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46、小豆色の中学生活

あけましておめでとうございます。今年も春日坂をよろしくお願いします。

 進学した中学校は地元の公立校だった。歩いて十分。途中でコンビニに寄ってお昼ごはんを買ったら、十五分かかる。

 制服はセーラーで、靴下は白限定。鞄は学校指定のスポーツバッグに似た大きなもので、はっきり言うとダサかった。校内に入るにはスリッパを履くのだが、それがトイレによくあるやつだから、生徒達は『便所スリッパ』と呼んでいた。一年生である私の便所スリッパは小豆色だった。

 小学生のときにあれだけ憧れ、お姉さんに見えた中学生も、いざ自分がなってみると大した存在ではないことに気がつく。こうやって現実を知っていくのだなあ、と慣れないセーラー服を着た私は思うのだった。

「リホちゃん、おはよう!」

「おはよう」

 朝の教室で真っ先に挨拶してきたのは、私の前の席に座る女子だった。入学式の日に話をして以来、仲良くなった……と向こうは思っているに違いない。

「ねえねえ、ショータ先輩、寝癖ついてたの見た? すっごく可愛かったよ!」

 知らんがな、という台詞を飲み込んだ私は曖昧に笑った。兄の寝癖なんぞどうでもいい。いきなりアフロになったと言うのならビックリ仰天してやるが、寝癖なんて隣の山本君のほうが毎朝すごいっつーの。

「リホちゃん、家じゃショータ先輩とどんな会話してるの?」

「どんなって、別に普通のことしか話さないけど」

「その普通が知りたいのよ!」

「そうだなあ、強いて上げれば、『お風呂空いたよ』『おう』くらいかな」

「いいなあああああ!」

 どこにそれほど悶える要素があったのかは分からないが、彼女は腕を組んで夢見る表情をしていた。もしかして自分に置き換えて想像しているのかもしれない、そっとしておこう。

「なになに、吉村先輩の話してるの? 私も入れてよ」

「私も聞きたい!」

 それまでちらちらとこちらの様子を窺っていた女子のグループが私のところに群がってきた。ほとんどが違う小学校出身の子で、クラスに数人いる同じ小学校だった子たちは、群がる彼女たちをどこか小馬鹿にした表情で見つめていた。質問攻めは、先生が来るまで続いた。

「ほんっとあの子たちって迷惑よね!」

 授業と授業の合間の休み時間は、私にとっては休みではなかった。

 トイレに行こうと席を立つと、いつの間にか私は数人の女子に囲まれていた。同じ小学校出身の子たちだ。来たか、と内心げっそりとした気持ちを隠し、私は少しだけ早足になった。

「ほら、私たちと違って、ショータ先輩のことほとんど知らないから」

「ね、ちょっと必死すぎるよね」

 クスクス笑いが耳障りだった。それに合わせて笑っている自分がさらに嫌になる。

 中学生って、もっと素敵なものだと思っていた。けれど現実は、便所スリッパの色と同じで、つまりはとても微妙だった。




「私立に行けばよかったのに」

 と言ったのは隣の席の山本君である。今日も見事としか言いようのない寝癖をつけて登校してきた彼は、兄目当ての女子に囲まれてぐったりしている私に同情するような視線を向けた。

「今まさにそう思ってるよ」

 私はガスバーナーに火をつけながら、苦々しい顔で返事をした。今は理科の実験中である。

「ていうか、吉村って兄貴と血は繋がってんの? 全然、似てないんだけど」

「がっつり繋がってるよ」

「本当に? 実は吉村が知らないだけでもらわれてきたとかないの」

「ちょっと真顔で言うのやめてくんない? 自信なくすんだけど」

「調べたほうがいいよ。俺の場合、マジで姉ちゃんと血が繋がってなかったからなあ」

「えええええええええ!!」

 ナトリウム=黄色、とノートに書くはずが、山本=お姉さんと血が繋がっていない、と書くところだった。

 ぎょっとして彼を見るも、山本君は常に笑ったような表情をしているから、今のが冗談だったのかどうかは私には分からなかった。

「まあ俺の衝撃の事実は置いといて。吉村、もう部活決めた?」




 私が通う中学校は、部活動は強制ではなかった。それでも何らかの部活に入っている子がほとんどで、無所属のほうが珍しい。その珍しいほうに分類される私は、将棋同好会の山本君に連れられて廊下を歩いていた。

「私、将棋とか興味ないんだけど」

「そっちじゃないから安心して」

「じゃあどっちだよー、ていうか血が繋がってない云々のほうが気になって部活どころじゃないんだけどー」

「どうだっていいじゃない」

 マイペースな彼に連れられてやってきたのは、校舎の一番端っこに位置する教室だった。室名札はなかった。普段は使われていない教室らしい。

「ちょっと待ってて。いるかどうか見てくる」

 廊下で待たされた私は、鞄を下ろしてしゃがみこんだ。山本君には悪いが部活に入るつもりはなかった。

 吉村翔太の妹に、居場所なんてないんだ。

 傷つきやすいガラスのハートの持ち主だと思っていた私は、己の不幸に酔いしれていた。この年頃の子供が陥りやすい症状である。

「吉村、入って」

 見学だけして帰ろう。何の部活か知らないけど。

 山本君に促されて入った教室は雑然としていた。物置部屋みたいだ。積み重なったダンボールを避けて奥へと進むと、無理矢理つくった感じのスペースに会議用のテーブルが二つ並んでいた。その横にぴしっと背を伸ばした女子生徒がいた。

「漫画同好会にようこそ!」

「これ、うちの姉ちゃん」

「部長なの。よろしくね」

 スリッパの色を見ると水色、つまりは二年生だった。私と違って真っ直ぐな髪を二つ縛りにして眼鏡をかけている。山本君とは全然顔が似ていなかった。いわゆるえびす顔の弟に対し、お姉さんの目はぱっちりとしていた。

 座るように勧められて、パイプ椅子に腰掛けた。正面には部長である山本君のお姉さんが座って、山本君はその斜め後ろに立っている。

 改めて部屋を見回してみると、部室らしくないことがよく分かった。私の表情を読んだのか、部長は「狭くてごめんね」と苦笑した。

「漫画同好会、って何するんですか?」

「漫画やアニメについてお話ししたりするの」

「それだけですか?」

「イラストも描くわよ! あと漫画も!」

「漫画も?」

 ここで興味を惹かれた私は、自然と前のめりになった。というのも家では見よう見真似で漫画を描いていたからである。

「そうなの! 顧問の先生がね、漫画家目指してたこともあって、道具とか描き方とか色々教えてもらえるのよ」

 そう言って山本君のお姉さんが取り出したのは、漫画の原稿だった。ルーズリーフに描いていた私のショボい漫画と違って、トーンが貼られたそれは本格的に見えた。触ってもいいか聞いてから、手に取ってみる。

「すごい……」

「あーっ、あんまり近くで見ないで!」

「あ、すいません。顧問の先生が描かれたんですか?」

「違うの、あの、私が描いたの。恥ずかしいから、近くで見ないでね」

「先輩が描いたんですか!?」

 驚いて机に乗り出した私は、尊敬の眼差しで先輩を見つめた。ひたすら照れている先輩は「大したことないのよ」と必死に謙遜しているが、とんでもない。

 これを、私とたった一歳違いの中学生が描いたんだ。

 凄いと思うのと同時に、悔しかった。レベルが全然違う。

「入ります」

 きょとんとしている部長の後ろで、山本君の目が糸のようにきゅうっと細くなった。

「漫画同好会に、入部させてください」




「山本部長は元気?」

 待ち合わせ場所で合流してからファミレスに入って昼食をとった。今は食後のデザートを食べている最中で、季節限定のパフェが美味しい。

 中学時代、私を腐の渦へと叩きこんでくれた……いやいや、大変お世話になった山本部長は、タッキーたちと同じ高校に進学していた。

「元気だよ。リホちゃんの学校の文化祭、行けなくて残念がってた」

「そういや吉村、展示室にいなかったよな? せっかく会いに行ったのに、どこにいたんだよ」

 まさかここで文化祭のことを聞かれるとは思っていなかった私は動揺を押し隠すのに苦労した。

 他校の二人が文化祭に来るのは知っていしたし、もちろん会うつもりだった。けれどそうできなかったのは、岩迫君と神谷のせいである。

 真実を話せるはずもないので、適当なことを言って誤魔化した。二年生の文化祭は私にとって色々と黒歴史だ。

「山本部長といえば、弟がすごいよな」

「山本君? すごいって、寝癖が?」

「そっちもすごいが、将棋のプロ棋士になったんだよ、アイツ」

「ほんとに!?」

「ニュースでやってたの、観なかったか? 対局にも寝癖で出るから、『寝癖王子』って意味不明なあだ名つけられてたぞ」

 知らなかった。

 思えば、漫画同好会に入ったのは彼のお陰だった。寝癖の印象もすごかったが、彼に対して何より記憶に残っているのは、明らかな嘘をよく言う癖にあった。遅刻してきたら「小学生気分が抜けなくて小学校のほうに行ってました」とか、忘れ物をしたら「貧しくて教科書は質に入れました」とか、あのえびす顔で堂々と言うのだ。姉である部長と血が繋がっていないというのも、その嘘のひとつだと思う。いや、思いたい。

「すごいなあ、高校生でもう夢を叶えたんだ」

 漫画家になる、という私の夢。

 これを叶えられる日は、一体いつ来るのだろう。追い詰められたような、焦った気持ちになるのは、彼が同い年だからなのか。夢を叶えられるのは、まだまだ先の話、今はまだ夢見る期間なのだと高をくくっていたせいかもしれない。

 でもそうじゃないんだ。夢を叶えようと思ったら、漫画家ならいつでも叶えられる。才能さえあれば、だけど。

 来年は三年生。嫌でも進路を決めなくちゃいけない。

 急に現実を思い出した私の手元で、季節限定のパフェは溶けていった。

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