第92話 メイドの少女と学院の一日
ルーファス・クラスタは最近、学院の食堂に出入りすることが多い。もちろん、生徒である以上、食堂を利用することは当然のことだ。だが彼は、食事の時間以外であっても、暇さえあればそこにいる。
その理由は、一人のメイドの少女にあった。
「ですから、つまり……これもまた、ひとつの『法則』のようなものなんです。わかりますか?」
「ふむ。なるほど。つまり、裏を返せば、そういう状況を先回りして予測することが重要なのか」
実のところ、場所が食堂であることに、意味はない。そこが彼女の勤務場所であり、昼時以外は比較的暇があると言うことで、隅の方の席を間借りさせてもらっているに過ぎなかった。
「ルーファスさんが霊戦術を使えないのが悔やまれるところですが、ここは無いものねだりをしても仕方がありません。古来から……人はそんなものに頼らなくても、気配を察知することができたと言います」
「ああ、そのとおりだ。要は感覚を研ぎ澄ませばいい。そういうことだな?」
ルーファスはメイド服姿の少女が白板(本来は献立掲載用のものだ)に書く文字を見つめつつ、納得したように頷いている。
「そうです。日常は、常に戦場です。『ソレ』はいつどこに潜んでいるのか、わからないのです。気を抜いてはいけません」
「……中々に厳しいな」
少女の力説する言葉に、ルーファスは息を飲む。その顔は至って真剣なものだ。まるで己の命がかかっているかのような、そんな真剣さがうかがえた。
「厳しいと思います。ですが……命には代えられません。違いますか?」
静かに言い聞かせるような少女の言葉。ルーファスは再び、深く頷く。
「違わない。確かに、俺も命は惜しい」
白熱した講義は続く。すでに休み時間の定番と化したこの光景を、リラは近くの椅子に腰かけ、ぼんやりと見つめている。
「……ルカちゃん、本当に『先生』が堂に入ってきたよねー」
手にした茶碗からお茶などをすすりながら、あくまでリラはマイペースだ。二人のやりとりは滑稽なようでもあり、その実、それなりに切実でもあった。
昼休みを除く休み時間。それはルーファスにとって、俗に『お約束』と呼ばれる『命の危機』の察知の仕方を学ぶための貴重な時間となっていた。
──事の起こりは数日前のこと。
リリアが悲しげな顔でルカやリラに、とある愚痴をこぼしたことに始まる。
「うう……最近、着られるお洋服が限られてしまって、困りますわ」
「どうしたんですか? リリア様」
ルカが心配そうに尋ねる。
「服が限られるって……もしかして太ったとか?」
「……リラさん?」
「ひっ! ご、ごめんなさいですう!」
蒼い瞳でギロリと睨まれて、ぶんぶんと首を振って謝るリラ。だが、リリアはすぐに元の悲しげな顔に戻る。
「よろしければ、相談に乗りましょうか?」
ルカはリラにたしなめるような視線を向けた後、再びリリアに問いかける。口調こそ丁寧なものだが、ルカにとって、リリアは既に大切な友だちなのだ。
「最近、服がよく破けますの……」
リリアが口にした言葉は、最初はルカにも理解しがたいものだった。しかし、よくよく話を聞けば、状況が見えてくる。
彼女の悩みの原因は、ある意味ではルーファスであり、ある意味では彼女自身の変化によるものだった。
これまでリリアがルーファスに『お約束』を受けた際、発動していたのは《黒雷破》だ。対象を精神から侵食し、その肉体まで焼き尽くすとされる必殺の一撃。これについては、自動発動による威力のムラやルーファス自身の防御魔法のおかげもあって、特段問題となることは無かった。少なくともリリア自身には何の害もない以上、彼女が悩む理由にはならない。
しかし、ここ最近では、同じような状況下であっても、何故か《水鏡兵装:紅天槍》が発動してしまうのだ。そして、この能力の何が一番問題なのかと言えば……
「身体の至る所から、瞬間的に槍が突き出されますの……」
乙女にとっては、実に深刻な悩みだった。何しろ槍が突き出された部分の服は、見るも無残に裂けてしまう。当然、高価なお洒落着など着られるはずもない。
現在ではリリアも自分の能力を自由に制御できるはずなのだが、何故かルーファスの『お約束』に関しては、無意識に発動してしまうらしい。
「それだけ無意識にも、あの男を警戒しているということなのでしょうけど……服が台無しになるのだけは困りますわ……」
「警戒、ですか……」
それは言いかえれば、『意識している』と言えるのかもしれない。ルカとしては、これまで自分の色恋沙汰については頑なに言及しようとしてこなかったリリアに対し、その点を追求してみたい気もした。
ところがこの後、ルーファスにそれとなく話を聞いていく中で、今回の件には、それどころではない重大な問題があることに気付くのだった。
それは、ルーファスにリリアの《紅天槍》を防御する手段が皆無だという点だ。何と言っても、彼女の身体から高速で突きだされる槍には、災害級の『魔』を一撃で送還する威力が秘められている。
ここ何回かはかろうじて回避することで事なきを得ているが、このままではいずれ悲惨な事故が起きかねない。ルカはやむなく、ルーファス側へのアプローチによって、この問題を解決することにしたのだった。
「……それにしても、ルカちゃんって『お約束』のことにも詳しいんだね」
その日の講義が終わり、ルーファスが食堂を辞した後、床のモップがけを続けながらリラが言う。
「リゼル様に色々と教えて差し上げる関係で勉強したからね……」
テーブルを布巾で拭きながら、ルカが応じた。
二人は、ほとんど無意識のうちに身体を動かしている。働く場所が変わっても、二人の少女は身体に染みついた『メイド』の本分を忘れることなく、日々を過ごしていた。
「ルーファスさんも見た目は格好いいのに、何と言うか凄く残念な人だよねー」
「あら、リラ。実はあなたって、ああいう美形が好みなの?」
「え? そういうんじゃないけど……この間、一緒にご飯を食べたライカちゃんとメアリちゃんから聞いたの。『遠くから鑑賞するのが一番だ』って、みんな言ってたよ」
「ああ、なるほど」
自分の新たな『弟子』の評判を気の毒に思いながらも、納得してしまうルカだった。
「そう言えば、わたしもこの前、レナさんから聞いたけど……『ネザクファンクラブ』の会員数が学院の六割を超えたらしいわよ」
「わあ、すごい。そのうち、この学院もネザク様の支配下に置かれちゃうねえ」
「支配下って言うか……ネザク様も色々とピンチな気がしてならないけど……」
ルカとリラは、学院の生徒たちとも親しい友人関係を築いている。特に生徒たちからしてみれば、可愛らしく朗らかな性格の彼女たちと接するのは嬉しいらしく、友達関係に限らず、色々と話しかけてきてくれることは多い。そのためか、彼女たちは部外者とは思えないほど、学院内の様々な情報に精通している。
そのため、こんな相談を受けることもある。
「済まないが、協力してもらえないか?」
「はい、なんでしょう?」
「……最近、あの『組織』の活動が活発化しているとの噂を聞いたのだが……何か心当たりは?」
「……そうですねえ。うーん。あるような、ないような……」
リラは顎に指を当て、小首を傾げて言葉を濁す。
「……スペシャル定食を頼もうか」
「はい。ありがとうございます! スペシャル定食入りましたー!」
厨房に注文の声をかけ、にっこり笑って振り返るリラ。
「……ふう。あれは年寄りの胃には、もたれるのだがな」
そう言って息をつくのは、エルムンドだった。
「大丈夫ですよ。副院長先生。ちゃんと先生用に調整したメニューにしてもらいましたから。……お値段据え置きですけど」
「……ちゃっかりしているな、君は。まあ、いい。それより、どうかな?」
「ええ、なんでも……今度、ネザク様の『ファンクラブ音楽隊』なるものが結成されるそうです。多分、活発な活動って言うのは、色々な楽器を揃えるために奔走している人たちがいるせいかもしれませんね」
「……なんてことだ。音楽隊なんて、一番騒ぎになりやすいパターンではないか。うう、胃痛が……」
「大変ですね。……胃薬、ご用意しましょうか?」
「す、すまないな……。エリック殿。はやく、早く帰ってきてくだされ……」
頭を抱えてうめく副院長の姿には、さすがのリラも同情してしまうのだった。
ネザクファンクラブは、確かに学院内の平穏を騒がす大きな要因の一つではある。しかし、現在の学院には、騒がすところか平和そのものを脅かしかねない問題児たちがいた。
「ううー! お腹減ったなあ! はやくはやく!」
昼時も近づいてくると、他の生徒たちが現れるより早く、真っ先にやってくる少年少女がいる。欠食児童もかくやという勢いで現れたのは、真っ赤な頭髪をした、元気いっぱいの少女だ。
「いらっしゃいませ、エリザ様」
「いらっしゃいませー!」
「こんにちは! 今日もよろしくね!」
二人のメイド少女が笑顔で歓迎の言葉を口にすると、エリザもまた、にっこり笑って近づいてくる。
「ほら! 早く早く! 先に注文しちゃうよ?」
そして彼女は、いつものようにいつもの席に陣取ると、遅れて入ってくる三人の少年少女を急かすように手招きした。
「まったく、そんなに急がなくても食事は逃げたりしませんわよ?」
「エリザの獲物はわたくしの獲物。逃げるのならば捕まえよう」
「いや、リゼル? お願いだから変な勘違いで暴れ出すのは止めようね」
三者三様に言葉を掛け合いながら、エリザの待つテーブルを囲むように腰かける。
いつものことながら、ルカは彼女たちの姿を感嘆の思いで見つめていた。それこそ見た目だけなら、『天使のお茶会』とでも題名を付けたくなるような、実に絵になる光景だった。
こんな環境で仕事ができて幸せだ。ルカはそう思いつつ、四人の会話に聞き耳を立てていた。
「でも、あれだよね。全力で訓練できないとストレスたまっちゃうよ」
運ばれてきた食事を口の中に入れたまま、恐ろしく明瞭な発音で言葉を発するエリザ。
彼女は以前、ネザクに口に物を入れたまま喋らないよう注意されたことがある。それを受けて、彼女なりに考えはしたのだろう。
だが、彼女はどうしてそこで、『口に物を入れながら、ちゃんと喋る』という技を編み出してしまうのだろうか? 努力する方向性が全力で間違っている。同じ女性として、エリザの将来を真剣に危惧してしまうルカだった。
「……わかってると思うけど、ストレスが溜まるからって、駄目なものはダメだからね」
すかさず釘を刺すネザクの顔には、少々疲れの色が見えるようだ。彼がこれまでもカグヤのわがままに振り回されてきた事実を知るルカとしては、同情の念を禁じ得ないところだ。
「うー。そうなんだよなあ……。この前みたいに『欲望の迷宮』にでも行ってみようかな」
「エリザ。あそこはもう、立ち入り禁止指定されてますわ。退学になっても良ければ構いませんけれど……」
リリアはあくまで上品だ。食べ物を口に入れていないタイミングで、鈴の鳴るような声で話している。ルカはそれを見て、彼女こそ『お姫様の中のお姫様』なのだと、改めて感心する。ただ、惜しむらくは、無意識に身体中から紅い槍を突きだすと言う、奇想天外な体質(?)があることぐらいだろうか。
「それは困るなあ。まさか前のエクリプスの件みたいに、戦争が起きるのを待つってわけにもいかないし……」
「エリザには、戦争が必要か? ならば、わたくしが黒魔術で用意しよう」
「うあああ! 駄目だってば! エリザ、リゼルの前では発言に気をつけようよ……」
「あ、うん。……駄目だぞ、リゼル。戦争は無い方がいいものなんだ。あたしも、さっきのは本気で言ったわけじゃないんだからさ」
「……無念。二人に怒られてしまった」
しょんぼりと下を向くリゼル。
だが、聞いて驚くなかれ。彼女こそ、かつて星界に絶望をもたらした、暗く愚かな闇の王なのだ──いや、ぜったい嘘だ。ルカはぶんぶんと首を振る。悪夢の王たる伝説級の『魔』が、年端もいかない子供に駄目出しをされて落ち込むなんて、いったいどんな笑い話なのだと言いたくもなる。
ルカの心情はさておき、エリザはそんなリゼルのことを可哀そうに思ったらしい。
「……うーん。どうしたもんかな? あ! そうだ。できれば今度から、あたしが言った言葉を真に受ける前に、本気かどうか聞いてみてもらえないかな?」
エリザは会心のアイデアを思い付いたとばかりに、リゼルに提案する。しかし、彼女は
「それは本気だろうか?」
と言った。
「はう、そう来たか……」
がっくりと肩を落とすエリザ。
「うふふふ! さすがのエリザもリゼルが相手ではお手上げですわね」
「でも、前途多難だよ、リリアさん。この前だって、エリザの冗談で危うく学院内の数学関係の教材が残らず消し飛ぶところだったんだからね……」
げんなりと言うネザクの言葉に、流石のリリアも愕然とした顔で呟きを返す。
「……この学校、卒業まで無事に持つのかしらね」
徐々に喧騒に満ちはじめた昼休みの食堂。
規格外の四人による、日常の異常な会話。
ルカは聞かなければよかったと後悔しつつ、他の来客対応に向かう。リラもまた、話しかけてきた男子生徒に愛想を振りまきながら、注文を取り始めたのだった。
昼の時間が終わると、二人のメイドの仕事も終わる。食堂自体は夕方まで開いているが、客足もまばらで、それほど人手も必要としなくなる。
それよりなにより、学院内外に多くの飲食店が存在する状況下において、ここ数年寂れつつあった学内食堂が繁盛し始めているのは、間違いなく二人のおかげなのだ。
そんな理由も相まって、食堂のコック長も給仕係の女性たちも、遊びたい盛りの少女たちを気遣ってか、夕方になる前には二人を自由にしてくれるのだった。
「じゃあ、また明日もよろしくね。ルカちゃん、リラちゃん」
「はい。今日もありがとうございました!」
「また、明日です」
その日のお給金をしっかりと手渡され、二人のメイドは満足げに食堂を後にする。
「今日もいっぱい、もらっちゃったね」
「そうね。こんなに頂いちゃっていいのかしら?」
キルシュ城の使用人だった頃、二人には衣食住こそ保障されていたが、小遣いを得ることなどほとんどなかった。だから、こうして労働の対価としての金銭を渡されるというのは新鮮な経験だった。
彼女たちの生活費自体は、ネザクに対するミリアナからの仕送りから賄われている他、エリックやカグヤが手を回して確保しているものがあるが、それに甘えてばかりではいけない。それに、夕方になればリリアや他の友達とショッピングに繰り出すこともあるのだ。軍資金は多いに越したことは無かった。
その日も、食堂の外で待ち受けていたかのような形で友人たちに誘われ、街へと出かける。ウインドウショッピングの合間に、ちょっとした小物や実用品を購入し、日が暮れるまで遊んだ後、皆と別れて学院内の職員用宿舎へ帰りつく。
宿舎に帰れば、後はお決まりのコースである。宿舎の台所では、賄い料理を自分たちで用意することもできるため、そこで夕食を済ませる。共同浴場で一日の汗を洗い流し、二人は自分たちの寝室へと戻り、それぞれのベッドの上に腰かけて、眠くなるまで雑談を続けるのだ。
「考えてみれば凄いよね。わたしたち、世界でただ二人だけの『魔王様のメイド』なんだもん」
「でも、幸せだからいいじゃない」
「だよねー!」
リラとルカは、示し合せたようにそれぞれのベッドの上で大の字になって転がった。
「ネザク様は相変わらず、すっごく可愛いし……」
「リリア様は綺麗で上品なのに、すごく優しいし……」
お互いに目を向けず、天井を向いたまま、呟き続ける。
「エリザ様とネザク様は、よだれが出るほど微笑ましいし……」
「リゼル様は、天然でわたしのツボを押さえてくれるし……」
そこまで言って、二人は寝返りを打つように互いの寝台へと顔を向ける。
「よだれって何よ」
「ツボって何?」
顔を見合わせ、それから大笑いする二人。
──これが、ルーヴェル英雄養成学院における、メイド少女のとある一日だった。
次回「第93話 少年魔王と学院の放課後」