54、草ばっか食ってはいられねえ
「タモツって南中のテニス部だったんだ。あそこって強豪で有名じゃん」
「らしいね。でも僕は万年ベンチだったし、たいしたことないよ」
「とか言って、本当は強いんだろ」
「まさか。試合なんてろくに出させてもらえなかった程度の腕前だよ」
ファミレスに入ってかれこれ十分。
なんか男二人がめっちゃ盛り上がってるんですけど。
「あ。吉村、ごめん。テニスの話題ばっかじゃつまんないよな」
「ううん、そんなことないよ。テニスってあれだよね、対戦相手が戦闘不能になったら勝ちなんだよね」
「そんなルールはないけど……」
知ってるよ。フェンスに磔にされたり観客席まで吹っ飛ばされたりしないことくらい分かってるよ。二人の会話に水を差したかっただけだよ。
「ふふ、リホコちゃんって面白いなあ」
今のお前のほうが圧倒的に面白おかしいけどね!!
なんだリホコちゃんて。吉村さんか、いっそブスメガネでいいわ。
ということを岩迫君がドリンクバーに行っている間に訴えたら、
「はあ? こんなにひとがいるところでンな呼び方したら、俺の人格が疑われるだろうが」
「安心しろ。すでに疑われる人格してるから」
「黙れブス。目の覚めるようなブス」
「残念だったな。私はもう『ブス』って言葉じゃ傷つかないんだよ」
ブスは三日で慣れるというように、ブスって言葉にも早々に慣れたわ。図太くなくちゃオタクはやっていけねーんだよ。なめんなコラ。
「それでさ、本当にこの後の映画もついてくる気なの? さすがにそれは図々しくない?」
「岩迫がいいって言ったんだからいいだろ。つーかアイツ大丈夫か? よく初対面の野郎と一緒に映画なんて観に行けるな」
「それだけ岩迫君はピュアなんだよ。お前と違ってな」
直後にテーブルの下で足を蹴られた。もちろん蹴り返す。一応周りの目を気にして、無言の攻防がテーブルの下で勃発した。
「何やってんの、二人とも」
岩迫君が戻ってくるころ、私とブルータスはテーブルに突っ伏して痛みに悶えていた。
「なんっ、でもないっ、私も、ジュースのおかわりしてくる」
岩迫君と入れ替わりにドリンクバーに立つ。蹴られた足を見下ろすと、黒いタイツにスニーカーの足跡がくっきりとついていた。
「てめえっ、痛えんだよ! その尖った靴で蹴るとかありえねえだろ!」
「そっちこそ容赦なかったじゃんっ、タイツが破けたらどうしてくれんだ」
「知るか! アザができてたらマジ許さねえからな」
あとから追いかけてきたブルータスが自分の所業を棚に上げて喚きたてる。骨が折れたわけじゃあるまいし、なんて小さい男だ。
「どうせしょっちゅう喧嘩してんだろ。蹴り入れられたくらいでぎゃあぎゃあ言うなよ」
「女に蹴られたのは初めてなんだよ。……殴られたのもな」
恨みがましく付け足された台詞は聞かなかったことにした。あの日、どれだけ私を侮辱し、怖がらせたと思っている。
だから謝らない。絶対に、謝らないからな。
ファミレスを出たあと、映画館に向かった。当然のようについてくるブルータスには辟易したが、もういないものとして扱うことにした。
「そういえば岩迫君、なんの映画を観るの?」
前に訊いたときは「リサーチしてきたから大丈夫!」と言うだけで教えてくれなかったのだが、その大丈夫が大丈夫じゃない気がするのは彼に失礼だろうか。
「吉村、アニメ好きだろ?」
ああ、うん。好きだよ。好きなんだけどね。
「五味がさ、公開されたばかりのアニメを吉村が観たがってるって言ってたんだ。これのことだよな?」
と言って彼が差し出した前売券は、たしかに先週公開されたばかりのアニメだった。アニメだったんだけど……。
二頭身のキャラクター! アーンド3D! 煽り文句は『全米が泣いた』!!
「わ、わーい、これすごい観たかったんだあー……」
岩迫君、これピ○サー! 私が見たかったのはサ○ライズのアニメだよ!!
明らかにリサーチ不足ですやん……いや、待て、待つんだリホコ、おまかせすると言ったんだから文句をつけるのは筋違いだろう。むしろこれでよかったと考えるべきだ。
そもそも岩迫君と二人でオタアニメ鑑賞なんて拷問だろ。鑑賞中にうっかり「お、この声優○○じゃん」とか「劇場版はさらに絡みが増えていますな」とか言った日には軽く死にたくなるに違いない。
「これって評判いいよね。楽しみだなあ」
気持ちを入れなおして喜びを露にすると、岩迫君は嬉しそうに首の後ろを掻いた。
二人の間に和やかな空気が流れる……かと思いきや、
「高校生にもなってアニメかよ」
真後ろでボソっと呟く悪魔のせいで、私の浮上した気分は綺麗に磨き上げられた映画館の床に叩きつけられた。
アニメの何が悪い。スポーツとか麻雀のルールとか巨人の倒し方とか覚えられるんだぞ。
視線で威嚇するも鼻で笑い返される。なんて野郎だ。岩迫君見てた? 今の見てたよね!?
「吉村、入る前にポップコーン買っていこうよ」
見てなかった。
キャラメルとバター醤油、どっちにしようかな? と背後の邪悪な存在が霞むくらいのピュアっぷりを披露してくれている。
「両方買って分けっこしようよ……」
「うん!」
癒されるわー。ブルータスには岩迫君の爪の垢とまでは言わないが吐き出す清廉な空気を吸って、ぜひともその捩くれた性格を改善してほしいものである。
本命のアニメは、今度キタちゃんを誘って行こうっと。
二時間ほどの作品を鑑賞し終わった私は、静かにふたつの眼鏡を外した。
「吉村、大丈夫?」
大号泣だった。
3D眼鏡なんて邪魔くせー、と思っていた二時間前の私は今いない。おい、ブルータス、お前寝てただろ。すっごくいい映画だったんだからな。
「お手洗いに行ってきていい?」
真っ赤になった鼻と目を隠しながらトイレに向かい、男二人には先に行ってもらった。
メイクはこまめに直したほうがいいという妹の助言のもと、濡れた頬をファンデーションで隠し、少しくずれた髪型を直した。隣では同じように身だしなみを整えている女の子がいて、慣れた動作の彼女と自分が並んでいるのが少し気恥ずかしかった。
外に出ると、出口近くはひとで混雑していた。二人を探すのは難しいかもしれない。
携帯片手に付近をうろついていると、目立つ一団を発見した。最初は女子の集団だと思って一度は視線を外したのだが、その中心にいたのは頭ひとつ背の高い岩迫君だった。ちなみにブルータスは見事に女子の中に埋もれていた。
しかし、困った。
これはおそらく、逆ナンというやつではないだろうか。
昨今の女子は肉食と評されるが、視線の先にいる彼女らも儚げな外見に反して行動は草食獣を狩る肉食獣そのものであった。
それぞれに二人がかりでマークし、一人が積極的に話しかけ、もう一人が簡単に逃げられないように衣服を握る。背後は壁だ、上手く追い詰めている。ライオンのメスだってこんなにコンビネーションは確立してねえだろ、と感心しつつもさてどうしたものか。
捕まった岩迫君は傍目から見ても分かるほどに動揺していた。対してブルータスは困った顔をしてたぶんまったく困ってないに違いない。むしろどこか楽しんでいるふうにも見えるのは、この状況で一番困惑しているであろう私に気づいてのことかもしれないとまで邪推してしまった。
あの中に入っていくのは、かなりの勇気がいりそうだった。どの子も可愛くて、当たり前のようにオシャレな服を着こなしている。妹のアドバイスをもらってやっと今の服を着てきた私にとっては、決死の覚悟が必要だった。
一旦、柱の後ろに隠れると、手のひらに三回文字を書いた。北、北、北、と。よっし、頼むぜキタちゃん。
「い、岩迫君、お待たせ~」
この状況にまったく動じていないふうを装いながら近づくと、女の子のひとりと目が合った。さあ、来い。
「お友達ですか? 私たちと一緒にカラオケ行きましょうよ!」
……ま、負けた。
さすが肉食、ガゼルどころかそこらへんの草程度の私ではまるで歯が立たん。
ていうか、え、私もカラオケ行くの? 行っていいの? アニソンしか唄わないよ?
軽くパニックに陥った私は、「学校どこですか? 年は?」と訊かれるがままにほいほい答えてしまった。ま、待て、なんで私に肉食獣の牙を向けるのだ。抵抗する暇さえ与えてもらえず、ついにはメアドの交換もさせられそうになったとき。
「あーもーうっぜ」
空気が凍った。
恐る恐る視線を向けた先では、悪魔が、その本性を剥き出しにしていた。
乾いた唇を舐めて潤し、残虐に笑う。肉食獣どころか、猛獣の匂いを漂わせたブルータスは、硬直する女の子たちを見渡した。
「お前らさあ、よくその程度の顔で逆ナンなんかできるよなあ?」
そんなに背は高くないくせに、これでもかという上から目線。女の子たちは魂が抜けたように呆然としていた。そうだろう、天使みたいに微笑んでいた人間がどう贔屓目に見ても善人とはいえない表情でどぎつい台詞を吐き出しているんだから。
ちなみにブルータスは雑誌の表紙を飾るモデルの女の子を見て「ブスだな」と言い放つ男である。要するに理想が高すぎるのだ。
「ちょっと、もうやめなよ」
「俺に指図するな、ブス」
「ブッ、ブス!?」
異を唱えたのは岩迫君だった。ブルータスの豹変ぶりに絶句していた彼は、気色ばんで詰め寄った。
「吉村はブスじゃない!」
「いや、ブスだろ。現実を見ろ」
「吉村は可愛いよ!」
一瞬、周囲のざわめきが消えた。
今度は、私の顔に血が上る番だった。じろじろと見てくる他人の視線のせいで、恥ずかしさのあまり泣きたくなってくる。
こんな。こんなひとが大勢いる場所で、なんてことを。
自分が可愛くないってことくらい分かってる。現実というものをちゃんと見ている。別に卑屈になっているわけじゃない。自分の顔は嫌いじゃないし、愛着もある。
けれど。そんな私の気持ちを、ここにいるひとたちは知らない。可愛いと言われた私を見て、言葉とは違う顔があるのを見て、一体どう思うのか想像したら、ものすごくいたたまれなかった。
ブスと言われるよりも、可愛いと言われたほうが傷つくなんて、あるとは思わなかった。
「喉が渇いた」
いつの間にか元に戻っていたざわめきの中、ブルータスがけだるげに言った。
「行くぞ。どっか適当に入って、何か奢れよ」
襟首部分を掴むと、強引に引っ張っていく。乱暴で、傲慢で、けれど今は、ありがたいと思った。
公園のベンチに座ってから、およそ五分。
生憎、どこの店もいっぱいだったので、飲み物はテイクアウトした。外は薄暗いけれど、街灯はまだついていない。
私を真ん中にして、両隣に岩迫君とブルータス。映画館を出てから二人の、いや岩迫君の放つ空気は険悪だった。
ホットティーを少しずつ飲みながら、会話の糸口を見出せずにうろうろと視線をさまよわせる。繁華街に近い公園ということもあってか、目に付くのはカップルばかりだ。くっつきあった彼らに視線を固定できず、また視線がさまよいだす。
気まずい。
岩迫君は苛々しているみたいでちょっと怖いし、ブルータスはこのクソ寒いというのにアイスコーヒーを飲んで氷まで貪り食ってるし、はあ、ほんと気まずい。
「なあ、ブス。これからどうすんだ」
隣に座った岩迫君が顔を上げて、ブルータスを睨みつけた。
「そのブスってやめろよ。女の子に対して言っていい言葉じゃないだろ」
「へえへえ、ごめんなさいよっと」
「真面目に聞けよ! 吉村が傷つくだろ」
「さっきはお前のほうがこいつのこと傷つけてたけどな。恥かかせてたのに気づいてなかったのか」
「はあ?」
本気で分からない、という顔をする岩迫君から視線を外し、ブルータスの足を軽く蹴った。やめてよ、わざわざ言わなくていい。けれど、無駄だった。
「こういうモテない女はな、可愛いって言っても喜ばねえんだよ。自分の価値を知ったつもりでいるから、褒めたって認めやしねえ」
……私を間に挟んで議論と分析をしないでほしい。
できるだけ空気になるよう努めながら、残り少ないホットティーを口に含んだ。
「あと、お前にとっては可愛くても、他は違うかもしれねえだろ。はっきり言って、こいつはよくて十人並みだ。それを大勢のいる前で可愛いって叫ぶなんて、本人にとっちゃ嫌がらせ以外のなにもんでもないぞ」
ブルータスの言葉がいちいち的確すぎて黙り込むしかない。会話が始まる前に、目の前の公衆トイレに逃げ込めばよかったと今さらながらに後悔した。
「……だからって、ブスはないだろ。喜ぶわけないのに」
まあ、たしかに。傷つきはしないが、嬉しいわけもない。
「じゃあなんて呼べばいいんだよ」
「吉村でいいじゃん」
「駄目に決まってんだろ! ショータ先輩を呼び捨てにしてるみたいじゃねーか!」
こいつのブレのなさは、日本の政治家も見習ってほしいところである。
「ショータ先輩って、吉村のお兄さん? どういうこと?」
「うちの兄ちゃんの下僕なの」
神谷なら怒りのアイアンクローをかましてくるところだが、ブルータスときたら「二年じゃ俺が一の下僕だぜ」と胸を張ってやがる。馬鹿だな、こいつ。
憐れな下僕を横目に見ながら、あと何口かのホットティーを一気に飲もうとした。しかし、横から伸びてきた手がカップを奪い取り、中身をすべて飲み干してしまった。
「ぬりぃ」
「勝手に飲んどいてその感想か。ていうか欲しいのなら欲しいって言えばいいのに。あげないけどな」
ブルータスは片頬だけを歪ませて笑うと、空になったカップを押し付けてきた。
「お前がとろいのが悪い。そんなだから、さっきのブスどもに利用されようとしてたんだ、バーカ」
「なにそれ」
「お前をダシにしようとしてたってことだよ。気づいてなかったのか」
気づいていませんでした。
ま、まじか……あれも計算のうちだったというのか。将を射んと欲すればって、私は馬扱いか、やっぱり草食か。可愛い顔してとんでもねえ肉食獣だな!
「もっと警戒心持ったほうがいいぞ、リホコ」
隣でブっと飲み物を噴き出す音がした。
茶色い霧となったホットコーヒーが視界の端に映る。液体を霧状に吐き出すのってけっこう難しいんだよね……グレート・ムタは易々とやってるけどあれは一朝一夕で身に着けたものではない……という現実逃避はここまでにして、ブルータスへと驚愕の目を向けた。
「なんだよ」
「今、リホコって、」
「だってそれしかねえだろ。苗字じゃ呼べねえし、ブスって呼んだら岩迫がうるせえし」
鳥肌が立った。
「うわー無理っ、本当に無理! 見てよ、鳥肌がすごいことになってる!」
「気温のせいだろ」
「ぜってー違う! こんなことならブスでいい私は一生ブスでいい!」
「ワガママ言うな。あと、俺がブス呼びやめたんだから、お前もブルータスとかいうのやめろよな」
私の主張のどこにワガママな成分が含まれていたというのか。そういうブルータス、いやタモツこそ、自分を構成する成分のおよそ半分はワガママであることを自覚したほうがいい。
言い返す気力もなくて重たいため息をこぼすと、それまでずっと咽ていた岩迫君がゆっくりと立ち上がった。
コーヒーまみれの口元をぬぐい、大きく息を吸い込んだ彼は。
ブスも駄目だけど、名前はもっと駄目、かあ。
岩迫君は私を恥ずかしさで死なす気か。
ちらりと隣の彼を盗み見ると、タモツとなにやら言い争いをしていた。最初はどっちが私を家まで送っていくかという話だったのに、今はコロッケには何をかけるかで揉めていた。コロッケには何もかけずに肉汁と胡椒のハーモニーを楽しむのが至高と決まってるだろうが。
二人のソースVSマヨネーズ(コロッケに謝れ)論争を聞きながら、私の足はこの日とうとう限界を迎えた。
「ちょ、待った。二人ともストップ」
可愛いと思って買った靴だったけど、踝にストラップが擦れたせいで、タイツの上からでも少し血がにじんでいるのが分かった。
うんざりしたようなため息が、上から降ってきた。
「女ってなんで痛い思いまでしてそういう靴履くんだ?」
「可愛いから」
タモツが鼻で笑った。言いたいことは分かるけど黙っててくれ。
「可愛くなろうとする女の努力を笑うな」
私はオタクで、三次元より二次元が好きで、でも現実に生きている。可愛く見られたいという当たり前の欲求を抱えているのだ。それを曝け出すのが以前は恥ずかしかったし、私程度の人間がなにをやっても無駄だと思っていた。
でも、岩迫君が現れた。
「可愛いって言ってくれて、本当は嫌じゃなかったよ」
とてつもない羞恥を覚えたのは事実だ。でも周りにひとがいなかったら、私と岩迫君だけだったら、きっと、もっと別の反応ができていたと思う。そう考えると、あそこが映画館だったのがちょっと残念だった。
「ありがとう。可愛いって、言ってくれて」
本当はタモツがいなくなったらお礼をするつもりだった。でもこいつ図々しくずっとついてくるし、外野がいてごめんね。
「それ、本当? 俺、ずっと傷つけたんじゃないかって、気にしてて、」
「可愛いって褒め言葉だもん。素直に受け取れない私がまだまだ未熟者だったんだよ」
「吉村……あっ、そうだ俺、絆創膏持ってる!」
「ほんと? もらっていい?」
「うん。もっと早く言ってくれたらよかったのに」
「靴が痛いからなんて言いにくいよ。誰かさんみたいに『だったら履いてくんなよ』って言われたくないもん」
タイツの上からもらった絆創膏を貼ると、痛みは随分とましになった。もう一度お礼を言うと、岩迫君が手を引っ張って立ち上がらせてくれた。
うふふ、へへへ、と互いに照れ笑いしていると、目の前を急に悪魔が遮った。
「いつまでイチャついてんだ。俺は寒いんだよ、さっさと帰るぞ」
「吉村は俺が送っていくから、タモツは先に帰っていいって言ってるのに」
「そうだよ。岩迫君に送ってもらうよ」
ねー、と視線を交わしあう私たちの間で、タモツは明らかに苛々していた。だから、失態を犯した。
「却下だ! お前らをくっつけるなって言われてんだよ!」
言った直後に、はっと口を押さえるが遅い。遅すぎる。
おい、今、なんて言った。
「……どういうこと?」
突然バイト先に現れたり、デート現場に乱入したり、不可解な行動の裏側には第三者の存在がいた、そういうことか。
ただならぬ空気を発する私から、タモツは動揺した顔で距離をとった。
「お、俺は何も知らねー!」
「何も知らねーわけねーだろ! 吐けっ、誰に頼まれた!」
「ううううるせえ! 今日のところは帰ってやる! 明日のバイト遅れんじゃねーぞ!」
微妙な捨て台詞を残し、タモツはまさに尻尾を巻いて逃げていった。
甘酸っぱかった空気は、もうどこにも残っていなかった。