第90話 少年魔王と誕生パーティー
エレナ・リールベルタは四歳になった。
世にお姫様は多かれど、齢四歳にして彼女ほど数奇な人生を送っている者は他にいないだろう。彼女は辺境の一国家に第一王女として生を受けながら、祖国を魔王軍に侵略され、父王に対する人質として連行された挙句、その後も依然として魔王と行動を共にさせられているのだ。
そんな話の表面だけを聞いたならば、誰もが皆、この王女の生い立ちに同情の涙を流し、彼女がいつか救われる日を神に祈るに違いない。しかし、現実はどうだろうか?
「ネザク! 遅いぞお前! 遅刻だ遅刻! この大事な日に、何を考えてやがる!」
威勢の良い少年の怒声が響く。銀の獣耳を激しく痙攣させながら、何故か半分涙目だ。一方、怒鳴られた側の少年はと言えば、ともすれば少女と間違えられてしまいそうな美貌を軽くしかめ、首を引っ込めながら耳を塞いでいる。
「ご、ごめんよ……。でも、パーティーの時間には間に合ったわけだし……」
「言い訳はいい! 早く俺を助けてくれえええ!」
叫ぶ少年。彼が何に必死になっているのかと言えば……
「もう! うごかないでよ、へんたいのお兄ちゃん! おかみがきれいに結えないじゃない」
ぷんぷんと怒ったような少女の声。床に座らされた銀狼族の少年の背後で、椅子の上に立ったまま、何やら手を動かしている。
「……あちゃあ。ね、ねえ、エレナ。それ、何をやってるの?」
遅れてやってきた少年、ネザクが問う。
「なにって、みたらわかるでしょ?」
すると、エレナは怒った顔のまま、やれやれそんなこともわからないのか、と言いたげな顔をした。ネザクは思う。この子、本当に三歳──否、四歳なのだろうかと。
「ご、ごめんね。よく分からないんだけど……。確か今日って、エレナの誕生日会だったはずだよね? それでどうして、その……エドガーの頭がそんなことに……」
「そんなことって、どんなこと!? 俺からは見えないんだよ! それがまじで怖い! なあ、ネザク。俺の頭、どんなことになってるんだ?」
「こら、しずかにしてて」
「うあ」
ぺしんと頭を叩かれ、沈黙するエドガー。
「あ、あはは……。うん。大丈夫だよ、エドガー。かろうじて取り返しがつかないことにはなってないから」
「かろうじてって何だ!? ものすごく不安になるだろうが!」
荒く息をつくエドガー。パーティー会場である学院の食堂は、彼らが今いる部屋の隣にある。本日の主役であるところのエレナのため、いわば『控室』として使わせてもらっているこの部屋には、元々鏡など置いていない。
しかし、エレナがやっていることと言えば、エドガーの調髪作業(?)のように見えるものだった。
「で? なんなの?」
「うん。だから、ほら、エレナが会場に入るには、お馬さんがひつようでしょう?」
「え? えっと、ひ、必要かなあ……」
「ひつようなの!」
「あ、うん。それで?」
「でも、せっかくの晴れのぶたいだもの。お馬さんだって、立派なものじゃなくちゃ」
そこまで聞いて、ようやくネザクは事情を察した。
「……エドガー。大役、ご苦労様」
「ご苦労様じゃねえええ! いや、ほら、前はこの役、ネザクがやってたんだろ? だったら、ネザクの方がいいんじゃねえの?」
どうにかこの状況を打開しようと、自分の頭をいじる王女様に水を向けるも、彼女はしっかり首を振る。
「だめ。ネザクお兄ちゃんには、えすこーとをしてもらうんだから。それに、これ、お馬さんと同じお耳でしょ?」
言いながら、パタパタと動くエドガーの獣耳を掴む。
「俺の耳は馬の耳か!? ……うう、俺、これでもバーミリオンの王子のはずなんだけどなあ……」
しょんぼりとうなだれるエドガー。
「じゃあ、もうそろそろかな?」
ネザクがそう言って移動を促そうとすると、エレナは不満げな顔で彼を見上げてくる。
「ん? なに?」
「ふく」
「え?」
「もう、ネザクお兄ちゃんはだめだなあ。今日のエレナのおようふく!」
頬を膨らませて怒る王女様。そこでようやく、ネザクは気付く。
「あ、ああ、うん。お洋服か……うん、すごく可愛いドレスだね。エレナにはよく似合ってるよ」
エレナのドレスは、今までに見覚えのないものだった。フリルがふんだんに使われた、パステルピンクの可愛らしい衣装である。ふわふわの金髪は、この会場に来る前にリラが整えてやったものなのだろう。
相手は自分よりずっと年下の幼女なのに、こうして着飾った上に、自分の褒め言葉に気を良くして笑みを浮かべている姿には、思わずどきりとさせられるものがある。
「……くそ。ネザク。俺、お前の将来は絶対、女たらしだと思う……」
エレナ王女の跨る馬が、悔しそうに一声いななく。
──パーティー会場にて。
この日は、ネザクの歓迎会の時とは異なり、エレナのために『王女様の誕生日会』らしい雰囲気をつくるべく、参加者には全員それなりのドレスコードが求められていた。
「にゃははははは! おっかしいにゃん! 面白ーい! にゃはははは!」
腹を抱えて笑い転げる獣人族の少女。黒を基調としたパーティードレスは、カグヤが彼女のために選んでくれたものだったが、彼女の金の髪や金の尻尾に驚くほどよく映えていた。
とは言え、落ち着いた淑やかな印象さえ与える衣装にも関わらず、こんな風に爆笑を続けてしまえば、やはり、年相応のやんちゃな少女という印象は否めない。
「だあああ! シュリ! 笑うんじゃねえ!」
「ああ、おっかしい! なにそれ! お馬さま? にゃはは! その頭、さいっこうだにゃん!」
エドガーの抗議の声も、かえって彼女の笑いを増幅させてしまうばかりのようだった。
『お馬さま』から降りたエレナは、主賓席(お子様用に一段箱を載せてある)に腰を落ち着けると、皆のお祝いの言葉を受けた後、早速取り分けられた誕生日ケーキに夢中になっていた。
「ああしていると、やっぱり子供だよねえ。なんだかほっとするよ」
ここまで彼女を『えすこーと』してきたネザクは、離れた場所から彼女を見つめて息をついた。
「あら、ネザク様。女の子の成長を甘く見てはいけませんよ? 今はああでも、すぐに立派なレディになるに違いないんですからね」
相変わらずのメイド服で、ルカがネザクの手にしたグラスに飲み物を注いでくる。
「あ、ありがとう。ルカさん。でも今日くらい、皆と一緒に着飾ってくればよかったのに」
ネザクも今や、ルカやリラを単なるメイドとしては見ていない。随分前から対等な仲間だと思っているのだ。そんな思いからの彼の言葉に、ルカは悪戯っぽく笑って返す。
「おや? わたしの着飾った姿、そんなに見たかったんですか? それは嬉しいですねえ」
「うう、そういう意味じゃないのに……。すぐ、からかうんだから」
「まあ、わたしたちは、この格好が一番落ち着くんです。だから、全然問題ありませんよ」
こうして甲斐甲斐しく皆の世話をして回ることにも、やり甲斐を感じているのだと、ルカは胸を張って言う。
「そう? でも、ほら……」
ネザクが指を差した先には、もう一人のメイド少女の姿がある。
彼女は、給仕こそルカと同じように続けてはいたものの、その姿は……思いっきりパーティードレスで着飾っていた。
「あああ! なにそれ! 嘘でしょ! あの裏切りものおお!」
憤慨した声を上げ、リラの元に駆け寄っていくルカ。しかし、途中でそれを遮る人影があった。──会場の誰もが、その少女の姿をため息とともに見つめている。
それはまさに、大輪の華。それも優雅でありながらも繊細に、儚げでありながらも力強く、凛として咲き誇る麗しき花だ。
プラチナブロンドの髪はいつものツインテールではなく、後頭部で綺麗に結い上げられ、背中の中ほどまで緩やかに垂れており、身に纏うのは淡く煌めく水色のドレス。ところどころが目に鮮やかな蒼い装飾で飾りつけられたその衣装は、比較的大きく開けられた胸元の大胆さと相まって、美女と美少女の中間ともいうべき危うい色気を醸し出している。
「あら、ルカさん。丁度良かったですわ。さあ、こっちにいらっしゃい」
輝くような美貌に笑みを浮かべて、『吸血の姫』はメイドの少女を手招きする。
「え? あ、リリア様?」
腕を引っ張られ、会場の脇に連れて行かれるルカ。向かう先には、どうやら部屋の角に簡易式のカーテンで仕切りを設け、中で衣装替えができるようにしてある場所のようだ。
「え? え?」
わけもわからず狼狽した声をあげるルカの手を引きながら、リリアは楽しそうに声を弾ませている。
「さあ、お着替えしましょうね? うふふ! ほら、ルカさんだって、素材は凄く良いんですから、きっと似合うと思って、しっかり衣装も用意しましたのよ?」
「ええ? それはこの前お断りしたじゃないですか!?」
「聞こえませんわー! うふふふ!」
カーテンの向こうに消えていく少女二人。
「あはは。ルカちゃんも捕まっちゃったね……」
そんな後姿を見送って、リラが力無くつぶやいていた。
ネザクは次に、会場内にいるはずのエリザを探した。とはいえ、大して探すまでもなく、彼女の姿はすぐに見つかる。一部がバイキング形式となっているパーティー会場で彼女を見つけようとするならば、間違いなく料理の置かれたテーブル付近を探せばよい。
「うーん! うまい! おいしい! ほら! リゼルももっと食べなきゃだめだぞ」
「わたくしは、もっと食べよう」
山と積まれた料理を、次から次へと口に運ぶ二人の少女。
「……うーん。なんだかなあ」
先ほどのリリアの姿を見ているだけに、なんとなく悲しい気持ちになりながら、二人の元へと歩くネザク。実際、エリザもリリアに付き合わされてか、かなり可愛らしいドレスを着てはいるものの、食事をするのに汚してはならないとばかりに胸元に巨大な前掛けを着けており、全力で台無しになっていた。
「やあ、二人とも。食べてばっかりだけど、エレナにはプレゼント、あげてきたのかな?」
近づくほどに、エリザの食べっぷりの豪快さがいやでも目に入ったネザクは、若干顔を引きつらせている。
「ひっっふぇいふぁなあ! ふぁふぁひへひはにひまっへるひゃん!」
「……えっと、『失敬だなあ、渡してきたに決まってるじゃん』かな? 口の中に物を入れたまま喋るのはやめようよ」
「はぐ、ごくん! あ、でも、さすがにリゼルのプレゼントは、エレナもちょっと困ってたみたいだよ」
エリザもエレナには怖がられてしまうことが多かったのだが、その分、今回彼女が気合いを入れて選んだプレゼントは、エレナに酷く喜ばれていた。だが、対照的だったのは……
「わたくしの芸術作品は、お子さまには難度が高かった」
「……まあ、そうだろうね」
納得したように頷くネザク。彼自身、長い付き合いの中では、何度も彼女から『芸術作品』をプレゼントされているのだった。
「ふう、食べた食べた!」
ようやく一息ついて、前掛けを外すエリザ。前掛けの下からは、緑の光沢がある生地が見える。エリザの衣装は、燃えるような赤い髪に、淡い色どりを添えていた。
ネザクはここで、先ほどの控室でエレナに服を褒めずに叱られた時のことを思い出した。こういう場には慣れていないが、着飾った女性の服飾を褒めるのは、最低限の礼儀なのだろうと思った。
「え、えーっと……エリザ」
「ん? なに? ネザクも食べる? まだ、残ってるよ」
「あ、いや、そうじゃなくて。その、エリザ……すごく可愛いよ」
だが、エレナに対する場合と異なり、さすがに照れは隠せない。動揺のためか、言うべき言葉が抜けていた。
「……は?」
音を立てるような勢いで、エリザの顔が赤く染まる。
「え? あ、い、いや、な、何をいきなり……」
「ん?」
ネザクは自分の発言に気付かない。不思議そうに首を傾げている。するとその時、彼女の隣にいたリゼルが、同意するように頷いた。
「わたくしも、同じ」
「え?」
「エリザは可愛い。ただ、ネザクも可愛い」
「う、え? ……あ!」
ようやく気付く。
「うう……。そ、そんな……面と向かって、何言ってるんだよ……こんなところで……」
顔を俯かせたまま、もじもじと、しどろもどろに呟き続けるエリザ。『一瞬、そうじゃなくて服のことなんだ』と言いかけようとしたネザクだったが、すんでのところで思いとどまる。
何故かはわからないが、ここでそれを言うことは、自分にとっての『致命傷』になりかねないような気がしたのだ。
「あ、あはは……。ごめんね。変なこと言って」
どうにかそう言って、ごまかすネザクだった。
「……ふう。危なかったわね。ちょうど近くにいて良かったわ」
彼らと背中合わせのテーブルで、椅子に腰かけたまま息をつく女性が一人。濃い紫のドレスは、肩から背中にかけての部分の肌が大胆に露出したつくりをしている。長く伸ばされた艶やかな黒髪は、彼女の白い肌に良く映えていた。
「カグヤ。今、もしかしてネザクに黒魔術を?」
隣に腰かけていたアルフレッドが問いかける。するとカグヤは、「いったいいつの間に隣に来たのか」と言いたげに顔をしかめつつ、肩をすくめた。
「あの状況で『実は服のことでした』なんて言ったら、ちょっとした大惨事よ? エリザだって、怒りはしないかもしれないけど、ネザクが評価が大暴落だわ」
「……はは。君はあの二人のこと、応援してるんだね」
「それはそうよ。ネザクのことを幸せにしてあげられるのは、多分、彼女だけだもの」
「その台詞だと男女が逆のような気もしてくるけど……」
「女が男を幸せにしちゃいけないの? 随分と男尊女卑的な考え方をするのね」
「いや、そうじゃないんだけどさ。ただ……」
「なによ?」
苛ついたような口調のカグヤに、アルフレッドは少し怯んだ顔を見せた。しかし、意を決したように首を振り、言葉を続ける。
「少なくとも俺は、君を幸せにしたいと思ってるよ」
「……はあ? 別に、あなたに幸せにしてもらわなくたって、自分の幸せくらい、自分でどうにかするわよ」
不愉快そうに吐き捨てると、カグヤは勢いよく席を立った。
「でも君は……誰かのために、自分の幸せを二の次にするところがあるからね……」
静かな声で、アルフレッドは言う。
「……知ったようなことを言うものね」
もう我慢ならないと言いたげに、カグヤはその場を去ろうとした。だが、その背中に、アルフレッドはさらに声をかける。
「カグヤ。そのドレス、よく似合ってるよ。ドレスも……君自身も、すごく綺麗だ」
「…………!」
その言葉に、カグヤはびくりと肩を震わせて立ち止まる。そして、勢いよく振り返ると、目の下に指を当て、舌を出してみせた。
「べえーっだ!」
まるで年頃の少女のような幼い仕草をして見せた後、黒髪をくるりと回転させながら再び振り向き、速足で歩き去っていく。
「ははは……。慣れない褒め言葉も、頑張って言った甲斐はあったかな?」
アルフレッドはそんな彼女の後姿を見つめながら、満足そうにつぶやいていた。
幼かったあの日。黒髪の少女がああいう仕草をして見せるのは、いつだって言葉とは裏腹に、すこぶる機嫌が良い時だったのだから。
次回「第91話 王女の帰郷と獣の夜」




