第118話 ヘンリエッタと二人の王子
ルーファス・クラスタは、英雄養成学院の最上級生である。つまり、彼はあと一月もしないうちに、この学院を卒業することになる。そのため、彼と同学年の生徒たちは、ここ数か月の間、こぞって卒業後の進路に向けた様々な取り組みを続けている。
「俺、ようやく故郷の騎士団に内定が決まったんだ。やっぱり、あの『樹木の災厄』の効果は大きいよな。この学院の在校生だってだけで、一も二もなく採用を決めてくれたんだぜ」
「そいつは良かったな。まあ、俺なんか、二か月も前にエレンタードの宮廷魔導師団への入団が決まってたけどな」
「何を言ってんだよ。剣術の腕が足りなくて魔法騎士団の入団試験に三回連続で不合格になった後の滑り止めだろ?」
だから、ルーファスが授業を受ける教室では、講義終了後、生徒たちの間でこんな会話が繰り広げられていた。
そんな中、彼は教室の中央に陣取り、黙々と授業のまとめをノートに書き込んでいる。しかし、よく見れば彼の長い耳は、そんな彼らの会話の内容に反応するかのように、ピクピクと動いていた。
彼の学院内での認識のされ方は、「寡黙で何を考えているのかよく分からない人」というものだ。顔の大きな刀傷も相まって、近寄りがたい雰囲気さえ醸し出している。だが、実のところ、ルーファスは人と行動を共にするのが嫌いではない。むしろ、友達は欲しい方だったりする。
「……進路か」
とはいえ、積極的に他人に声をかけることもできないのが彼だった。しかし、この時ばかりは、そんな彼の独り言を聞きつけたのか、声をかけてきた者がいた。
「ル、ルーファス君は、卒業後はどうするつもりなの?」
緊張気味の女性の声。ルーファスが驚いて顔を上げれば、そこには十九歳という年齢にしては背も小さく、童顔で可愛らしい金髪の少女がいた。
「卒業後? 進路のことか?」
「う、うん……」
その少女は少しだけ恥ずかしそうに頬を赤らめ、もじもじと身体を落ち着かなさげに動かしながら、彼の言葉の続きを待っている。よく見れば、彼女の後ろの方では、数人の女子たちが彼女を応援するように見守っていた。
見る者が見れば明らかな状況。しかし、ルーファスは気付かない。気付かぬままに真面目に答えを考える。
「そうだな……。これといってはっきり決まったものはないが……白霊兵団のリライト副団長からは入隊を薦められてもいるところだし……その線が有力かもしれないな」
その言葉に、目の前の少女が息を飲む。
「そ、そうなんだ……。す、すごいね。ルーファス君」
一方、周囲で事の成り行きに耳をそばだてていた生徒たちからも、驚きの声が上がっていた。
「……まじかよ。副団長直々にって……やっぱ、特殊クラスは違うよな」
「白霊兵団って言ったら、ファンスヴァールでも指折りのエリート集団だもんな」
「将来有望って奴かあ……」
しかし、ルーファスは相変わらず、そんな羨望の声にも気づかない。そして、彼に声をかけた当の少女はと言えば、勇気を振り絞るように口を開く。
「……じゃ、じゃあ、卒業したらファンスヴァールに帰っちゃうんだ?」
「む? ……そうと決まったわけではないが、そうなるかもしれないな」
「……そ、そっか。じゃ、じゃあ……わ、わたしも一緒に行きたいな……なんて……駄目、かな?」
「一緒に? どういう意味だ?」
「え? だ、だから、その……わたし、なかなか卒業後の就職先も見つからないし、……いっそのこと、ルーファス君と永久就職でもしちゃおうか……なんちゃって、あはは……」
冗談めかしていながらも、しかし、意図だけは明確な告白の言葉。それを口にした当の少女も、周囲の生徒たちも、間違いなくその言葉をそう認識した。
しかし、それでもまだ、言葉が足りない。察しが悪いルーファスを相手にするには、この程度では全然足りない。そのことを次のルーファスの言葉で、彼らは思い知ることになる。
「ふむ。まあ、紹介ぐらいはできるかもしれないが……結局は実力を試されることにはなるぞ。白霊兵団の入団試験は厳しい。それに入団したからと言って、自己鍛錬を怠れば除隊も余儀なくさせられるところだと聞く。最初から永久にとは言い難いのではないか?」
至極いたって真面目な顔で、少女のことを見上げるルーファス。手元の文房具をまとめ、カバンにしまうと、ゆっくりと立ち上がる。
「……あ、あはは。そ、そうだよね。うん。ごめんね。変なこと言って……。その、忘れてくれていいから」
「そうか? まあ、気を落とさず、頑張ってくれ。先ほど聞こえてきた話だと、ここのところ学院生の評判は、うなぎのぼりのようだ。根気よく探せば他にも『永久就職』の先は見つかるだろうさ」
「……う、うん。ごめんね。本当に、ごめんね」
目に涙を滲ませてうつむく少女。だが、ルーファスには悪気はない。今の言葉も聞きようによっては痛烈な断り文句に聞こえるかもしれないが、彼としては純粋な励ましのつもりなのだ。
そしてルーファスは、一気に気まずくなった場の雰囲気にも気付くことなく、そのまま教室を後にしたのだった。
──卒業間際の少女の淡い純情を、あっさりと粉砕してしまったルーファス。
手持無沙汰になった彼は、久々にあの場所を訪れることにした。ようやく日射しが温かくなったこの季節、涼しい風の吹く小高い丘にあるベンチ──ではなく、その真上に張り出した樹木の枝の上は、彼にとっては心休まる場所のひとつだ。
いつものように『白霊剣技』の移動技術で宙を飛び、枝の上に腰かけたルーファスは、木の幹に身体を預けてぼんやりと息を吐く。
「白霊兵団……か。だが、俺はアリアノート様の後を追いたいわけじゃない。だとしたら、俺は一体、何がしたいんだろうな?」
思わず、自問の言葉が口を突いて出てしまう。「超えるべきは自分だ」と目標を定めたところで、それではそもそも「己が何者になるべきなのか」が定まらない。学院の卒業を目の前にしたルーファスは、ここ数日、そのことばかりを考えていた。
とはいえ、彼にはそんな悩みを話し合える友人などいない。彼自身、人見知りが激しいわけではないにせよ、親しくない人間と話すことには戸惑いを覚える方だった。何を話せばいいのかがわからないため、会話が続かないのだ
「……いかんな。後輩たちの方が俺よりよほどしっかりしている」
活き活きと自分の夢を語る後輩たちの顔を思い出し、苦笑気味につぶやくルーファス。
そうやって木の上で物思いにふけることしばらく、ルーファスは足元のベンチに何者かがやってきた気配を感じた。気になってちらりと見下ろせば、白金の髪をツインテールにまとめた少女が一人、何をするでもなく腰かけている姿が目に入る。
初めて彼女と会った時、ルーファスはこの枝の上から彼女の読む本を覗き見た。そして、あろうことか自分から進んで初対面の人間に声をかけるという、彼にしては酷く珍しい行動にまで及んだのだ。
映像を拡大する光の制御魔法を使ってまで、彼がそんなことをしたのには、理由がある。
眼下で本のページをめくっていた少女は、とにかく実に楽しそうだった。本の世界にのめり込み、次のページを開く手を興奮に震わせながら、時々小さな声まで上げて、物語を読み進める彼女の姿。彼女がそんなにも夢中なれるものが何なのか、強く興味を惹かれた。
──だが、今回。
黙ったままベンチに座る少女を見下ろしたルーファスは、しばらく声をかけることをためらってしまう。彼女の肩が小さく震えている。あの時のような喜びと興奮によるものではなく、明らかに別の感情による震え。いかに察しの悪いルーファスでも、気付かないはずはない。
しばらくためらった後、ルーファスは意を決して彼女の目の前に飛び降りる。
「……………」
いきなりのことだ。驚かなかったはずはないだろうが、彼女、リリアはほとんど何の反応も示さない。
「……大丈夫か?」
気の利いた言葉など出てこない。だからルーファスは、単純に心配の言葉を口にする。
「……別に、なんでも、ありませんわ」
一瞬だけルーファスに目を向けた後、リリアは再びうつむいてしまう。それは、明らかな拒絶の意志だ。それもまた、今のルーファスに分からないはずがない。しかし、彼は引かなかった。
「なんでもなくはないだろう。何か困っていることがあるなら、力になるぞ」
「うるさいですわ。あなたには関係ありません」
ぴしゃりとはねつけるように言うリリア。
「関係はある。俺たちは仲間だろう? 俺は仲間にそんな顔をされて、自分は無関係だなどと言えるほど厚顔無恥な人間ではない」
「……だとしても、放っておいてほしいですわ」
「……俺にできることは無いのか?」
なおも食い下がるルーファス。ここでリリアが、たまりかねたように勢いよく顔を上げる。蒼い瞳には、狂おしいような怒りの感情が灯っている。
「だから! ないと言っているのですわ! あなたなんかに、どうにかできるわけがありませんもの!」
「……すまない。だが、できるかできないかは、話を聞いてみなければわかるまい。俺に何ができて、何ができないかを、君がすべて知っているわけでもないはずだ」
激昂するリリアをなだめるように、ルーファスは落ち着いた調子で言葉を返す。すると、そこでようやくリリアも気を落ち着かせたのか、大きく息を吐いて首を振った。
「はあ……。まったく、お節介ですわね。わかりましたわ。却ってエリザあたりには話しづらいことですし……聞いてくれるというなら壁にでも話しかけるつもりで、自分の気持ちを整理するのに利用させてもらいますわ」
「ああ、そうするといい」
「……はあ」
皮肉さえ通じないルーファスに、諦めたような息を吐くリリア。それから彼女は、先ほどプラグマ伯爵から聞かされた話を語った。
「なるほどな。つまり君は、その伯爵の息子と結婚するため、もうすぐ学院を辞めなければならないというわけか」
「………う」
すべてを聞き終えたルーファスから現状を端的にまとめる言葉を聞かされて、リリアは改めて実感する。好きでもない男と結婚しなければならないこと。この学院を辞めねばならないこと。そして何より、この学院で出会った掛け替えのない仲間たちと別れねばならないこと。
それまで我慢していたものが溢れ出す。ぬぐってもぬぐっても、大きな蒼い瞳からは次々と透明な雫が流れていく。
「…………」
「……な、なんですの?」
無言のまま自分の顔へと手を伸ばしてくるルーファスを見て、リリアは涙を拭っていた手を止めた。
「きゃ! ちょ、ちょっと!」
不器用に顔を拭き始めたハンカチから、慌てて顔を背けようとするリリア。
「動くな。すぐ済む」
「な、何を偉そうに……」
あまりのことに驚いたせいか、その時点で彼女の涙は止まっていた。だが、若干その頬が赤く染まっているのは、驚きのせいばかりではないだろう。
「……人に涙を拭かれるなんて、はじめての経験ですわ」
声には出さず、胸中でつぶやくリリア。
「で、でも、これでわかったでしょう? これは蒼き血を持って生まれたわたくしの運命。あなたにどうにかできるものではなくてよ。……さっきは酷いことを言いましたけど、気を遣ってくれたことは感謝していますわ」
冷静さを取り戻し、口調も元の調子に戻った彼女は、しかし、次のルーファスの言葉に、再び動揺させられることになる。
「いや、君がどんな存在として生まれつこうが、望みもしない生き方を強いられるなど間違っている。……だから、俺がどうにかしてやる」
「ど、どうにかって、どうするつもり?」
慌てたように聞き返すリリア。エリザにこのことを話せば、まちがいなく『伯爵』への直談判──最悪『力尽く』ということにもなりかねないとは思っていた。だが、まさかルーファスも、そんな過激思考の持ち主だったのだろうか?
そんな事態は彼女の望むところでもない。リリアは言葉を選ぶようにして、口を開いた。
「これはわたくしが『蒼き血の娘』として、伯爵家に迎え入れられた時からの決まり事ですの。だから、無理強いされているわけではなく……自らの責務として当然、受け入れるべきことだと、わたくし自身も考えていますわ」
「そうなのか?」
意外にもルーファスは反論してこない。リリアはここぞとばかりに話を続ける。
「そうですわ。皆と別れることも寂しくはありますが、予定が少し早まっただけのこと。結婚も……そう。わたくしは『蒼き血の娘』として、大事にしてもらえるのですから、不幸なことなんて何もありません」
「……なるほど。力尽くでの解決には問題があるわけだな?」
「え? ええ!?」
突然のルーファスの言葉に、大声を上げるリリア。かつての鈍さはどこへやら、と言いたくなるような鋭い指摘にリリアは目を丸くする。
「いくら俺が鈍いと言っても、君のことなら大抵はわかる。何と言っても俺は、ここ数か月、ずっと君のことばかりを見続けてきたのだからな」
「……わたくしを、み、見続けてきた?」
熱烈な愛の告白にも似たルーファスの言葉に、リリアの頬に再び朱が差す。
しかし、実を言うとこの台詞。ここしばらく、ルーファスが《紅天槍》対策として彼女の動きを先読みするべく『観察し続けてきた』という意味だったりする。
しかし、当然、この場にはそれを指摘するものなどいない。リリアは勘違いをしたまま、問いかけを返す。
「……そ、それじゃあ、あなたは……わたくしを伯爵の息子から奪おうと?」
自分の胸が高鳴り、頬が熱くなっていることを自覚するリリア。ちなみにこのシチュエーションは、彼女の愛読書『ヘンリエッタと二人の王子』に良く似ている。
大国の王子が伯爵の息子。彼に見初められた少女ヘンリエッタが自分。そしてもう一人、彼女を愛し、自国に連れて帰るべく頑張る小国の王子がルーファスといったところだ。
彼女がここで、あえて『奪う』という言葉を使ったのもそれが理由だった。
「……奪う? 何を言っている? 最初から君は、その伯爵の息子とやらの『もの』ではないだろう」
だから、そんなルーファスの言葉は、彼女の耳にはこう届く。
──お前は、俺のものだ。
「……うう。で、でも、いきなり、そんなことを言われても……」
顔を真っ赤に染め、おろおろと狼狽えるリリアに対し、ルーファスはゆっくりと詰め寄っていく。
「あ、う……」
刀傷のある美貌の少年に間近まで近寄られ、下げていた手までしっかりと握られたリリアは、既に呼吸さえも怪しくなってきている。
「心配するな。俺は、ようやく自分が『何者になるべきか』を理解した。俺がなるべきは、自分の護るべき者に、そんな悲しい顔をさせない男なのだ。だから……俺が君を守ってやる」
大事な後輩一人、護れない人間。そんなものになるつもりはない。彼の決意の言葉は、それはそれは立派なものだったのだが、しかし、この場面ではどう考えても熱烈な愛の告白以外の何物でもなかった。
そして、それに対するリリアの返答はと言えば……
「……が、頑張ってくれたら、考えておきますわ」
と、いうものだった。
次回「第119話 邪竜の謎と黎明の国」