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39、初めて君と

更新が遅いせいで、作中ではまだ冬という季節感のズレが申し訳ない。

 連休明けの登校日ほど、憂鬱なものはないだろう。

 怠惰に過ごした三連休ですっかり堕落しきった体は重いことこの上ない。学校があるのが分かっているのに夜更かしをしてしまった私は、春日坂への道のりをだらだらと歩いていた。

 冬の澄んだ空気の中、知らない男の子の声がしたのは信号が青に変わったときだった。

「あの、ちょっと」

 半分目を閉じた状態の私は、人の流れに乗って横断歩道を渡った。右折してまっすぐ五分ほど歩けば春日坂に到着する。周囲には同じようにだるそうな顔をした春日坂の生徒が歩いていた。

「ちょっと待って! 君だよ、君!」

 誰かは知らないが朝っぱら元気な人だ。

 寝不足から気分がささくれている私は大きく欠伸をすると、声のするほうをなんとはなしに振り返り。

 わぁ。

 思わず漏れた感嘆は白い空気となって消えていった。眠気が吹っ飛ぶほどのそれ。

 視線の先に、天使のごとき少年が立っていた。

「ハンカチ、落としたよ」

 キラキラと輝いて見えたのは果たして朝日のせいなのか、それとも美少年が生まれながらにして持つエフェクトなのか。(実際には彼の色素の薄い髪が朝日に反射して煌いただけなんだが、そこは夢を見させてほしい)

 半開きになった口をそのままに、少年の姿を上から下まで余すところなく見つめた。彼は知らない制服を着ていた。目が合うと微笑まれ、朝のひんやりした空気に溶け込むようなその淡い笑みの破壊力に、私のハートビートがマジやべーことになった。

「あの、聞いてる? これ、落としたでしょ?」

 目線の高さは私よりちょっと上くらい、男子にしては小さいのかもしれないが、そんなことがまったくマイナスに働かない何かが彼にはあった。まだまだ成長期なのを考慮しても末恐ろしいものを感じる。

 というか彼がずっと話しかけていたのは、どうやら私であったようだ。

「どうもすみません」

「ううん、渡せてよかった」

「でもそれ私のじゃないです」

「え」

「私、タオルハンカチ派なので」

 彼の持っているそれはガーゼハンカチというやつだった。キタちゃんと雑貨屋で見つけるたびに、「これは本当にハンカチとしての仕事を果たせるのか?」と二人で議論したものである。

「わざわざ追いかけてきてくれたところ申し訳ないんですが、そういうことなので失礼します」

 朝からいいもん見たなー、と内心何度も頷き、私は学校に向かって歩き出した。

 最後に見納めておこうと振り返ったが、天使の姿はどこにも見当たらなかった。




「へえ、ゆるふわ天使ねぇ」

「そうなんだよ甲斐君! は~、まさか連休明けの登校途中に地上に舞い降りた天使に出会えるなんて思わなかったよ」

「天使なんて見たことねえから分かんねえ。想像できねえよ」

「あれだよ、ネロとパトラッシュを迎えに来た素っ裸の天使がそのまま大人になった感じだよ」

「想像したくねえよ!」

 教室についてすぐ、後ろの席の甲斐君に天使との遭遇を報告した。芸能人と遭遇してはしゃぐミーハー状態な私に対し、彼の反応は至極冷めたものだったが。

「どこの学校の子かなあ。この辺の高校じゃないと思うんだけど」

「この辺の高校生じゃない奴が、なんで春日坂の周りうろついてんだよ」

「家が近いんじゃない?」

「だったら余計に変だろ。吉村は時間ギリギリについたのに、学校が違うそいつなら遅刻じゃん。案外、不良なんじゃねえの」

「ほほう、天使ではなく堕天使でしたか」

「萌えるポイントを見出してんじゃねーよ!」

 甲斐君のツッコミは連休明けにもかかわらずキレキレだった。私はかねてから彼にはお笑いの道を目指してほしいと願っている。

「その天使だか堕天使だか知らないけど、岩迫には言わないほうがいいぞ」

「……………言わないよ」

「おぉ、吉村が成長している」

 大げさに驚かれるほど、今までの私は鈍感だったとは思わない。ゆえにムカつく。

 そもそも、『私って彼に好かれてるのかしら?』なんて思うほうがおかしい。そういうのは過去に一度でも告白されたことのある人間が持つ感情なのだ。ひたすら二次元に恋してきた私に求めていいような感性ではないことを甲斐君は知るべきである。

「その岩迫君がまだ来てないね」

「心配ですか、吉村さん」

「クラスメイトとして、心配しています」

 ありもしないマイクを握って訊いてくるアナウンサー口調の甲斐君をあしらい、私はもうすぐ一時間目の始業時間を知らせようとしている時計に目を走らせた。

「部活が押してるのかな」

「いや、同じテニス部のやつはもう来てるぜ」

 甲斐君の言うとおり、来ていないのは岩迫君ひとりだった。

 一時間目の現国の教師が入室しても、彼の姿はまだ見えない。本当にどうしたんだろうと思ったとき、後ろの扉が勢いよく開かれた。

「すいません! 保健室に行ってたら遅れました」

 教室中の視線が彼に集中する。直後にざわっと教室が騒がしくなった。

「岩迫、それ、大丈夫か?」

 最初に慌てた声を掛けたのは甲斐君だった。

 驚くのも無理はない。遅れて教室に現れた岩迫君は左目に眼帯をつけていた。

「大丈夫。見た目ほど大したことはないから」

 岩迫君は笑って返し、私の隣の席に着席した。片方だけになった目が私を見ると、大丈夫だから、と彼はひどく恥ずかしそうに言った。

「おはよう、岩迫君。波動球でもくらったの?」

「吉村ぁ!」

 後ろから私の椅子を蹴りやがったのはもちろん甲斐君だった。

 なにすんだ、と後ろを睨みつけると「なんで第一声がよりにもよってそれなんだよ!」と小声で叱責された。理不尽だ。

「よく分かんないけど、普通のボールが当たっただけだから」

 怪我をした岩迫君は痛々しいがゆえに浮かべる笑顔が健気に見えた。

 教科書を開き、私は小さな声で彼に言った。

「授業大丈夫? ノート取るのがしんどかったら言ってね」

「あ、う、うん! ありがと、吉村」

 なぜか焦った様子で返事をすると、彼はあわただしく授業の準備をした。

 しかし岩迫君よ、それは現国ではなく数学の教科書なのだが。




 朝練で怪我をした岩迫君は、放課後の部活を休むことになった。

 学校帰りに病院に行くという彼は、今私の隣を歩いている。

「岩迫君、次こっちだよ」

 保健室の先生に紹介された病院は、偶然にも私の家の近くだった。私自身、小さい頃から何度もお世話になっているところである。

 地図だけでは心許ないという岩迫君の道案内役を私に推薦したのは、おせっかいな甲斐君であった。せっかくだから、とか訳の分からないことを言って。ヤツの意図は分かるが、そういうのは本当に迷惑だ。ほっといてほしい。

「吉村と一緒に帰れるなんて、なんか変な感じ」

「これは一緒に帰ってるんじゃなくて、病院に案内してるんだけど」

「水差すなよ! いいの、一緒に帰ってんの!」

 岩迫君はさっきから浮かれていらっしゃる。

 これは、……まあ、……あれだ。嬉しいのだろう、たぶん。

 告白された日から、私に対する彼の態度は万事がこれだ。二人きりになるとなおのこと、岩迫君は好意を隠さなくなった。

 受け入れ態勢のまったくできていない私は容量以上のそれについていけない。だからと言って適当なことをぶちまけて逃げることもできなかった。彼の好意を無かったことにして逃亡してしまう卑怯さを、残念ながら私は持ち合わせていなかった。

「吉村、あのさ、………手、繋いでいい?」

 病院まであともう少し、というところ。

 突然そんなことを言い出した岩迫君を信じられないという目で見上げると、彼はそわそわと落ち着きのない様子でこちらを見下ろしている。

「実は視界が狭くて、まっすぐ歩けないんだ」

「今までまっすぐ歩いてたのは私の気のせいですか」

「俺っ、怪我してるし! だから大目に見てよ!」

「岩迫君。君はいつからそんなにずるいことを言うようになったんだね」

「………病院まででいいからさ。お願い」

 大型犬のくせに子犬の目で見るのは卑怯である。

 というわけで、私の手は彼の手の中に納まってしまった。(何がというわけで、なのかは察してほしい)

 ……………き、気まずい。

 どうしても告白されて手を握られたときのことを思い出してしまう。初めて異性から好意を告げられた日のことを。

 で、どうすりゃいいんだ、私は。こんなことならもっと乙女ゲーをやりこんでりゃよかった。乙女ゲーマスターのマリちゃん、オラに力を!

「吉村、歩くの速くなってない?」

「そう? これが普通だけど?」

 手に意識が集中しないようにする術があるのなら誰か教えてほしい。冬だというのに変な汗が吹き出てきて、繋いだ手が汗でべちょべちょになったらさすがの岩迫君も引くと思う。

 病院までの辛抱だ。そう思えば思うほど、歩く速度が上がった。

「吉村、なんで走ろうとしてんだよ!」

「ええい離せ! 私を走らせろ!」

 今や私たちは、言うことを聞かない飼い犬と、必死になってリードを引っ張る飼い主と化していた。

 しかし運動部の岩迫君に、体育の授業以外まったくといっていいほど運動をしない私がかなうはずもなく。

「つ、疲れたっ、ハーフタイム!」

「後半もやるつもりなのか」

 息一つ乱していない岩迫君が、屈みこむ私と目線を合わせて困った表情を浮かべた。分かっている、困らせているのは私だ。

「俺と手繋ぎたくなかった?」

 私は顔を横に背けて、ごまかすように道端の小石を睨みつけた。

 嫌なわけではない。嫌なわけではないのだが。

 できるだけ非難がましくないように、私は言った。

「これまで数多の女の子と手を繋いできた岩迫君には分からないかもしれないけど」

「は?」

 ダメだ、初っ端から非難がましい。

「私にとっては手を繋ぐだけでも一大事なんだよ。慣れてないから、すごく怖い」

 まあ最近はなぜか兄がやたらと手を繋いでくるが、あれはいったい何なんだろうな。今さら兄妹間のスキンシップに目覚めでもしたのか? 正直言うと握力強すぎてやめてほしいんだが。

 いかん、話が逸れた。

「岩迫君はさ、つまんなくならない?」

 正面に戻した視線の先で、ちょうど彼は瞬きした。

「今まで付き合ってきた女の子と違って、私はつまんないよ」

 ふんと鼻から息を吐き出したとき、ごすっ、と衝撃が襲った。

「いい加減にしろ!」

「い、岩迫君?」

 な、殴った? 殴ったのか、今。

 正確にはチョップだったが、私は混乱して思わず屈んだ状態から尻餅をついてしまった。

「ズルイのは吉村のほうだろ! 自分は大したことないからやめとけって、そんなの俺に対して失礼だって思わないのか!?」

「岩迫君、ちょ、落ち着いて? ご近所様にご迷惑が」

「うるさい!!」

 普段怒らない人が怒ると、すごく恐ろしいんだなぁ。りほこ。

「聞いてるのか!? またどうでもいいこと考えてただろ!」

 なぜバレた。

 図星を指された私は愛想笑いを浮かべて切り抜けようとしたが、直後に両肩を捉まれて全身を硬直させた。

 すぐそこに、岩迫君の真剣な顔があった。

「ぜったい諦めないから」

「……なんかムキになってない?」

「こういうのはムキって言うんじゃなくて、本気って言うんだよ」

「私にそのような商品価値は」

 岩迫君の右手が再び上がったのを見て私は口を噤んだ。さっきは力を抜いてくれていたんだろうが、本気でやられたらおそらく二等分されると思う。

「私なんか、ってのはこれからはなし。いい?」

「えぇー」

 すっと動く右手。

 私は首を縦に振った。

 なんだこれは調教か。調教されてるのか私は。岩迫君はワンコ系とかほざいていた過去の私はなんて見る目がなかったのだろうか。

「ところで岩迫君、そろそろどいてくれない?」

 この体勢はやばいんだけど、という私の視線につられて彼の目が下のほうにいく。無意識に違いないのだろうが、岩迫君の膝が私の膝を割っていた。幸いなことにめくれたスカートは私のおパンツを死守してくれていたので良しとする。

「ごっ、ごめんっ!!」

 飛びのいた彼は背後の壁にぶつかり、なおも後ろに後ずさろうとした。動揺しすぎでかえってこちらが冷静になる。

 落ちた鞄を拾って立ち上がると、岩迫君は電柱に抱きついて懊悩していた。

「ごめん、ほんと、わざとじゃないんだ、ごめんなさい……」

「分かってるから。そろそろ病院行かない?」

「なんでそんなに落ち着いてんだよっ、誰とも付き合ったことないって本当なのか?」

「そういう岩迫君こそ、反応がうぶすぎてこっちが困っちゃうんだけど」

「だって俺、女子と付き合ったことないし!!」

 電柱に張られた指名手配書に向かって彼は盛大な告白をしてくれた。

 私はもちろん、手配書の犯人だってびっくりしているに違いない。

「冗談、だよね? いいよ、私に気を遣ってくれなくても」

「本当だって! 小学校入学してからずっとテニスしかやってないし、吉村を好きになるまで女の子と付き合いたいって思ったこともない」

「…………マジ?」

「マジだよ! だからいつも余裕なかったんだって!」

 しばらく二人の間に沈黙が横たわる。夕食の支度だろうか、どこからともなく肉じゃがらしき匂いがしてきたところで、私たちはようやく歩き出したのだった。

「目、大したことないといいね」

「うん。………実はさ」

 病院の看板が見える。彼は恥ずかしさを隠そうとして、結局は失敗した顔になって言った。

「吉村のこと、どうやってデートに誘おうか考えてて、気づいたらボールが当たってたんだ」

 スポーツマン失格だな、と真っ赤な顔で笑う岩迫君。私は再び走り出そうとする足をとどめるのに必死だった。

 病院まであと数歩。

 繋がれた手が歩くたびに揺れた。











 病院へと岩迫君を送った私は、いつもより明らかにゆっくりとした足取りで家を目指していた。途中、何度もため息が零れる。疲れたせいではなく、うまく言えないのだが、押さえきれない何かが我慢できずに出ていく感じに似ていた。

 どこかふわふわした心地で歩いていると、携帯にメールが着信した。甲斐君からだった。

『キスしたか?』

 してねーーーーーーーーーーよ!!

 おめーの差し金でHPごっそり持っていかれたわ!! キスなんてされた日にはオーバーキルで死んどるわ!!

 メールは無視った。ついでに甲斐君本人も明日無視ろうと思う。

 さきほどとは違ってどすどすと地面を踏みしめながら帰路につく私の背後から、どこかで聞いた声がした。

「よかった、また会えたね」

 振り向くと、朝出会った天使みたいな少年が微笑みながら立っていた。

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