番外編、貴方のためだから(神谷視点)
時間としては『23、人として軸がズレている』の前になります。
当時、佐倉木高校一年だった俺にとって、ショータは憧れの男だった。
長身に鍛えられた体、甘さを削ぎ落とした男らしい顔。喧嘩は負け無し、先輩だって敵わなかった。男の理想を全部詰め込んだような男、それが吉村翔太、クラスメイトのショータだった。
そんな奴とダチになれたのは、まったくの偶然だった。同じ日、同じ場所に別々の先輩から呼び出された俺たちは、喧嘩したその日から親しく話すようになった。それから二人で組んでよく喧嘩をした。全部が向こうから売ってきたものだったけど、ショータがいれば絶対に負けない、そんな自信が俺にはあった。
入学して数日経ったころには、ショータを知らない奴は佐倉木にはいなかった。俺もけっこう名前は知られていたけど、ショータには遠く及ばなかった。せいぜいがいつも隣にいる奴、そんなだった。
ショータは女によくモテた。男にもモテた。
前者は彼女にしてほしくて。後者はアレだ、舎弟、いや下僕志願。
ショータの強さに惹かれて役に立ちたいとやってくる男は本当にいた。気持ちは分からなくもないけど、正直マジかよって俺も最初の頃は驚いてた。
ちなみに俺はただの、もう一度言う、『ただの』ダチである。誤解してる奴がいるけど、俺はあいつに蹴られたいとかパシられたいとか思ったことは一度も無い。
本人に自覚は無いだろうけど、つまりはショータは立派なタラシだった。
適当に女を食って捨てて、擦り寄ってくる男を使っては足蹴にして、そのくせ相手の名前すら覚えていない薄情っぷりは近くで見ていた俺にしてみるといっそすがすがしいほどだった。
女も男も魅了して、そのくせ他人に興味がない。こいつが何かに必死になることなんて天地がひっくり返っても無い気がした。
ショータには誰も必要じゃない。俺はずっとそう思っていた。
「リホ!」
そのときまでは。
ショータの一コ下の妹に、里穂子がいる。
それが吉村翔太が唯一必死になる『もの』だった。
妹が二人いるのは知っていた。二コ下の花菜子には家で会ったことがあるけど、そっちは言われなくても分かるほどに顔がショータに似ていた。
でもこれ、全然似てねーじゃん。
「何してんだバカ!」
「ど、怒鳴らなくてもいいじゃん、」
おさげに眼鏡の今時ねーよっていうスタイルの女の子が、野良猫数匹に囲まれて涙目になっていたのは数分前のことだ。
それを見つけた瞬間、俺の隣にいたはずのショータは既にいなかった。唖然とする俺の目の前で、奴は野良猫の群れを蹴散らしていた。
あいつのあんなに慌てた顔を見るのはもちろん初めてだった。あまりにも信じられなくて、これは立ったまま見た夢か幻かと半ば本気で思った、それくらい凄まじい光景だった。
なんせあいつは手をつけた女どもが修羅場ったときでさえ、コーヒー牛乳を飲みながら澄ました顔して眺めていたくらいだ。それが野良猫にインネンつけられて縮こまってる妹のために全力使うなんて誰が想像できる。
「さ、最初は一匹だったんだよっ、そしたら茂みの中からどんどん出てきて、可愛い顔してまさかギャングの集団だったなんて」
「動物苦手なくせにエサなんかやるからだ」
「だってだって、痩せてて可哀想だったんだよっ、」
「それでお前が食われたらどうすんだよ!」
ねえよ。
猫が人襲って食ったなんて聞いたことねえから。ショータ落ち着けよ、お前今すっげーバカだぜ。
怒りながらも目の前の妹が心配でたまりませんって顔をしたショータを見つめながら、俺は何かがガラガラと崩れ落ちる音を聞いた気がした。
でもそれは失望の音じゃなかった。俺の目が覚める音だった。
暴力とカリスマ性で佐倉木高校に君臨する男。あり得ないほどの幻想を抱いてあいつを見ていた俺の目は、その日初めて本当の吉村翔太を捉えることができた。
奴は、ショータは。
まぁ、つまりはただのシスコンだったわけだ。
あれから二年、俺とショータは相変わらずだ。
と言いたいところだけど、実際には俺とショータの間には最近見えない火花が散っている。
「おいショータ、知ってたか」
屋上で昼飯を食べていた俺は、ふと思いついて言った。
「なんだよ」
「妹とは結婚できねえんだぜ」
言い終わる前に、中身の半分残ったペットボトルが投げつけられた。
首をずらして避けると、二年の保に命中した。ツイてない奴。
「つまんねーこと言ってんじゃねえよ。ぶっ殺すぞ」
「つまんなくねーから。これって法律。日本人なら守らなくちゃいけねえの。幸せそうに弁当食ってるから忘れてると思って親切に教えてやったんだよ」
妹と結婚しちゃいけませんって決まりが無かったら、この鬼みたいな形相してるけど中身はシスコンバカはマジでリホちゃんと結婚していたと思う。
他人が聞けば冗談に聞こえるかもしれないけど、一年からずっとショータを見ている俺が言うんだから本当だ。あいつの妹を見る目は尋常じゃない。
これでリホちゃんが美少女とかだったらまだ納得もいくんだけど、本当に普通の女の子だから世の中不思議なもんだ。
まあたしかに、あの掴みやすい頭とかときどきムカつくこと言う唇とか、言いたいことがあるのに言わないでこっちをじっと睨んでくるところなんて動物みたいで可愛いかもしれない。
あと普段はビビリなくせしてここぞってときには度胸のあるとこみせるから見ていて面白い。警察署で見せた芝居は傑作だった。
なんでうちの高校に来なかったんだろう。いたら絶対楽しいのに。ショータの病気も回りにバレて俺にとっちゃ愉快でたまらん毎日になってただろうに。
「吉村先輩、パン買ってきたっス!」
「いらねー」
「はい!」
弁当だけじゃ足りねえから買いに行けって言ったのにこれだ。後輩も後輩でパシリが無駄足になったのに嬉しそうなのがまたイタい。
何も知らないでショータに群がってる連中を見てると、ほんと無知って幸せだと思う。お前らが崇拝してやまないこいつはいたいけな妹に行き過ぎた愛情注いでんだぞって言ってやりたい。
「神谷、なんか言いたそうだな。言ってみろ」
「殴られるからヤダ。言わない」
こいつの目にリホちゃんはどう映ってんだろうか。
俺と同じに見えてるのだろうか。
十年以上も兄妹やってるとイカれちまうのかもしれない。俺もリホちゃんとの付き合いが今後も続くとショータみたいに病気になるんだろうか。でも俺の場合、血の繋がりは無いわけだし問題にはならないよな。
そうだ、問題なんて何もねーじゃん。
「ケータ、これいらねえからやる」
澤田の声で、俺の思考は一時中断となった。
押し付けられたのは展覧会のチケットだった。
「美術なんて俺も興味ねえよ」
「だよなー。まあ捨ててもいいし、誰かにやってもいいから」
これまで何人の手に渡ってきたのか、もらったチケットは相当皺くちゃになっていた。はっきり言ってゴミだ。丸めてコンビニの袋に入れた。
そのとき携帯が振動した。開くと、リホちゃんからのメールが来ていた。
『おにぎりの具材で入れた明太子が古かったので、兄に食べるなって言ってください』
遅い。ショータはもうとっくに弁当を食べていた。
まあ愛する妹が作った弁当で腹を壊したとしても奴は本望だろう。ショータのことだから、妹が食えといったらたとえ靴下でも食うに違いない。食中毒くらいどうってことないだろう。
ちなみにショータはリホちゃんのメルアドを知らなかった。きっと恥ずかしくて聞けないという気持ちの悪い理由に違いない。
『夏休み、遊ばない?』
俺はメールの内容を無視して送信した。
返信は来なかった。たぶん俺と一緒に出かけるのが嫌なんだろう。見なかったことにして携帯を閉じるリホちゃんの姿が容易に想像できた。
リホちゃんのくせに生意気な。
こういうことをされると腹が立つというより闘争心が掻き立てられる。俺もけっこう病気だ。
「先輩、このゴミもう捨てていい?」
「待った」
ついさっきコンビニ袋に放り込んだチケットを取り出すと、手で丁寧に皺を伸ばしてポケットに入れた。
後輩は目を丸くして俺を見た。ニヤリと笑い返すと、少し怯えた顔をされた。ショータほどじゃないけど、これでも俺はあいつの次に恐れられている。
「先輩、なんか悪いこと考えてる?」
「そう見えるか」
「見える、ていうか、なんか楽しそう」
俺はますます口角を吊り上げた。
視線の先に、後輩に纏わりつかれて鬱陶しそうにしているショータがいた。
悪いな、ショータ。これもお前を犯罪者にしないため、リホちゃんを不幸にしないためなんだ。
ポケットの上からチケットを叩き、俺は一足先に屋上を後にした。