第120話 少年魔王と世界の在り方
暗愚王リゼルアドラにとって、魔王ネザク・アストライアという存在は何なのか?
それは、彼を猫可愛がりする彼女の姿を見続けてきた多くの人間が感じている疑問である。最近でこそエリザの傍にいることも多くなった彼女だが、それでもやはり、彼女がネザクを見つめる時の慈愛のこもった眼差しは、特別なものだった。
「あの子とネザクの関係? そうねえ……あらためて聞かれると、何なのかしらね? 初めて会った時から、『ネザクは可愛い』の一点張りだったし、最初は下手なことを聞いて刺激するのも不安だったから……」
問われてカグヤは、首を傾げる。けれどすぐに、意地の悪そうな笑顔を浮かべ、問いかけの主に言葉を返した。
「なあに? 今頃そんなことを聞くなんて。もしかして、あなた……やきもち妬いちゃってるの?」
「ち、違うよ! ただちょっと、気になっただけだよ。ネザクが『魔』に好かれる体質? なのはわかるけど、リゼルの場合、なんだかそれだけじゃないみたいな気がするし……」
エリザは顔を真っ赤にして首を振り、尻すぼみに呟きを口にする。
「それなら、本人に聞いてみた方が早いんじゃないかしら?」
「うん。ただ、リゼルの話ってわかりづらいから……事前にカグヤ先生にも聞いておこうかなって」
「なるほどね。……うふふ。てっきりわたし、リゼルとエリザの間で、ネザクの争奪戦が始まるんじゃないかと思っちゃったわ。最近じゃ、その辺のネタが一番受けているみたいだし……」
「うあああ! だから、その本の作者は誰なんだ? 見つけ出したら、ギッタギタにしてやるのに!」
「あははは!」
頭を抱えてわめくエリザを見て、カグヤは楽しそうに笑っている。あの日、アルフレッドと夕食デートをして以降、彼女は随分と上機嫌だ。それは彼女の講義を聞く生徒たちの目にも明らかで、彼らはにこやかに微笑みながら講義を続ける美人教師の姿に、よりいっそう見惚れていたのだった。
──その頃、ネザク・アストライアは悩んでいた。自分の姉と学院長先生が『いい感じ』のデートをしたという話に刺激を受け、ここはひとつ、自分も勇気を出していくべきではないかと思い立ったのだ。
しかし、如何せん彼にはその手の経験がない。もっと言えば、相談に乗ってくれる相手もいない。同性のエドガーやルーファスも同じく経験不足であり、異性のカグヤやメイド少女たちなどに相談をした日には、からかわれて弄り倒されること請け合いだ。
ましてや、あの恐るべき『双子姫』など論外だった。特にイリナの『恋愛指南』に至っては、思い出すだけで身震いがしてしまう。
「……うう、『どんな女の子も、好きな男の子に縄で縛ってもらうことを望んでいるのよ』とか、絶対に嘘だよね」
耳元で甘く囁かれあまりにも偏ったアドバイスの数々。そのひとつを思い出し、ネザクはぶんぶんと頭を振った。
「大丈夫ですか? ネザク……」
学院の校庭に面した休憩スペースに腰かけ、悩みに頭を抱えるネザク。そんな彼に飲み物を差し出し、心配そうな声をかけたのはリゼルだ。休日のこの日、校庭にはサークル活動で汗を流す生徒たちが大勢いるが、そんな彼らもチラチラとこの二人組の様子を窺っている。
「あ、うん。ありがと、リゼル」
飲み物を受け取り、彼女に笑いかけるネザク。するとリゼルは、いつものごとく優しい光をたたえた瞳でネザクのことを見つめ返す。
「どういたしまして、ネザク」
そんな彼女を見て、ネザクはぼんやりと考える。あまりにも身近にいすぎて意識したことがなかったが、リゼルは『魔』とはいえ女性である。
ネザクの経験から言って、男女の性別や身体の大きさの違いなど、『魔』の外見上の特徴と彼らが有する性格には関連性があるようだ。それは裏返せば、リゼルにも一般的な女性の心理があるのかもしれないということである。
駄目で元々。そんな気持ちでネザクはリゼルに聞いてみた。
「ね、ねえ、リゼル。教えてほしいことがあるんだけど……」
「なんでしょう?」
可愛らしく首を傾げるリゼル。彼女を『女性』だと思ってみたことで、ネザクは少し動揺してしまい、頬を赤くする。
「え、えっと……女の子に喜ばれるプレゼントって、どんなものかあるかな?」
「プレゼント……ですか?」
「う、うん」
「ちょっと待ってください」
言いながら、リゼルは制服のポケットに手を差し入れる。
「いやいや! その、リゼルのプレゼントじゃなくて……ぼ、僕が誰かにプレゼントするならだよ」
新たな『芸術作品』を取り出そうとするリゼルを押しとどめ、ネザクは顔を赤くしながら言う。
「誰かに? 誰にプレゼントするのですか?」
「へ? い、いや、だから……お、女の子に……」
どうしても『エリザに』という言葉が出てこないネザク。
「女の子? わたくしも少女。……ネザクのプレゼントなら、どんなものでもわたくしは嬉しい」
「う、うーん……」
何と言ったものかわからない。しかし、ネザクはそこで、別の質問をしてみることにした。
「でも、どうして僕のプレゼントなら嬉しいの?」
「ネザクだから」
当たり前のように言葉を返すリゼル。
「いや、そうじゃなくてさ。どうして僕だと嬉しいの?」
そう尋ね返すと、リゼルは考え込むように腕を組んだ。そんな仕草さえ、年頃の少女のようで可愛らしい。
「……ネザクは、わたくしの『希望』だから」
ようやく絞り出した言葉は、ネザクが想像していたものとは違うものだった。
「希望? 僕が?」
「この星界は、『あのヒト』の光に満ちている。……けれど、だからこそ、『あのヒト』には届かない。星の抱きし心の月は、今もなお、空虚な孤独に震えている」
「……それって、アズラル先生が言ってた話のこと?」
「でも、ネザク。あなたは、その身に『四月』の光をまとっている。かつては……その深奥には、何もなかった。けれどだからこそ、その事実は、わたくしの希望だった。……そして今、あなたの『からっぽ』には、紛うことなき『星』がある。心に星が寄り添っている……」
この星界において、魔王ネザク・アストライアとは、『四月の願い』を体現する存在だった。『月の光を浴びて星を抱くネザク』こそが、『星の光を浴びて月を抱く星界』の理想の姿だった。そうした『魔』の染色本能に訴えかけるからこそ、彼はすべての『魔』に愛されていたのだ。
とはいえ、今この場においては、意味深なリゼルの言葉をネザクが理解するのは難しかった。ただ、それでもネザクには、今の言葉から感じ取れるものもある。
「……僕の中の『星』か。うん。そうだね。エリザに教えてもらったこと。それを元に、僕自身が掴んだこと。……誰かに頼るんじゃなく、自分の力で頑張ることが大切なんだ」
「はい。よくわかりませんが……ネザクならきっとできます。わたくしは、ネザクを応援します」
「ありがとう、リゼル。僕、頑張るよ!」
この日、ネザクはエリザをデートに誘うことを決めた。
しかし、そのデートが実現するまでには、これから起こる世界を揺るがしかねない異変の他、様々な困難・妨害が待ち受けていることを、この時の彼は知る由もなかった。
──時は静かに動き出す。
「ルーナ……。お前は最高だよ。なんて良い女なんだ! ハハ、アハハ……気持ちいい。最高の気分だ! ヒハハハハ!」
草木も眠る夜の世界。広い寝台の上に、激しく踊る影がある。
「うふふふ。ダニエル殿下こそ、素敵ですわ。そう、もっとよ。もっともっともっともっと! うふふ! 狂いなさい。狂って狂って世界を回すの。……狂気。それこそが世界を動かす最大の力。この歪んだ世界を正すには、もはやそれしか手段がないのだから」
寝台の脇。革張りの椅子に腰かけるのは、露出の多い踊り子のような姿の、一人の美女。真っ赤な唇を怪しく舌で湿らせながら、寝台の上で悶え狂う伯爵の息子を見つめている。
「この北の大地。『月の牙』さえ生みだされるこの土壌こそ、わたしの舞台に相応しい。さあ、踊りましょう? さあ、歌いましょう? わたしこそ、この世界に祝福と安寧をもたらすもの」
高らかに笑う真紅の髪の美女。緋色の瞳を不気味に輝かせ、彼女が振り返った先には、騒ぎを聞きつけてきたらしい従僕の男がいた。
「ひ!……な、なんだ、その化け物は……」
赤い光に射すくめられ、震える声で彼が指差すその先には、到底人間とは思えない『イキモノ』の姿があった。
「あらあら? 無粋な人ねえ? わたしと殿下の睦み合いを覗きに来たのかしら? 良かったら、あなたも一緒に踊らない?」
妖艶そのものと言った仕草で、従僕を招きよせる美女。
「う、うああ……?」
恐怖に腰が引けているはずなのに、彼の足は自然と彼女に向かって歩き出す。
「さあ、いらっしゃい。あなたにも、至上の快楽を与えてあげる。うふふふ。大丈夫。痛くなんてしないから……ね?」
手招きを続ける美女の手には、いつの間にか黄金の鉱石が握られている。よく見れば、その石には真紅の炎がまとわりついていた。
「この国の人口は数万人足らずだそうだけど……それだけいれば十分だわ。さあ、あなたの色を、あなたの心を、『唯一にして真なる月』に捧げなさい」
「う、うああ、い、嫌だ。や、やめてくれ……」
恐怖に震える男の口元に、黄金の石が突きつけられる……。
──その日、リリア・ブルーブラッドは追い詰められていた。
自分を囲む特殊クラスの面々は、一様に恐ろしい顔でこちらを睨んでいる。ただ一人、例外なのはルーファスだけだが、彼に対してはむしろリリアの方が睨んでやりたいくらいだった。
「なんで、なんで……そういう大事なことを黙ってたりするかなあ!」
最初に声を張り上げたのは、エリザだ。学院内にある教室の1つで、縮こまるように席に腰かけるリリアに対し、エリザは前の座席に後ろ向きに座り、背もたれを抱え込んだまま厳しい視線を向けてくる。その赤銅色の瞳には、ありありと怒りの感情が浮かんでいる。
「だ、大事なことだから、言い出せなかったのですわ……」
どうにか言い返すものの、声には力が無い。自分に非があるのは間違いないのだ。
「でも、いくらなんでも無断でこの学院からいなくなるだなんて、酷いと思わない?」
呆れたように言うルヴィナは、リリアの横に仁王立ちの体勢で立っている。
「うう、さすがに黙っていなくなるつもりはなかったのですけど……」
「何言ってんだよ。帰国まで、もう一週間ないんだろ? どう考えても、ルーファス先輩から話が聞けなかったら、別れを惜しむ時間もなかったじゃねえか」
エドガーもまた、リリアの水臭い対応に怒りを感じているらしい。
「……く!」
ギロリとルーファスを睨むリリア。
「す、すまん……」
申し訳なさそうな顔のルーファス。だが、誰よりも性質の悪い男、ルーファスに知られたという時点で、『他人に知られたくないと思う話』が他人に知られずに済むはずがないのだ。リリアは諦めたように息を吐いた。
「……リリアさん。学校やめちゃうの? 僕、そんなの嫌だよ」
「うう……!」
今にも涙をこぼさんばかりの悲しげな顔でネザクに見つめられ、リリアは胸を押さえて呻く。すがるような少年の目は、見る者に果てしない罪悪感を抱かせるようだった。
「いいや、そんなことは俺がさせない」
そこでルーファスが力強く断言する。そして、例によってその声は、リリアの耳には『お前は誰にも渡さない』と変換されて聞こえてしまう。途端に耳まで顔を赤くするリリア。
「……ん? おやあ?」
にやり、とエリザが笑う。
「な、なんですの?」
「んっふっふ」
人間観察力に優れたエリザは、リリアの変化を見逃さない。ましてやこの一年近くもの間、彼女たちは親友を続けてきている間柄なのだ。通じなくてもいいところまで通じてしまっていた。しかし、エリザはここで、直球を投げることなく、別の視点でこんな言葉を言い出した。
「おかしいんだよなあ。大体、なんでルーファス先輩だけが知ってたのかな?」
「え? ああ、そう言えばそうね。どうしてかしら?」
ルヴィナも不思議そうな顔で首を傾げる。
「べ、べべ別に! た、単なる偶然ですわ! たまたま知られてしまっただけで……」
「おいおい、何をそんなに慌ててるんだ?」
真っ赤な顔で首を振るリリアに、エドガーも不思議そうな顔で問いかける。
「うう……な、何でもありませんわ」
大きく息を吐くリリア。
「でも、ルーファス先輩。話を聞く限りでは、国の意向なのでしょう? そんなことはさせない、と言っても何か手段があるんですか?」
ルヴィナが話を戻すように言うと、ルーファスはこくりと頷く。そして、全員が固唾をのんで彼の次の言葉を待った。
「ルヴィナ、何か考えはないか?」
その一言に、その場の全員が突っ伏してしまったことは言うまでもない。
次回「第121話 英雄少女と北国への旅」