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43、五味貴志という後輩

 五味貴志という後輩ができたのは、私が二年に上がってから二ヶ月が過ぎたころだった。

 熾烈な部活勧誘はすでに終わり、我が漫画研究部はマリちゃんとメグっぺという二人の新入部員を迎えていた。二人とも入学式から一週間ほどで入部届けを出しており、共通の話題には事欠かなかった私達はすぐに打ち解けていた。

 部員は全員女子である。過去には男子部員もちらほらといたようだが、その存在は歴代の部誌にその名前だけが残されているのみだ。

 漫画研究部の部室は旧校舎の今はもう使われなくなった理科準備室にあった。木のドアで繋がった隣の教室は化学実験室で、文化祭のときは展示室となる。奥に向けて段差が高くなっている教室は、展示室にはまるで向いていなかったが。

 新校舎に移っていった生物と化学教師が残していった備品の中には、ガスコンロやヤカン、中にはフライパンもあった。あとは寝具さえあれば住むこともできると言ったのは部長の幸子先輩だった。新設された部活棟に移っていった運動部だって、ここまで恵まれた環境にはないんだからねっ、と勧誘の際に必死に言っていたのも部長である。

 三年生の部員は幸子先輩と吹奏楽と兼部のトモ先輩、二年生は私とキタちゃん、一年生はマリちゃんとメグっぺ。二人ずつの計六人。五人以下なら同好会に格下げである。なんとか息を繋いだ漫研だが、来年はどうなっているかも分からない先行き不安な状態だった。

 それでも放課後、部室に顔を出せば、トモ先輩以外の全員がそろっていた。イチオシの漫画や、コンビニで買ったお菓子を持ち寄って。ろくな活動をしていないと指摘されたら反論はできなかったが、バリバリの活動をしていたらそれはそれで漫研に人は集まらなかった気がする。

「ねえ見て見て! これ今度の衣装なんだけど、どう? 変じゃない?」

 幸子先輩がコスプレした姿で登場した。準備室内で着替えができるのも女子しかいない気安さからである。

「部長、すごい! 本物みたい!」

 コスプレイヤーの幸子先輩が、まんざらでもない顔でポーズをとる。自前の金髪とドレスを模した戦闘服が、キャラクターそのままで、私達はお世辞でもなんでもない賞賛を送った。

「この剣、まさか幸子先輩が作ったんですか?」

「これはね、クラスの男子が作ってくれたの。私が今度このキャラのコスプレするって言ったら、家で作ってきたから使ってほしいって」

「先輩の信者って……」

 すごすぎて逆に引く。

 まさか本物であるはずがないレプリカは、非常に軽く材質も発泡スチロールだったが、ぱっと見では分からないほど精巧なつくりをしていた。これを制作した男子高校生の熱意と先輩への愛情が垣間見えるようであった。

「あれ、でも会場は長物禁止じゃないですっけ」

「うん。だからこれは撮影用に持つやつなんだ」

 剣を振りかぶってキメポーズをとる先輩は、ここが酸っぱい匂いの漂った準備室でなければもっときまっていただろうに。

「あの、幸子先輩、写メ撮ってもいいですか?」

 メグっぺが携帯片手におずおずと進み出た。遠慮がちに、けれど期待を込めて。そんな後輩の可愛いお願いに、先輩が断れるはずがない。

「キャー先輩ステキー抱いてー!」

「今度は目線こっちにお願いします!」

「こう? こう?」

 携帯のわざとらしい撮影音が鳴り響く部室は、撮影会の場と化していた。ノリノリの幸子先輩が動くたびにドレスのスカートが翻る。下からのアングルを狙った私(決して下着を撮ろうと思ったわけではない)の耳に、そのとき控えめなノックの音が届く。

「はーい」

 準備室のドアから一番近かった私が訪問者を出迎えに行くと、外に立っていたのは漫研顧問であった。

 古典担当の通称おじいちゃん先生。髪の毛は真っ白で、喋り方はとてもゆっくりだ。ちなみにおじいちゃんと言っても、まだ六十代で、本人からしてみればその渾名は不本意だろう。けれど彼はいつもニコニコしていて、おじいちゃん先生と生徒から密かに呼ばれていることを知っていてもなお微笑んでいるような穏やかな人だった。

「藤森先生、どうしたんですか?」

「吉村さん、朗報ですよ」

 常にご機嫌よさそうな先生の顔がいつも以上に嬉しそうである。彼の糸のほうに細い目が隣にずれるのにつられて、私も同じ方向を見た。

 エナメルの大きなスポーツバッグを肩から提げた男子生徒が、心細そうな顔で立っていた。短く切りそろえられた黒髪に端正な顔立ち、背は高いほうで、もちろん見覚えはない。

 誰ですか、という私の疑問に、先生は満面の笑みで答えてくれた。

「入部希望の、五味君です」




「助けてくださいって、あんた何言ってんの?」

 水族館でばったり出会った五味は、普段のオトボケぶりがなりを潜め、随分と意気消沈しているように見えた。

「俺、俺、もう」

 それきり黙りこみ、私の肩に顔を埋めて何も言わなくなる。

 後輩の行動にぎょっとしたが、突き放すのはなぜか可哀相な気がしてできなかった。殴るつもりで上げた右手を、私は五味の背中に置き、ぽんぽんと宥めるように叩いた。

「五味、落ち着け。何があった」

「五味ぃ! お前なにしてんだよ!」

 私と違って岩迫君は容赦なかった。五味の襟首を掴むと、首が絞まるのも構わず強引に引っ張った。

「嫌っす! いやぁあああああ」

「嫌じゃねえ! 先輩の命令が聞けないのか!?」

「今部活じゃないし! サコ先輩に命令する権限はない!」

「まあまあ岩迫君、ここはちょっと五味の話を聞いたほうが」

「なんでこいつの味方すんだよ! 吉村は今、俺とデートしてるって自覚ある!?」

 至近距離で詰め寄られて、顔に熱が集中するのが分かった。ぎこちなく何度も首を縦に振ると、岩迫君はほんのわずか嬉しそうに唇をもぞもぞさせた。

「デートって、どういうことっすか?」

 顔を上げた五味が、先輩二人の顔を交互に見た。同じような表情でテレテレしている自覚があったので、私は非常に気まずかった。

「あー! タカ君いた! もうっ、置いてかないでよ!」

 知らない少女の声がして、直後に私の体に密着していた五味が、びくりと震えるのが分かった。

「きっ、来たっ、」

 五味はそそくさと後ろに回ると、私の背中に隠れるようにして身を縮めた。そして私の服の裾を掴みながら、

「俺はいないって言ってください!」

 と訴えた。

 いやいや無理があるだろう。呆れきった表情を浮かべたのは岩迫君も同じだった。どうせ隠れるなら彼の後ろにすればいいのに。

 少しして、同い年くらいの女の子が小走りでやってきた。

「タカ君、何してるの?」

 おそらく五味に向けられているであろう台詞に、本人は無言だった。隠れていられるとは思っていないらしいが、男らしくないぞ、五味。

「あの、タカ君のお知り合いですか?」

「はあ、まあ。同じ高校の先輩ですけど」

「そうなんですか! いつもタカ君がお世話になってます!」

 少女はとてつもなく素敵な出来事だというように、パチっ、と胸の前で手を叩く。綺麗に手入れされた爪が照明に反射してキラキラと輝いているのが見えた。

「タカ君、ほら、いつまでそうしてるのよ。先輩にご迷惑でしょ?」

 渋っていた五味だったが、ようやく観念して私の後ろから顔を出した。でも服の裾は掴んだままで、少女とはがんとして目を合わせようとはしなかった。

「五味?」

「リホ先輩は、俺の味方ですよね」

「まあ、敵ではないと思うけど」

「じゃあ俺が困ってたら、助けてくれる?」

 後ろを振り返ると、五味がじっとこちらを見下ろしていた。その表情には見覚えがあった。前の顧問である藤森先生に連れられて、初めて漫研の部室にやってきたときの顔だ。

 受け入れてもらえるか不安だったのだと、入部して一月くらい経ってから五味は言った。お調子者で空気が読めない、五味に抱いていた印象を、私は少しだけ改めたのである。

「いいよ、助けてあげる」

 なんだかんだ言って、五味は可愛い後輩だった。

 私の返答に安心したのか、服の裾を掴んでいた指が離れる。背後から出てきた五味は最初よりも随分と余裕を取り戻した顔をしていた。

「アカリ」

 ようやく自分を見てくれたことに安心したのか、少女の不安げだった顔がぱっと明るくなる。いわゆるアヒル口と呼ばれる口元をした彼女は、笑うと片方だけに笑窪ができた。中身はともかく見た目だけは美少年の部類に入る五味と並べばお似合いの美少女だった。

「置いていってごめん」

「ううん、いいの! さ、行こっ、タカ君」

 一直線に駆け寄ってくるアカリちゃんを、五味はひらりと避けた。

 ………なぜ避ける。

「じゃ、行きましょうか! リホ先輩、サコ先輩!」

「は?」

「え?」

 避けた体勢からなぜかくるりと一回転したヤツは、流れるような動作で私達の背後に回るとがっしりと肩を組んだ。そして言われたことの意味が分からずぽかんとしている私と岩迫君の間から顔を出すと、今度はもっととんでもないことを言い放った。

「ダブルデートしましょう!」

 助けてあげると言ったけど、あれ撤回していいかな。

 視線の先では再度ジンベイザメにくっつくコバンザメの姿があった。どうやら私には、彼のような生き方はとうぶん無理であるらしい。

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