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36、フォーメーション・トライアングル

「部活はやめないってどういうことだよ」

 引っ張られていくメグっぺの後を追ってきた私は、知らない男の子の声に弾かれるようにして足を止めた。

 冷たい壁に身を寄せ、屈んだ体勢からわずかに顔を出す。メグっぺがいた。その手前に、私に背を向ける形で春日坂高校の制服を着た男子が立っている。ツンツンした髪型に着崩した制服、うちでは珍しいタイプの生徒だった。

「やめるって言ったよな?」

 旧体育館の裏側は、学校を囲む塀との間にわずかな隙間しかない。じめじめしていて、積極的に来ようとは思わない場所である。窮屈なそこに、窮屈な空気で、二人はいた。

「なんとか言えよ!!」

 男の子が壁を叩く。メグっぺが怯えたように肩を震わせた。

 思わず飛び出そうとした私の体は、寸前で引き戻された。

「リホちゃん、着物なのに走るの早いな」

 神谷だった。

「離してください!」

「まあまあ、ちょっと様子を見ようよ。大丈夫だって、たぶん」

 全然大丈夫そうにない言葉で私が納得できるわけがない。思い切り睨みつけて威嚇すると、神谷を押しのけて再度飛び出そうとした。

「危なくなったら俺が行くから、リホちゃんはここで大人しくしてな」

「んぐ」

 背後から羽交い締めにされた挙句に口まで塞がれた私は大人しくするほかなかった。

 あとで覚えとけよ! 兄ちゃんに告げ口してシメてもらうからな! あと下僕と言ったことは謝らない!

 神谷への恨みを前よりいっそう募らせつつ、視線を前にやる。私たちの存在には気づいていないメグっぺが、いつもより肌をいっそう白くさせていたのが痛々しかった。

 どうかどうかメグっぺが酷いことされませんように。

 願いを込めて、男の子の後姿を見つめた。短気そうな彼が、暴力を振るうんじゃないかと思えてならなかった。

「部活はやめない。やめたくない」

 それまでずっと黙って下を向いていたメグっぺが、唐突に顔を上げて言った。その表情は不安げで、けれど強い意志を秘めていた。勇気を振り絞るように握り締められたメグっぺの両手を見て、私は抱きしめてあげたい衝動に駆られた。

「お前、それマジで言ってんのか?」

「本気だよ」

「バカじゃねえのか? あんな部活に戻ってどうすんだよ!」

 彼がまた壁を殴ってメグっぺを怯えさせた。

 無意識に暴れる私を、神谷が強く押さえつける。ええい離せ!

 あんな部活で悪かったな! たしかにほとんど放課後ティータイムな感じだが、やることはやってんだ!! お前に貶される筋合いはない!!

 神谷がどうどう落ち着けと言ってくるが、腹立たしさは増すばかりである。私の怒りのゲージはとうの昔に振り切れていた。

 やっと分かった。メグっぺが部活に来なくなったのは、あの一年坊主が行かせなかったからなんだ。

 メグっぺを脅して、部活をやめさせようとしていたんだ。

 彼氏だかなんだか知らないが、漫研がそんなに嫌か。恥ずかしいか。だったらお前にはメグっぺはもったいない。

「筧君。私ね、本当はこの漫画のお手伝いをするはずだったの」

 怒れる私とは正反対に、メグっぺの声はとても落ち着いていた。その手には、私とキタちゃんの二人で作った漫画がある。

 驚いて、私は思わず暴れるのをやめていた。

「それなのに私、約束破っちゃった」

 泣き笑いみたいな表情を浮かべながら、メグっぺはページをゆっくりとめくった。

 本当なら表紙のところに、私たちの名前と一緒にアシスタントの名前が入るはずだった。けれど当たり前のように私とキタちゃん二人の名前しかそこにはない。

「この漫画、すごく面白いの。やっぱり先輩たちってすごい。まだ高校生なのに、こんなに面白い漫画が作れるんだよ。なのに私、どうして手伝えなかったんだろうって、この漫画に関われなかったんだろうって、悔しくて仕方なかったの」

「だから部活に戻るって言い出したのか」

「うん。………あのね、筧君が私のことを思って部活に行くなって言ってくれたこと、嬉しかった。でも私、もういいの。クラスの子に馬鹿にされてもいいし、陰口言われたっていい。だって私、誰にも迷惑かけてないもの。好きなことして、それで馬鹿にしてくる子がいても、そんなのもう知らない」

 私たちの描いた漫画を抱きしめて、メグっぺはきっぱりと言い放った。

 その言葉が、彼を飛び越して、真っ直ぐ私の胸にぶつかった。その衝撃で涙がぽろぽろと零れだしてくる。これには神谷も驚いていた。もちろん、私も驚いた。

 なにがきっかけで人が変わるかなんて誰にも予想できない。私たちのつくった漫画でメグっぺが部活に戻ろうと決めてくれるなんて、考えてもいなかった。

 これが嬉しくないわけがない。

 口を塞がれていてよかった。私の声にならない声は、神谷の手の中でくぐもって消えていった。

「筧君、私と別れてください」

「なっ、なんでそうなんだよ!?」

「だって、漫研に入ってる私は嫌なんでしょ?」

「だっ、誰がそんなこと言った!? 俺は、ただクラスのブス共が、お前のこと悪く言うから、だから」

 それまでただの典型的な不良と思われた彼が、俄かに動揺し始めた。

 後ろから見える耳が、分かりやすいほど赤く染まっていく。無意味に腕を振り回し動揺を隠そうとしているが、それはまるで無意味に思われた。他人の私が見ても分かる、彼は照れている。

「お前は可愛いし頭もいいから、悪く言えるところなんて何もねーし、だからブス共が貶せるところっていったら部活しかなかったろっ、だからやめろって言ったんだよ! でも俺は、別にお前がどんな部活に入ってたって嫌いじゃねーからな!!」

 一気に言うと、彼はふーふーと息を乱していた。

 背後にいる神谷が必死に笑いを押し殺している。「そっくり……!」とか聞こえたが、何とそっくりなのかは分からなかった。

 ただひとつ分かることがあるとすれば、彼が典型的な不良ではなく、典型的なツンデレであるということである。

「お前がもう気にしねーってんならそれでいいよっ、部活でも何でもすりゃいいだろ! でもぜってー別れねえからな!」

「………いいの?」

「いいって言ってんだろ! しつけーな!」

「よかった。私も筧君のことが好きだから、別れようって言われたらどうしようって思ってたの」

「そっ、そ、そうかよ、………フン、感謝しろよ」

「うん」

 メグっぺの笑顔を確認した私は、神谷に合図してその場を去ることにした。

 知らない間にメグっぺが成長していたことを寂しくも嬉しく思いつつ、私は「あの二人チューするよ、見ていかないの?」とか言っている神谷を引っ張っていった。

 神谷来襲がどうでもよくなるくらい、今はすがすがしい気分だった。

 文化祭が終わったら、メグっぺが戻ってくる。そうだ、キタちゃんに電話しよう。

 袖の中に入れていた携帯を取り出そうとした私は、またもや背後から羽交い締めにされた。

「なんですか、もう」

「俺はリホちゃんがオタクでも好きだよ」

「私は不良の男の人って好きじゃないです」

「携帯操作しながら話すのやめようね」

「あっ」

 取り上げられた携帯を奪い返そうと振り返り、私は息を飲んだ。

 いつか、どこかで見た顔がそこにはあった。

 いつだっただろう。どこだっただろう。

「神谷さん?」

 思い出した。

 夏休み。美術館から帰ってきた、家の前だ。

「リホちゃん」

 岩迫君。

 離せとか、何すんだとか、そう思う前に彼の名前が出てきたことが私には不思議だった。神谷とは似ても似つかない彼の顔が、けれど今重なって見える。

 ぼんやり考える私の頬に、神谷の親指が触れた。泣いた跡をなぞられて、私はビクっと震えて我に帰る。

 こういうことを、させては駄目だ。こんなに近づけさせては、駄目だ。

 なにをぼさっと突っ立っているんだ、私は。慌てて腕を突っ張る。しかし、びくともしなかった。

「あれ、抵抗するんだ」

「当たり前ですよ! 離れてください」

「前は抵抗なんかしなかったじゃん。あのときショータが来なかったら、俺たちキスしてたんだぜ」

 頭の中が真っ白になった。

 キス。

 私と、神谷が?

「は、はは……」

「んー、笑って誤魔化そうとしても駄目なんだけどね。それに今からキスするし」

「笑えませんよ!!」

 なんでだ、なんでそうなる。方程式で説明してくれ。

 混乱してろくな抵抗ができない私を、神谷は笑って見下ろしている。冗談だよ、と言ってくれることを私は期待した。けれど。

 その笑みが、突然消えた。

「リホ」

 強い調子で呼ばれた私は、恐怖とも恥ずかしさともつかない感情に襲われた。こんな気持ちにさせるのは、岩迫君で十分だった。彼だけで私はもう手一杯で混乱させられるというのに、それなのにこれ以上はもう、


「やめろ!!」


 兄ちゃん?

 安心したと同時に、体の力が抜けた。ゆるゆると声のしたほうを見ると、そこに兄はいなかった。

「吉村を離せ」

 粗い呼吸を繰り返しながらこちらを睨んでいるのは、兄ではなく岩迫君だった。

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