9、おまえがナンバー1だ!
「おじゃましまーす!」
「でかい声出すな」
この時間、両親はまだ帰っていなかった。玄関には兄の靴も妹の靴もない。
二人を連れて二階に上がり、扉を開ける前に私は待ったをかけた。
「ちょっと片付けてくる」
デスクには原稿が置きっぱなしなのだ。ネームの束と一緒にファイルに入れて、まとめてそれらすべてを隠す。そして本棚をチェック。…よし、BL本は紛れてないな。
フィギュアは隠したほうがいのかな。引いちゃうかな岩迫君。いやでもこっちが漫研だってことは分かってるし………布を掛けておこう。
部屋をざっと見回してみる。よし、ただの漫画の多すぎる部屋にしか見えないな。完璧だな私。
二人を呼び入れると、部屋の真ん中に折りたたみの机を置いた。それから一年のときに纏めた授業用ルーズリーフを取り出した。
「ほい、去年のノート。暗記物はこれで大丈夫だと思う」
「あざーっす!」
見えない尻尾を振る五味の隣で岩迫君は物珍しそうに部屋を見回していた。
「いいなあ、個人のパソコン。ゲーム機も揃ってるし、漫画もいっぱいある」
彼が羨ましそうに眺めている本棚は言わば外向き用である。一般人には見せられない本はクローゼットの中の本棚に仕舞ってあった。
「あ、この漫画前から読みたいと思ってたやつだ」
「テスト終わったら貸してあげるから。岩迫君、勉強しようか」
大丈夫なの、なんか不安になってきたんですけど。頼むからテニスで培った集中力を勉強に回してくれ。
とりあえず二人が苦手な数学から始めることにした。二人ともまったく基本が分かっていなかったので、それぞれの公式を五十回ずつ書かせてから問題を解かせていった。
「理解しようとしなくていいから。とにかく公式に当てはめて解いていこう」
試験問題の後半はいっそ捨てさせることにした。前半部分で点を稼げばライン40点は取れるはずだ。
「リホ先輩、俺、英語もヤバいんですけど」
「安心しな。英語の下村先生はほとんど問題集から出してくるから。その答えを完璧に覚えたら30点、発音問題で10点、単語の読み書きで10点、合計50点取れるはずだ」
「うっす! リホ先輩、頼もしいっす!」
だがその前にまずは数学だ。五味の場合、苦手意識で避けているだけで向き合ってみれば案外できるはずである。
問題は岩迫君だった。
「焦んなくていいから、ゆっくり解いていこう」
「うん…」
コクンと頷く岩迫君に正直言うと萌えた。私よりずっと背が高いし男なのに可愛いってすげえ。二次元に負けてねえ。一問も解けてないけど。
「俺、もう駄目だ……出場無理かもしんない……」
「大丈夫っすよサコ先輩、そのときは俺が頑張りますから!」
「お前は黙ってろ!」
とにかく優しい問題からだ。あとは数学の鰐淵先生の作った試験問題が手に入ったらいいんだけど。先輩に頼みたいところだが、あの人今入院してるんだよなぁ。
過去問を手に入れる方法はまた追々考えるとして、私も勉強しよう。国語その他は一夜漬けでいいとして英単語は今から覚えとかないとな。
英単語帳を取ろうと腰を上げたそのとき、階段を駆け上る音がした。次の瞬間ドアが乱暴に開け放たれた。
「リホっ、おま」
「うわマジで男連れ込んでるよ。リホちゃんやるな」
「兄妹そろってメンクイかぁ」
「どっちが本命なの?」
上から兄を押しつぶすようにお馴染みの三人組が現れる。
呆気にとられる私たち。奴らはこっちが喋らないのをいいことに「3P? 3P?」とか「お兄さんも入れてよぉ」とか言ってくる。
はっきり言おう。こいつらは最低である。
「四人ともリホ先輩のお兄さんっすか?」
しかしここで物怖じしない五味がやつらに話しかけた。お前はどれだけ怖いもの知らずなんだ。
「そうだよ。俺たち全員リホちゃんのお兄ちゃんさ!」
「嘘つけぇ! 五味、信じるなよ、全員違う!」
「だってよ、ショータ」
あ、やべ、間違えた。一人いた。
「一番目つきの悪いのがうちの兄ちゃんだった」
「おい聞いたかショータ、妹に愛されてんなぁ」
相変わらず神谷は意地の悪い男だな。ていうかもう出てけよ。
「テスト勉強してるんで出ていってもらえませんか」
そうそう。
「え!?」
私が言ったんじゃありませんよ。彼です、岩迫君です。
驚いてまじまじと彼を見ていると、後ろのほうから「ふーん」とものすごく嫌な感じの神谷の声が聞こえてきた。
「お前、名前は?」
「そっちが先でしょ」
「神谷蛍太」
「岩迫総一郎です」
……自己紹介って普通もっと和やかに行われるものなんじゃないの。なんですかこの空気は。会ったばかりなのに険悪にもほどがある。
「あ、俺は五味貴志っていいます! リホ先輩にはお世話になってまーす!」
五味、でかした! 初めてお前の空気読めないのが役に立った! あの神谷がぽかんとしてるぞ!
よし行け今だ。
「兄ちゃん、出てってくれる?」
「あァ? 勝手に他人を家にあげてんじゃねーよ」
おいおい、いつも来るこいつらは他人じゃないのかよ。なんで機嫌悪いんだよ。相変わらず読めねえよこの人。
「兄ちゃん、何怒ってんの」
「うるせえ」
「………神谷さん、ねぇちょっと兄ちゃんが」
「岩迫右利き? なんかスポーツやってんの」
「だったら何だっていうんですか」
「怪我したら困るかなーって」
「脅してるんですか」
「ちょっと二人とも聞いてますかー?」
「リホ、これ読んでいー?」
「澤田さんっ、自由すぎる!」
「モンハンあるんだ。今度一緒に狩りしようよ」
「浅野さんっ、その眼鏡叩き割りますよ!」
バラバラ! てんでバラバラ! このままじゃオチつかないよ!
兄ちゃんキレてるし、岩迫君と神谷は睨みあってるし、澤田と浅野は人の部屋勝手に物色してるし、五味はジュース飲んでるし。
ここ私の部屋だよね。皆の部屋じゃないよね。今日はテスト勉強するんだったよね。
なんなの。なんで勝手なことばっかすんの。
五味と岩迫君がいないときはまだいいよ。好きにさせとく。でもさ、今日は私の友達が来てるんだよ。キタちゃん以外の友達が初めて私の部屋に来てるんだよ。
だから、
「お前らいい加減にしろ!!!」
全員の視線が私に集中した。私の頭は怒りを通り越して妙に冷めていた。
「神谷、私の友達に絡むのやめろよ。澤田、浅野、好きなもん持ってけ。兄ちゃん、ノックしてから入れって私いつも言ってるよね。全員、さっさと出てけよ」
あごで出口を指し示す。
最初に動いたのは澤田と浅野だった。その手にはちゃっかり漫画とゲームが握られていたが持ってけって言ったんだからいい。神谷は、なんだその心底びっくりしましたという顔は。さっさと行け。
最後に兄が部屋を出て行き、部屋の中は最初の三人となった。
「……勉強再開しよっか。私、英語からやろーっと」
わざと明るい声を出してみたが、二人が引いていたのは明らかだった。
オー、ジーザス!