学校の怪談
幽霊が出たらしい。
古井戸優也はオフィスでバリバリ仕事をしていた。
「課長!幽霊ですよっ仕事ですよっ!」
古井戸は訝しげに顔を上げ、部下の山野岩男を睨んだ。
「なんで幽霊が仕事になるんだ山野君」
「やだなあ、課長。我が探偵社には霊媒部というセクションがあるじゃないですか」
山野は岩のような顔をほころばせて笑った。
確かにこの会社「渦巻探偵社」には、幽霊退治専門の霊媒部が存在する。
しかし古井戸は霊媒部ではない。
「我々は総務部だよ。関係ないじゃないか」
山野は困ったような表情で、それはですねと答えた。
「居ないんですよ。霊媒部」
「何?前々から思っていたが霊媒部はいいかげんすぎるぞ。部長以外は皆落ち着きが無さすぎる」
「はあ。あそこの部長、今旅行中ですもんね」
「ひとりも居ないのか。部長代理は誰だね」
「えー、藤丸朱彦ですね」
「ああ、いかんなあ。アレはいかん…」
古井戸は絶望的なため息をついてぼやいた。
「仕方ない。丁度仕事も終わったことだし、私が行こうかなぁ。嫌だなぁ…」
「お供しますよ!古井戸課長」
古井戸はしぶしぶ立ち上がり、山野は嬉々としてそれに続いた。
依頼者は近所の小学校の校長だった。
名を須無多真という。60歳。
「いやはや、来て下さって良かったですよ。何でも今幽霊業界で大事件が起こっとるようでな。どの霊媒師も取り合ってくれませんのじゃわい」
古井戸はニッコリと笑った。
「事件に大きいも小さいもありません。困っている人がいればすぐにかけつける。これが私達の仕事のモットーです」
「おお、頼もしい!」
須無多は豚のように肥えた体を揺らして喜んだ。
夜の校舎は不気味だ。
いかにも何かが出そうなうそ寒い雰囲気である。
「課長ォ~、幽霊退治なんかァ~できるんですかァ~?」
「か細い声を出すんじゃない、山野君。あの校長はもうすぐ定年だというじゃないか。学校を去る際唯一の心残りを晴らしておきたいという仕事熱心さ。素晴らしいじゃないか」
「答えにィ~、なってません~」
「だから、できなくても"やる"んだ。それがプロです」
「そ、そんなァ~」
「大丈夫だ、マニュアルがある」
古井戸は『霊媒の手引き』という本を取り出して、山野に見せた。
「なんか、頼りないなァ…」
山野は不安そうだった。
「シッ、何かが聞こえるぞ山野君」
山野は周りを見渡した。
暗い廊下。
赤い非常灯だけがポツンと光っている。
か細い声が遠く聞こえた。
「何だろう。歌かな…。この階じゃないみたいだけど」
「課長ー、怖くないんスかぁ?」
古井戸はちらりと山野を見た。
「怖いよ。怖いけど、仕事ですから…」
その時2人は見た。
「かっ課長!!」
「うわっ!!」
前方の暗がりに子供が立っていた。
首の無い少女だった。
少女は目の見えない人のように、よろよろと歩いてくる。
古井戸と山野は後ずさりつつそれを見つめた。
首の無い少女はいかにも不自由そうに壁を伝って歩いていたが、ついによろけて膝をついた。
古井戸は溜まりかねて少女にかけ寄った。
「か、課長…!」
古井戸はためらいがちに少女の手をとり、しっかりと立たせた。
「山野君、マニュアルを読んで。害のない幽霊の対処方法」
「ええと、優しく説得する、です」
古井戸は悲しく眉をひそめた。
「頭が無いんじゃ説得もできないね」
少女はしばらくの間古井戸にしがみついていたが、やがてぼんやりと消えていった。
か細い声もいつのまにか、消えていた。
「そんな事が…」
須無多校長は青ざめた。
古井戸は真剣な面持ちで言った。
「そうです。ウワサでは声が聞こえるだけでしたが、私達は実物を見たのです」
須無多はカッと目を見開いた。
「わっ!何なんですか、校長」
「その幽霊には心当たりがあるのじゃ」
須無多曰わく――。
5年前、1人の少女がこの学校で殺された。
名は軽井良子。
彼女の遺体には首が無かった。
首は未だに見つかっていない。
犯人も、未だに見つかっていない。
「不憫なことよのう…」
須無多は腕を組んでおし黙ってしまった。
「そうですか。そんな不幸な出来事があったのですね…」
古井戸も腕を組んでおし黙ってしまった。
山野は泣いていた。
「その女の子は、絶対助けましょう!課長」
「うん。もちろん」
またしても、夜である。
古井戸は優しく声をかけた。
「良子ちゃん」
昨日と同じ場所。
声は廊下にこだまする。
ぼんやりと、少女は姿を現した。良子だ。
良子は古井戸のジャケットをつかんだ。
か細い声が遠くで聞こえた。
「よし、あの声の所まで行ってみよう。山野君」
「わっかりました、課長!」
山野は張り切って歩き出した。
次の日。
須無多は、革張りの椅子に巨体を沈めて座っていた。
校長室である。
と、そこへ荒々しく入ってきた者がいた。
「ウガー」
「おい、こら山野君!何で君はいつもそうなんだ。落ち着けって」
「オイ、こら!!エロ須無多!貴様良子ちゃんを襲いやがったな!チクショーバカヤロー」
山野は須無多に襲いかかりかけたが古井戸が引き戻した。
「君は落ち着きが無いね、山野君。総務部から霊媒部に移ったほうがいいんじゃないか」
「落ちついてられっかァ!このロリコン親父が。悲しい顔しとったんは嘘なんかー!」
須無多はがっくりとうなだれた。
「何とか言いやがれ、この殺人者!!」
「やめなさい、山野君。彼はロリコンかもしれないけど殺人者ではないと思うよ。少女が好きなくせに少女を殺すかい?もし死んだとしたらそれは事故だったんじゃないかな」
「課長ゥ」
「悲しい顔も嘘じゃないよ。この人は本当に悲しかったんだ」
校長はうう、と呻いた。
「あれは事故じゃったー。しかし儂はおそろしくなって…」
首を切った。
「何で首を切ったのか、自分でもわからん。錯乱しとったのか…」
古井戸は須無多をジッと見つめた。
その瞳には深い悲しみと優しさがこもっていた。
「もうあの少女の幽霊が出ることはありません。私達はこれで失礼致します」
「警察に、つき出さんのかね」
古井戸はやんわりとほほ笑んだ。
「私達の仕事は幽霊を退治することです。そして仕事は終わりました。それだけです」
プロフェッショナル古井戸はそう言って小学校を後にした。
「課長、良かったんですか?」
古井戸も山野もあまり元気が無かった。
ふいに、古井戸は詩の一節を口ずさみ始めた。
「その空をみながら、また街の中をみながら、歩いてゆく私はもはや此の世のことを考へず、さりとて死んでいつたもののことも考へてはゐないのです」
古井戸は、空を見上げた。
「みたばかりの死に茫然として、卑怯にも似た感情を抱いて私は歩いてゐたと告白せねばなりません」
曇天は、今にもくずれ落ちそうな気配だ。
寒い北風が吹いている。
冬はもう、すぐそこに来ていた。
了
古井戸課長と山野君シリーズ。2作目。