34、嵐の文化祭
お久しぶりです。これからまたよろしくお願いします。
着物を身に着けるのは七五三以来である。
そのときの写真の中の私は決まってぶーたれた顔をしていて、その隣に立つカナは私の着物を羨ましそうに見つめていて、ついでに兄は私の金太郎飴をばりばりと貪り食っていた。
「吉村さん、似合ってるよ」
「そうかな?」
「うん。ねえ、髪型変えてみようよ」
おさげを解くと、ぶわっと広がった私の髪に、クラスメイトの女の子が「手強そうだわ」と言った。そう、手強いからいつもおさげにして封印しているのだ。
本日、春日坂高校は文化祭である。
わが二年六組の模擬店は和風カフェ「江戸時代喫茶」を開くことになっている。
給仕の面々は着物に着替え、午前十時の開催を待っていた。
携帯電話を鞄と一緒にロッカーに仕舞いこみ、最後とばかりにシフトの時間を確認する。
私は十時開店から十二時までの二時間に割り当てられていた。翌日は十二時から十四時。それ以外の時間はキタちゃんと一緒に文化祭を見て回ったり、漫研の店番をする予定である。
「吉村がおさげじゃない」
「甲斐君」
制服にエプロン姿の身軽な格好をした甲斐君が、驚いた顔で傍に寄ってきた。彼は調理係なので、着物を着る必要がない。
「甲斐君、ちょうどよかった。袖をたすき掛けにするんだけど、やり方わかる?」
「わかる、わかる。さっき手伝ったし、任せとけ」
それ専用の紐を渡すと、邪魔な袖ををささっとたすき掛けにしてくれた。彼は意外と器用である。
「さっきメール来てさぁ、うちの両親が来るって言うんだよ」
「嫌なの?」
「嫌っていうかさ、なんかこう、あるじゃん、クラスメイトに親を見られる恥ずかしさっていうの」
「あぁ、『お前って超母ちゃん似~』って言われるのが嫌なんだ」
「いや、俺はじいちゃん似なんだけど。ところで吉村は誰か家族来んの?」
「二日目に妹が来るって言ってた」
それも一人ではない。なんとあの二ツ木君と来るらしいのだ。
なので昨日の妹のハシャギっぷりは凄まじいものがあった。
私を巻き込んでのファッションショーを開催し、ああでもないこうでもないと服をとっかえひっかえ、私はとりあえず派手なファッションはやめろとアドバイスしておいた。
「吉村の妹かあ。ちょっと見てみたいかも」
「たぶん想像してるのと違うと思うよ」
「兄貴もいたよな? そっちは来ないの」
「文化祭のことは知ってると思うけど、たぶん来ないんじゃないかな」
「なんだ、残念。吉村兄が見れると思ったのに」
「もう一回言うけど、たぶん想像してるのと違うと思うよ」
甲斐君は私たち兄妹が金太郎飴みたいに切っても切っても全部同じと思ってるフシがある。実際には、ヤンキー、オタク、ギャル、というタレント揃いなのだが、敢えて教えてやることもないので黙っておいた。
「ところでさ、岩迫と話した?」
「岩迫君? 今日はまだ会ってないけど」
登校してすぐに着替えと最終確認に追われて、私だけでなく皆に余裕がなかった。ちなみに岩迫君も同じ給仕係だが、シフトの時間が違うので、もしかしたら午後十七時の終了時刻まで一度も会わない可能性もある。
「駄目じゃん! 何やってんだよ!」
「うわ、ちょ、唾飛んだっ、この着物借り物なんだよ!」
「そんなのより、岩迫といいお前といいやる気あんの!?」
「あるよ。たしかに去年は文化祭なんてめんどくせー休ませろと思ってたけど、今年の私は違うよ。今までにないクラスとの一体感を感じてるよ」
「そっちじゃねー!!」
また唾が飛んだ。
怖いね、これが思春期ってやつかしら。中学二年もそうだけど、高校二年も大して変わらないよね。
「あーその顔絶対分かってないっ」
地団駄踏む彼に、私は言った。
「分かってるよ」
「え」
「甲斐君、余計なことしないでね」
ぽけっと口を開けて固まった彼を置いて、私は女子の塊のほうへと移動した。
午前十時。文化祭の開幕である。
本日の春日坂高校の文化祭は、今年で創立九十周年を迎えることもあって、例年以上の賑わいを見せていた。
ちなみにこの季節になると、地元の新聞にも開催のお知らせが載るほどであり、近所の住民から他校生までこぞって春日坂に足を運ぶ。そして人が増えると、トラブルも増える。
ヤツが来たのは、そろそろ十二時に差しかかろうという頃だった。
「そろそろ終わるね」
「俺、もうくたくただよ。汗すげーし」
「男子はマシじゃん。あんたら途中から裾まくってたし、ずるい」
ほんの二時間だと高をくくっていた私たち給仕係は、最初の十五分で既に疲労困憊だった。
洋服と違って着物は歩幅が制限される。いつもの調子で一歩踏み出して転びそうになったのは、私だけじゃなかった。
慣れない着物に体力を奪われながら、それでも終了まであと十分。木のお盆を両手に持ちながら、うんと伸びをすると背骨がいい音を立てた。
「ねー吉村さん、終わったらこのメンバーで写真撮らない?」
「うん、いいよ」
「あとさ、メルアドも教えて」
「あ、じゃあ私も教えてほしい」
文化祭というものは、カップルもそうだが、友達もできやすいものである。
以前はほとんど喋ったことのないクラスメイトと、私はこの二時間足らずで随分と仲良くなっていた。
去年の文化祭、演劇で完全に裏方だった私は、たいした交友関係も作れずに一年を終えていたけれど、今思うとかなりもったいない過ごし方をしていたのかもしれない。
「一名様、ご来店~!」
バイトで鍛えられた私は反射的に営業スマイルを浮かべてドアを振り返り、そして硬直した。
神谷蛍太が、そこにいた。
「やっほ、リホちゃん」
案内係を無視し、そいつは私の目の前までやってきた。上から下までじろじろと無遠慮に見てくると、にやっと笑って言った。
「可愛いじゃん」
夏休みに出かけて以来の再会だった。
浅野さん曰く、ヤツは兄から出禁をくらったらしい。一体何をしたか知らないが、どうせろくでもないことを仕出かしたのだろう。頻繁にあったメールも来なくなって、どうしたのだろうと思ってはいたものの今日まで放置していた。
それが突然、文化祭にやってくるなんて、一体誰が想像できるだろうか(今なら織田信長に奇襲された今川義元の気持ちが分かる)。
「けっこう凝ってんねー。うちの高校とは大違いだな」
手近な席に腰を下ろすと、神谷はメニューを手に取った。店内はそれぞれの会話に夢中で、私に訪れた嵐を気に留める人はいない。
「これとこれ、持ってきてくれる? あと一緒に写真撮ろうよ。おい、そこのお前」
「へっ、俺!?」
甲斐君である。
調理係の彼は、商品補充のために先ほど来たばかりだった。ことの成り行きを見守っていた彼は、突然指名されて挙動不審になっている。
「俺とリホちゃんのツーショット撮って」
「は、はい、」
彼の声は憐れなほど裏返っていた。
その気持ちは痛いほどよく分かった。私も初めて神谷に会ったとき、そのジャンルの違いに怯えまくったものだ。オタクとヤンキーは水と油、カレーと味噌汁くらい相容れないものなのだ。
ついでに言うと春日坂は基本のほほんとした校風なので、ゆえに神谷のような生徒とはあまり馴染みがない。学年に一人か二人いるぐらいである。
「リホちゃん、何時まで?」
「文化祭は十七時までですけど」
「いや、違うって。そうじゃないって。分かってるくせにぃ」
「ちょっと馴れ馴れしいんですけど。久しぶりに顔見せたと思ったら何なんですか、あんた」
「リホちゃんさ、全然メールくれなかったじゃん。俺がどんだけ寂しかったか分かる?」
「分かりません。肩組むのやめてくれませんか」
「普通に並んで撮っても面白くないだろ。おいお前、早く撮れって」
甲斐君、涙目になりたいのはこっちだよ。
せめてもの抵抗にと、私はぶーたれた顔をした。