第97話 要塞都市と獣の目的
グランバルド要塞都市は、エレンタード王国との国境にほど近い場所にあり、かつての『邪竜戦争』の際には、最前線となっていた一大軍事拠点である。
強固で背の高い城壁の内側は、戦時ともなれば数万の軍勢を常駐させるに足る広さを誇っており、それら兵士たちの生活の場を形成するため、商店や宿場などの各種施設が立ち並ぶ大都市の様相を呈している。
そんな軍事拠点が今、血に飢えた猛獣の大軍に包囲されていた。城塞の兵士たちは必死に防衛を続けているが、『月獣』の中には飛行タイプのものも多い。空と陸、二方向からの迫る大量の敵を前に、遠目から見ても要塞の防衛に限界が近づいてきていることは明らかだった。
「嘘だろ……なんだよ、あの大群……。冗談じゃねえ!グランバルドには一般市民だって何万と生活してるんだぞ! あのままじゃ……!」
視力を魔闘術で強化したエドガーは、リゼルが指差した先に見える城塞の様子に焦りの声を上げる。
「確か、ここから『修羅の演武場』まではそれなりに距離があったと思うが……」
「ええ。にもかかわらず、ここまで敵が押し寄せているとなると、状況は思った以上に深刻ですね」
ルーファスとルヴィナの二人が年長組らしく落ち着いた調子で言葉を交わす一方、
「そんなことより、はやく助けに行かないと!」
エリザは居ても立ってもいられないといった顔で叫ぶ。
「うーん。そうしたいのはやまやまだけど……でも、僕たちはイデオンさんを助けに来たんだよね? エリザだって一日も早く『修羅の演武場』に行かなきゃと思ったから、アルフレッド先生の指示を待たずに出発したんでしょ?」
そんなエリザとは対照的に、ネザクは特に感情らしい感情を見せることもなく、彼女のことをたしなめる。
「でも! あのままじゃ、皆死んじゃうよ! 放っておくわけにはいかない!」
なおもエリザは首を振って訴える。すると今度は、リリアが口を挟んだ。
「もちろん、放置はできませんわ。とはいえ、あれだけの大群が相手では、例えあなたでも数日は足止めを食う覚悟が必要ですわね……」
リリアが指し示す先には、荒野を埋め尽くす獣の群れがある。数にして、ざっと三万匹は越えている。一方、城塞に詰めている兵士は、元々戦時中でもなかったことを考えれば、一万にも満たないだろう。
単独での戦闘力では右に並ぶ者のいないエリザとはいえ、こんな状況では、一人でできることには限界がある。
だがここで、思わぬ言葉を口にしたのは、エドガーだった。
「……悪い。ここには俺が残る。他の皆は、先に行っていてくれ」
「え?」
誰よりもイデオンを助けたいと願っているはずのエドガーの言葉に、一同が目を丸くする。
「俺は……バーミリオンの王族として、グランバルドの民を見捨てるわけにはいかないんだ。まあ、親父のことは、俺よりよっぽど頼りになる皆に任せるさ」
努めて明るく笑うエドガー。だが、その顔には、それまでの気楽な少年のものとは異なる、一人の王族としての決意が滲んでいた。
「親父なら、同じことをするはずだ。一人の肉親より、大勢の民を護ること。それこそが、王の……英雄のすることだろ?」
「……馬鹿なことを言わないでくださいな。あなたこそ、一人でこの状況を何とかできるつもりですの?」
彼と同じ翼竜の背に乗るリリアは、あえて辛辣な言葉を口にする。だが、エドガーはそんな彼女の気遣いに対し、軽快に笑ってみせた。
「はは! 『エリザでもあるまいし』ってか? そんなもの、要は戦い方だよ。俺にはまだ、皆にも見せていない『奥の手』がある。どうにかなるさ」
半分は本気、半分は強がりだ。エドガーの『奥の手』は、確かに対多数の戦闘に向いているものではある。だが、それでもあれだけの数の敵を自分ひとりで防ぎ切れるとは考えにくい。せいぜい、多少なりとも被害を抑える程度が関の山だ。
だが、そのとき。
「……だったら、僕が残るよ」
小さくつぶやくような、ネザクの声。
「なに?」
その場の全員が、驚いて彼を見た。
「英雄だろうとなんだろうと、エドガーの実のお父さんじゃないか。その点、僕にしてみれば、街の人たちを助けるのもイデオンさんを助けるのも大して変わらないし……そもそも、あの程度の連中、僕の敵じゃあない」
「……ネザク。気持ちはありがたいけどよ。これは俺の国の問題だし……正直、お前にはここまで来てくれただけで十分有難いと思ってるんだ。他の皆と違って俺の親父ともあまり親しくないはずだってのに……。だから、俺が残る」
「駄目だよ。エドガーは僕の親友じゃないか。親友を助けるために、僕が頑張って何が悪いって言うのさ?」
「な……ネ、ネザク……」
少女のように美しい顔に、花も綻ぶような笑みを浮かべるネザクに、エドガーは声を震わせる。同じ翼竜の背に入れば、思わず抱きついていたかもしれないほど、彼は感極まっていた。
「……ううー! なんか除け者にされた気分なんだけど!」
真っ先に救援に行くことを提案したのは自分なのに、何故か蚊帳の外に置かれている状況に、エリザは不満げな顔をしていた。
「……あの敵は、わたくしが見つけた敵」
いつの間にかエリザの傍まで宙を漂ってきたリゼルも、同意するように頷いている。もっとも彼女の場合、単にエリザに調子を合わせているだけかもしれないが。
「……ああ、もう、めんどくさいですわ! だったら、二人で行ってきなさいな」
リリアの投げやり気味な言葉は、どう考えても妙な雰囲気になりかけた空気に嫌気がさしてのものだったはずだ。だが、それを聞いたルヴィナは、賛同するように頷く。
「……そうね。ネザクくんなら大量の『魔』も召喚できるでしょうし、適材だとは思う。でも、一人でってわけにもいかないわ。ネザクくんの名は『魔王』としてしか知られていないのだし、要塞の人に信用してもらえなければ、いくら『魔』で兵力を補ったとしても、防衛作戦も難しいでしょう?」
「うーん、そうかな?」
どうしたところで、都市の住民の被害を出さずに戦うには、都市側の協力は不可欠だ。結局、ルヴィナのこうした意見もあり、グランバルドにはネザクとエドガー、二人が向かうこととなった。
「……それじゃ、仕方ないね。エドガーと一緒に行こう。イリナさん、キリナさん。リンドブルムへの『真月』の供給は、二人に任せるよ。二人ならきっとできる。……頼んだよ」
普段の気弱な彼とは異なる、力強い言葉。双子の姫は、思わず圧倒されたように頷きを返していた。
「え、ええ……任せておいて。アクティがいなくても、わたしたちだって戦える。それを証明するために、無理を言ってわたしたちだけで同行させてもらったんだもの」
「ああ、そうだとも。だから、ネザク。後は任せて思う存分、暴れてきなさい」
それでも最後には、二人は揃って胸を張り、翼竜マイアドロンに乗り移るネザクを見送ったのだった。
ネザクとエドガーは、まず行動で自分たちが味方であることを示すことにした。空から城塞に近づくにしても、飛行型の月獣と判断されて迎撃されては目も当てられないからだ。
「じゃあ、ここは僕に任せて。あんな奴ら、まとめて蹴散らしちゃうから」
「あ、ああ……」
ネザクの声には、圧倒されるような力強さがある。根も葉もない大言壮語などではなく、実力に裏打ちされた言葉だ。
空一面を覆い尽くす翼の生えた月獣たち。城塞都市は高い城壁こそあれ、屋根があるわけではない。そのため、守備兵たちが一番難儀しているのは、そうした敵から一般市民を守ることだろうと思われた。
「さて、それじゃあ……発動、《天魔法術:無月の轟雷呪法》」
つぶやくネザクの手には、いつの間にか古びた錫杖が握られている。エドガーは、その先端の輪の中にまばゆい雷光が収縮し、周囲の大気を震わせていくのを驚愕の思いとともに見つめていた。
「うわっ!!」
走る閃光。炸裂する轟音。空気を焼き尽くすような輝きは、その先にいた無数の月獣たちを飲み込み、跡形もなく消し飛ばす。数百匹はいたであろう空飛ぶ月獣の群れには、恐ろしく巨大な風穴が開いていた。
改めて確認するまでもない。ほぼ全滅に等しい戦果だ。
「ま、まじかよ……」
エドガーの喉から、かすれるような声が洩れる。
「さ、これで皆もわかってくれるはずだよ。僕らが味方だってね」
そう言って、翼竜マイアドロンの高度を下げていくネザク。
「いやいや。これってきっと、最大級の警戒態勢で迎えられるんじゃないか?」
内心でそう思うも、今のネザクにそんな言葉はかけられないエドガーだった。
そして、案の定。
「う、うあああ! ひ、ひい! な、何者だ!」
「く、お、おのれ……」
さすがに迎撃はされなかったものの、外壁構造物の内部に設けられた指揮所に向かうため、締め切られた正門の内側に降り立った二人は、怯えを含んだ眼差しでこちらを取り囲む兵士たちの一団と相対することになる。
「あれ? なんで? 今の見たよね? 僕たちはみんなを助けに来たんだよ。だからほら、武器なんか構えてないで、案内してよ」
意外そうな声を出すネザク。
「……はあ。そりゃ、無理ってもんだろ。やれやれ」
溜め息をつきながら、エドガーは一歩前に進み出た。すると、明らかに銀狼族と思しき少年の姿に、兵士たちからどよめきの声が聞こえてくる。
「みんな! 聞いてくれ。俺はエドガー・バーミリオン。この国の第一王子であり、今は学院で修業中の身だが、故国の危機を救うべく帰って来た!」
お互いに顔を見合わせる兵士たち。彼らの中にはエドガーと直接面識のある者はいなかったが、知らせを聞いて駆けつけてきた指揮官の中にエドガーを知る銀狼族がいた。
「おお! エドガー様! まさか、あなた様が駆けつけてきてくださるとは……」
「ん? ああ、わかってくれる奴がいてよかったよ。今は状況を知りたい。案内してくれるな?」
「ははっ!」
その指揮官は、エドガーより何歳か年上に見えたが、身なりからして上級軍人であることは間違いない。
「エドガー、知り合い?」
「ああ。同族だからな」
案内された指揮所では、要塞の最高司令官である初老の男性が出迎えてくれた。白髪から山羊のような角を生やし、白ひげを蓄えた彼は、老獪な知恵と高い魔力を有することで知られる白羊族の獣人だった。
ネザクが空から迫る敵を一掃したせいか、防衛にも大分余裕ができたらしい。部屋には他にも指揮官クラスの人間が何人も詰めかけているようだ。
「驚きましたな……。まさか、あのエドガー殿下が、こんなにも立派になられて……」
「よしてくれよ。それより、思ったほど危機的状況には見えないな。街への被害もほとんどないみたいだし……どういうことなんだ?」
エドガーは真っ先にそんな疑問を口にする。
実のところ、街にはほとんど被害者の姿が見当たらなかった。少なくとも空からの襲撃は防ぎ切れるものではないはずであり、それなりの数の犠牲がでているだろうと覚悟はしていたのだが、どうも様子がおかしい。
その問いかけに、白羊族の司令官は頷きを返しながら答える。
「はい。……我々もよくわからないのです。月獣と言えば本来、見境なく他の生き物を襲い、食い荒らす化け物であるはずですが……彼らには何らかの目的があるようでして……」
「目的? 月獣が? なんだろうね?」
エドガーと司令官の会話に、割り込むような少年の声。
「む? ……そう言えば、君は?」
「あ、ごめんなさい。つい、口を挟んじゃった」
ネザクは司令官から驚きの目を向けられて、謝罪の言葉を口にする。
「そうだな。先に紹介しておくよ。こいつは、ネザク。俺と同じ学院に所属する友達だ。……まあ、親友って言ってもいいかな」
「エドガー様の、御友人でらっしゃる?」
「ああ。まあ、お前たちには、こう言った方がわかりがいいか? ……魔王ネザク・アストライア」
「な! ま、魔王!」
指揮所に居並ぶ指揮官たちの間に、一気に動揺が走る。だが、それも一瞬のこと。彼らはすぐに疑いの目をエドガーに向けてくる。
目の前にいる可愛らしい少年が、音に聞こえた魔王だとは信じがたい。それが本当なら彼らの英雄王は、こんな少年に敗北したことになってしまうではないか。
そう言いたげな彼らの顔を見て、エドガーはやれやれと息をつく。
「……あのなあ。じゃあさっき、空にいた月獣の大群をまとめて消し飛ばしたのは誰だったと思ってるんだ?」
「え? そ、それは、エドガー様では?」
「無理に決まってるだろ、そんなこと。よしんば俺が五英雄並みに強かったとしても、魔闘術であそこまでの広範囲殲滅攻撃なんかできるわけないだろうが」
エドガーの言葉に、一同は恐る恐るネザクの顔に目を向ける。確かに、魔王の意外な外見についても、彼がルーヴェル英雄養成学院に生徒として入学したということも、噂としては流れていた情報だ。
だが、こうして自分に集まる視線に照れるように頬を紅くする少年が、かつて英雄連合軍を敗北寸前にまで追い詰めた恐ろしい魔王だとは、どうしても思えない。
「……え、えっと……安心してよ。僕はもう、力尽くで世界を征服したりしないから。代わりに僕は、『魔王』として皆を助けに来たんだ」
なおも照れを残したまま、にっこりと笑うネザク。居並ぶ獣人族の多くは唖然としながらも、つい見惚れてしまう。
「で? 話は戻るけど、月獣の目的って何?」
「あ、ああ、そうでした。いえ、正確にはわかりません。ただ、奴らの攻撃目標には共通項がありまして……」
司令官はネザクに対し、ともすればエドガーに対するよりも丁寧な言葉遣いで応じている。
「共通項?」
「はい。奴らは近隣の町や村には見向きもせず、我々にとっての『軍事拠点』を攻撃してくるのです」
「……なるほどな。つまり、奴らは軍事的行動をとっているってわけだな?」
この国を軍事的に攻め落とそうとする行動。エドガーはそう捉えたのだが、司令官はこれには首を振った。
「いいえ。だとすれば、空から襲いくる月獣どもが『一般市民』を狙わない理由がわかりません。実際、それをされていれば我らは戦力の分散を余儀なくされ、もっと早くに全滅していたことでしょう」
「……わけがわからないな」
エドガーは首を傾げる。
「……彼らが『月獣』なんかじゃなく、獄界の『魔』の一種だと考えれば、わかるかもしれないよ」
場に沈黙が落ちかけたところで、そんな言葉を投げかけたのは、ネザクだった。
「ネザク? どういうことだ?」
「『欲望の迷宮』と同じさ。暗界の『魔』は、星界の民が持つ憎悪や絶望、嫉妬や欲望といった感情を『黒』の原点にしている。それに対して獄界の『魔』はね。敵意や闘争心、血気や加虐心といった感情を『紅』の原点にしているんだ。──つまり、彼らが望むのは、『戦闘能力』や『戦意』のある敵との戦闘そのものなんだよ」
ネザクの説明に、場の空気が水を打ったように静まり返る。それから数秒の時を経て、その場の誰もが腑に落ちたような顔で頷いた。
「そ、そうか……。それなら今までの奴らの行動にも説明がつく」
「し、しかし、それなら一体どうすれば……」
同時に困惑の声も上がる中、ネザクはこともなげに皆に提案した。
「だからさ。皆は武器を捨てて、僕の背中に隠れていれば安全なんじゃないかな。ほら、僕なら月獣より遥かに強力な『魔』を何千体だって召喚できるし、あの程度の群れなんか、十分全滅させられるもん」
この発言を聞いた瞬間、エドガーは頭を抱えた。駄目だ。この少年は事実を述べただけかもしれないが、言い方が最悪だった。誇り高き獣人族の戦士たちに対し、年端もいかない華奢な外見の少年がそんなことを言えば、何が起きるのかは火を見るよりも明らかだった。
途端に不満の声が上がり始める室内を見渡して、エドガーは大きく深くため息を吐く。
「はあ……。こりゃ、ネザク一人で来させないで正解だったぜ」
次回「第98話 無双の魔王と無貌の英雄」