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少年魔王の『世界征服』と英雄少女の『魔王退治』  作者: NewWorld
第2部 第5章 魔王と英雄と狂気の挙式
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第115話 恋の悩みと仕事の悩み

 エレンタード王国の王女、ロザリー・エレンタードは悩んでいた。王族として不自由のない生活を送ってきた彼女は、何かにこんなにも悩んだ経験などない。上二人の兄に次いで生まれた待望の女子ということもあってか、父王は自分のことを目に入れても痛くないほどに可愛がり、欲しいものなら何でも与えてくれた。


 高貴な身分によるメリットに留まらず、彼女自身が持つ生来の美貌も手伝って、社交界でも貴族たちの羨望の眼差しを浴びる立場にあったし、兄たちも可愛い妹をもって悪い気がしないらしく、自分を散々に甘やかしてくれた。


 だから、手に入らないものがあるという今の状況は、彼女にとって未知の領域だった。


「ネザク様……」


 その日もロザリーは、学院にある来賓用の館の一室で、一人溜め息をついていた。

 エリザに向かって『宣戦布告』をしてはみたものの、勝ち目が薄いのは明らかだった。それはあの日、エリザが行方知れずとなった直後のネザクの様子からも見てとれた。そして何より、戦いから帰還した二人の間には、自分が立ち入ることのできない絆のようなものが、これまで以上に強く感じられるのだった。

 

「……く! どうして、こんな」


 忌々しい。胸が苦しい。最初はただの『白馬の王子様ごっこ』だったはずのロザリーの想いは、いつしか本物に変わってしまっていた。そのせいで、彼女はこんなにも苦しまなくてはならないのだ。


「なんのために、わたくしが……こんなところにいると思って……!」


 彼女は改めて周囲を見渡す。王族である自分が滞在するには、あまりにも質素な部屋だ。アルフレッドは何を考えているのかと言いたくなったが、そもそも身分を笠に着て無理矢理居座っているのは自分の方である。ましてや星界でも最高の英雄と名高い人物に、そんなことで苦情を申し立てたりすれば、自分の器の小ささを示す結果にしかならないだろう。


 悔しげに唇を噛むその所作も、色気のある美しさを醸し出してはいるのだが、それを見る者はこの場にはいない。セバスチャンについては、本国に送還した。身の周りを世話するメイドやその他の使用人こそ残したものの、人払いを済ませたこの部屋に立ち入るものなどいるはずもない。


 ……いないはずだった。


 しかし、その時──がちゃりと部屋の隅から物音が聞こえてくる。ロザリーは反射的に立ち上がり、そちらを振り向く。見れば、バルコニーに面した窓が開けられている。しかし、ここは二階である。そんなところからの侵入者など、ろくな相手であるはずがない。


「だ、誰なの!?」


 だが、姿が見えない。ロザリーは身体を震わせながら、使用人を呼ぶための呼び鈴を探した。しかし、動揺のためか、思うように見つからない。


「はじめまして」


「え?」


 かけられた声に、ロザリーは驚きを隠せない。相手の姿が依然として見えないからだ。……否、見えないわけではなかった。声の発生源に目を向けるべく、彼女は自らの視線を下げた。そうすることで、目に留まるものがある。


 わずかに癖のある綺麗な金の髪。お姫様らしく仕立てられた上等そうなドレス。いささか汚れが目立つが、元からのものではない。強いて言うならば……そう、土埃や木の葉など、まるで『庭の木を登って』ここまで上がって来たかのような汚れだった。


「ロザリーさま。わたしはエレナ。西のリールベルタ王国のおうじょですわ」


 ドレスの汚れを払いながら、幼女はスカートの裾をつまみ、優雅に一礼して見せる。


「お、おうじょ?」


 呆気にとられたように口を開け、固まってしまうロザリー。もちろん、彼女も噂には聞いていた。この学院には、辺境の出とは言え、自分の他にもう一人、王女の身分を持つ少女がいると言う事実を。

 しかし、聞いた話では『彼女』は四歳だったはずだ。舌足らずなところはあるとはいえ、こんなにも堂々たる所作であいさつの言葉を口にする少女が、本当にその年齢なのかは疑わしいところだった。


「……で、ではなくて、貴女……まさか、そこの木を登ってきたのですか?」


 ロザリーは、恐る恐る問いかける。そんなはずはない。仮にも一国の王女が木登りをして部屋に侵入するなど……、いや、それ以前に四歳の幼女にそんな真似ができるはずがない。しかし、そんなロザリーの想いを裏切るかのように、エレナは胸を張って頷いた。


「うん。だって、使用人の人が入れてくれないんだもん」


 早くも言葉遣いが変わっていた。どうやら最初の台詞は、事前に一生懸命練習してきたものらしい。そう思うと、先ほどまで妖怪じみて見えていた目の前の幼女が、途端に可愛らしく見えてくる。


「……うふふ! そうね。今度良く言って聞かせておきますわ。小さなレディがおいでになった際には、丁重におもてなしするようにってね?」


 笑いながらロザリーは、エレナに応接のソファへと腰かけるよう勧めた。それから、人を呼んでお茶でも出してやろうかと思ったものの、エレナはこれでも立派な不法侵入者である。かといって、ロザリーは自分でお茶を淹れたことなどない。


 どうしたものかと思い、おろおろしていると、エレナは小さく首を振る。


「今日は、作戦会議に来たの。だから、お菓子はお話の後でね」


 小さな王女様は、そんな風にのたまった。お菓子は貰って帰るつもりらしい。


「ふふ! でも、作戦会議って何かしら?」


 すっかり面白くなって、同年代の親しい友人に話しかけるように言うロザリー。考えてみれば、こんな風に誰かと話すなど、久しくなかったことだ。かつてのロザリーなら、いくら一国の王女とは言え、こんな無礼な振る舞いをしてくる相手に対しては、冷たく突き放す対応をしていただろう。

 しかし、この学院で過ごした非常識な日々が、彼女の心を柔軟なものに変えていた。何より、目の前の幼女は、そんな彼女の心の防波堤など、まるで苦もなく乗り越えてきてしまうのだ。


「もちろん、とのがたを振り向かせるための作戦会議よ!」


 ソファの上で足をぶらぶらさせながら、握りこぶしをつくるエレナ。


「と、殿方を振り向かせる?」


 目を丸くして問いかけるロザリーに、エレナは真剣な瞳で頷きを返す。


「わたし、知ってるの。ロザリー様とわたしは、おんなじなの」


「え? 同じ?」


 エレナの言葉には脈絡がなく、意味不明だ。だが、面食らったまま瞬きを繰り返すロザリーに向かって、彼女はすらすらと言葉を続ける。


「ロザリー様、ネザクお兄ちゃんのこと、すきなんでしょ?」


「へ? あ、あう……」


 相手が幼女でも面と向かってそんなことを指摘されては、流石に恥ずかしい。


「でも、ネザクお兄ちゃんには……エリザがいる」


「そ、それは……」


 言葉に詰まるロザリー。というか、本当にこの幼女、四歳なのだろうか?


「わたしも、エドガーと結婚してあげようと思ってるんだけど……やっぱり『こいがたき』がいるの」


 憤慨したように頬を膨らませるエレナ。そこで、それまで呆気にとられていたロザリーは、ようやくエレナが何を言いたいのかを理解した。


「……お互いに似た者同士。だから、助け合いましょう。そういうこと?」


「うん!」


 エレナは元気よく返事した。


「……ふふ。そうね。まだ、諦めては駄目だわ。ええ、じゃあ、よろしくお願いしますね、エレナ様?」


 ロザリーは、百万の援軍を手に入れた気分でエレナに笑いかけていた。


 そして、その日以降、ロザリーの滞在するその館には、しばしば四歳の幼女が出入りする姿が目撃されることになるのだった。


 一方、ちょうどその頃、館の前には一人の少年が立っている。


「くそ……あの姫様。二階まで木を使ってよじ登ってくとか、どんな無茶だよ。ばれないように糸で助けるのがどんだけ大変だと思ってるんだ」


 ……同時に、この日以降、彼女の単独行動を心配する特殊クラスの面々から『護衛役』を任命された銀狼族の少年が、ストーカーよろしく幼女の後をつけ回す姿も学内中の噂となってしまうのだった。




──幻樹王による世界全土の侵食は、人々の意識を大きく変えた。


 彼らは皆、自分たちがこれまで生きてきたこの世界が、いかに薄氷の上の存在であったのかを改めて思い知らされた。そして同時に、そんな未曽有の危機を救った『英雄養成学院』の重要性を改めて認識させられるに至ったのだ。


 そこで各国は、こぞって同様の学院を自国に設立するべく動き出す。とはいえ、一朝一夕と言うわけにもいかない。そのため、ルーヴェル英雄養成学院には、多くの入学志願者が殺到することとなった。


「じゅ、十倍?」


「はい。今年度の応募者数が約三百名であったのに対し、来年度の志願者はおよそ三千名に達しようかという勢いです。正直、志願の申し込み書類を整理するだけで、学院の事務員たちが疲労困憊となっていますね」


 学院長室で呆気にとられるアルフレッドに対し、疲れ切った顔で淡々と報告を続けるのはエリックだ。副院長のエルムンドはと言えば、『入学試験』の試験官長を務める関係上、そちらの事前準備に追われている状況だった。


「ど、どうするんだい? 試験はもう三日後なんだろう?」


 厳しい寒さの続いていた『黒季』は間もなく終わり、草木も芽吹く麗らかな『白季』が訪れようとしているこの時期、学院では新年度開始前の一か月間を使って新入生のための入学試験を行うことになっている。


「さすがにあの手の危険な試験を三千人では、試験官の手が回りませんな。簡単な筆記試験や実技試験を課すという手も考えられますが……」


「うーん……」


 頭を悩ませるアルフレッド。英雄としての資質を試すには、かつてエリザたちが受けたような実戦形式の試験の方が望ましいのだが、かといってエリックの言うとおり、人数規模が増えてしまえば難しい問題が発生する。


「二段階に分けると言うのは?」


「一次試験で選抜後に、実戦形式ですか? ただ、それだと昨年よりゴールまでの期間を短くせざるを得ないでしょうな」


「それは仕方ないさ。短くても、一応は意味のある試験だと思うし」


「わかりました。エルムンド副院長も大体同じ意見ですし、このまま準備を進めますよ」


 頷くエリック。だがここで、彼の言葉にアルフレッドが小首を傾げる。


「ん? それじゃあ、方針はもう決まっていたってことかい?」


「……いえいえ。ここのところ、学院長様が女に熱を上げて公務をおろそかにしているので、あらかじめ下準備を進めておきましただなんて、言ったつもりはありませんぜ?」


「……ちょ、ちょっと待ってくれ。あれには深いわけがあって……」


 途端に慌てたように言い訳を始めるアルフレッド。あの保健室での一件以降、これまで以上に露骨に自分を避けるようになったカグヤのことで頭がいっぱいだったアルフレッドは、ここ最近、何を聞かれても上の空だった。


「いやいや、いいんですよ。俺たち下々の者が、このくそ忙しい時期に汗水垂らして働くのは当然ってものです。ましてや五英雄様でらっしゃる学院長に、些末なことで気を煩わせてはいけませんからな」


「……い、一体どうしたんだ? いくらなんでも機嫌が悪すぎだと思うんだけど……」


 エリックあまりの言いざまに、思わずそんな問いかけをするアルフレッドだったが、これがまさに火に油を注ぐ結果となった。エリックはとうとう敬語をかなぐり捨て、睨みあげるようにしてアルフレッドに指を突き付けたのだ。


「今回の『幻樹王』の一件、確かにあんたは良く戦ったし、頑張ってくれたと思う。でもなあ……俺たちの『戦い』はその後が本番だったんだぜ?」


「え?」


「星界全土を覆う樹木の化け物。そんなものを誰がどうやって倒したのか? あの状況じゃ本来、俺たち以外は誰も知る由がない話だ。だが、何故か世界中の人間がそれがネザクの仕業だと気付いていた。だから……あの直後からひっきりなしに各国からの問い合わせだの、実はお前たちが黒幕だったんじゃないかとかいった的外れな抗議だの……俺たちはひたすらずっと、その対応に追われてた」


「あ、う……」


「その間、何を聞かれてもろくに答えもしない。書類には手も付けない。時折ふらりと執務室からいなくなる。……そりゃあ、皮肉の一つや二つ、言いたくもなるってもんだぜ。それがましてや、女がらみの悩みでウジウジしてやがったてんだからな!」


 ほとんど怒鳴り声と言っていいほどに声を張り上げるエリック。


「ご、ごめん! 俺が悪かった! いや、本当にどうかしてたよ。ごめん。本当にごめん!」


 アルフレッドはただひたすら、平謝りに誤り倒す。


「……ったく。めんどくさいことやってないで、さっさと押し倒すなりなんなりすればいいだろうが。見ていて苛々するんだよなあ」


「い、いや、エリック? こんなことを言うのもなんだけど、君、かなりガラが悪くなってないか?」


「育ちが悪くてね」


「いや、下級貴族の出だって話だし、平民出の俺よりよほどいいんじゃ?」


「じゃあ、ここ一年くらいの出来事が原因だな。あの魔女に振り回されることから始まり、あちこち国を変遷した挙句、非常識にも程がある学院に就職することになるなんざ、本当、人生ってのはわからないよなあ」


 ぼやくように嘆息するエリック。


「後悔、してるのかい?」


 そう訊けば、エリックは苦笑いを返してくる。


「いや? あのまま地方の騎士隊で腐っているよりは、よっぽど面白い経験をさせてもらってると思うぜ。だから、後悔はしていない。……でもなあ」


「なんだい?」


「後悔しない選択肢の先に待つものがこれじゃ、俺って本当、どんな月の下に生まれたんだろうな?」


「あはは……。ごめん。かける言葉が見つからないや」


 天を仰ぐようにしながら呻くエリックに、アルフレッドはただ、乾いた笑いを返してやるよりほかはなかったのだった。

次回「第116話 少年魔王と薄い本」

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