第119話 邪竜の謎と黎明の国
新月の邪竜について。
黒霊賢者アズラル・エクリプスによる講義には、特に知識に飢えた多くの少年少女が参加していた。この講義では、この星界に伝わる伝承に始まり、世界の歴史の裏側、最新の魔術理論に至るまで、他では決して得られないような豊富な知識を得ることができる。加えて、彼の軽妙な語り口により、飽きることなく自然とそれらの知識が吸収できるとなれば、学内でもカグヤの講義と並んで人気を博するのも道理と言えた。
それはさておき、その日の講義のテーマは、『新月の邪竜』だった。
十年前の『邪竜戦争』の元凶である。当時の星界中を巻き込んだ戦乱がひとくくりにそう呼ばれるようになったこと自体、五英雄の活躍抜きには語れない。しかし、逆に言えば語られるのは邪竜を倒した五英雄の活躍ばかりで、肝心の『邪竜』そのものについては、あまり知られていないのが現状だった。
とはいえ、アズラルの兄エルスレイの策謀により、『新月の邪竜』が星界中の人間の野心を刺激する化け物として目覚めたなどと公開できるわけがない。
しかし、それでも『邪竜の正体』となれば、話は別だった。
「……実のところ、『新月の邪竜』の正体に関しては、長年研究していた僕でさえ、よくわかってはいないんだ。わかるのはただ、それが『真月』を無尽蔵に溜め込み、外部から与えられた『色』に反応して、この星界に様々な影響を及ぼす力を持った化け物だったということくらいでね」
エクリプスの王族のみが知る、古代遺跡の奥深く。そこにその『竜のオブジェ』は存在していた。若い頃から頻繁にその遺跡に潜り込んでいたアズラルではあったが、その『オブジェ』の性質や効能を理解するだけで限界だった。
「だが、最近の僕の研究でわかったことがある」
しかし、ここ最近、その点において行き詰っていた彼の研究は、『暗愚王』や『死霊の女王』という協力者を得て、劇的に進むこととなったのだ。だからこその、今回の講義のテーマだった。
「あれは、この大地の地下奥深くに存在する、極めて貴重な鉱石から造られていたんだ。その鉱石を仮に名づけるなら『心月の魔石』と言ったところかな? そう、『新月』でも『真月』でもない、『心月』だ。……ここから先は、僕の推論になるし、信じてくれなくても構わない」
彼がそう前置きすることで、生徒たちがごくりと唾を飲むのがわかる。
「おお! ついに『邪竜』の正体が?」
響いたのは、少女の声。
子供の頃からあこがれ続けた英雄物語の敵役。その核心に迫る話だ。その場にエリザがいないはずもない。講義のテーマが発表された時点で、エリザは万難を排してこれに参加していた。
「はは……。まあ、推論だからあまり期待しないでもらいたいんだけどな……」
そんなエリザに苦笑を返しつつ、アズラルは言葉を続ける。
「僕たちが『星界』と呼ぶ、この世界のこと。君らも聞いたことがあるだろう? 各季節ごとに空を彩る四色の月に染められながら、なおも『星』としての強い力を有する大地。『星心克月』がこの地に生きる僕らに強い力を与えてくれるのも、この星に住まう僕らにとっては、本来、星との結びつきこそが何より強いからだ」
そう言って周囲の反応を窺うアズラル。誰も異論を唱えないのを確認した後、アズラルは胸を張って続ける。
「でも、この理論は完全に間違いなんだよ。僕らの生きるこの大地は、『星』なんかじゃない」
爆弾のように投げ込まれた一言により、講堂内にざわめきの波紋が広がる。アズラルはそれを満足そうに眺めやり、軽く頷く。
「考えてもごらんよ。どうして君たちは、『四月』の影響を受けた術者ばかりなんだい? まれに星喚術や月召術の適性のある人がいたとしても、どうして彼らでさえ、必ず四月の影響を受けているんだい?」
エリザという例外を除き、星界の誰もが『四月』の影響からは逃れられていない。その事実を、アズラルは淡々と突きつける。
「答えは簡単さ。僕らの生きるこの大地は、『星』ではなく、『月』なんだ。遠い昔、ひとつだった『真月』は『5つ』に分かれた。白月、紅月、蒼月、黒月……そして、『心月』にね」
「で、でも、先生! それじゃあ、星って何なんですか? 僕らの大地じゃないなら、一体どうして『星』には、そんなに強い力があるんですか?」
エリザとは離れた場所に座る、いかにもガリ勉タイプの少年がアズラルに疑問を投げかける。それに対し、アズラルは自分の頭上を指差した。
「決まっているさ。他の『月』よりはるかに強力な光を放ち、この大地をその光に『染めあげて』いるモノがあるだろう?」
「え? ま、まさか……」
「そう。そのまさかさ。僕らの言う『星』は、その実、『太陽』のことだったんだよ。でも、さっきも言った通り、この大地そのものは、最も強く『太陽の光』によって染まっている。だから、この大地を『星界』と呼ぶこと自体には誤りはないのさ」
星の光に抱かれて、虚空の闇に浮かぶ月。
「…………」
アズラルの『推論』に、講堂内は水を打ったように静まり返る。荒唐無稽だと言いたいところだが、今の説明が本当だとすれば、これまで誰もが心のどこかで感じていた矛盾点が解決されてしまうのだ。
「ねーねー! アズラル先生! 星のことはわかったけど、結局、それが『邪竜』とどう関係があるの?」
無邪気な声でそう訊いて来たのは、エリザだ。自分の力のルーツともいうべき話を聞かされてこの調子なのだから、アズラルとしては苦笑するばかりだった。
「ああ、ごめんね。前置きが長くなった。僕が言いたいのはね。『地下奥深く』には、『太陽の光』も届かないということさ。だからこそ、あの何の変哲もない『竜のオブジェ』には純粋なる『月の力』があった。そう見るべきなんじゃないかと思う」
エクリプスを初めとする北部一帯の地域は、地殻変動などの影響により、太古の地層が比較的浅い場所にまで隆起してきていることが多い。そして、遺跡を建立した人々は、そうした本来の『心月』に近い石を使い、宗教的な意味合いを込めて『竜のオブジェ』を彫り上げたのだろう。
『心月の魔石』は、かつて『亡霊船』の材料にもなった『新月の魔石』とは比較にならないほどの『真月』を溜めこむことができる鉱石だ。さらに言えば、地下奥深くに存在していた分、『星』以外の『色』の影響も受けやすい。
そこに加えて、『竜』の形という見る者に『超常の化け物』を想起させる外見だったことも災いし、ただの『竜のオブジェ』が『新月の邪竜』という災厄になったのだろう。
これがアズラルの出した『新月の邪竜』の正体についての推論だった。
──エクリプス王国の属国である黎明の国『プラグマ伯爵領』。
長い歴史を有していながら、この国が未だに小国の域を脱していない理由。それは、伯爵の権威を支えているものが、唯一『蒼き血脈』という宗教的な要素を含むものであるせいだった。
現に蒼い血の娘が生まれる地元に暮らす人々は、数百年前に猛威を振るった魔王(暗愚王)に対し、勇敢に立ち向かった『吸血の姫』のお伽話を信じている。だからこそ、この権威も通じるのだが、他の地域ではそうはいかない。ゆえに、プラグマ伯爵は版図を広げることができない。
しかし、一方で、大した武力も持たないこの国は、現在ではエクリプス王国の属国となってはいるものの、当時の国王だった野心家のエルスレイでさえ、この国の占領・併合は考慮の外としていた。
その理由も先と同じ、この地の民が『蒼き血脈』が流れると信じる伯爵家以外の統治を認めないからだ。狂信的なレベルで『吸血の姫』を信奉する人々を前に、さしものエルスレイも直接的な支配を諦めざるを得なかった土地。それがこの、プラグマ伯爵領なのだった。
この日は伯爵本人がリリアを迎えにエレンタードに出向いていることもあり、領内の統治は息子であるダニエルが一手に担っていた。一族の総領息子である彼は、これまで何不自由のない生活を続けてきたこともあり、十七歳にして中年のような貫禄(主に体重面で)を醸し出しており、そして何より、女好きでだらしがない男でもあった。
「ふへへへ……。もうすぐだ。もうすぐ、リリアちゃんが僕のものになる!」
たるんだ贅肉を揺らしながら、ダニエルは鼻息も荒く独り言をぶつぶつと言い続けている。領主用の執務室には、当然のことながら従僕たちが何人も控えている。しかし、彼にとって、従僕とは使い勝手の良い道具であり、道具である以上、何を聞かれても気にならないらしい。
「ああ、その日が待ち遠しいなあ。蒼き血の娘とか言って、不細工だったらどうしようかと心配してたけど……あんなに可愛い娘はそうはいないぜ。ただ、親父をどうにか急かしてはみたものの、待ってる間もしんどいんだよなあ」
執務室の椅子に腰かけ、だらしなく菓子を口元に運びながら、彼は目の前に積まれた書類に判をついている。ろくに書類に目を通すこともせず、闇雲に判を押し続ける彼は、誰がどう見ても、出来の悪いドラ息子でしかない。
その場に居合わせた従僕や時折新たな書類を持ち込みに来る配下の者たちにしても、あの伯爵からどうしてこんな子が生まれるのかと、誰もが落胆の想いを隠しきれないでいた。
実のところ、国内で圧倒的な信仰を集める『蒼き血の娘』の意思を無視した形で、伯爵家に嫁がせることは難しい。そのため、百年に一度の輿入れと言いながらも、前回の嫁入りは実現していない。──つまり、ここ二百年近くの間は、『蒼き血の伯爵夫人』は誕生していなかった。
そこに来て、この『出来の悪い跡継ぎ』の存在だ。領内の人々からは『蒼き血脈』が薄くなったせいだ、などと揶揄されていた。だからこその、今回の『蒼き血の娘』の輿入れなのだ。
「ふひひ! 親父も抜け目ないよなあ。あらかじめ『蒼き血の娘』の家族に手を回して、実質的な『人質』に使うって言うんだからな。我が父親ながら性質が悪いぜ。まあ、おかげでリリアちゃんが手に入るんだから、文句も言えないけどさあ……」
この言葉など、部外者には絶対に漏れてはならない情報なのだが、独り言で口にしてしまう時点で、彼の思慮の足りなさは明らかだった。
ついには書類の判押しにも飽きてきたのか、ダニエルは手を止めると、小さく呼び鈴を鳴らす。ここ最近のお気に入りの愛妾を呼び寄せ、執務室隣の仮眠用のベッドで情事に及ぼうというつもりらしい。
ここ数日、似たようなことが続いているため、従僕たちはもはや見て見ぬふりを続けている。まもなくして仮眠室の扉が開かれ、部屋で待機していたらしい一人の女が姿を現す。
「お呼びですか? ダニエル様?」
現れたのは、妖艶な雰囲気を漂わせた、真紅の髪の女性だった。意志の強そうな緋色の瞳はわずかに吊り上り、きつそうな印象を与える顔ではあるが、目鼻立ちは整っており、間違いなく美女に分類されるだろう。
「おう、ルーナ。僕はもう、疲れちゃったよ。いつものように慰めてくれ」
だらしなく鼻の下を伸ばし、机に置かれた書類もそっちのけで美女に向かって歩いていくダニエル。そんな彼に緋色の瞳の美女、ルーナは禍々しい笑みを浮かべ、彼の瞳を覗きこむ。
「ええ、ええ。よろしいですわ。ダニエル様。今日もまた、寝物語に創世の頃より伝わる『昔話』をたくさん聞かせてあげましょうね」
ルーナはそのまま、虚ろな瞳で歩み寄るダニエルの手を引き、ゆっくりと仮眠室に招き入れる。執務室に残された従僕の唖然とした顔にウインクを送りながら、彼女はゆっくりと扉を閉めた。
「……駄目だな。ありゃ。仕事を途中で放り出して、美女と寝室にしけこむとは……。この国もいよいよおしまいかねえ……」
ダニエルの背中を見送ったその従僕は、呆れたように苦々しく息を吐く。だが、彼のこの言葉は、まったく別の意味で正しい。まさにこの国は、『おしまい』に向けて、後戻りできない道をひたすらに走り始めていたのだった。
次回「第120話 少年魔王と世界の在り方」