4、映画は前戯
日曜日。
今日はキタちゃんと映画を見に行くことになっている。今話題のハリウッド映画を!
嘘です。アニメ映画です。
いや、ハリウッド映画も見に行くこともあるけど、今日はたまたまアニメなのだ。
せっかく出かけるのだしオシャレをしたいところだが、残念ながら化粧道具は一切持っていない。あるとすれば色つきのリップだけである。
金にはけっこう余裕はあるが、それは主に飲食代や漫画、DVD、ゲームなどオタクライフを充実させる費用に消えていた。女子高生として何か間違っているのは分かっている。
化粧に興味がないわけではないが、大学に入ってからでもいい気がする。近所のお姉さんも都会の大学行って別人になって帰ってきたことだしな。
せめて髪型だけでも変えとくか。
ごわごわの癖っ毛は三つ編みにでもしておかないと見栄えが悪いのだが、ひとつにして片方の耳の後ろでシュシュで纏めてみる。このシュシュ、キタちゃんが誕生日プレゼントにくれたやつだ、喜んでくれるだろうか。
服はベージュのワンピースにレギンス、カーディガンを着て、よし。
いわゆる森ガールっぽい感じに………見栄を張った、私はどこまでも地味だった。
「キタちゃーん」
「リホ」
駅前の広場。キタちゃんはすでにいた。
「相変わらず早いね」
「小さいころからの習慣ってだけだよ。一分でも遅れたらじいちゃんにめちゃくちゃ怒られてたから」
キタちゃんのおじいさんというのは元警察官であり、退職後に剣道場を開いた人である。そのため礼儀作法にはとってもうるさく、私も遊びにいったときにはそれはもう怒られたものだ。
「リホ最近来ないから、じいちゃん寂しがってるよ」
「あのじいさまにそんな可愛いところがあるのかよ」
「あるある。今度の休み、漫画の打ち合わせがてらうちに来なよ」
「じゃー行く。道場やってる? 汗に輝く現役警察官たちの袴姿も見たいな」
「じいちゃんにはっ倒されるよ」
痛い目にあってもいい、男たちの戦う姿を見られるのなら。
「行こう。それとシュシュ、似合ってるよ」
「へへ」
照れ笑いしたら気持ち悪いと言われた。キタちゃん…!
「あ、リホちゃんだ」
なぜお前がここにいる、神谷。
「………おはようございます」
「すげー嫌そうな顔。テンション低いなあ」
映画館はけっこう混んでいた。並ぶのめんどいなあと思っていた矢先である。
後ろから声をかけてきたのは家によく遊びに来る兄の友人だった。
「けーたぁ、この子だれ?」
「ショータの妹だよ」
「えぇ!? うっそぉ!! 全然似てなぁい」
神谷の彼女だろうか、髪の毛盛ガールがやってきた。私にとって苦手そうなタイプだ。
「眼鏡取ったらけっこう似てるよ、ほら」
「ちょ、」
勝手に眼鏡を取られてしまった。よく見えない。キタちゃんどこだ。
「うーん、似てると言われれば似てるような…」
「目がそっくりだと思うんだけど」
「ショータくん、いっつも睨んでるからユカ分かんない」
「はは、言えてる」
「…………………」
なんですかこいつらは、人の眼鏡を取っておいてチャラチャラと。
見えないなりに睨みつけると、ぼやけた視界の中で神谷が笑った気がした。
「やっぱり似てる」
「似てませんよ。眼鏡返してください」
「あれ、怒った?」
怒らいでか。
私の想像の中だけで奴の顔面にグーパンを入れた。あくまで想像なのは、ヤンキーの兄の友人だけあって神谷もけっこう怖いのである。冗談で殴って許してもらえるのか私には分からなかった。
「友達待たせてるから行きたいんですけど」
「友達なら随分前から列に並んでるけど」
「なにー!?」
そりゃないぜキタちゃん!
時間を無駄にしない彼女らしいぜ泣けてくる。
「何見んの? やっぱアニメ?」
「そっとしといてやろうって気遣いはないのですか、神谷さん」
「えー、ショータくんの妹ってオタクなの? ウケるー!」
うわー……。
妹には散々バカにされてきて慣れてはいるものの、他人に笑われるのはツラいものがある。しかもこの人声大きいし、周りに見られてる気がする。ヤダな。眼鏡取られててよかった。
「おい」
「えーなにー?」
「俺のダチの妹、馬鹿にしてんじゃねえよ。マジイラつくんだけど」
お前も馬鹿にしてなかったか!
と思ったが黙っておいた。神谷怖ぇ…!
突如怒りだした神谷に、それまで私たちにまとわりついていた周囲の視線が一気に離れていった。
「あーもう萎えた。映画はもういいや、失せろよ」
「は? 何言ってんの、」
「映画なんてセックスしやすくするための前戯みてーなもんだし。お前じゃなくても他にいるからいいよもう」
そんな前戯聞いたことねえよ。
ていうか私さっきからツっこんでばっかだな。神谷ボケ体質なのか。
「なっ、マジムカつく! 死ねよ!!」
彼女はきっと殴りたかったんだろう。けど神谷を見た瞬間びくっと体が震えたのが不明瞭な視界でもよく分かった。振り上げた鞄を下ろし、早足に去っていった。
「ごめんな、リホちゃん」
「高校二年生にしては刺激的過ぎる場面でした」
「けっこー冷静だねー」
そう言いながら神谷は眼鏡を掛けてくれた。至近距離で微笑まれてツラがいいだけにうっとなったが、視線ひとつで激昂した女を退散させた男である。相手は三次元だ、二次元負けるな、と唱えた私の勝利だった。
「一人で映画観るんですか」
「どうしよっかな。リホちゃんと一緒にアニメ観てもいいけど」
「今日観るの三部作のうちの二作目ですよ。観るなら一作目観てからにしてくださいよ」
「そりゃ残念」
私の頭を撫でると神谷は帰っていった。
兄の友人というのは、だいたいがああいうわけの分からん連中ばかりである。