第101話 英雄少女と獄獣王の鎧(下)
「参ったなあ……。あとでカグヤに怒られる」
ネザクは錫杖を振りかざしながら、場違いな悩みに内心で頭を抱えていた。親友のエドガーのためにこの地に残り、敵を蹴散らして皆を護る。最初はそれが目的だった。
だが、張り切り過ぎて守備隊の皆に警戒され、ふとした失言から雰囲気が険悪となってしまった時点で、その目的を完全に見失ってしまった。
とにかく、皆に好かれなくては。気に入ってもらえるように頑張らなくては。
そんな思いから、彼は『魔』を召喚して街の皆の防衛に向かわせるでもなく、ただ一人、身一つで敵陣深くに侵入し、肉弾戦を繰り広げてしまった。
今や彼の周囲は敵だらけで、中にはなかなか手ごわそうな巨大な大蛇までいる始末だ。城に戻ろうにも彼らが邪魔で如何ともしがたく、そうしている間にも城は別の敵の攻撃にさらされている。とりあえず飛行型の『魔』の一群を召喚し、城塞上空の防衛に向かわせはしたものの、少々遅すぎた感は否めない。
「それに……『血染めの大地』のこともすっかり忘れてたよ」
ネザクは錫杖の先を地面に叩きつけた。
「発動! 《天魔法術:無月の吸収呪法》」
血に染まる大地から、強引に『真月』を吸い上げる。少なくともこれ以上の敵を出現させるわけにはいかなかった。
「ん? おっと」
血染めの大蛇が顎を開いて襲い掛かってくるのを視認したネザクは、強化した脚力で空高く跳躍する。そして同時に、錫杖の輪の中に新たな魔力を集中していた。
「発動、《天魔法術:無月の重力呪法》」
ネザクの頭上に出現した、巨大な闇の球。それが砕けて鋭い破片となって飛び散り、ネザクの周囲と眼下に集う無数の『魔もどき』たちへと降り注ぐ。破片ひとつひとつは小さく、一つや二つが突き刺さったところで、大したダメージになるようには見えない。しかし、そんな見た目に反し、それは劇的な効果を発揮する。
『魔』の肉体に突き刺さった闇の破片は、対象の肉体を中心に強い重力を生じさせる。それは周囲の物を引き寄せるどころか、肉体そのものを圧潰させてしまうほど凄まじいものだ。
空を飛ぶ『魔もどき』たちは、空中に花が咲くように爆縮・爆散して消滅し、大地に群れる『魔もどき』たちも、ぐしゃりと潰れるように消えていく。唯一、『レヴィアタンもどき』の大蛇だけが元の姿を維持してはいたが、周囲に展開した《害袖一触》の鱗がぎしぎしと軋むように揺れていた。
「悪あがきは駄目だよ」
その真上に飛び降りながら、ネザクは大蛇の頭を粉砕した。
一方、グランバルドの城壁に降り立ったアルフレッドは、自分の素性を説明するとすぐに防衛作戦に加わった。不思議なもので、彼は獣人族たちに何一つ警戒されることなく、すんなりと彼らの中に入り込んでいる。
「城壁を破壊しようとする敵は俺に任せろ! 皆は上空と俺が回りきれない場所を援護してくれ!」
それどころか、こんな風に指示を出すことまで認められていた。
「かつての強敵も、仲間として見ると心強い限りだな」
「ああ。さすがはイデオン様と互角に近い一騎打ちをして見せた猛者だ」
そんな憧憬にも似た言葉さえ、あちこちから聞こえるほどだ。
「……アルフレッド先生が来てくれたのか? いやあ、助かったな」
エドガーは、一心不乱に城門の前で黒糸の刃を繰り続けていたが、さすがに疲れを覚え始めた頃だった。《黒糸夢爪》は、最小限の力で強力な攻撃を繰り出すことが可能な技だとは言え、繊細な技術に裏打ちされていることから、かなりの集中力を必要とするのだ。
「エドガー! 君もここにいたのか!」
アルフレッドが城門前の一群を吹き飛ばしながら駆け寄ってくる。
「ええ。この町を見捨てるわけにはいきませんでしたから……」
「……そうか。立派だな、君は。御父上のことだって心配だろうに」
「大丈夫です。親父なら、きっとエリザたちが助けてくれますから」
「ああ、もちろんだ。俺たちはここで、自分にできることをしよう」
二人は、群がる敵を蹴散らしながら、ここにはいない英雄少女への信頼に満ちた言葉を交わし合う。
──大規模な戦場こそ、数か所に限られてはいるものの、小規模な月獣の集団なら、バーミリオンのそこかしこに出現していた。
「くそ! なんで奴ら、獣の癖にこっちの軍が整い始めた場所ばかりを狙ってきやがるんだ!」
「ぐずぐずするな! 戦え! 我ら『蒼豹族』の誇りにかけて、ここは一歩も引くんじゃない!」
闘志を燃やし、魔闘術の魔力を身体にみなぎらせて、月獣の群れに相対するのは、蒼い豹の耳を頭から生やし、ブチ模様の尾を生やした俊敏そうな戦士たちだ。彼らは女子供を先に逃がし、その後を追わせまいとしてこの場に残っていた。
だが、皮肉なのは、その行為こそが彼らを窮地に追い込むものであるということであり、そしてなにより、闘争心のない相手への攻撃を優先しない獣に対しては、『弱者を守るための戦い』の意義が虚しいものとなることだろう。
「うあああ! 『オンテルギウス』が出た!」
「なんだと? なんでそんな上位クラスの月獣が?」
多勢に無勢なところへ、強力な月獣の存在を知った彼らは、それでも折れかけた心を必死に繋ぎ止め、勝ち目の薄い戦いに身を投じ続ける。
そして、その場の誰もが絶望を感じ始めた、その時だった。
「あーあ! これだから猪突猛進の連中は見ていられないにゃん!」
ほとんど吐き捨てるような少女の声が響く。そして、その直後のこと。『蒼豹族』の戦士たちを麻痺の眼光で捉えていた『オンテルギウス』が動きを止めた。そしてそのまま振り返ると、仲間であるはずの他の月獣へと牙を向け、狂ったように飛び掛かっていく。
「な、なんだ? 仲間割れか?」
「そんなわけないにゃん」
呆然とする戦士たちの前に、黒一色の装備をまとい、金の爪を光らせた一人の少女が立っていた。短めの金髪から飛び出す金の獣耳や猫のようなしなやかな尾は、彼女が『金虎族』という希少な種族であることを示している。
だが、なにより彼らの目を引いたのは、そんな彼女が数体の月獣を率いていることだ。中には複数の月獣が混じったような不思議な月獣までいる。
「まさか……霊戦術師?」
「だが、だとしてもこんな高位の月獣を?」
戸惑いの声を聴きながら、少女、シュリは後悔する。思わず助けてしまったものの、獣人族の間では、霊戦術師はあまり良い目で見られない。黒魔術師のように排斥されるほどではないが、蔑みの目で見られるのが常だった。
「……シュリは『狭間の子』だから、この術には魔闘術の効果もあるにゃん。だから、高位の月獣も関係なく操れる」
つい、言い訳のようにそんな言葉が出てしまう。そう言ったところで、自分が『半端者』であることに変わりはないのだ。
「……助かった。礼を言わせてくれ」
「……別に、ついでだにゃん」
素っ気なく言うと、蒼豹族の戦士は不思議そうな顔をする。
「ついで? 何のついでなのだ?」
「え? えっと……なんだっけ?」
シュリは返答に詰まり、言葉を失う。ただの思いつきで何となく、自分の国に戻ってきただけ、というのが正直なところだが、そんな言葉を言えるはずもない。そこでシュリは、いつもの悪癖を発揮してしまう。
「……き、決まってるにゃん! 故郷の国を護りに来たんだよ!」
勢いに任せて叫ぶシュリ。
「……って、あれ?」
だが、男たちは一様に驚愕した顔で固まっている。
「まさか……信じられん。いまや国外に逃亡するも連中も少なくないと言うのに……」
「こんな年端もいかない少女が……自分から国を救うために戻ってくるだなんて……」
驚愕の視線はやがて、尊敬の眼差しへと変わっていく。
「や、やばいにゃ……。獣人族が単純な性格なの、忘れてた……」
しかし、もう遅い。彼らは感激したようにシュリの周りに集まってくる。
「うおお! その戦い、俺たちにも是非、協力させてくれ!」
「ああ! 自分の部族だけじゃなく、バーミリオンを救うための戦いだ!」
感極まった彼らに手を取られるシュリ。
「い、いや、ちょっと待ってよ!」
しかし、そんなシュリの叫びを無視するかのように、男たちは次々と群がってくる。
「あうう……。どうしてこんなことに」
救国の英雄さながらの扱いを受ける羽目になったシュリは、この日、人生で初めて『思いつき』で行動してしまう自分の性格を後悔したのだった。
──リリアの切り開いた道を駆け抜けた先には、肉の大地が待ち受けていた。
「このお! 気持ち悪い!」
うごめく大地から盛り上がり、襲いくる『肉の腕』を真紅の神剣で斬り払い、エリザは身震いする。目の前でブクブクと泡を吹き、ボコボコと音を立てて盛り上がる肉塊を前にしては、さすがに気丈な少女も生理的嫌悪感を隠せなかった。
「発動、《暗黒の聖剣》」
そんなエリザの隣で漆黒の剣を振るうのは、肩までの黒髪に紫紺の瞳をした美少女だ。エリザと同じく学院の制服を身にまとってはいるが、彼女は学生ではなく、れっきとした伝説級の人外である。
「この地面を根こそぎぶっ飛ばさない限り、先には進めないのか……」
エリザはそう言って、真紅の剣閃を大地に向かって叩きつける。放たれた黄金色の炎は行く手を阻む肉の触手を焼き尽くし、大地を黒く焼き焦がしながら一本の道を創る。だが、これでもう何度目のことか。直後には周囲から盛り上がった肉がその道を覆いつくし、再び新たな肉塊が彼女たちへと襲いかかってくるのだ。
「うーん、いくらなんでも、あの肉の上をそのまま駆け抜けるのは無理かなあ?」
エリザは、今にも足を踏み出しかねない素振りを見せる。だが、そんな彼女の肩を掴み、リゼルが大きく首を振った。
「エリザ、それはだめ」
いつも無表情な彼女には珍しく、まるで懇願するような目でエリザを見つめてきている。
「う、うん。わかってるよ。……なんかリゼルに、『無茶をするな』みたいな顔をされると、ちょっとショックかも……」
「……第三階位は、わたくしが抑える」
「リゼルが?」
「はい。肉の鎧は獣王の力。しかし、血染めによる再生は第三階位──『月の牙』が有する力」
つまり、目の前の肉の大地は、第二階位と第三階位、その二つの力が影響し合って生まれていると言うことなのだろう。
「うーん。再生させないようにしてくれるってこと?」
「はい」
『任せろ』と言わんばかりに拳で胸を叩く仕草を見せるリゼル。
「あはは。じゃあ、任せるよ。あたしは何としてもこの奥に行って、こんな真似をしでかした奴をやっつけてこなくちゃだもん」
「それでは」
リゼルは深く頷くと、ふわりと宙に浮かび上がり、手の中に大きな闇を収束させていく。
「我が特異能力《星心黒月》は、星さえも思い込ませる力。なれば、星の大地を纏いし『紅月』の王よ。己が鎧に欺かれよ。……発動、《星心の傷跡》」
リゼルの手から、闇の波動が放たれる。それはかつて、アリアノートの過去の傷を再現した魔法によく似た現象だった。しかし、今回のそれは、規模が違う。そもそも対象は個人の精神ではなく、『星心』なのだ。
「うわ、すご……」
驚愕するエリザの前で、それは起きた。のたうちまわる肉の触手は動きを止め、崩れてボロボロの残骸をさらしている。肉の地面は激しく焼け焦げ、その下からは元の大地が露出しているかのようだ。闇の波動の範囲に存在するものすべてが崩れ、エリザによって焼かれた時そのものの姿と化していく。
「さあ、エリザ」
「うん! ……リゼル、無理はしないでね」
エリザは走りだす直前、リゼルを心配するような言葉をかける。かつてリゼルは、『星心障壁』を破壊する魔法を使い、意識不明に陥ったことがあった。
「心配はいらない。わたくしは、『墨染めの力』を受けて、かなりの力を取り戻した」
「そっか」
その言葉を聞いて、エリザは安心したように走り出す。焦りも不安も既にない。気がかりなのは、イデオンの安否だけだ。念のため、黄金の具足から放たれる光の粒子で防御を固めながら、エリザは一気に《星心の傷跡》を駆け抜けていく。
残されたリゼルの周囲には、闇の波動の範囲外にあった無数の肉塊と新たに生み出された『魔』の数々。
「ひゃは! さっきは良くもやってくれやがったな?」
真紅の人狼『クリムゾン』の声。五体満足の姿。リゼルにもぎ取られたはずの右腕も健在だった。
「貴様の血は何色だ。鮮血こそが我が望みなり……」
巨大な獅子が武装したかのような、戦場の覇王ブラッド。その首には、継ぎ目ひとつない。
自然顕現に近い実力をもって、この星界に肉を得た高位の『魔』。圧倒的な威圧感。彼らが咆哮を上げるだけで空気は震え、足を踏み鳴らすだけで大地が揺らぐ。どんなに豪胆な戦士でも絶望に震えあがるだろう化け物の群れを前にして、しかし、リゼルはつまらなそうに彼らを見渡す。
「足りない」
「んだと?」
いぶかしげに言葉を返すクリムゾン。
「この程度では、退屈しのぎにもならない。数も足りないが、それより何より……」
「き、貴様……」
続く侮辱の言葉を予測したかのように、歯ぎしりする戦場の覇王ブラッド。
獣の怒りを無視したまま、暗愚王は笑う。彼女には珍しく、相手を見下し、馬鹿にしたような──そんな笑み。
「──雑魚ばかりだ」
その一言を皮切りに、怒り狂った獣の咆哮が響き渡る。
──その頃、ルーファスとルヴィナの二人は、それぞれの技を駆使して群がる敵を蹴散らしつつ、徐々に前進していた。少人数で突っ込んでいってしまった無謀な後輩たちを少しでも援護してやるためだ。
『星心克月』を会得したとは言っても、規格外の力を有するエリザやリリアとは違う。年長組であるこの二人は、力任せに戦うのではなく、状況を分析し、己の持てる力を最大限かつ効率的に発揮しうる戦い方を常に考えている。
そしてそれは、二人で組んで戦う時も同様であり、お互いの特性を十分補い合える戦い方を、この状況下で徐々にものにしつつあった。
「遅延型白霊術。発動、《氷雪の彫像》」
発動タイミングを任意に操作できる遅延型の白霊術。ルーファスが十分敵を引きつけたところで放ったその魔法は、迫りくる『魔』や月獣たちを足元から凍りつかせる。
「顕現せよ、《ヴァルハルの鉄の牙》」
幻界第十三階位の『魔』、鋼鉄の牙竜ヴァルハルの鉄の牙。虚空に浮かぶ無数のそれらが一斉に凍りかけた敵へと喰らいつき、その身体を粉々に打ち砕く。
「顕現せよ、《オデッサの呪いの鎖》」
暗界第十六階位、束縛の怪人オデッサが振るう呪いの鎖。ジャラジャラと音を立てて虚空から伸びた鎖は、頭上を飛ぶ化け物たちを捕縛し、地に叩きつける。
「設置型白霊術。発動、《赤熱の大地》」
ルーファスが仕掛けておいた条件発動型の白霊術は、その発動条件を満たされたことを受け、瞬時に大地を灼熱させて、鎖に巻かれて身動きできない化け物たちを焼き尽くす。
「どうにか先が見えてきたな」
「ええ、思ったより息を合わせてもらえて助かりました」
「まあな。これまでは単独任務が多かったせいもあるが、なにより今は、君を恐れなくて済むのが大きい」
「……もう、いいです」
珍しく褒め言葉のつもりで言った言葉を素っ気なく冗談で返され、途端に不機嫌になるルヴィナ。だが、察しの悪いルーファスは、それには気づく様子もない。
「む? あれはリリアじゃないか?」
「ええ、そうみたいですね。迂闊に近づくのも危険な戦い方をしてますけど、声を掛けながらいきましょう」
だが、この時に二人にはわかっていなかった。声を掛けながら近づいたところで、どうにもならない問題があると言うことに。
「え? ルヴィナ先輩とルーファス先輩ですの? こ 来ないでください!」
珍しく焦ったような声を出すリリア。
「何を言ってるの! わたしたちだって十分戦えるわ! あなた一人でその数をさばくのは大変でしょう!?」
「そ、そう言う意味ではなくって! ええっと、だから、もう!」
リリアはもどかしげに言葉を選んでいるようだ。
「いい加減にしろ。俺たちを馬鹿にするな。仮にも後輩に気を遣われて、後ろに下がってなどいられるものか」
埒が明かないとばかりにリリアの言葉を無視し、『白霊剣技』の移動技術で宙を滑るように彼女へ近づくルーファス。
その直後のことだった。
「きゃあああ! いやあああ! 近づくなと言ってんでしょーが、この変態がああああ!」
ルーファスは見た。彼に向かって無数の紅い槍が迫るその直前。身に纏う制服がビリビリに切り裂かれ、あられもない姿で肌をさらしてしまっているリリアの姿を。
肌から直接槍を生み出す《水鏡兵装:紅天槍》の唯一の欠点。これは、それを全力で使い続けたがゆえに起こった『悲劇』だったのかもしれない。
「む、これは今度こそ死んだかもしれんな」
どうにか展開した防御魔法が薄紙のように破られていくのを感じながら、ルーファスは最後の最後に『眼福』だったと、どうしようもないことを考えつつ、吹き飛ばされたのだった。
次回「『ゾア』~我の血潮に染まりしは」