第103話 英雄少女と粋なご褒美
英雄養成学院の面々は、祝勝会の後、バーミリオンの王であるイデオンから金銭や記念品など、様々な褒美を与えられた。気心の知れた間柄とは言え、国の面子を保つには太っ腹なところを臣下の者たちにも見せる必要があった。と同時に、エレンタード王国ではなく、彼ら自身に感謝の意を示すことを強く印象付ける狙いもある。
そうした思惑も含め、アリアノートから英雄としての心構えを教えられているエリザは、かつての叙勲式の時とは違い、それをありがたく頂戴することにした。
「ったく、国王になんぞ、なるもんじゃねえぜ。こんな水臭い形でしか、感謝の気持ちも示せねえんだからな」
エリザたちを送り出した後のこと。
私室のソファに腰かけ、つまらなそうに言うイデオン。隣に座るレイファは、そんな彼の横顔にうっとりとした視線を送っている。
「うふふ。まあ、仕方ないわよ。……でも貴方らしい、とっておきのプレゼントも用意してあげたんだから、いいじゃない」
イデオンの幅広の胸にしなだれかかり、レイファは久しぶりの蜜月を楽しむように甘い声音を出す。
「まあな。気に入ってくれるといいんだが……」
イデオンはそんな彼女の髪を愛おしげに撫でながら、王都を後にしたエリザのことを思い返していた。闇に落ちかけた彼の意識をすくい上げたもの。それは紛れもなく、あの真紅の髪の少女が持つ、眩いばかりの魂の輝きに他ならなかった。
「……む。他の女のことを考えてないかしら?」
「い、いや、そうじゃねえよ。今のはその……エリザにくれてやった褒美のことをだな……」
「本当にそれだけ?」
「あ、ああ……」
疑いの目を向けてくるレイファに、おどおどと言い訳を口にするイデオン。やはり、バーミリオン最強の銀狼族は、王都の定説どおりだったのかもしれない。
──王城を出立する道すがら、城下町を歩きながらリリアが意地の悪そうな声をかける。
「とうとうエリザも、『領主様』になってしまいましたわね」
「べ、別にそんなんじゃないよ。土地をくれるって言っても、人が住んでるところじゃないんでしょ?」
エリザは戸惑い気味に言いながら、自分が与えられた『領地』について、エドガーに確認するような声をかける。そもそも他国の人間に領地を与えるということ自体、極めて例外的な話だ。
「まあな。さすがに人の住む土地の管理を任せるわけにもいかないんだろうが……でも、いいところだぜ?」
エドガーはそんなエリザに対し、意味深に笑って返す。
「……確か、ガラル山地の麓だったかな? 聞いた話だと山地自体が『月獣』の生息地になっているとかで、あまり人が寄り付かない場所らしいじゃないか」
「でも、アルフレッド先生。実はあの場所、俺たち家族にとっては、いわば『秘密の穴場』みたいなものなんです。まあ、ここからならエレンタードに行く途中に立ち寄れる場所にありますし、見ればわかりますよ」
結局、エドガーはその『領地』につくまで、詳細を語ろうとはしなかった。
「──ほら、そろそろ見えてきたぜ。あれがガラル山地だ。ちなみにエリザに与えられたガラル地方特別区ってのは、特別に親父が国王直轄領にしていた地名なんだ」
徐々に見えてきたその山地は、人が寄り付かないと言うだけあって、特に整備された道もなく、鬱蒼と生い茂る木々やごつごつとした岩場の目立つ場所だった。
「おやおや、これはあれだね。イデオンも酷い真似をするじゃないか。見た限り、人が寄り付かないどころか、大した資源も採掘できそうにない山だよ。これは」
「まあ、仕方ないさ。他の部族の手前もあるのだろう。さすがに他国の人間にそこまで有益な土地を与えるわけにもいかないさ」
アズラルの皮肉に満ちた物言いに、アリアノートがフォローの言葉を入れている。しかし、エドガーはにやりと笑って首を振った。
「親父にしては粋な計らいだと思いますけどね。俺は」
「なんだよ、エドガー君。いい加減、もったいぶらないで話し給え」
「ええ。……実はこの山地、あちこちに温泉が湧いているんですよ」
まるで我がことのように自慢げに胸を張るエドガー。だが、その場の反応は、大きく二分していた。アズラルやアリアノートなどは感心したように頷きを返す一方、エリザやアルフレッドは意味が分からないと言いたげに首を傾げている。
「ん? ああ、そうか。エレンタードには温泉が無かったっけ」
そのことに気付いたエドガーは、論より証拠とばかりに近くの沢へと一行を案内する。
「まあ、ここは小さすぎて入浴には不向きですけどね。こんな感じに天然の風呂になるほど、熱い湯が湧き出しているんです。しかも、普通の風呂なんかより治癒効果も高くて、怪我や病気の快復、それに疲労回復なんかには、良く効くんですよ」
「……なるほど」
興味深げに沢に手を差し入れたのは、ルーファスだ。恐らく『獣の災厄』で受けた『名誉の負傷』のことを考えているのだろう。
「へー! すごいすごい! じゃあさ、早速みんなで入ろうよ! 戦いの後には、もってこいなんでしょ?」
嬉しそうにはしゃぐエリザの目は、きらきらと輝いていた。難しい領地経営に頭を悩ませたり、金銭的な価値の高いものを与えられたりするより、この少女にはこうしたものの方が嬉しいようだ。
「で、でも、エリザ……。み、みんなで入るって言っても……」
そんな彼女の袖を、ネザクが顔を赤くして引っ張っている。
「え? 大丈夫でしょ? 帰りなんだから急ぎじゃないし、着替えくらいみんな持ってるはずだし……」
「い、いや……ほら、その……男女がいるでしょ?」
きょとんとした顔のエリザだったが、そこまで言われてようやく気付く。
「あ! ……あちゃあ、そっか。嬉しくって、そこまで考えてなかったなあ」
「か、考えてなかったって……」
ネザクはますます顔を赤くしてしまう。
「いや、問題ないぜ。さっきも言ったけど、ここには『あちこち』に温泉が湧いてるんだ。だから、入浴の際は二手に分かれればいいんじゃないか?」
エドガーの何気ない提案。それが、この後、どんな悲劇を引き起こすことになるのか。この時点では、まだ誰も知る由もないのだった。
「──さて、そんなわけで、始めるとしようか」
入浴のため、これから脱衣を始めようかという一同を見渡し、黒き賢者が厳かに宣言する。無論、彼が今いる場所は、いわば『男湯』として割り当てられた湧出場所のすぐ傍だ。もうもうと立ちこめる湯気からは少し離れてはいるが、地熱の関係もあってか、このあたり一帯はそれなりに温かさを感じられる。
「……俺はパスします」
長年の付き合いのためか、即座に賢者の言わんとしていることを理解したのは、アルフレッドただ一人だった。
「うーん、相変わらずの朴念仁だねえ。その若さで枯れたらおしまいだよ? もっと冒険心ってものを持った方がいい」
アズラルが呆れたように首を振ったところで、ようやくエドガーが理解に達した。
「ええ!? ちょ、ちょっと、アズラル先生? まさか『女湯』を覗くつもりですか?」
「こらこら、エドガー君。覗きだなんて人聞きの悪いことを言ってはいけないよ。男女混合での旅行に温泉……ときたら、『混浴』は義務みたいなものじゃないかな?」
「混浴!? いやいや、覗きなんかより余程ハードルが高いじゃないですか」
「そう。そのとおりだ」
驚愕するエドガーに、うんうんと深く頷きを返すアズラル。
「至近距離で女性と同じ湯に浸かる『混浴』に比べれば、遠距離から相手に気付かれないようにその姿を確認することくらい、全然大した問題じゃない。そうだろう?」
「え? あ、ああ……確かに言われてみれば、そんな気も……」
静かに説き伏せるようなアズラルの言葉を受け、エドガーは納得したように頷きを繰り返す。しかし、そこでそれまで話の展開を呆然と見守っていたネザクが、慌てて口を挟む。
「駄目に決まってるじゃないか! どんな論理のすり替えなのさ!」
そもそもそんな論理に、誰が騙されると言うのか。ネザクはそう言いたかった。
「え? あ、ああ……そうだよな」
だが、アズラルはこの機を逃さずエドガーへと素早く近寄り、彼の耳に何事かを囁く。
「え? え? どうしたの?」
ネザクが不審に思って問いかけた頃には、エドガーの目に奇妙な光が宿っていた。
「……なあ、ネザク。よく考えてみろよ。見るだけなんだぜ? 何の害もない話だろ? それに……お前だって興味はあるんじゃないのか?」
「え? エドガー? な、何言ってるの? いったい、どうしちゃったのさ?」
驚愕に目を見開くネザクの瞳には、熱に浮かされたようなエドガーの顔が映っている。
「別にどうもしないさ。お前も正直になれよ。それにな……これは何もやらしい気持ちから言ってるわけじゃない。何せ『女湯』にいらっしゃる皆さんは、学院を代表するほどの美女揃いだ。その裸体ともなればこれはもう、一種の芸術だろう? そう! 俺たちは、芸術を拝みに行くんだ! 美を愛でる気持ちに罪はない!」
「うああ! エドガーの目が正気じゃないよおおお! ちょっと、アズラルさん? エドガーに何したのさ!」
熱のこもった言葉と共に肩を掴まれ、激しく揺さぶられながら、ネザクは悲鳴混じりの声を上げる。
「いやいや、黒魔術なんか使わなくても、エドガー君は十分優秀な教え子だからね」
「ほんとに?」
ようやくエドガーの手から逃れ、賢者の弁明に疑いの言葉を挟むネザク。
「……ま、人は自分の信じたいものしか信じないし、思い込みたいようにしか思い込まない生き物だ。術なんて、必要ないさ。くくく……」
「黒い! 真っ黒だよ、この人!」
ネザクは不気味な含み笑いを洩らすアズラルを見て、彼が十年前の戦争で与えられた二つ名を戦慄と共に思い出す。
畏怖と共に人々の心に刻まれたその名は──戦場の悪魔。
……いや、どんな『戦場』だと言うのだろうか。
「冗談もいい加減にしてください。そもそも仮にも教師の身でありながら、生徒に犯罪行為をそそのかさないでくださいよ」
「おやあ、アルフレッド君? 随分と気のない様子だねえ。でも、いいのかい?」
「え?」
「向こうの浴場には当然、カグヤもいる。君は十年以上前からの幼馴染だそうだけれど、再会したのは最近だろう? ぐっと大人っぽくなった彼女の発育具合を確かめてみたくはないかい?」
「んな!?」
できるだけ考えないようにしていた彼女の名前を出され、動揺の声を上げるアルフレッド。
「まあ、そんなもの、見たくもないと言うのならいいさ。僕が代わりに確かめておいてあげよう……って、うわあ! 危な!」
輝く刀身を鼻先に突きつけられ、のけぞるアズラル。
「……アズラルさん? やっていいことと悪いことがありますよ」
「い、いや、なんだか君、目が据わってるねえ……」
斜め下から突き上げるように剣を鼻先に押し付け、ぎろりと睨みあげてくるアルフレッドに、さすがのアズラルも冷や汗を浮かべている。
「カグヤは誰にも渡しません。彼女は僕が護る。僕がまだ見てもいないのに、誰かが彼女の柔肌を見る? そんなこと、させるものか! どんな手を使ってでも、止めさせていただきますからね!」
「い、いや、『柔肌』って表現もどうなのかな? ……長年付き合ってる僕たちだけど、君のそうした面は初めて見る気がするよ。道理でこの十年間、君に浮いた話のひとつもないわけだ」
「言い残す言葉はそれだけですか?」
「……そうそう、彼女の下着姿なら、エドガー君が先に見ていたんじゃなかったかな?」
言いながら、アズラルはその場から忽然と姿を消したエドガーのいた場所に指を差し向ける。気づけば、彼に連れられたのか、ネザクの姿も消えていた。
「ああ! ま、まさか、アズラルさん……。二人を逃がすために?」
「ああ、誤解しないでほしいな。僕は『少女の裸体』を拝むチャンスを諦めたわけじゃあない。これは単に、『二手に分かれた方が有利』だと判断したまでのことだよ」
「ああ!」
時すでに遅し。アズラルだったモノは黒い影へと変貌し、そのまま崩れるように消えてなくなっていく。
「《影法師》? やられた! くそ! やらせてたまるか!」
悔しげに一声叫ぶと、アルフレッドは鬱蒼と生い茂る木々の間を駆けていく。
男性陣の中ではただ一人、その様子を冷ややかに見つめていたルーファスは、やれやれと溜め息を吐く。
「俺が行ったら完全な死亡フラグだが……、先生たちも意外とわかっていないものだな。こういう場合は得てして……」
『その気』のない人間の方にこそ、『イベント』は発生するものだ。ルーファスは一人、温泉の中へと向かいながら、ルカから教わった『お約束』のひとつを思い返していたのだった。
アルフレッドの前から忽然と姿を消したエドガーとネザクの二人は、岩場の陰に身を隠し、大きく息をついていた。
「……ふう。さすがはアズラル先生だぜ。こうなることまで見越していたなんてな」
「うう……どうして僕まで……」
エドガーの『黒糸』に絡め捕られ、担がれるようにしてこの場に辿り着いたネザクは、力無い声でぼやく。
「うーん。なあ、ネザク。本当の本当に、興味ないのか?」
「え? ええ!?」
「いや、俺もさ。ネザクのことを親友だと思ってるから、本当に嫌なことならさせたくはないんだ。だから、正直に言ってくれないか?」
「うう……正直にって言われても……」
顔を真っ赤に染め、もじもじと照れた顔をするネザク。
「うお! ……いや、駄目だ駄目だ」
そんな少年の可愛さに、エドガーは当初の目的を忘れて見入ってしまいそうになったが、どうにか気を取り直す。
「……いいか? 『女湯』では今、エリザやリリア、ルヴィナ先輩やあの双子の姫さんたちがいる。他にもリゼルやシュリと言った、いずれ劣らぬ美少女達が一糸まとわぬ姿でキャッキャウフフと湯浴みを続けているんだぜ?」
あえてカグヤを除く全員の名前を口にするエドガー。身近な人間の名前は、それだけで人の想像力を刺激する材料になる。
「あう……」
「滑らかな肌は湯煙の中でほんのりと火照り、艶やかな髪はしっとりと肌に張りつく。開放的な青空のもとで、ましてや女同士の裸の付き合いだ。……どんな赤裸々な会話が行われてるか、少しは想像してみろよ」
情感たっぷりなエドガーの言葉に、ネザクの脳裏には、まさにそんな光景がぼんやりと浮かんでくる。だが、当然のことながら、その細部までははっきりしない。見たことがないのだから当然だ。
「そうそう……そうだ。俺はな……『その先』を見てみたくはないかって、聞いてるんだよ」
悪魔の弟子の囁きに、ごくりと唾を飲み込むネザク。
思い浮かべるのは、真紅の髪の少女のこと。無邪気にして純情可憐な美少女は、いつだって元気いっぱいに笑いかけてくれる。そんな彼女の入浴シーン。それはまるで、少年にとっては未知の世界だ。
凛として清楚な佇まいを見せる吸血の姫君。上品で涼やかな印象の少女は、軽やかに鈴の鳴るような声で呼びかけてきてくれる。少年の脳裏には、自分が少女服を着せられた時、感極まって彼女が抱きついてきた時の、柔らかい感触と爽やかな香りが想起されていた。
今や少女の姿となったリゼルは、それでも危うい色気を全身から醸し出している。普段は何の気なしに接している相手だが、この状況に至っては、どうしようもなく意識させられてしまう。それについては、他の面々も同様だった。
「どうだ? わかったか? 俺たちは、とんでもない宝物の中で生活していたんだよ。この千載一遇のチャンスを逃していいのか?」
「で、でも……見られたくないかもしれないのに、覗きなんて良くないよ……」
最後の抵抗を見せるネザク。だが、エドガーは師匠譲りの黒い笑みを浮かべていた。今のネザクの言葉には、『最初から論外だ』という論調が無くなっている。そうと確信した彼は、さらに畳み掛ける。
「なあ、ネザク。俺たちは親友だ。そうだろう?」
「え? う、うん。もちろんだよ」
「同時に、男同士でもある。同じく女の子の身体に興味を持つ年頃だし、それはまったく不自然なことじゃない」
「……ま、まあ、そうだよね」
あと一押し。
「そんな俺たちが『女湯』を覗こうと協力し合うのは、言ってみれば当然のことだよな?」
「そ、そうかなあ?」
一歩後退。だが、一発逆転はここからだ。
「ああ! 少年時代は人生に一度しか来ないんだ! なら、その『青春』を全力で謳歌するのは当然じゃないか!」
「青春……か」
その手の言葉にひどく弱いネザクは、もはや陥落寸前だった。
「なあ? 俺たちは、一蓮托生の親友同士だろ? それとも、それって俺の勘違いだったのかな?」
「そ、そんなことないよ! うん! わかった! 一緒に頑張ろう! エドガー!」
ネザクは勢いよく立ち上がり、決意も新たにエドガーの手を握ったのだった。
次回「第104話 英雄二人とお約束の展開」