第102話 少年魔王と祝勝会
エリザが獄獣王を撃破したことにより、バーミリオン領内の『獣の災厄』は、急激にその勢いを衰えさせていく。一度発生した『月獣』自体は消えてなくなりはしないものの、新手の出現が無くなったことが大きい。
特に劇的だったのは、グランバルド要塞の状況である。元々が国内最大の軍事拠点であることに加え、救援に駆けつけた魔王ネザクが化け物じみた力を振るい続けたこともあり、最終的にはこの近辺に、バーミリオン全土に出現した『月獣』の約八割が集結していた。
しかし、それでもなお、新手が出現しなくなってからの戦いは、ネザクにとっては『掃除』も同然の手軽さで済ませてしまえるものだったようだ。
「じゃあ、これで最後だね。発動、《天魔法術:無月の流酸呪法》」
錫杖の先からあふれ出た強酸の水流が、残る『月獣』たちを溶かしながら押し流していく。
「やっと終わった……」
肉体面よりもむしろ精神的な疲労からか、ネザクはぐったりした声でつぶやいた。
城の防衛に当たっていた獣人族の戦士たちは、小柄な少年がトボトボと平原を歩いて戻ってくる様を、あんぐりと大口を開けたまま見守っている。
そんな彼らも、つい先程までアルフレッドの指揮を受けつつ、城に迫る『魔もどき』たちを撃退するべく奮戦を続けていた。
だが、城から離れた平原で起きていた出来事は、そんな彼らの『戦い』とはまるで次元の違うものだ。軽く十万匹を超える『月獣』の群れ。中には最強クラスの『月獣』までもが混じっていたと言うのに、それをいかにも頼りなさそうな小さな少年が薙ぎ払い、叩き潰し、殲滅してしまったのだ。
「……あれが『魔王』か」
彼らの心を占める想いは、すでに賞賛や感嘆などという段階を超えていた。愛想よく守備兵たちに手を振るネザク。対する兵士たちは、無言のままだ。ただ、畏れにも似た感情を含む視線を彼に向けている。
「……あれ? やっぱり、お城の守りのこと忘れてたの……怒ってる?」
しかし、城門をくぐったネザクが、不安そうにそんな言葉を口にした瞬間。城内から大歓声が巻き起こる。エドガーの言った通り、良くも悪くも根が単純な獣人族は、まさに彼ら好みの戦い方で圧倒的な強さを見せつけたネザクのことを、まるで英雄のように褒め称えたのだった。
それから数日後のこと。国内に残存する『月獣』が害のない数にまで殲滅されたことを受け、バーミリオンの王都ヴァルハラでは、祝勝会が開催される運びとなった。
何と言っても今回の件の解決は、エレンタード王国から──と言うより、ルーヴェル英雄養成学院からの援軍によるところが大きい。エリザに救出されて王都に戻ったイデオンは、彼らに対する感謝の意を表すことを決めたのだった。
だが、ここはエレンタード王国ではない。イデオンの性格から言っても、バーミリオンの文化から言っても、こうした時、堅苦しい叙勲式のようなものを執り行うよりは、盛大な宴会形式の催し物の中で『勇者』をたたえるのが常だった。
王城内の宴会場で開催された祝勝会の主役は、何と言ってもネザクとエリザ、この二人だ。獅子奮迅の活躍で城塞都市に迫った十万の『月獣』をほとんど独力で撃破した少年魔王に、生存が絶望視されていたイデオンを敵の首魁から救いだし、『獣の災厄』を収束させた英雄少女。
まさに、救国の魔王と英雄である。
特に正装に着替えることもなく、多少の装いを整えた程度の気軽な立食パーティ。ネザクの元には、彼と戦場を共にした多数の軍人たちが次々と集まり、彼の武勇を揉め称え、その強さの秘密を少しでも聞き出さんと熱心に会話を続けている。
「いやあ、ネザク殿。あの戦いぶりには本当に、感服いたしました! 国士無双とは、まさにあのことを言うのでしょうなあ!」
「失礼ながら小柄なお身体ですし、最初はその強さの程を疑っておりました。しかし、いざ戦いとなれば……いやいや! 開いた口が塞がりませんでしたなあ!」
「……あはは。でも、お城の護りがおろそかになっちゃって、ごめんね」
男としてその武勇を認められての好意を注がれることは、普段のように女性たちから猫可愛がりされるのとは異なるのだろう。ネザクは嬉しそうに、はにかみながら受け答えを続けている。
とはいえ、当然のことながら会場内の女性たちも彼を放っておきはしない。その多くが熱を帯びた眼差しでネザクを見つめ、時折隙を見計らっては積極的なアピールをしかけてくる。
「……あ! あの女、ちょっとネザクにくっつきすぎじゃない?」
手にしたグラスをテーブルに戻しながら、気が気でないといった顔をしているのは、カグヤだった。彼女もまた、強力な黒魔術で王都の危機を救ってはいるのだが、その手の魔法を好かない獣人族の手前、そのことは秘密にしてある。
とはいえ、特に着飾るまでもなく、彼女はこのパーティ会場において一際目立つ一輪の華だった。
「バーミリオンの女性には、情熱的なタイプが多いからね」
そんな彼女の元に、アルフレッドが歩み寄ってくる。彼はすらりとした長身に甘いマスク、さらには卓越した武勇を備えているとあって、やはり会場中の女性たちから猛烈なアタックを受けていたところだった。
「……ふん。あなたも随分、もててるみたいじゃない。こんな根暗な女のところに来てる暇があったら、その情熱的な女性たちのお相手でもしてきてやったら?」
カグヤは、そんな彼に顔も向けずに言い放つ。
「ははは……。ご機嫌斜めだね。でも、俺は、ああいうタイプの女性は苦手かな。それに……俺が一緒にいたいと思う女性は、ただ一人なんだから」
「……ふ、ふうん」
相変わらず気のない返事したカグヤだが、その頬はほんのり赤く色づいている。あの時、城塞都市に飛び降りていく彼の後姿を見送って以来、カグヤは彼の顔をまともに見ることができないでいた。
しかし、そんな彼女の態度に特に気づいた様子もなく、アルフレッドは彼女の隣に並ぶように進み出る。
「う……」
途端に息が詰まるカグヤ。顔の熱さも身体の火照りも、決して酒のせいだけではないだろう。そもそも酒など最初から大して飲んでもいないのだ。
「……まあ、情熱的な女性に困っているのは、何も僕やネザクだけではないみたいだよ」
そう言ってアルフレッドが指差した先には、勝気そうな目をした真紅の髪の少女が一人。そして、そんな彼女にしっかりと抱きついて離れない、銀狼族の女性が一人。
「ああ、もう! 本当にありがとう! ありがとう、エリザちゃん!」
頬ずりせんばかりの勢いでエリザに抱きついている女性の名は、レイファ・バーミリオン。銀牙の獣王イデオンの妻であり、この国の王妃でもある。最愛の夫を救出してくれたエリザへの恩義の気持ちを全力で表しているのだろうが、あまりの彼女の勢いに、他の全員が彼女ら二人を遠巻きにしてしまっている。
唯一彼女らから距離を置かずに立っているのは、クールな印象の黒髪の少女ただ一人である。
「い、いや……あはは。レイファさん、もうお礼はいいからさ……」
「何を言ってるのよ。あたしは、この人が行方不明になったと聞いてからは、ろくに食事も喉を通らなかったんだからね」
涙を目の端に滲ませて語るレイファ王妃だったが、彼女の側仕えのメイドの一人は、その声を聞き、ぼそりとつぶやく。
「そうそう。何と言っても普段四回だった食事のおかわりが、まさか三回まで減ってしまっただなんて、王妃様がこの城で暮らし始めて以来の大事件でしたものね。……って、それのどこが『喉を通らなかった』なのかしら?」
「……若干言葉が長すぎるのが減点だが、中々のノリツッコミだ。悪くない」
「え? え?」
いつの間にか自分の傍に立っていた、黒髪の制服姿の少女。そんな彼女が自分の肩に手を置いたまま、納得したようにうんうんと頷きを繰り返しているのに気づき、メイドの少女は戸惑いの声を上げる。
だが、当のリゼルは、『ドンマイ』と言わんばかりに親指を立てて見せた。何故かそのメイド少女は、後輩を慰めるような彼女の視線に、酷く傷ついた思いがするのだった。
しかし、そんな二人にやり取りにはまるで気付かず、レイファはなおも威勢の良い声を上げ続けている。
「いい娘だわ! 本当にいい娘! うちのバカ息子の嫁には勿体ないような娘だけど……あ、そうだわ! 別にあの子と結婚なんかしなくてもいいから、あたしの娘になってくれないかしらね?」
「あはは、ちょ、ちょっと難しいかな……」
顔をひきつらせて答えるエリザ。普段から元気いっぱいの彼女も、レイファの威勢の良さには若干引き気味のようだ。だが、この場合はそれだけでなく、王妃の足元に転がる『物体』の存在もまた、その理由の一つには違いない。
「……お、親父。俺、あんたのような英雄になりたいとずっと思ってたけど……、あんたみたいにはなりたくないかも……」
彼女たち二人を遠巻きに見つめる人物の一人、エドガーは床に沈んだままぴくぴくと震えている己の父の姿に、深々と息を吐く。
「……エドガー。俺はつい先程、バーミリオン最強の銀狼族はイデオン様ではなく、レイファ様なのではないかという確信に至ったのだが」
「いや、まあ、王都ヴァルハラじゃ既に定説ですけどね」
後ろからかけられた落ち着いた声に、反射的に返事をするエドガー。そして、その直後、弾かれたように振り返る。
「おわあ! ルーファス先輩!」
「……なんだ? 幽霊でも見たかのような声を出して」
英雄養成学院の最上級生、ルーファス・クラスタ。彼に与えられるべき二つ名は、『不死身』。その一語に尽きるのではないか。エドガーの脳裏にそんな思いがよぎる。
「……よく復活しましたね。案外マジでパーティーの出席が危ぶまれる怪我だと聞いてましたけど……」
『演武魔獄ブレイヴプリズン』との死闘の最中、ルーファスは敵の猛攻にさらされた仲間を庇い、重傷を負った。……と言うことになっている。だが、真実はと言えば……
「生死の境とはあのことを言うのだろうが……死んだ両親に会えたことは僥倖だったな」
「うう! で、でも、あの後、ちゃんと治療はして差し上げましたでしょう? 大体、来るなと言っているのに来るのが悪いのですわ!」
笑えない冗談を口にするルーファスに、傍にいたリリアがバツの悪そうな顔で叫ぶ。彼女は《水鏡兵装:紅天槍》によってズタズタに裂けた制服の代わりに、淡い色合いのドレスを身に着けていた。
そんな彼らの元に、一人の女性が近づいてくる。
「ははは! いやあ、今日は本当にめでたいな!」
隣のテーブルにて、恐ろしいペースで酒杯を空け続け、酒豪揃いの獣人族の戦士たちを酔い潰してきた彼女は、陽気な声で笑っている。
「しかし、女性の癇癪に対応できないようでは、ルーファスもまだまだ未熟だな。アズラルならわたしが全力で攻撃を仕掛けても、ぴんぴんしているぞ?」
ちなみに彼女の夫、アズラル・エクリプスは宴会開始早々、会場の女性陣にちょっかいを掛けようとして袋叩きにあった挙句、他ならぬアリアノート自身に『とどめ』を刺されて『ぴくぴく』していたりする。
「……大分、飲まれてますね」
「何を言うか! 酒は飲んでも飲まれるなだ! さて、子供が相手では飲み比べとも行かないな。じゃあ、今度は……あのテーブルの連中を相手にしよう!」
新緑の髪のハイエルフは、次なる獲物に狙いを定め、ずんずんと歩いていく。その目指す先には、屈強な『紅熊族』の男たち。だが、彼らはすでにアリアノートの酒豪ぶりを目撃していたのか、近づいてくる小柄な彼女の姿を見て、捕食者を前にした小動物のような顔をしている。
「い、今のは、見なかったことにしませんこと?」
「ああ、そうだな……」
リリアとルーファスは、珍しく同意見だった。
一方、会場内の別の一角では、主役の二人に勝るとも劣らない賛辞を浴びている人物がいた。
「だ、だから、そんなんじゃないってば……」
先ほどからそんな風に弁明を繰り返してはいるが、周囲に集まる男たちは聞く耳を持たない。どころか、そんな彼女の言葉を謙遜と受け取り、一層もてはやしはじめる始末だった。
「感動した! いや、まったく、まさかこんなにも年若い少女の身でありながら……」
「いやはや、素晴らしい! 我が身の危険も顧みず、自らの祖国の危機に立ちあがらんとするその心意気!」
「それに実力も申し分ない! 『魔戦術』なる術は、己の身体強化のみならず、無数の強力な『月獣』どもを王者のごとく従え、さらに強化して使役するらしい。……いやはや、貴殿らにも見せたかったな。あの凶悪な『月獣』どもが『聖少女』殿の号令に一斉に首を垂れる様を……」
「なんと! まさかそんな術があろうとは! 世に姿を見せぬ『金虎族』とはいかなる種族かと思ってはいたが、少女の身にしてここまでとは……」
男たちは互いに彼女の活躍ぶりを語りあい、それを知らぬ者たちまでもを巻き込んでいく。
「うう……どうしてこうなったにゃん」
金の猫耳をぺたりと倒し、諦め顔で首を振る少女の名は、シュリ・マルクトクァール。かつて『月下を駆ける大怪盗』を名乗っていた金虎族の少女は、今や『月の獣の聖少女』なる二つ名まで与えられてしまっていた。
「……お二人とも、こちらでしたか」
ルヴィナは、会場の隅にいた二人の少女に近づいていく。
白髪の月影一族は、会場内に置いてはそれなりに目立つ存在だ。しかし、十年前の戦争でクレセントとバーミリオンは敵対関係にあった上、月影一族自体が獣人族を毛嫌いしている歴史的背景もあって、彼女たちに近づこうとする獣人族はほとんどいない。
二人の少女──イリナとキリナの双子姫も、そんな状況の中、遠慮するように端の方で食事を続けていたところだった。
「ルヴィナ先輩。前にも言いましたけど、敬語は止めてください」
「あ、ああ……。そうだったわね。ごめんなさい。でもそれなら、あなたたちもそうしてほしいわ。先輩とか関係なく、普通に話してもらえると嬉しい」
ルヴィナがそう言うと、二人は驚きに目を丸くした。
「え? わたし、なにかおかしなことを言ったかしら?」
「……いや、わたしたちはてっきり先輩に嫌われているものとばかり思っていたからな」
ルヴィナの問いかけに、キリナが答える。
「嫌ってなんていないわ。あの時のあれは、ああでも言わないとあなたたちが本気で戦ってくれそうもなかったからだし……だから、むしろこちらの方こそ、酷いことを言って申し訳なく思ってるぐらいよ」
「いえ、ルヴィナ先輩。先輩がああ言ってくれなかったら、わたしたちはいつまでも変われなかった。……国を変えるだなんて大それたことを言いながら、他力本願な考えに頼り切って、自分では何もしようとしない正義かぶれのお姫様のままで終わっていたはずよ」
顔の見えない民衆のため、本気で行動を起こすということは、口で言うほどたやすいことではない。憤りを感じ、不満を口にして、一見大胆に見える行動をとってみたところで、そこに覚悟が伴わなければ意味がない。
その程度では、国を支える『その他大勢』の人々の心には届きはしない。そして、心に届かない想いでは、何も変えられはしないのだ。イリナとキリナはそのことを、ルヴィナの言葉と、これまで英雄養成学院で過ごした日々から学んでいた。
「……だったら、今度こそ胸を張ってもいいはずよ。少なくともあなたたちは、縁もゆかりもないはずのこの国の人々のため、1つの街を護り抜いたんだから」
「……ルヴィナ先輩」
ルヴィナは二人に手を差し出す。二人は彼女の手を取り、そして、会場の中央へと胸を張って歩き出すのだった。
次回「第103話 英雄少女と粋なご褒美」