、エリザは恐ろしげに身震いする。
「でも……わたくし、結局はみんなに迷惑をかけることになってしまったわ」
自分の旅装を整えながら、リリアは小さく言葉を漏らす。
「リリア? いい加減にしないと、あたしだって怒るよ。一人の問題はみんなの問題! それがルーヴェル英雄養成学院特殊クラスの掟でしょうが!」
「……ふふ。そんな掟、初めて聞きましたけど……でも、そうですわね。ありがとう、エリザ」
憤慨して声を上げるエリザに、リリアは微笑みかけながら立ち上がる。
「じゃあ、行きましょうか? わたくしの故国、黎明の国プラグマ伯爵領に」
「うん! 頑張ろうぜ!」
二人の少女は手を叩きあい、部屋を後にするのだった。
──卒業旅行。
ルヴィナが皆に持ちかけた作戦は、それだった。実際に卒業するのはルーファスであるため、彼のために皆で企画した旅行だという形をとる。
ちなみに、目的地がプラグマ伯爵領になったのは、あくまで偶然である。
もちろん、出発の日が伯爵と共にリリアが帰国の途に就く日になったのも、同じくあくまで偶然だ。
ルヴィナが旅行に向かう旨を申請した時、アルフレッドは諦め気味の顔で頷いたものだった。
「なるほど………そう来たか。俺としては、もう君らを止めるのは無理だと判断しているよ。ルヴィナ君が発案した話なら、信頼しても良さそうだしね」
「うう……し、仕方がありませんな」
ほとんど投げやりにして丸投げな学院長の言葉に、エルムンド副院長は胃のあたりを押さえて呻く。
「副院長。ここはもう、諦めましょうや。幸い、彼らが向かうのは学院からは離れた北国です。少なくともその間、この『学院内』での問題だけは激減するはずなんですから……」
気の毒そうに声をかけるエリックは、同時に黙々と書類仕事をこなしている。新入生の入学まであと一か月を切っているのだ。各種手続きに追われる彼に休息の時間などない。
「シュリ、こっちの書類のチェックも頼む」
「うん、わかった」
シュリも記載漏れの確認など、簡単な書類のチェックぐらいであれば手伝えることもあるらしく、今も彼の隣で書類に目を通していた。
「……それで? 今回の件は、カグヤは何も関知していないのかい?」
「失礼ねえ。悪だくみがあれば、必ずわたしが一枚噛んでいるとでも?」
機嫌を損ねたような顔で、カグヤがアルフレッドを睨みつける。しかし、その瞳にはかつてのように辛辣な光はない。
「あはは、ごめんごめん。しかし、リリアの件はあまりにも突然の話だったから俺だって納得のいかないところはあるけど……それでもこれは、伯爵領のしきたりの問題だろう? 君たちは、いったい何をするつもりなんだい?」
アルフレッドの問いに、ルヴィナは胸を張って答える。
「心配いりません。ちょっと人助けをしてくるだけです。少なくとも伯爵家に直接危害を加えるような真似は、絶対にしません。それだけは約束できます」
この言葉は、嘘偽りのない彼女の本心だった。
しかし、彼女のこの約束は、後日、誰もが想像もしえなかった理由で破られることになる。
──リリア・ブルーブラッドは、プラグマ伯爵領における最重要人物である。そのため、彼女が帰国するにあたっては、伯爵が学院までの旅路に使用した豪華絢爛な馬車を使い、多くの従者を引き連れての移動となる。
馬車の窓に映る景色。一年弱の期間とは言え、慣れ親しんだ学園都市エッダの通りを走る馬車から見えるものは、彼女がルカとリラ、二人の少女と共に買い物に興じた商店が並ぶ活気あふれる街並みだった。
「…………」
無言のまま、それを見つめる吸血の姫。悲しげに時折溜め息をつく可憐な少女の姿には、さすがの伯爵もわずかばかりの罪悪感を覚えないでもない。
しかし、徐々に求心力を失いつつある伯爵家に再び『蒼い血』を受け入れることは、たかだか一人の少女の感傷などとは比べ物にならないくらいに重要なことだった。今でこそ宗主国のエクリプス王国も後継者争いに紛糾しているが、情勢が落ち着けばどうなることかわからない。
現にエクリプス王国の前国王エルスレイは、リリアを王家に迎え入れようとしていたとの噂さえあるのだ。もしそんなことになれば、名実ともに伯爵領はエクリプスの直接支配下となっても不思議ではない。結婚式自体も、急ぐべきだった。
「リリア。名残惜しい気持ちはわかるが、伯爵領では毅然とした態度で頼むよ。意気消沈した花嫁の姿など、誰も見たくはないだろうからな」
だからあえて、彼はそんな言葉を少女に投げかける。彼女は、『花嫁』との言葉に、びくりと身を震わせたようだ。無理もない、と伯爵は思う。他に適齢期の嫡子がいない以上はやむないことだが、息子のダニエルは父親の自分から見ても酷く出来が悪い。だらしなく、しまりがなく、そして何より女性に対して節操がない。
それでも伯爵は、長年続く伯爵領の独立のため、少女の両親を人質に、彼女を望まぬ結婚に追いたてようとしているのだった。
「…………はい、わかっていますわ」
そう言いながらも、リリアは再び溜め息を吐く。しかし、内心では全く別のことを考えていた。
「……あの人たちさえ、皆が救出してくれれば、後はどうとでもなりますわね。いっそのこと、伯爵に脅されていたことを領民に暴露したって構いませんわ」
無論、そんなことをすれば、国内は大パニックになる。伯爵家の信用は地に落ち、各地で反乱が相次ぎ、伯爵領そのものの崩壊さえありうるだろう。
リリアが『人質の救出』という当然の解決策を考えなかったことには、そうした背景もあった。しかし、今回の作戦を立案したルヴィナは、リリアが口にしたそんな懸念に対し、こともなげに笑って言った。
「それはないわよ。少なくとも当代の『吸血の姫』が生きている限り、領民たちの信仰は揺るがないわ。伯爵家がどうにかなったところで、貴女が号令をひとつかけるだけで、あの国はまとまる。そうでしょう?」
それは、完全にリリアにとっての盲点だった。自分自身が『蒼い血の娘』という最重要人物のポジションにいるせいか、却って状況が見えていなかったらしい。
「……わたくしは、『英雄』。ならば、英雄としてあの国と……あの国に生まれる後代の『吸血の姫』を伯爵家の『呪縛』から解放することも責務ですわ」
とはいえ、このまますぐに問題を公にしては、国内の無用な混乱は避けられない。ルヴィナの考えでは、リリアが伯爵家以外の者と婚姻することで新たな『お家』を起こせる立場になってからにすべきだとのことだった。
「……婚姻」
その言葉を小さくつぶやき、リリアは頬を赤く染める。伯爵家のドラ息子から自分を『奪ってやる』と語ってくれた(?)ルーファスの真剣な眼差しを思い出しだのだ。そしてその直後、リリアは妄想を頭から消して、ぶんぶんと頭を振った。
「もう! 面と向かってあんなことさえ言われなければ……」
そんな心の内は、さすがに声には出さなかった。でも、傍から見れば明らかに挙動不審な振る舞いだ。
同じ馬車に乗る伯爵も不思議には思ったものの、まさか彼女の脳内が『他の男』のことでお花畑になっているとは想像もつかない。どころか、婚姻の言葉に頬を染める彼女の様子を見て、「彼女も結婚はまんざらではないのかも」などと、希望的観測さえ抱いてしまったのだった。
──リリアを乗せた馬車が『プラグマ伯爵領』に差し掛かった頃、エリザたちはと言えば、ネザクが召喚した銀翼竜王リンドブルムの背に乗り、その馬車を見下ろしていた
「なんだかあたし、わくわくしてきた!」
腕が鳴るぜとばかりに肩を振り回し、握りこぶしをつくるエリザ。
「こらこら、遊びじゃないのよ? わたしたちはこれから、何処にいるのかもわからないリリアの御両親を見つけなくちゃなんだからね」
「はーい」
ルヴィナが釘を刺すように言うと、エリザは舌を出して笑う。彼女にとってみれば、リリアを理不尽な状況から救い出すための戦いに参加できるというだけで嬉しいのだろう。
「でも、ルヴィナ先輩。俺、一個だけわからないことがあるんですが……」
「……な、何かしら?」
エドガーに背後から声を掛けられ、びくりと身体を震わすルヴィナ。エドガーとしては、最近の彼女のそうした挙動不審の理由も聞きたいところではあったが、今は別の話だ。
「確かにリリアの両親の居場所を特定するなら、リゼルの黒魔術に頼るのが一番なんでしょうけど……でも、彼女に同行させるならルーファス先輩よりもネザクの方がよかったんじゃ?」
「ふふ。まあ、それはそうなんだけど……」
含み笑いをするルヴィナ。すると、その後を継ぐようにエリザが言う。
「あはは! 決まってるじゃん。お姫様を救うのは、白馬の王子様でしょ?」
「え? それってどういう……」
意味が分からず目を白黒させるエドガー。けれど今度は、ネザクがそんな彼の肩を叩く。
「諦めた方がいいよ。ルヴィナさんもエリザも、僕がいくら聞いても教えてくれないんだ」
言葉どおり、ネザクの顔はどこかつまらなそうだ。
「ごめんごめん。でも、気付かない二人の方がどうかしてると思うよ」
「そうね。あのリリアさんの態度。あれはどう考えても……ふふふ!」
「だよねえ?」
笑いあう二人の少女の姿に、ネザクとエドガーは揃って顔を見合わせ、諦めたように息を吐くのだった。
──その頃、白馬の王子様はと言えば。
エリザたちに先行する形で、伯爵の城へと向かっていた。その目的は、城の関係者にリゼルの黒魔術を仕掛け、リリアの両親の居場所に関する情報を入手するためだ。
「なんというか……このシチュエーションには既視感を覚えるな」
「きしかん? それはおいしいのですか?」
「いや、なんでもない」
ルーファスは、黒髪の少女の首に腕を回したまま、軽く息を吐く。よりにもよってあの時、自分と彼女が戦っていた当の相手に、こんなことをする日がこようとは思わなかった。
「……それにしても、黒魔術でも空が飛べるものなのだな」
どうにか状況を忘れようと、ルーファスはそんな質問をしてみた。
するとリゼルは、彼を背負っている負担などまるで感じさせない声で言葉を返す。
「星界は、わたくしを地に落とせないと『騙されて』いる」
星の抱きし心の月さえ騙す力──《星心黒月》
「……つくづく恐ろしい力だ。君のような『魔』を相手に、よくもまあ生き残れたな。俺も、彼女も……」
恐ろしい速度で過ぎゆく周囲の景色は、到底ルーファス自身の魔法による飛行ではあり得ないものだった。
「リリアは、強い。強くて……そして何より、美しい」
飛行を続けながら、リゼルはつぶやくように言う。月の牙でありながら、紛い物ではない真の星を心に抱くあの少女は、ネザク同様、リゼルにとっては何物にも代えがたい存在だった。
「……美しい、か」
そんな言葉と共に、ルーファスの脳裏に浮かぶのは、『彼女』の姿だ。どうしようもない劣勢に立たされた戦況の中、白金の髪を颯爽とひるがえし、凛とした声で鼓舞の言葉を口にした、『彼女』の勇ましい横顔。
しかし、そんなルーファスのつぶやきを聞いたリゼルは、こんなことを聞いてきた。
「あなたは……リリアを美しいと思わないのか?」
特にどうということはない、リゼルの問い。他意も含みもありはしない。単純な疑問だろう。しかし、ルーファスはその問いに答えることをためらった。
実のところ、リリアの『水鏡兵装:紅天槍』を回避するのに、彼女のことを四六時中観察している必要は無い。自分の近くに来たときだけ、その姿を注視していればいいのだ。
だというのに、気付けば彼は、いつだってあのツインテールの少女を探していた。同じ教室での講座のときも、授業時間の合間にも、昼休みの食堂でも、暇さえあれば、彼女がどこにいるのかが気になった。
しかし、彼は気付かない。致命的なまでに察しが悪い彼は、自身の気持ちにすら、この時点でもなお気付いてはいなかった。
しかし、それでもリゼルの問いに対しては、こう答える。
「そうだな。彼女ほど美しいものは、世界中どこを探しても……そうそうお目にかかれるものではないだろう」
それだけは、この時点のルーファスにとっても、偽らざる本心だった。
次回「第122話 少年少女と破滅の足音」