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59、なにもしないで

このたび無事に一巻が発売されました。応援いただきありがとうございます。

「お前ら、また喧嘩したのか?」

 六時間目の授業が終わってすぐのことだった。

 隣の席の岩迫君が部活へ行くのを見届けたように、甲斐君が話しかけてきた。

「なんか普通に喋ってるけど、なんかいつもと違うよな?」

 そうなのだ。岩迫君にチ、……チッスされた日から、三日たった今日。表面上はいつもどおりに挨拶を交わし、雑談をしていた。普通に数学の分からないところを教えたりもしたし、落ちた消しゴムも拾ってあげた。

 あの日、何もなかった。

 そう錯覚してしまうくらいに、私たちは普段どおりだった。普段どおりのつもりだった。

 けれど私の内心には嵐が吹き荒れ、ときどき飛んできた空き缶が心にガンガン当たってくる。ふとした拍子に表情が引き攣り、反応がおかしい。そんな些細な私の変化を、甲斐君は気づいていた。

「前にこっちの相談に乗ってくれたし、俺でよければ話してみろよ」

 甲斐君の親切な申し出は、私の罪悪感をこれでもかと煽った。

 違うんだよ、私はむしろ恋路を邪魔しようとしていたんだ。

 あのときのことを謝るのは簡単だった。なんだかんだ言って優しい彼のことだから、きっと許してくれるだろう。

 それを分かっていて謝るという行為が、卑怯に思えてならなかった。岩迫君が殴らないと知っていて殴れと言った私である。もう同じ過ちを犯したくはなかった。

 代わりに、甲斐君に対してできることがあれば、なんでもしようと誓った。彼が次の恋を見つけたら全力で応援するし、漫才界に殴りこみをかけるというのなら相方としてお供しよう。

 だから今、彼が差し伸べてくれた手を握ってもいいと思うのなら、私は握りたい。

「聞いてくれる?」

「おう」

 ちょっぴり泣きそうになって顔を歪める私を見て、甲斐君は首を傾げていた。




 教室でできる話ではなかったので、場所を変えることにした。漫研の部室は放課後になると誰かしら部員がいるので、ふたりで学校を出てぶらぶらと歩く。

 辿りついたのは、以前、岩迫君に告白された土手だった。

「ここでいいか。座って話そうぜ」

 ……どいつもこいつも寄ってたかってなんで私をこの土手に連れてくるんだろうか。

 岩迫君の前にはモリ君も私をここに連れてきて、兄と血みどろの戦いを繰り広げてくれた、ある意味私にとっては呪われし土地となっているんだが。

「どうかしたか?」

「いや、別に」

 観念して雑草の生えた斜面に座ると、甲斐君は鞄から飲みかけのペットボトルを取り出して飲み始めた。私も家から持ってきた水筒を出して、わずかに残っていたお茶を口にした。

「それ、あったかい?」

「うん」

「ちょっとくれよ」

「もう全部飲んじゃった」

 甲斐君は残念そうな顔をしながら、足を投げ出して後ろに手をつく体制をとった。私は膝を抱えての三角座り。こうして並んで座る私たちは、河川を挟んでちょうど正面に座っているカップルと同じ、付き合っているように見えるんだろうか。

「なんかあのカップル、さっきからめっちゃキスしてんな」

「そうだね……」

 どこの学校だろうか。春日坂じゃないと思うけど、大胆なふたりだな。

 私なんてほっぺにチューされただけで、頭の中がぐるぐるして、意味もなく叫びだしたいくらいに混乱しているのに。互いの口を数百万の細菌が行き来している事実なんてどうでもいいくらいにちゅっちゅちゅっちゅしてやがる。

「私さー」

「おう」

 一旦間を置いて、私は言った。

「岩迫君に、キス、されちゃった」

「キ!」

「ほっぺにだけどね」

「ス……」

 前方のカップルからこちらに視線を移動した甲斐君は、案の定とても驚いた表情を浮かべていた。

「ちなみにそれよりも前に岩迫君に告白されてたんだけどね」

「あー、それはなんとなく、知ってた」

「そっか」

 沈黙が続く。ちらりと盗み見た甲斐君の横顔は真剣だった。きっと必死に言葉を探してくれてるんだろうな。

 タモツときたら、話を聞く前にケツキックだったもんな。まあ、そのあとのヤツの醜態を思えば、私は恨みどころか優しい気持ちしか抱けなくなってしまったんだけど。ほんと、次のバイトでどんな顔して会えばいいんだ。

「吉村はさ、キスされて、嫌だったのか?」

 考えて考えて搾り出された台詞に、甲斐君の優しさを感じた。話す相手によって返ってくる言葉にこうも違いがあるものなのか。おかしくて思わず笑ってしまった。

「嫌じゃなかったよ。でも、怖かったなあ」

 甲斐君がなんとも言えない顔をした。私もたぶん、同じ表情をしていたと思う。

「私、無神経だったから」

 吹き付けてくる風が冷たくて、膝を抱える手に力が入る。

「岩迫君のこと、ちゃんと男の子だって分かってなかった。というか、分かってないフリをしてたんだと思う。だから岩迫君が、そうじゃない、俺は男なんだって分からせるために、私にああいうことをしたんだって、別の子に言われた」

 甲斐君もそう思う?

 訊ねられた彼は、とても答えにくそうにしていたが、やがては首を縦に振った。

「でもさ、お前のとった態度が悪いとは、俺は思ってないぞ」

「そう?」

 タモツには悪女呼ばわりされた。私の態度は男を振り回しているって。

 そんなつもりはまったくないし、生まれてこの方、幼稚園でちょいモテしたぐらいの私にはおおよそ似合わない類の評価である。

「岩迫の気持ちを思ったら、吉村にもっと意識してほしいって思うよ。でも吉村のほうからしたら、恋愛はまだ無理なんだろ?」

「うん。無理というか、分かんないだけどね」

 甲斐君がこれまたなんともいえない微妙な表情を浮かべていた。高校生にもなって、と言いたそうだが、事実なんだからしょうがない。

「初恋もまだだもん」

「マジかよ……」

「マジマジ。好きになると、そのひとのことばっかり考えちゃうんでしょ? 一緒にいると緊張しちゃうんでしょ? そういうの、一度もなかった」

 格好良いなあとか、優しいなあとか。異性に対して感じたことはもちろんある。でも同性に対して抱く気持ちとどこが違うかと言ったら、まったく違わなかった。

「だからさ、コイバナとかすごい困るんだよね。初恋のことを訊かれると、好きでもなかった同じクラスの男の子の名前を適当に言ってた。誰も好きになったことがないなんて言ったら、変人扱いされるって分かってたから」

 私にとってはそれが普通だったんだけどな。

 恋をしなくても生きていけた。私の人生に恋は必要じゃなかった。今もそうだ。

「ねえ甲斐君。恋愛ってなに? 靴下はいらないって本当?」

「難しいこと訊くなよ。そういうのは恋した人間にしか分かんないと思うぞ。あと靴下については、俺はいる派だから」

 制服のズボンをちょっと引っ張って、彼は紺色の靴下を見せてくれた。履かないと蒸れるし寒いもんね。

「分かんないけど付き合ってみるってのも、ひとつの手かもな」

「え~」

「最近、そういうの多いみたいだぞ。俺の妹が通ってる中学じゃ、好きじゃないけど告白されたらとりあえず付き合ってみるんだって」

「なんということだ……」

「楽しかったら、それでいいのかもな。本当に好きになるかもしれないし、ならなかったら別れたらいい」

「クーリングオフ?」

「それだ」

 でも片方は、本当に好きだから告白したんじゃないの? それを途中で突っ返されるって、けっこうひどくない?

 私の考えに、「俺もそう思うよ」と甲斐君は同意してくれた。

「好きじゃないのに付き合っても、岩迫は喜ばないだろうな」

「むしろ怒るよね」

「でもキスはするんだよな」

「したね」

 ふと思い出したのは、バイト先のみゆきさんが言っていた台詞だった。

 恋をするなら、ブレーキが壊れている若いうちにしたほうがいい。

 でも私の場合、ブレーキどころか走り出すための動力そのものが壊れている気がした。だとすると、岩迫君みたいにアクセル踏んでこっちに突っ込んでくる人間の気持ちなんて一生理解できないんじゃないだろうか。

「キツイこと言うけどさ、岩迫は好きになる相手を間違ったと思う」

 甲斐君は胡坐をかいて雑草を毟っていた。毟ったそれを風に乗せながら、ごめんな、と言う。

「本当にキツイこと言うなあ」

「だからごめんって。でもお前も同じこと思ってるんだろ?」

「うん」

 岩迫君は、間違った。私を好きになるべきじゃなかった。

 好意を向けられたのは嬉しいけれど、私には返せるものが何もない。

 唇を噛み締めながら、告白してくれた岩迫君を想った。頬に触れた、彼の唇の感触。後悔のようなものが、胸に押し寄せる。

 そのとき、甲斐君がため息をつくように笑った。

「でも好きになっちまうんだよなあ。それが恋なんだよ、吉村」

 ぽんぽんと肩を叩かれ、私も苦く笑った。失恋を乗り越えた彼は、以前よりもずっと大人に見えた。

 立てた膝に顎を乗せて、対岸を眺める。イチャついていたカップルは、いつの間にか消えていた。




 甲斐君に別れを告げて、数時間。時刻は七時を過ぎていた。

 すっかり暗くなった土手は、虫の大合唱で騒がしい。電車は数分間隔で通り過ぎるので、静寂とはほど遠かった。

 近くの自販機で温かい飲み物を買った私は、街灯の近くに立っていた。ひとりで所在なさげにしているものだから、通行人が通るたび、こちらを不審な目で見ていく。

 普通科の生徒は七時には学校を出なくてはいけないので、彼が来るとしたらもうそろそろだろう。それらしき学生が近づいてくるたびに緊張したが、どれも彼ではなかった。

 メールをしたからと言って、来る保証はない。

 八時になる前には帰ろう。そう決めて、冷えた両手を擦りあわせたときだった。

「吉村!」

 テニス部のジャージを着た男子生徒が、こちらに向かって走ってくる。軽く手を振ると、走るスピードはますます速くなった。

「こんな夜に! こんなところで! 危ないだろ!」

 開口一番、叱られた。

「いや、ちょっと前まではコンビニにいたんだよ」

「今はいないだろ!」

 腕を掴んで彼は歩き出した。方向は私の自宅。

「ちょっと待ってよっ、話がまだ」

「吉村の話したいことくらい、分かってる」

 暗い土手を離れて街灯の多い路地に入る。岩迫君の歩くスピードが速くて、私はついていくので必死だった。いつもは合わせてくれていたのに、今は少しも気遣ってくれない。

「俺、悪いことしたとは思ってないから」

「ええ? あの、岩迫君?」

「吉村は怒るかもしれないけど、俺はもう、待たない」

 信号が見える。腕を掴む手に、痛いくらいの力が入った。

「だから、俺のこと、フっても無駄だからな!」

 ひゅうう、と口の中に冷たい風が入ってきた。あんぐり口を開けて固まった私を見下ろし、岩迫君は足を止めた。

「やっぱり」

 落ち込んだ彼の声を聞いて、思わず俯いた。さっきと違ってゆっくりと歩き出した彼に引っ張られ、青信号を渡る。

「どうして分かったの?」

「なんとなく。吉村のことだから、私みたいなヤツより他のもっと素敵な女の子を好きになって、とか言うんじゃないかと思ってた」

 一言一句同じでございました。

 少女漫画から引っ張ってきたのがいけなかったか。だって男の子をフる方法なんて知らないんだもんよ。というか私ごときが岩迫君をフるとは、世の中色々と間違ってんな。

「なあ、吉村」

 家の前まで来ると、岩迫君は言った。

「俺のことフろうとしたのは、嫌いになったから? それとも俺に気を遣ったから? どっちか教えてよ」

 嫌いになったから。ここでそう言ったら、彼は諦めるんだろうか。

 短い沈黙のあと、私は首を横に振った。

「……もったいないって思ったから」

「そっか。よかった!」

 喜ぶシーンかなあ。

 微妙な気持ちで見上げると、にこにこと笑い返されてしまった。嬉しそうで、なによりです。

「吉村は、なにもしなくていいよ」

「どういうこと?」

「俺が勝手に好きになっただけだから。だから吉村は、俺に気を遣ったりしなくていいんだ。好きって気持ちを、無理に理解しなくていい」

 俺が頑張るから。

 懇願されて、頷くことしかできなかった。それで本当にいいの?

 いいわけない。けれどなにも、言えなかった。

 時間も時間だからと家のほうへと押された私は、石段を上って門扉に手を掛けた。送ってくれてありがとう。振り返って言おうとした私よりも早く、岩迫君が口を開く。

「ごめんな」

「岩迫君?」

「好きになって、ごめん」

 彼の緩んだ表情は、どこまでも優しかった。

 だから私は、甲斐君の言葉を思い出して、笑いたくもないのに笑ってしまった。

 好きになる相手を間違ってるよ、岩迫君。

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