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63、だから私は恋ができない

 ひったくりに合った翌日、朝から家の外が騒がしかった。

「ショータぁあああん!」

 語尾にハートがついていてもおかしくないほど弾んだ声が、兄の名を呼んでいる。

 リビングで朝食を食べていた私とカナは顔を見合わせ、同時に不審な表情を窓に向けた。

「なにあれ、また兄貴のストーカー?」

「しかも男。兄ちゃんも罪つくりだなあ」

 朝食はタマゴサンドとミネストローネ。どちらもカナの手料理だ。おおざっぱに見えて、実は兄妹の中では料理が一番上手い。今朝は私が朝食の当番だったけれど、起きたらすでにカナが用意してくれていた。なんというかアレだな、ひったくりに合うってのも悪いことばかりじゃないんだな。

「ショータンっ、俺だよっ、出てきてよっ!」

 それにしてうるっさいなあ。なんだよショータンって、朝っぱらから笑わせんな。

「そういやリホんところ、もうすぐ修学旅行だよね。どこ行くか決まった?」

「あー、それがさあ」

 二年生すべての怒りを買ったといってもいい修学旅行の行き先を告げようとしたところ、二階からこめかみに青筋を浮かべた兄が下りてきた。

「おはよーショータン」

「おはよう。カナが朝ごはん作ってくれたよ、ショータン」

 兄が無言で威圧感を放ってきたが、まったく怖くない。だってショータンだもの。

 舌打ちしながら冷蔵庫を開けた兄は、牛乳パックに直接口をつけて飲みだした。カナは食べ終わった食器を片付け、夕飯は何がいいか訊いてくる。私はタマゴサンドにチーズを乗せて大きく口を開き、ふと外がいつの間にか静かになっていることに気がついた。

 諦めて帰ったのだろうか。ちらりと背後を振り返り、そして後悔した。

「ショータンが牛乳飲んでる。エロイよぉ」

 見知らぬ男がリビングの窓に張り付いて、吉村家の朝の団欒を覗き込んでいた。

 シュコーと曇る窓ガラス。血走った目。リビングの空気が、たしかに凍った。

 ぎゃあっと最初に叫んだのはカナだった。私もドン引きのあまり体が震え、タマゴサンドの具をスカートに落としてしまった。

「やべーって兄貴! なんとかしろ!」

「今までとは明らかにレベルが違う!」

 家の周囲をうろついたり手紙をポストに入れてくる連中が可愛い部類に見えてくる。姉妹ふたりはそろって兄の後ろに隠れると、目の前の脅威に向かって背中をぐいぐい押しやった。

「ショータン、おはよう!」

 変態はぶんぶんと手を振って自己アピールに勤しんでいた。よく見るとけっこうイケメンだ。しかし行動と表情がすべてを台無しにしているのが痛々しいほどよく分かる。

「ねえ、おうちに入れてよ! 寒いよ、お腹も空いたよ!」

 もう入ってんだろうが。不法侵入だぞ。

 二日続けて警察のお世話になる予感がした私だったが、通報する前に兄が先に動きだした。

 リビングの窓をあっさり開けると、目を輝かせる変態をぼかりと殴る。しかし変態は嬉しそうに殴られた頬を何度も擦っていた。

「何しに来やがった」

「えー何って、ショータンが持って来いって言ったんじゃない」

 兄が驚いた表情を浮かべ、外に視線をやった。

 私はカナと顔を見合わせ、「知り合い?」と首を傾げた。

「言ったの、昨日の夜だぞ。もう持ってきたのか?」

「ショータンのお願いだもん、これくらい朝飯前だってー」

 あ、本当に朝飯まだなんだけどね。

 大して上手くもないことを言って、変態は得意げに笑った。




「授業終わったら電話しろよ」

「うん、分かった」

 バイクから降りると、足元がふわふわして変な感じがした。自転車とは比べものにならないほどのスピードと風の強さを思い出し、寒さ以外でぶるりと震える。バイクって怖い。

 ヘルメットの重みでふらふらしていると、見かねた兄が脱がしてくれた。ヘルメットの中はけっこう蒸れる。冷気に当たった髪の毛はくしゃくしゃになっていたけれど、直後に伸びてきた兄の手が乱れた髪を直すように撫でた。

「兄ちゃん、学校間に合う?」

「ああ。それより早く行け。入るまで見といてやるから」

 なんだかカナといい、兄といい、私に甘々だ。

 くすぐったさでニヤける口元を手で隠し、兄に別れを告げて学校の門まで走った。早めに登校したので、生徒の姿はまばらだった。

 門を通り抜けてすぐ、後ろを振り返る。長い足を地面につけてバイクに跨る兄が、こちらをじっと見つめていた。

 小さく手を振ると、応えるように兄は手を上げた。完全に学校の敷地内に入った私を見届け、兄はバイクに乗って走り去っていった。

 その日、すべての授業が終わったあと、体育館で全校集会が開かれた。

 一体何の話だろう。首を捻って話しかけてくるクラスメイトに、「さあ?」とすっとぼけて会話を合わせる。内心では、思った以上にことが大きくなって焦っていた。

 登校してすぐに担任の茂木先生に昨日のことを報告したら、すぐに校長室に連れて行かれて、再度同じ説明をさせられた。次に生活指導や、学年主任、漫研の顧問である鰐淵先生もやってきて、ひったくりについて事細かに事情聴取された。

 私はただ、しばらく兄に学校までバイクで送ってもらうことになったから、了承を得ようとしただけなんだけれど。

「実は昨日、ひったくりにあっちゃったんスよー」

 と実に軽いノリで言ったものの、学校側としては看過できるものではなかったらしい。すぐに集会だ、注意喚起だと職員会議がおっ始まって、おかげで一部のクラスの一時間目の授業は自習となってしまった。

 三学年すべてが体育館に収まると、学年主任の先生が正面の舞台に立ち、春日坂の生徒が昨夜ひったくりに合ったことを報告した。

 えーマジ? うそー。集った生徒たちがざわめきだす。浮ついた空気を感じ取ったのか、学年主任の先生は普段以上に厳しい声で話を再開した。

 人通りの少ない路地を歩かないことや、部活で帰りが遅くなる生徒はできるだけ複数で帰宅すること。バイトのことも言及されるのではないかとヒヤヒヤしたが、そこはノータッチで安心した。

「ひったくりに合ったのって、誰なんだろうな」

 集会が終わると、生徒たちは部活に行ったりそのまま帰ったりしていった。甲斐君も鞄を持って集会に来ていたので、これから帰るようだ。部活にちょっとだけ顔を出すつもりでいた私はここでも何も知らないフリをした。

「女子としか言わなかったよね。一年生かな?」

「いや、二年じゃね?」

 ドキっとしたが、表情は変えなかった。隣を並んで歩く甲斐君は、こともなげに言う。

「今日、自習になったクラスの教科担当って、二年の担任やってる教師ばっかだったろ」

「そうだっけ?」

「そうなんだよ。だからたぶん、二年の女子だろうな。でも名前を出しちゃうと騒がれるから伏せてるんじゃないか」

「はぁ、なるほど」

 あくまで他人事、という態度で話を聞きながら、分かるひとには分かっちゃうんだと驚いていた。

「ところで吉村。お前、鞄どうしたんだ?」

「うぇ!?」

 甲斐君は下駄箱に、私は部室に行こうと階段に足をかけたときだった。後ろから不意打ちのように言われた台詞に大げさに反応してしまい、私にとっては気まずい空気が発生した。

「……ど、どうもしてないけど?」

 今持っている学校指定の鞄は、もちろん私のものじゃない。学校に忘れてそのまま卒業してしまったというおっちょこちょいな卒業生のものを借りていた。自分の鞄が帰ってこなければ、もらってもいいと先生は言っていたっけ。

 革製の鞄は、甲斐君が持っているものより色褪せていた。といってもよく見れば、というレベルの老朽で、そこに気がつくとは甲斐君も中々あなどれない。

「まあ、別にいいんだけどさ」

 どんな追求をされるかビクビクしていたが、予想に反して彼はあっさり引き下がった。

 けれど私が階段を上ろうとしたとき、甲斐君の呟きが耳に届いた。

「お前、ガード堅すぎ」




 キタちゃんと少し話をしてから部室を出た。下駄箱で靴を履き替えていると、テニス部のユニフォームを着た岩迫君がこちらに向かって走ってくる。

「吉村」

 休憩中だろうか。靴を履いた私を引き止めるようにして出口に回った彼は、「ひとりで帰るのか?」と訊いてきた。

「違うけど……」

 でも今の私はどう見たってひとりだ。

 兄が迎えに来ると教えてもいいけれど、余計な疑念を与えやしないだろうか。別に岩迫君が、私がひったくりに合ったことをぺらぺら喋るとは思っちゃいない。甲斐君だって。

 ただ私は、知られたくなかった。岩迫君にだけは、心配されたくなかったのだ。 

「兄ちゃんが迎えに来てくれるんだ。だから大丈夫だよ」

「お兄さんが?」

「うん、なんかね、最近バイク買ってさ、誰かを乗せたくて仕方ないみたい。それに付き合ってあげてんの」

 堂々としていれば大丈夫。にこにこ笑ってもっともらしい理由をつけた。

「だからしばらくは、バイク通学なんだよ、私」

「へえ、バイクかあ。乗ったことないな」

「喋ろうとしたら口の中に風が入ってくんの」

 あとはとっても寒い。明日乗るときは、下にジャージを履こう。

 初めて乗ったバイクの体験談を話していると、制服の胸ポケットに入れた携帯電話が振動した。『着いた』という短いメール。兄からだった。

「兄ちゃん、来たみたい。私はもう行くね」

「待って」

 歩き出した私に、岩迫君が追いついた。見下ろす彼と視線がぶつかり、あ、と気がつく。

 身長差、また開いたみたいだ。

 そんなことをぼんやり考えていると、岩迫君の手が、私のそれに触れた。

「ひとりは危ないから、お兄さんのところまで一緒に行くよ」

 男の子の、分厚い手。一気に熱が頬に集中した。

 ああ、だから、だからなんだよ。

 顔の熱さに耐えながら、私は思った。

 だから、岩迫君には、心配されたくなかったんだ。

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