第10話 少年魔王とはじめての戦争(下)
ぞろぞろと戦場を後にする兵士たちの列を見送って。
「いいのか? せっかくの捕虜を解放しちまって」
「ええ。というか、彼らは彼らで十分役目を果たしてくれるでしょうからね」
「どういう意味だ?」
エリックは苛立ったように尋ねる。先ほどからカグヤの行動には、理由らしい理由がまるで見えてこないのだ。
「ほら、そんなに怒らないの。まあ、今さらだし、教えてあげる。……ネザクがさっきの力、『ルナティックドレイン』を使うには制限があるのよ」
「制限?」
「というより、副作用かしらね。簡単に言えば、あの子のアレは、『自分を知る存在』から無作為無差別に魂の力を吸収してしまうものなのよ。それがどんなに遠くにいる相手だろうと、お構いなしにね」
「自分を知る存在から? まさか、それで俺たちは……」
顔を青ざめさせるエリック。
「そう、あなたたちからも吸収していたわよ。さっきまでね」
「おい!」
「だから言ったじゃない。時期を待ったのよ。無差別な『ルナティックドレイン』はね、あの子を知る者が多ければ多いほど、一人あたりにかかる負担が小さくなるのよ」
カグヤの言葉に、抗議の声を上げかけたエリックは、何かを悟ったように口を閉ざす。
「……城内の人間、城下町の人間、それぞれにネザクの存在を知ってもらう必要があったってわけか?」
「ええ、そうよ。それも印象は強ければ強いほどいい。でも、あの程度の人数じゃ、ネザクがあの状態でいられる時間は、せいぜい数分と言ったところでしょうね。それ以上はあなたや他の子たちに犠牲が出るわ」
ようやく腑に落ちた。エリックは大きく息をつく。これまでのカグヤの行動は、すべてネザクの知名度を上げるためのものだった。魔王の名を流布し、ことさらに少年の名を印象づける。先ほどの兵士たちを解放したのも、生かしたまま彼らを吸収源の頭数に使いたいとの思惑なのだろう。
「信じがたい話だな……。まったく、そういうことなら事情を話してくれればよかったんだ。そうすれば城内への人の出入りを増やすのに、わざわざ騒ぎを起こす必要なんかなかっただろうに」
「騒ぎを起こすって、何を言ってるの? わたしは何もしてないわよ?」
カグヤはきょとんとした顔で問い返してくる。
「やっぱ無自覚か!」
頭を抱えたエリックだった。
一方のネザクはと言えば──
「うふふ、やったです! 三日に一度とはいえ、ネザク様を着せ替える権利をカグヤ様から与えていただきました!」
「……僕って黒髪の女の子に苛められる運命なのかな」
ガッツポーズをして叫ぶメイドの少女、リラの声に耳を塞ぎつつ、諦めたように呟いていた。自分の境遇に惨めさを感じてしまったのか、酷く落ち込んだ顔をしている。もう一人のメイド、ルカはそんな彼に同情はしたものの、かける言葉は見つからない。
「あれ? リゼル様は?」
ルカは、さっきまで自分の隣にいたはずのリゼルアドラの姿が消えていることに気付いた。あまりにも唐突な行方不明。こういう時は、いやな予感しかしない。
「えっと、何やってるのかしら?」
遠目に見てもわかる。どうやら彼女は解放された兵士たちに近づき、そのうちの数人に声をかけているようだ。兵士たちは羊の頭をした執事服の女性に驚きを隠せないようで、ビクビクしながら応対している。
「あ、戻ってきた」
リゼルは心なしか、満足そうに胸を張って歩いてくる。
「何を話してたんですか?」
「わたくしは、《道化の想い》を彼らに使った」
リゼルの答えはごく短いものだった。
「え?」
直後、ルカは信じられないものを見た。彼女に声をかけられた兵士たちの姿が、醜く歪んでいる。顔が骨ばったものに変わり、手や首回りなど肌が露出した部分が毛むくじゃらの皮膚へと変化している。
「あれ? リゼル。なんであんなことしたの?」
事態に気付いたネザクが、それを指差しながら聞いてくる。それに対するリゼルの回答は、またもごく短いものだ。
「疲弊した兵士が……」
「え?」
「去る」
猿。
「うそ……。で、でも、あんなことどうやって……」
兵士たちは猿の姿に変化していた。本物の猿のように周囲を警戒し、キーキーと耳障りな声まで出している。
ツッコミを入れるどころではない。さすがのルカも、これには恐怖を感じた。
──が、しかし。
「ふふふ、あははははは! そっかそっか。面白い!」
ネザクは楽しそうに笑っている。目の前の異常な光景がまるで嘘のような、無邪気な笑顔。そんな彼の様子に、リゼルは満足げに頷いていた。
「で、でも、あれじゃまるで……」
人を獣に変えるだなんて、まるで呪いのようだ。
ルカはなおも声を震わせていたが、彼女をふわりと後ろから抱き止める者がいた。
「大丈夫よ。ルカ。あれはね。リゼルの黒魔術。思い込みの力で一時的に相手の肉体を変化させるだけの魔法だから」
「お、思い込み?」
「強力な暗示。人はね、強く想えば自身の肉体だって変化させられる。彼らは強制的に自分が猿だと思い込まされているのよ。時間が経てば元に戻るわ」
「そ、そんなことが……」
半信半疑といった様子のルカに、カグヤは優しく微笑みかける。
「あなたが考える以上に、想いの力は偉大なの。己を魔王だと強く想えば魔王になるし、英雄になりたいと強く願えば英雄になる。それがこの星界。それが人という生き物よ」
気づけば、兵士たちは元の姿に戻り、狐につままれたような顔で辺りを見回している。リゼルの言う《道化の想い》の魔法効果が切れたのだろう。
「このくらいで驚いていたら、魔王一行のメイドさんは勤まらないわよ?」
いたずらっぽくカグヤに笑われ、ルカは大きく息を吸い込んだ。どうやらここは、覚悟を決めないといけない場面らしい。リラと違って常識人でもあるルカは、状況をきちんと判断して行動する。
辺境の片田舎に生まれ、器量が良いことを理由に地方領主の使用人として勤めに出ることが許された自分。もう少し歳を取れば、そのまま城主に妾として囲われる可能性もあった自分の一生が、いま、大きな転換期を迎えている。
考えた末、彼女は言う。
「……せいいっぱい精進します」
「うん! がんばってね」
ルカの意を決した一言に、満面の笑みで答えるカグヤだった。
──魔王現る。
辺境の連合領主軍の敗北により、その噂は瞬く間にリールベルタ王国全体へと広がった。千人程度の軍勢だったとはいえ、敗北した相手がたったの一人というのが何より衝撃だ。例のごとく最初は誰もそんな話を信じようとしなかったが、今回は逃げ帰った数百人の兵士たちが証人である。
驚きと戸惑い、微かな疑念をはらみつつも、確実に人々の間に浸透していく噂話。魔王は王都を狙っている。その超常的な力で、いつ何時攻めてくるとも限らない。
しかし、王国首脳部はそれを一笑に付した。この世界には魔法がある。つまり、どんなトリックかを相手に悟らせぬままに兵力差をひっくり返す手段など、あり得ない話ではない。
いちいち本気にもしていられない。王国の騎士団には魔法戦闘専門の部隊もある以上、たった一人の戦力など恐るるに足らずだった。
だが、リールベルタ王国は、かつての邪竜戦争においても辺境であるがために、戦火に巻き込まれることがなかった。ゆえに彼らは、数千数万の軍勢同士の戦争が、英雄と呼ばれる規格外の化け物たち、『たった一人』の武勇によって左右されていたことを知らない。
彼らは、王都周辺の砦が攻撃され、それなりの損害を出すようになって、ようやく重い腰を上げる。
「リールベルタ魔導騎士団。出撃せよ!」
リールベルタ王国騎士団の団長を務めるバホナ侯爵の号令のもと、騎士団内に組織された魔導騎士団の精鋭二百名が鬨の声を上げる。騎士たちの中でも特に優れた魔法の素養を持つものを集めた部隊である。
「奴らが何者だか知らぬが、わしが手塩にかけて育てた魔導騎士団と対峙したことを後悔させてくれるわ」
自らも優秀な白霊術の使い手であるバホナ侯爵は威勢よく魔馬を駆ると、決戦の舞台となる平原へと飛び出していく。
その平原は王都のすぐ南、軍勢で移動しても半日もかからない距離にある。この国にしては珍しく肥沃な大地であり、食料生産高の大きなウエイトを占める穀倉地帯でもあった。
ネザクは例のごとく、軍勢としての体裁を整えるためだけに小鬼の群れを出現させている。そんな彼の横で平原に陣を張る敵部隊を眺めていたエリックは、複雑な顔をしていた。
「……あれがこの国の騎士団だ。総数は全部で五千弱。もちろん城の防衛もある以上、半分も出撃していないだろうが、確実に魔導騎士団は出てきているだろうな」
「魔導騎士団……ぷ、くくく……」
「笑うな」
「いや、笑うわよ。それってまさか、エレンタードの魔法騎士団をもじってるの?」
「『もじってる』とか言うな。あやかってるんだ」
「同じでしょう? ああ、おかしい!」
カグヤは目尻にたまった笑い涙を拭う。
「で? 強いの?」
聞いてきたのはネザクだ。珍しいこともあるものだと思い、エリックは少年に向き直る。
「お前ほどじゃない。だが、ここの小鬼程度なら苦も無く全滅させられるだろうな」
「ふうん」
「何か考えでもあるのか?」
試しに聞いてみる。彼は仮にも自分が仕えるべき魔王なのだ。考えがあるのならば聞いてみたかった。
「えっと、うん、その……」
「なんだ? 軍事のことは素人だろうが、気後れする必要はないぞ」
エリックが気を利かせて言ってやると、ネザクは何やら気まずそうな顔をした。
「えーっと、うん、そうだね」
「おう」
「……カグヤ、どうしよう?」
思わず、こけるエリック。
「早々に泣きついたわね……。お姉ちゃん、悲しいわ」
言いながらもカグヤは、自分が頼られたことが嬉しそうだ。
「そうね。じゃあ、こうしましょう……」
カグヤは言う。だが、それは作戦というより、狂気じみた遊びのようなものだった。エリックは呆れ顔で唸り、部下の騎士たちは唖然とした顔で彼女を見る。
「えっと、それに何の意味が?」
ネザクも流石に意味が分からないようだ。
「インパクトがあるじゃない。完全勝利っていうのは、ある意味敵を全滅させることより、こういうことだと思うわよ」
「で、でも、僕、そんな器用な真似はできないよ?」
「ええ、だから今回は、リゼルにやってもらいましょう。いいわね、リゼル?」
「わたくしは、引き受けよう」
コクリと頷く羊の面。と、そのとき。
「ねえ、リゼル」
唐突に、ネザク。
「?」
「そのお面、いつまで着けてるの?」
「…………」
空気が凍る。
「さすがはネザク様ね! 今まで誰も触れないでいた禁断の事実に、ああもあっさり言及するなんて!」
ルカは感心したように頷きを繰り返す。
「リ、リゼル様……、どうするんだろう?」
恐る恐るリゼルの動向を窺うリラ。他の騎士たちも固唾を飲んで事の推移を見守っている。ここまで頑なに同じ被り物、同じ服装を変えないでいたリゼルである。一体どんな行動に出るのかは、誰もが気になるところだった。
「さあ、いよいよリゼル様最大の謎が明かされる日が来たのよ!」
ルカが興奮気味の声を上げる中、リゼルが動いた。
「わたくしは、忘れていた」
彼女はそう言うと、羊の面をおもむろに頭から引き抜き、放り投げたのだった。
「……はいはい! 期待したわたしが馬鹿でしたね!」
あまりと言えばあまりな理由に、思わず声を大きくするルカ。リゼルは続いて、ためらうことなく執事服に手をかけようとして……
「ストップ! リゼル。こんなところで裸にならないで。刺激が強すぎるでしょう?」
カグヤが慌てて止めに入ったが、執事服の胸元は大きく裂かれ、白い胸の谷間がはっきりと見えてしまう。ネザクは恥ずかしいのか顔を赤くしてそっぽを向いたが、騎士たちは男の性か、食い入るように視線を向けている。
「もう……、いいから。早く戦ってきなさい」
「わたくしは、承知した」
羊の面の下にあったのは、氷の美貌。闇色の髪に紫紺の瞳。カグヤに似ているようでいて、まったく似ていない。癖のない髪は、肩に届くか届かないか。目には鋭い知性の光を宿している。
『ひつじ服』のネタのために、数か月もの間、羊の面に封印しておくには誰もが惜しいと思うほどの美貌である。と同時に、これだけの美女がそんな馬鹿げたことに血道を上げていたと考れば、誰もがやりきれない思いを抱くに違いなかった。
正面に目を向ければ、形ばかりの小鬼たちの軍勢が魔導騎士団の放つ炎や氷の白霊術によって、徐々に殲滅されつつあるところだった。
「お、やるわね。魔導騎士団(笑)も」
「うう、かつて自分の所属していた騎士団が、(笑)とか言われると何気に傷つく……」
エリックはカグヤの言葉にがっくりと肩を落とす。もはや愛着さえ持っていないが、かつての彼はこの魔導騎士団に入隊し、上官とのトラブルが元で除隊され、通常の部隊に転籍させられるまで、数年間をそこで過ごしたのだ。
だが、そんな感傷とは関わりなく、彼と古巣との決別は間もなく始まろうとしていた。それは暗愚王の手によって、あまりにもあっけなく──ただし、徹底的に行われることとなる。
リゼルアドラは駆ける。騎士たちはその存在に気付いたのか、弓を射かけ、魔法を飛ばすが、彼女にはまるで効いた様子もない。もちろん、命中していないわけではない。彼女の頭と言わず胸と言わず、無数の矢が直撃しているのは見ればわかる。だが、彼女の肌には刺さりもせずに弾かれる。炎によっても火傷一つ負わせられず、風の刃でも切り傷ひとつ生み出せない。
そしてそのまま、騎士の群れへと飛び込むリゼル。彼女は、前線に立つ壁役の騎士たちには目もくれない。邪魔する相手の楯を掴み、紙でも裂くように千切って見せるだけで、その騎士は震え上がって道を譲る。
存在としての次元が違いすぎる。単なる肉体強度ですら、ただの人間には及びもつかないレベルの化け物。だが、リゼルアドラは暗界の『魔』であり、その本質は黒魔術にこそあった。
やがて彼女は、部隊の中ほどに陣取る魔導騎士団の元へと至る。
そしてそのまま、魔導騎士たちにも見向きもしない……と思われたが、そうはならなかった。
「くそ! なんで魔法が通じない!?」
「喰らえ化け物!」
魔導騎士団の騎士たちは必死で攻撃を続けているが、リゼルは微動だにしない。ひたすら魔法攻撃を受け続け、それが絶えたところで宣言する。
「発動、《復讐の女神》」
闇が拡がる。リゼルの身体を中心に黒々とした闇が拡散し、周囲の騎士たちを包み込んでいく。防ぐ術などないままに闇に飲み込まれた彼らは、直後、炎に巻かれ、氷に串刺され、風に斬り裂かれて絶命していく。
対象から受けた攻撃をそのまま対象に返す魔法。
黒魔術の超高位魔法である《復讐の女神》。
リゼルはやがて、周囲を見渡す。魔導騎士団員だけが、ほぼ全滅した敵陣のど真ん中。誰もが恐怖と共に彼女から距離を置く。まだ、数人の魔導騎士は生きていた。彼らは、リゼルに魔法を命中させることができなかった者たちだ。
「う、ああ……ば、ばけもの! なんだ、こいつは! ななななな!」
同じく生き残ったバホナ侯爵。話にならない。相手にならない。勝てるわけがない。これはどう考えても、人間じゃない。そう悟った彼は、前回の戦闘で生き残った兵士たちから聞いた情報を元に、投降の意思を表示することで助かる道を模索した。
が、しかし。
「わたくしは、魔導騎士団(笑)のみを、一人残らず殲滅する」
無情なる一言が、魔導騎士団の騎士団長を兼任する侯爵の耳に響く……。
次回「第11話 英雄少女と学園生活(上)」




