第98話 無双の魔王と無貌の英雄
結局、ネザクの言う『みんなは僕の背中に隠れていて』という提案は、採用されなかった。都市の住民たちには一切の武装をさせず、室内に隠れているようにとの通達を出したものの、守備兵たちは各々が誇りを持って城塞の防衛にあたっているのだ。そんな恥知らずな真似はできない、というのが彼らの主張だった。
「なんか僕、まずいこと言っちゃったかなあ……」
好意的とは言い難い雰囲気に、ネザクは悲しげな顔をする。彼の目標は、『皆に好かれる魔王』である。嫌われながら戦うのは、彼の本意ではなかった。
「いや、俺があらかじめ、お前に獣人族のことを話しておかなかったのが悪い。……でもまあ、心配するなよ。彼らはみんな、戦士としての矜持が高い分、純粋に強い相手にはとことんまで敬意を払ってくれるはずだぜ」
「だったら、僕は皆の前で強いところを見せればいいのかな?」
それなら簡単そうだとばかりに、顔を輝かせるネザク。しかし、エドガーは自分で言っておきながら、その点についても若干の問題があることに気付いた。
「うーん。でも、ネザクには難しいかもなあ……彼らの言う『強い』ってのは、肉弾戦でのことを指すんだ。前に言っただろ? 獣人族の間では魔闘術こそ、至高の魔法とされているってさ」
その点、どう見ても華奢な外見のネザクに、肉弾戦は向かないのではないか。彼の戦いぶりのすべてを目にしてきたわけではないエドガーは、そんな心配をしてしまった。学院での訓練の機会こそあったが、ネザクは周囲への被害を考え、全力を発揮することは無かった。
そのため、この後エドガーは、いかに自分が滑稽な心配をしていたのかを大いに恥じる羽目になる。そして同時に、自分がいかに『間違った助言』を彼にしてしまったのかも、思い知らされることになるのだった。
「……ふうん。じゃあ、僕が『肉弾戦』で戦えばいいんだね? そんなの、簡単だよ」
「え?」
ネザクはこともなげに言ったかと思うと、ふらりと立ち上がり、指揮所を出る。
どうやらそのまま、まっすぐ正門へと向かうようだ。
「な……お、お待ちください! 正門前には敵が押し寄せてきているのですぞ? 何をなさるおつもりですか!」
守備兵たちはあくまで城壁の上などから、月獣の群れと相対するつもりだった。高さを確保し、よじ登ってくる敵を叩き落とす方が兵力の不利を気にせず闘えるからだ。しかし、ネザクはそんな彼らの意向を無視し、正門を開けようとしている。
「だって、言うことを聞いてくれなきゃ、しょうがないじゃん。心配しなくても、僕が出てったら門は閉めていいからさ。ちゃんと城壁の上で、僕の戦いぶりを見ててよね」
「そ、そんな……」
呆気にとられる兵士たち。そんな彼らに、慰めるような声をかけたのはエドガーだった。
「諦めてくれ。城門を閉めるまでの間は、俺が責任を持って敵を通さないようにするからさ」
明らかに無謀としか思えない彼らの行動に、守備兵たちはなおも首を振る。しかし、ネザクは内側から重い閂をあっさりと外すと、大の大人の獣人族が十人がかりでようやく開く巨大な正門を、たった一人で開いてしまった。
「……うう、ば、化け物だ」
「……嘘だろう? まさか、あれを一人で……?」
震える兵士たちの声を尻目に、ネザクはゆっくりと外に出る。エドガーはと言えば、あきれた顔でその後ろを付いていく。
「じゃあ、行ってくるね。……発動、《天魔法術:無月の強化呪法》」
爆発的に底上げされた身体能力をもって、ネザクは手にした錫杖を振りかざす。すると、巻き起こった暴風が空から舞い降りる月獣たち飲み込んでいき、ことごとくを叩き落とす。
「あれ? そう言えば肉弾戦って、もっと直接殴ったりしなきゃダメだったかな?」
ネザクはそのまま、襲いくる月獣を片手で起こした衝撃波で蹴散らしつつ、可愛らしく首を傾げている。
「……いや、問題ないだろ」
呆れを通り越して笑ってしまいそうな心境で、エドガーは力無く言葉を返した。
「よし、じゃあ行こう!」
少年は意気揚々と声を上げると、散歩でもするように歩き出す。眼前に迫る月獣の群れをものともせず、撫でるように薙ぎ払いながら、歩む速度は全く変わらない。
「おいおい、ここで戦うんじゃないのかよ……」
無数の月獣がひしめく平野。その真っ只中に突き進むなど、無謀もいいところだ。しかし、この場合、問題なのはそこではない。すでにネザクは、『皆に強いところを見せる』という目的のため、城塞の防衛という本来の目的を見失っているようだった。
仮に自身は突出して戦うにしても、防衛用の『魔』を召喚するくらいの配慮はあってよさそうなものだが、それすら彼は忘れているらしい。
「聞く耳は……無さそうだな、ありゃ。まあ、あいつもまだまだガキってことか」
正門前に陣取るエドガーの目には、周囲の敵を吹き飛ばし続けるネザクを避けるように、こちらに迫る何体かの月獣の姿が見えていた。
「うわ! やっぱり来たぞ! 護れ!」
それまで呆然とネザクの背中を見続けていた兵士たちは、慌てて槍を構える。
「ああ、その門はさっさと閉めちまえ! それと『危ない』から、出てくるなよ!」
エドガーが警告の声を発した、次の瞬間だった。何の脈絡もなく、月獣の身体がバラバラに切り刻まれ、血しぶきを撒き散らして地に落ちた。
「え? え?」
ぽかんと口を開ける守備兵たち。そんな彼らに、エドガーはにやりと笑いかける。
「言っただろ? 危ないって。……これがアズラル先生にも教えていない俺の技。正真正銘の『奥の手』って奴だ。でも、言っとくけど、これもれっきとした魔闘術だぜ。……名づけるなら《黒糸夢爪》ってところか?」
エドガーの指の先には、糸を括り付けるための透明な指輪が付けられている。赤黒く血で染められた糸は細く、目を凝らさない限り視認するのも困難なものだ。しかし、それは文字どおり、エドガーの手足となって敵を捕縛し、爪と化して敵を斬り裂く。
「まあ、あいつが平原の敵を殲滅してくれれば事が終わるとはいえ、あのやり方じゃ日が暮れちまいそうだな……この城門は俺が護るしかなさそうだ」
背後には、未だ閉まらない正門扉がある。獣人族の誇り。それは部外者に護りを任せ、あまつさえ外に残して正門を閉めるような真似を、彼らに許さなかったのだろう。
「……あいつも、少しは周囲の人間への『影響』って奴を考えてほしいもんだぜ」
エドガーがぼやきながら両手を小刻みに動かすたび、周囲に迫る月獣たちが鮮血を上げながら切り刻まれていく。必要最小限の労力で、最大限の殺傷能力を発揮する武器。それがエドガーの《黒糸夢爪》だった。
「か、神様……こんなの、あ、あり得ません……」
「嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ……」
一方、城壁の上でネザクの進撃を見下ろしていた守備兵たちは、──ある者は天を仰いで祈りの言葉を唱え、ある者は現実逃避でもするかのように意味のない呟きを続けている。
「えい」
ネザクは軽い掛け声とともに、足元の地面を錫杖で叩く。すると爆発的な衝撃波が地を伝わり、空を飛んでいない多くの月獣が吹き飛ばされて舞い上がる。指向性を持たせた衝撃波のようだが、それでも城塞自体がぐらぐらと揺らぐような地響きに、エドガーは彼が普段、どれだけ力を抑えているのかを思い知らされていた。
「まったく俺も、大変な奴を親友にしちまったもんだ」
ぼやくエドガーの周囲では、ヒュンヒュンという風切音に合わせるかのように、次々と月獣たちが切り刻まれていた。
──ネザクが看破したように、獣人国家バーミリオンの領内における月獣の被害は、『戦闘能力』を有する軍事拠点などに集中していた。だが、月獣は軍事行動をとっているわけではない。ゆえに軍事拠点でなくとも、そこに『戦闘能力』や『戦意』を有するものが多く集っていれば、同じことだ。
ネザクとエドガーをグランバルドに残して先に進んだ一行は、月獣に襲われたと思しき都市の惨状を目にしていた。住人たちはその多くが避難しているらしく、戦闘によって破壊された街並みのほかには、剣や槍を持って戦った戦士たちの亡骸が虚しく横たわるのみだ。
「酷い。こんなこと、許せない!」
エリザが叫ぶ。無論、この状況は月獣たちが主に戦士ばかりを狙っていた結果だ。しかし、その事実を知らない彼女の目には、一般人に死者が無く、戦士たちばかりが死んでいるこの光景は、彼らが『身を挺して弱いものを守った』結果なのだと映る。
だからこそ、怒りが滾る。勇敢な英雄たちの死を悼み、彼らの仇を討ってやりたいという想いが、彼女の闘争心に火をつける。
──それがこの都市に、新たな敵を呼び寄せることになるとも知らず。
「エリザ。気持ちはわかるけど、落ち着いて。そろそろ日も暮れてきたし、近くの建物でも使わせてもらって、夜を明かしましょう」
ルヴィナの言うとおり、既に西日が傾いてくる頃合いだ。月獣がはびこる現在のこの国では、野営をするにも危険が伴う。無理をして進むより、翌日早朝から出発すれば、その日の内には目的の『修羅の演武場』には到着できるはずだった。
「リゼル。どうしましたの?」
街に人の気配はあまりないものの、全くの無人と言うわけではない。他人の家屋を使うのも気が引けるため、宿屋の建物を探す一行の中で、リリアはリゼルの様子がおかしいことに気付いた。
「……リリアは感じないか? この地には『血染めの力』が満ちている」
「血染めの力? ……それって、獄界第三階位の?」
リリアの問いにコクリと頷くリゼル。
「血染めの力は、獣の鎧。紅月の王は、地に満ちた血に影を落とし、障壁を越えぬままに星界にて肉を得る」
「もう少し、わかりやすく言ってもらえるかしら?」
リゼルの抽象的な言葉には、何か重要な意味がある。そう悟ったリリアは、辛抱強く聞き返す。
「獄獣王グランアスラ──荒ぶる獣は、すでにこの国にいる」
何度かの問答を繰り返した後、リゼルはそんな言葉で説明を締めくくる。
「……そうですの。わたくしたちの行く手には、『第二階位』が待ち受けている。そう言いたいのですわね?」
再び頷くリゼルアドラ。
「でも、心配ありませんわ。エリザもわたくしも、どんな敵だろうと負けるつもりはありません。……それに、今はあなただっているでしょう? ……頼りにしているわ」
「…………」
「あら? もしかして……照れているのかしら?」
リゼルは、あくまで無表情のままだ。しかし、ここまでの付き合いを経て、なんとなくではあるが、リリアにはリゼルの胸の内にある感情がわかるようになっていた。
「あー! なになに? あたしの苦境を放っておいて、どうして二人だけで仲良さそうに話してるわけ?」
ちょうどそこに、不満そうな顔をしながらエリザが駆け脚で近づいてくる。どうやら、双子姫の魔手から逃れてきたところらしい。
「何が苦境よ。愛されてるんだからいいじゃない」
リリアが呆れたようにそう言えば、
「愛は素晴らしい」
リゼルは、こくこくと頷きながら同意する。
「で、でも、ネザクがいないとあたし、一人であの二人の相手をしなくちゃいけないんだよ? イリナさんは不気味だし、キリナさんはなんか危険だし……」
はっきりと言葉に言い表せない恐怖に、エリザは身を震わせている。
「ふむ。どうやらこの建物が宿屋のようだぞ。さあ、中に入ろう」
一同の中で一番経験が豊富なルーファスが、いち早く宿屋らしき建物を見つけ、皆に声をかけてくる。ここでようやく、エリザたちはこの『救出作戦』の旅路の中で一時の休息を得ることができたのだった。
そして、翌日。早朝から彼らが街を出発しようと準備をしていたところで、異変は起きた。
「敵影、捕捉。数、一万弱」
無機質な声で皆にそう告げたのは、リゼルだ。
街の出口に集まった一同は、彼女の指差す方角に目を向けるが、そこには何も見えない。だが、他ならぬリゼルがそう言う以上、それは間違いのない事実であるはずだ。
「一万だと? 月獣がか?」
ルーファスの問いかけにも、リゼルはこくりと頷きを返す。
「ルヴィナ。どうする? いくらなんでも多勢に無勢だ。早くここから離れた方がいいのではないか?」
「そうね。そうしましょうか」
年長組の二人がそう結論を出すも、エリザは浮かない顔だった。
「で、でも、このままじゃこの街が……」
今もこの街には、避難していない住民たちがいる。彼らの多くは貧しく、行くあてのない人々だ。
「でも、エリザ。実際のところ、このままでも犠牲になる人は、ほとんどいませんわ。リゼルの話を聞く限りでは、『月獣』たちも隠れた人々を探し出してまで襲うことはないようですし……」
リリアは、気遣わしげにエリザをなだめる。
「うん……。でも、この街には、皆を護って戦った人たちの遺体もあるんだ。あたし、本当ならお墓だって造ってあげたかったのに……こんなの、こんなのないよ!」
やるせない思いに身体を震わせ、悔しそうに下唇を噛むエリザ。もちろん彼女にも、リリアの言い分がわからないわけではない。自分の考えが単なる感傷でしかないことも、わかってはいる。
それでも、悔しいものは悔しい。
「……それなら、わたしたちに任せてくれないかしら?」
そんなエリザを見かねたように、イリナがそっと申し出る。
「え?」
「かつて母様は、相棒のリンドブルムと共に、万の軍勢を一人で相手にしたこともあったと言う。ならば、わたしたちもそれに倣おうと思ってな」
柔らかな笑みと共に、エリザの肩に優しく手を置くキリナ。
「お、お二人とも、何を言っているんですか? そもそも、そんなことをしても……」
「ルヴィナ先輩。わたしたちは今やあなたの後輩です。敬語は止めてください。……それに、わたしたちはただ、エリザのためにこんなことを申し出ているわけじゃありません」
「え?」
イリナの言葉に、目を丸くするルヴィナ。イリナは彼女の目を真っ直ぐに見据え、言葉を続ける。
「一万もの月獣の群れ。そんなものに蹂躙されれば、街はさらに激しい破壊にさらされ、残った人々は仮に生き残れたとしても、今度こそ生きる糧を失うはずです」
そこへ、さらに言葉を継いだのはキリナだ。
「一万もの月獣の群れ。たとえ、この街を害なく通り過ぎたとして、そのまま消滅するわけではないはずだ。誰かが止めなければ、もっと多くの人たちが犠牲になる」
「そ、それはそうですけど……」
理屈はわかるが納得はできないといった顔のルヴィナに、二人は声を揃えて言う。
「知らないなんて許されない。……顔の見えない無数の民を想ってこそ、真の英雄でしょう?」
「…………」
かつて自分が指摘したことを引き合いに出され、そんな風に言われてしまえば、返す言葉もないルヴィナだった。
次回「第99話 後発部隊と獣の大地」




