第116話 少年魔王と薄い本
白季の第一日。
天気は快晴。草花が咲き誇り、蝶が舞い、穏やかな日差しが降り注ぐこの季節、ルーヴェル英雄養成学院には、多数の入学志願者たちが集結していた。
「ついにこの日が来た! エリザ・ルナルフレアみたいな英雄に、俺もなってやるぜ!」
「ここに入学すればネザク様に会えるのよね? よーっし、頑張らなくっちゃ!」
口々に自分の決意を語りあう志願者たち。見れば、友達同士で参加している者も多いようだ。志願者たちへのあいさつを終えた後、校庭の一角からそんな彼らを見つめるアルフレッドは、小さくため息を吐いた。
有名人に対する憧れや興味本位だけで入学できるほど、この学院の試験は甘くない。少なからぬ危険があるという話は、最初から伝えてあるはずなのだが、それでもこの有り様だ。
「平和な時代が長く続いてきたせいでもあるのかな」
「ええ、幻樹王に飲み込まれた記憶も、邪竜戦争の記憶ほど生々しい『死の実感』はないでしょうからな」
アルフレッドのつぶやきに、エリックが相槌を打つ。
昨年同様、志願者たちはこの学院をスタートして各地のチェックポイントを巡り、再びこの学院に戻ってくることを試験として課されている。しかし、三千名を超える彼らを一斉に巡らせるのでは、試験官による管理監督も追いつかない。
そこで考えられた案が、『第一関門』で大半の志願者たちをふるいにかけてしまおうというものであった。
複数の組に分けられた志願者たちは、指定されたチェックポイントに集められる。そしてそこで……恐ろしい『試練』に遭遇することになる。
その最初のチェックポイントでは、阿鼻叫喚の地獄絵図が広がっていた。
「ひいいい! 嘘だろ? なんだよ、これ! 何であんな化け物が!」
「骨の化け物! きゃああ! 怖い怖い怖い!」
泣き叫ぶ志願者たちを追いかけるのは、禍々しいアンデッドの群れ。そしてその後ろには……
「オホホホ! ほらほら、人間ども! 早く逃げないと、わたくしの可愛い下僕どもの餌食になりますわよ? オホホホ!」
蒼髪を振り乱し、悪鬼のごとき形相で笑い続ける妖艶な美女の姿。霊界第五階位の『死霊の女王』ことアクティラージャだ。手にした鎌には、わざわざ真っ赤な色が塗りたくられ、志願者たちの恐怖をあおっている。
「ああ、さいこう! 年端もいかない子供たちが怯える姿! ああ、もう達してしまいそうだわあああ!」
色々と危ない言葉を連発しながら、蒼髪の妖女は手近なところにいた一人の少年を捕まえる。
「ひ、ひい! ゆ、許してください!」
「あらん? 可愛いわねえ。もう、食べちゃいたいくらい……」
「あ、あばば……」
真っ赤な唇から紡がれた、甘く囁くような声。しかし、少年は目の前の人外が自分を見つめる常軌を逸した金の瞳を前にして、泡を吹いて気絶してしまう。
「うーん。一応、『やりすぎ』がないか、監視をするように言われてはいるけれど……」
そんな地獄絵図を上空から見下ろしながら、淑やかな印象の白髪の少女がつぶやく。
「ああいう種類の『やりすぎ』は、規制すべきか判断に迷うところではあるな……」
その言葉の後を継いだのは、もう一人の少女だ。先ほどの少女に比べ、若干目つきがきついようにも見えるが、顔の造形そのものは鏡写しのようにそっくりだった。
イリナとキリナ。クレセント王国が誇る双子の姉妹が見下ろす先で、一次選抜は蒼髪の妖女の手によって、着々と進んでいく。
災害級の『魔』を目の前にしても、冷静さを失わないだけの資質を持つ者を選抜するための試験。
「オラオラ! ガキども! ちっとは戦えや! 臆病風に吹かれて逃げ回っているようなら、俺が『豪怪』に焼き尽くしてやるぜ!」
ある組では、真っ赤な体毛をした狼男がげらげらと笑いながら暴れている。獄界第六階位の『真紅の人狼クリムゾン』。闘争心の塊のようなその化け物は、文字どおり怪気炎を吐きながら、志願者たちを追い散らしている。
「余に頭を垂れよ……。矮小なる者ども。その小さき命を我に捧げよ。汝らはまさに、そのためにこそ、この星界に生を受けたのだ。我が糧となることを光栄に思うがよい」
ある組の目の前には、豪奢で重厚な全身鎧を身にまとい、立派な口髭と輝く王冠で頭部を彩る王者の姿があった。暗界第五階位の『暗黒の帝王ブラックバロック』。存在そのもので他者を踏みにじる人外の王は、トゲ付きの巨大な鉄球を振り回し、地響きを鳴らして志願者たちを威圧している。
「あなたたちの生きるこの世界、踏みしめるこの大地、明日を誓った仲間たち、抱きしめあった最愛の恋人……すべてがまやかし。すべてがごまかし。さあ、真実など、どこにもなきこの世界で、私が生み出す永遠の夢に漂いなさい」
そしてまた別の組では、白き衣を身に纏い、優しげな笑みを浮かべる麗しき乙女が一人。幻界第六階位の『幽玄の聖女メルリア』。月影の一族を思わせる純白の髪を長く伸ばした儚げな美女は、掲げる光で視界を乱し、奏でる言葉で心を惑わし、生み出す幻で志願者たちを苦しめている。
そして、それら恐るべき災害級の『魔』の数々を召喚してのけたネザクはと言えば──飛行型の『魔』に乗ったまま、アルフレッドと二人、会場の1つを上空から見下ろしていた。
自然顕現のアクティラージャを除き、今回の試験に召喚されたすべての『魔』は、ネザクの制御下にある。幻樹王との戦いを経てさらに力を増大させた今のネザクにとって、災害級の『魔』を複数、遠隔地から同時に操作するという離れ業でさえ朝飯前だ。
とはいえ、現在彼の眼下で飛び回り続ける『魔』は、今回召喚した災害級の中でも飛びぬけて凶悪な存在であり、念のためネザク自身がその『戦いぶり』を見守る形を取ることにしたのだった。
「殺殺殺殺! 嬉々嬉々! 我、好、戦闘! 暴力! 行使!」
「い、いやだああ! 死にたくない!」
逃げ惑う志願者たちを追いかけ回しているのは、暗界第四階位の『魔』、災害級の中でも最強の『堕落天王ルシフェル』である。もちろん、ネザクが制御を維持しているため、彼が本当に志願者を殺してしまうことは無いだろう。
「なんでこんなところに『悪魔』がいるんだよ!」
「う、嘘だろ? これ、学院の試験だよな? なんでこんな、この世の終わりみたいな……」
「に、逃げ……、あ、ああう……」
「恐怖? 怯懦? 笑笑笑!」
ルシフェルは黒い羽根を撒き散らし、辺り一帯に志願者たちが怪我をしない程度の小規模な爆発を引き起こしていた。
「……俺としては、流石にルシフェルは止めた方がいいと言ったんだけどな」
疲れたような顔でつぶやくアルフレッド。そもそも、今回のような方法で『一次選抜』を行うことになったきっかけは、カグヤの発案である。
教員総出で緊急的に一次選抜用の試験内容を検討することになった会議の場で、彼女は「要はふるいに掛ければいいんでしょ?」とばかりにこんな提案をしてきた。
とはいえ、アルフレッドには彼女の考えは見え透いている。要するに「試験の準備なんて面倒くさい」ということだろう。
だが、他の教師たちも急ごしらえの試験準備に辟易していることを承知の上で、「渡りに船」ともいうべき案を絶妙なタイミングで提示してきた彼女の手腕には、アルフレッドも舌を巻くしかない。
その後始末、というかフォローのためもあって、アルフレッドは試験官の役割を自ら進んで引き受けたのだった……。
「院長先生、どうしたの?」
アルフレッドが何かを言いたげな顔をしていることに気づき、ネザクが問いかけてくる。
「あ、ああ……実は、君の姉さんのことなんだけど……」
「うん」
「最近、何か言ってなかったかい?」
「え? なんで?」
「……い、いや、どうもここのところずっと、彼女に避けられているような気がしてさ」
アルフレッドがそう言うと、何故かネザクは目を丸くする。そんな様子さえ、まるで少女のように可愛らしい。それから少年は、何かをこらえるように身体を小さく震わせる。
「せ、先生……。それ、本気で言ってるの?」
「え? どういうことだい?」
「どういうことも何も……。まあとにかく、カグヤにはもう少し弟離れもしてもらいたいし、先生が頑張ってくれないと困るんだからね」
実のところ、『弟離れ』うんぬんは別にしても、アルフレッドのカグヤに対する真剣な想いを知るネザクとしては、彼に協力してやるにやぶさかではなかった。
「うーん、頑張ると言ってもなあ……」
「……じゃあ、ひとつだけ」
「え?」
「今度、カグヤを食事にでも誘ってあげてよ」
「ええ!? い、いや、無理だよ。そんなことをしても、手酷く断られるのがオチだろうし……」
アルフレッドはネザクの突然の提案に、戸惑ったように首を振る。
「大丈夫。カグヤのことは弟の僕が一番知ってるんだから。今回だけは僕が太鼓判を押すよ」
ネザクは胸を張って言った。
「……うーん。まあ、食事に誘うくらいなら、『同僚の教師として』みたいな意味合いでできるかもしれないし……よし、やってみるか」
何処までも臆病なアルフレッドの発言を聞きながら、ネザクはやれやれと首を振る。
そんな彼らの真下では、志願者たちの大半が『悪魔』に対する恐怖のあまり、気絶を余儀なくされていた。
──英雄への夢に燃え、学院への入学希望者が阿鼻叫喚の地獄絵図の中で必死に戦い続けているその時、学院では大いなる野望に向けた計画が進行しつつあった。
その主犯格の名は、ルカ・フローレンス。
かつての魔王ネザクの居城においては、彼女は魔王に直接仕える数少ないメイドの一人として、彼の身の回りの世話をはじめとするあらゆる雑事に取り組んでいた。しかし、今の彼女は違う。『魔王のメイド』という地位こそ捨ててはいないが、現在の彼女にはそんな雑事にとどまらない、壮大な野望があるのだった。
「ルカちゃん……。ほんとにやるの?」
『作戦会議室』(食堂)において、彼女の腹心の部下ともいうべき少女が呆れたように作戦机(食卓)に肘をつき、だらしなく息を吐いている。
「当たり前よ。今、この時流に乗らない手はないわ。ネザク様の性格、どんな時にどんな反応をして、何を喜んで何を嫌がるのか? 笑い方やしぐさの癖、その他もろもろをこと細かく知っているのは、長い付き合いのあるわたしとあなた。二人しかいないのよ!」
「それを言ったら、カグヤ様もそうだと思うけどなあ……」
しかし、握り拳をつくって力説するルカには、相棒の声は聞こえない。
「うーん。なんだか知らないけど、面白そうにゃん! サンマもとってもおいしいし!」
なぜかこの『作戦会議室』には、もう一人、猫耳の少女が座席に腰掛けている。彼女の目の前には、おいしそうに焼けた『サンマ定食』が置かれており、怒涛の勢いでそれにぱくつく彼女の姿は、総司令官たるルカの作戦が成功していることを示していた。
「エリック様も……あっさりサンマで買収されるような子を秘書にしちゃうとか、どうなのかなあ」
リラはなおも首をひねるが、サンマを咥えたドラ猫……もといシュリは、上機嫌な顔で笑う。
「もちろん、エリックおじさまがシュリにべた惚れだからだにゃん!」
「そ、そっか……」
返す言葉を失うリラ。実のところ、ここ最近のエリックとシュリの仲の良さは、彼女としてもよく知るところであり、あながち否定もできないところがあった。
「ここのところ、この学院にも恋の季節が到来しているのは確かだけれど、やはりその最たるものといえば! ……ロザリー王女様とネザク様、そしてエリザ様の恋の三角関係よ!」
夕方の『作戦会議室』には、人もまばらであるとはいえ、あまり大声でいうべき話ではないのではないか? リラはそう思ったが、力説を続けるルカはそんな話など聞く耳持つまい。やむなく彼女は、別の言葉を口にした。
「でも、だからって……三人のお話を本にして学院内で売るだなんて、さすがにまずくないかなあ?」
「だからこそ、シュリさんに味方してもらうことにしたんじゃない。情報の出所を分散することで、元締めの存在に気づかせない。それこそが本作戦の要よ。それに……勘違いしては駄目よ。わたしたちは、『情報』を売るだけなの。……あくまで『本』は、この学院でそうした文才や絵心のある人たちに頑張ってもらうわ」
「にゃはは。最近、その手の情報操作ばっかりやってるから、任せてよ。エリックおじさまからは、その辺の話がエルムンド副院長に伝わらないようにするよう指示されてるし、ある意味、ちょうどいいにゃん」
あっという間に『サンマ定食』を完食し、満足げに口元を拭くシュリが笑う。
「それにね。リラ。想像してごらんなさいよ。あの三人が……あれこれ絡み合う姿を絵にしてもらえるのよ? 見てみたくはないかしら?」
長年の相棒に向かって、悪魔のささやきを口にするルカ。その言葉を受けてリラは……
「……か、絡み合う? み、見てみたいかも……」
食事もしていないのに涎をぬぐう仕草をしつつ、早くも陥落してしまったのだった。
次回「第117話 英雄少女と姫の憂鬱」




