第109話 同化の儀式と悪夢の景色
森林国家ファンスヴァールについて。
長い耳と白い肌、淡い金の髪が特徴のエルフ族が国民の大半を占める国だ。一般的に長命だと信じられている彼らだが、その実、『ハイエルフ』と呼ばれる特別な存在を除いては、他種族と比較してもそれほど寿命に大きな差はない。
ただ、彼らの子は、白季にしか誕生しない。獣人族のような意図的な調整などではなく、現実に生まれてこないのだ。例外があるとすれば、他種族との混血児のほか、彼らの故郷たる『弓張り月の森』から離れたまま、数世代を経たエルフの子供ぐらいのものだ。
そうした事情もあり、エルフ族は人口が少なめで、かつ『白霊術』に特化した才能を持った種族となっている。
また、国土のおよそ9割を森に覆われたその国は、『弓張り月の結界』と呼ばれる強力な護りの力を有している。そのためか、これまで、ただの一度も敵の侵入を許したことは無かった。
──ただし、それは正面から敵の侵略を受けた場合に限っての話である。
今からおよそ十年前。邪竜戦争のただ中において、この美しい森林国家は破壊と掠奪の嵐に巻き込まれたことがあった。広大な森は、そこに暮らすエルフたちでさえ、その全容を把握しきれないほどに入り組んでいる。
そんな森の広大さを逆手に取るように行われたのは、当時存在していた隣国の兵士たちによる、潜入工作・ゲリラ作戦の数々。
焼け落ちた集落。逃げ惑う人々。破壊と掠奪を繰り返す敵国の兵士たち。
少年は、自分の家族を殺した彼らの顔を今でも夢に見てしまう。自分に先んじてハイエルフの少女が討ち取ってしまったことで、今や永久に仇を討つこともできなくなった彼らの、血に飢えた野獣のようなその顔を……。
「……正直に言えば、わたしはあの時自分が助けた少年が、こんな風にまともに育ってくれるとは思わなかったよ」
「……まとも、ですか?」
訓練を終え、それぞれの帰路につく道すがら、不思議そうに首をかしげるルーファス。白い顔に斜めに走る刀傷。見る者に威圧感しか与えない無惨な傷跡を、彼はあえて残している。
アリアノートは、そんな彼の傷を見つめながら、過去の記憶を思い返していた。戦争で両親を失い、自らも酷い怪我を負いながら、復讐の気持ちを忘れないがために傷の治療を拒否した少年。
「ああ。あの頃の君は、復讐のことしか頭にないように見えたからな。……その傷にしたって、本来なら跡形もなく治せるはずのものだった」
当時、襲撃された集落を救うために森を駆けまわっていたアリアノートは、そんな彼を人に預けた後、後ろ髪を引かれる思いで戦闘に戻った。
通常の両親から突然変異のダークエルフとして生まれた彼にとって、その類まれなる魔力を生かすこともできず、大事なものを守れなかったという心の傷は深いものだ。復讐心に身を焦し、自滅する恐れさえあると思った。
「……多分、それは違うんです。俺は、俺の両親を殺した奴が憎かったわけじゃない」
ルーファスは重い口を開き、心の内を吐露するように言う。
「なに?」
「俺は、『無力な俺』が憎かった。誉れ高きダークエルフだなどともてはやされ、あの人たちの期待を一身に受けながら、結局は何もできなかった俺自身が、どうしようもなく憎かった。そして、何よりも──アリアノート様。俺は貴女が憎かった」
「……ルーファス?」
ルーファスの意外な告白に、アリアノートは言葉を失う。
「俺と大して違わない年齢の頃から、貴女はすでにして『最強の魔法使い』だった。そのせいで俺は、俺の無力を俺の幼さのせいにはできなかった。それは、俺には耐え難い苦痛でした。だから俺は、強くなるためにこの学院に入った。貴女の背中を追うために」
「……そうか」
結局、どんなに考えたところで、アリアノートが彼にかける言葉などない。
「でも、俺はエリザに会って、彼女を見ていて、気付いたんです。俺が超えるべきものは、俺自身なのだと言うことに。俺は、貴女にはなれない。誰かの背を追いかけているだけでは、決してどこにも辿りつけない。……俺の『星心克月』は、それなんだと思います」
「その答えが、これか」
アリアノートは、ルーファスが常時周囲に展開し続けている白霊術の術式を見た。白霊術に極めて秀でたハイエルフである彼女には、常人には見ることもできない待機状態の魔法を感知することができた。何故か神経質なまでに厳重な防御用の術式が目につくが、その理由は聞かない方がよさそうだとアリアノートは判断している。
ルーファスの技能。それは魔力では遠く及ばぬアリアノートに対し、制御能力、並列処理能力、効率性、多様性など、単純な破壊力を除くあらゆる面で匹敵し、あるいは凌駕する。
「はい。これが……『俺』です。俺は俺が目指すべき英雄像が、まだわかっていません。でも、それでも、『何が俺なのか』だけは、見失わないようにしたいんです」
「……だったら、何も心配はないさ。己を見失わない奴には、きっと己の目指すべき道も見えてくる。だから……頑張れ」
「……はい」
夕暮れの道。男子寮へ向かうべくアリアノートと別れたルーファスは、彼女の言葉を胸に刻むのだった。
──白く濁った霧の中。
『弓張り月の森』の奥深くには、国家とあまり関わりを持たず、ひっそりと生活を続けているエルフの集落があった。自給自足を常とする彼らは、森の中に畑をつくり、森の獣を狩り、森の木々を伐採して住居を造り、日々の暮らしを営んでいる。
総勢100人あまりの集落。
しかし、今この時、その集落には奇妙な光景が広がっていた。
「う……あ……は、う……」
「う……はは……」
集落を覆い尽くす白い木々。大地を突き破るように無数に生え散らかった樹木は、集落に存在するあらゆるものを飲み込み、自身に同化させていく。
そしてそれは、そこに棲むエルフ族でさえ、例外ではない。
白い樹木に巻きつかれ、身動き一つできない状態で立つエルフたち。しかし、彼らの顔には苦痛の色は無い。むしろ一様に恍惚の表情を浮かべ、白い樹木にされるがままに身体をゆだねている。
〈クカカ……可愛い可愛い子供たち。さあ、今こそ、わらわの中に。わらわに混じり、わらわに同化し、わらわの一部となるがいい。それは決して、恐ろしいことではない。甘くて、気持ちよくて、永遠に続く心地よい夢……〉
集落に響く不気味な女性の声。ずるずると何かを引き摺るような音と共に、集落に満ちていく白い樹木。それらはやがて、エルフたちの全身を覆いつくし、その存在を飲み込んでいく。
この光景を他に見る者があれば、あまりのおぞましさに身の毛のよだつ思いがしたことだろう。だが、飲み込まれゆくエルフたちは、快楽に身をゆだねるかのように、奇妙に歪んだ笑みさえ浮かべていた。
〈クカカ! あと百年はかかると思っておったが、ミナレスハイドの奴のおかげで、随分と短縮できたものだのう。……待っておれよ、『星辰の御子』。今再び、汝を取り込み、わらわこそが星そのものに……母上の望む『あのヒト』となって、母上の御許に還ろうぞ!〉
その日、ファンスヴァールの森に点在する数十の集落は、音も無く白い森に飲み込まれ、そこに暮らす住民ごと消滅した。
──故郷の異変を聞きつけたアリアノートは、一も二もなく学院を飛び出した。
伝え聞く状況だけでも、異変の程度はうかがい知れる。状況はすでに、国家存亡の危機とさえ言えるほどのものだった。
森を飲み込む白い樹木。異変そのものの原因には心当たりはないものの、ソレが何なのかは想像がつく。『弓張り月の森』の奥深く、ほぼ中央に鎮座する神聖なる樹木。エルフたちの間では『白霊樹』の名で知られる御神木だ。
「だが……あれは、われらエルフの守護神ともいうべきものだったはずだ。それがなぜ……」
アリアノートは故国への道をひた走りながら、一人つぶやく。周囲の風を制御しつつ、速度を上げて走る彼女の姿は、常人の目には霞んで見えることだろう。
「『白霊樹』って言ったら、あれだろう? 『弓張り月の結界』の発生源にして、君の最強魔法『弓月の白霊砲』の発動媒体でもある、ファンスヴァールの要ともいうべき樹木だよね」
「なに!?」
頭上から聞こえてきた慣れ親しんだ男の声に、アリアノートは驚いて顔を上げる。
「ア、アズラル? どうしてお前が……」
「どうしてとは随分だね、ハニー。君が心配だったからに決まっているじゃあないか」
「……そ、そういうことではない!」
その頃には、彼女の足も止まっている。彼女の深緑の瞳が向けられた先には、悠然と浮かぶ黒い鳥。そして、その背には、黒づくめの賢者の姿。
「君が得た情報ぐらい、僕が掴んでいないはずもないだろう? そして、その後の君の行動が予測できない僕でもない」
「だ、だったら、わたしがどこに向かうのかはわかっているのだろう?」
「まあね。あの森は、僕にとっては随分な危険地帯だ。でも、愛する妻が死地に向かおうというのに、夫たる僕がそんなものにびびって動かずにいるなんて、あり得ないさ」
黒鳥の背から降りたアズラルは、そう言って優しく妻へと笑いかける。
「……ま、まったく、お前と言う奴は」
黒縁眼鏡の奥から向けられる愛情に満ちた視線を前に、アリアノートは頬を赤らめ、小さく体を震わせた。
「それとも、迷惑だったかな?」
「……意地悪な奴め。そんなの……嬉しくないわけがないじゃないか。わ、わたしは……最高の夫をもって幸せだよ」
そう言って、アリアノートが満面の笑みをアズラルに向けた、その時だった。
周囲の気配が、突如として一変する。ファンスヴァール領とエレンタード領の境にあたるこの場所は、依然として木々もまばらな平原地帯だったはずだ。
だが、向かい合うように立つ彼らの周囲を取り囲むのは、真っ白な樹木の数々。幹や枝はおろか、本来なら緑であるはずの葉でさえも純白そのもの。
自然にはあり得ない色合いのためか、姿こそ本物の樹木そのものでありながら、まるで精巧に造られた紛い物のような印象が強い。
「こ、これは一体……」
「……ハニー。防御魔法を展開するんだ」
言いながらアズラルは、自身の周囲に無数の《影の兵士》を出現させている。
「くそ! こんな国境のあたりまで……これじゃあ、ファンスヴァールは……! おのれ! 発動、《烈火の拡散弾頭》!」
悔しげに叫びつつ、アリアノートもとっさに炎の魔法を発動させ、不気味に蠢く樹木の群れへと撃ち放った。しかし、放たれた炎は白い樹木に触れるや否や、吸い込まれるように消滅していく。
「なんだと!?」
「来たよ! ハニー!」
しゅるしゅると伸びてくる白い枝。アズラルの操る黒い兵士は、手にした剣でそれを斬り裂き、打ち払う。
「よし! 少なくともまったく攻撃が効かないわけじゃあなさそうだ。このまま殲滅するぞ!」
などとアズラルが安心したように声を上げた、その時──
〈クカカ……こんなところにいたのじゃな? アリアノート。わらわの可愛い愛娘。さあ、おいで。今再び、わらわの中に還るがいい〉
「な、なんだ? この声は……ま、まさか……」
不気味に響く、うら若き女性の声。言葉こそ母性を感じさせるものではあったが、その実、醜く歪んだ欲望だけが滲み出ているかのような声だ。その声に、アリアノートは呆けたように固まってしまう。
「誰だか知らないが……彼女は僕の妻だ。貴様になんかやるものかよ!」
珍しく威勢の良い声で叫ぶアズラル。しかし、彼はこの『女の声』を聞いた瞬間、理解していた。目の前の相手は、かつて見た『新月の邪竜』──それを遥かに超える脅威だ。
アズラルは全力で自身の魔法を発動させる。
「……発動、《夢幻呪縛の黒霊方陣》」
黒衣の賢者を中心に、四方に広がる漆黒の魔法陣。アズラルの魔法の中でも、最強の部類に入るものだ。
〈……暗愚王と同じ系統の術か。忌々しい……。よかろう。汝は同化しない。殺してやる。それも散々に苦しめ抜いてから、殺してやろうぞ〉
白い樹木は止まらない。彼の渾身の魔法を無視するように押し寄せてくる。先程からアリアノートが必死に放つ魔法は吸収され、アズラルの黒い兵士も打ち砕かれて消滅する。
「くそ! 化け物め! アリアノート!」
「アズラル!」
アズラルの目の前で、アリアノートは白い枝葉に身体を掴まれ、たちまちのうちに拘束されていく。
「貴様! 彼女を離せ!」
〈クカカ……砕けたこの身をかき集めるのに二百年。第三階位『神霊幻木エルシャリア』に我が身を『映す』のに百年……。そして、森に住む『我が子』らに、白き『真月』を溜めこみ続けて数百年……。ついにこの時が来た。まず手始めに、暗愚王の術を使う醜きモノよ。貴様の血をもって、わらわが星となる儀式を始めようぞ!〉
『神霊幻木エルシャリア』から滲み出る幻樹王ティアマリベルの《星化主偽》の力は、森に暮らすエルフ族の中にダークエルフやハイエルフと言った『突然変異種』の発生を促した。それゆえに、幻樹王はエルフ族のことを『我が子』と呼ぶ。しかし、この声には母性愛の欠片も存在しない。
「うぐ……、ア、アズラル……逃げろ!」
樹木に全身を絡め捕られながら、アリアノートは声を張り上げて叫ぶ。
〈クカカ、さすがは、生まれつき『星心克月』を有する娘よのう。他の子らとは比較にならぬ精神力じゃ。だが、抗うことは無い。わらわと共に、星界とひとつになろうぞ?〉
逃げ場を失ったアズラルの周囲には、鋭くとがった無数の枝がゆらゆらと揺れている。
「参ったな。どうにか彼女だけでも助けたいが……」
それが不可能なことは、すでに明らかだ。敵の力は圧倒的で、自分も彼女も完全に包囲されているのだから。
「でも……諦めてたまるかよ!」
再び生まれる悪夢の兵士。しかし、そんな彼らを突き抜けて、無数の枝葉がアズラルの身体に突き刺さる。
「ぐあああああ!」
「ア、アズラル!!」
アズラルの苦痛の声に、アリアノートの悲痛な叫びが重なりあう。
〈クカカ! いい叫び声じゃのう! 最高じゃ! さあ、もっと泣け、もっと喚け!〉
グサグサと、致命傷を避けるように尖った枝が彼の身体に突き刺さり、血しぶきが白い樹皮を赤い色へと染めあげていく。
「やめろ! やめてくれ! アズラル! アズラル!」
急激に身体を襲う脱力感に動くことさえままならず、涙を流して叫び続けるアリアノート。絶望に染まる彼女の瞳には、依然として串刺しにされ続けるアズラルの姿がある。
「ぐ……あ、あはは……ごめんね、ハニー。でも、心配ないさ。きっとみんなが助けに来てくれるはずだ。だから……泣かないでくれ。あの日のように、君の泣き顔を笑顔の変えることこそ、僕の喜びなんだから……」
「馬鹿が! そんなこと……、そんなことを言っている場合か!」
〈クカカ、何だ。汝ら、好き合っておったのか? それは気付かなかった。悪いことをしたのう?〉
愉快げに声を震わす『白月』の王。アリアノートは、そんな相手にすがりつくような声を出した。
「頼む! わたしはどうなってもいい! だから、お願いだから……アズラルを……彼を助けてやってくれ!」
〈クカカ、可愛い愛娘の頼みだ。ならば、この男を殺すのは止めてやろうぞ〉
「ほ、本当か?」
思わぬ言葉に、希望の色を取り戻すアリアノート。だが、その直後に響いたのは、さらなる絶望をもたらす宣告の声だった。
〈クカカ。あの男を殺すのは、わらわではなく、アリアノート。汝だよ〉
「な!? ……え? い、嫌だ! な、なんだ、これは!」
アリアノートの意志に反し、弓を掴んだ彼女の手が持ち上がる。
「や、やめ……やめろ! やめろ!」
矢をつがえ、構えた先には、黒霊賢者の姿がある。
「い、いやああああ!」
自身の絶叫と共に、魔法で造られた矢の一撃は、愛する夫の額をめがけて吸い込まれていく。そこで……アリアノートの意識はブツリと途切れた。
次回「第110話 英雄少女と無人の砦」