33、しかし彼は蓋を開ける
「A子、重いだろ、俺が持ってやるよ」
「いいわよB男君」
「何言ってんだよそんな細い腕してさ、ほら貸せよ」
「あ、ありがとう……B男君って力持ちなんだね」
「これくらい普通だって。A子は無理すんなよな」
「うん…っ」
「でも頼るのは俺だけにしろよ」
「え、なに? ごめん、聞こえなかった」
「別に! ほら行くぞ」
「あっ、待ってよB男君!」
トントントントン……トン。
「って感じでさー、あっさりくっついちゃうのよ分かる?」
真柴さんによる『文化祭におけるカップル生成のプロセス』もとい小芝居に私は感心していた。分かりやすかったかどうかは別にして。
「あ、ちょっとそこ押さえてて」
「了解」
トントンカンカン。
現在、看板製作中。廃材を寄せ集めて作った板には『江戸時代喫茶』と達筆な文字で書かれている。
「これニス塗っといたほうがいいのかな」
「外に飾るわけじゃないし、いいんじゃない?」
「のれん付けようよ」
「だったら百均にあったよ」
「調理係ー、検便出したかー?」
「先生、思春期の私たちにそういうことを大きな声で訊かないでください」
二年六組はいつもの倍以上騒がしかった。たぶん、他のクラスもこんな感じなのだろう。
春日坂高校文化祭はあと一週間と迫っていた。
「ていうか今さらなんだけどさ、『江戸時代喫茶』ってどうなの? 時代に逆行しすぎじゃない?」
「年配の人には受けがいいと思うよ」
メイド喫茶が一世を風靡したのは過去の話。
クラスの出し物が喫茶店に決まったはいいものの、メイド喫茶は食傷気味だったのもまた事実。
女装喫茶、男女逆転喫茶、コスプレ喫茶と案を経て、我がクラスが『江戸時代喫茶』と相成ったのは、クラスメイトのひとりが多数着物を用意できると発言したのが決め手であった。
「私、着物似合わないんだよね」
「似合う似合わないってあるの?」
「あるよー。私は背が高いしいかり肩だから、余計にごつく見えちゃうのよ」
それゆえに真柴さんはあまり文化祭に対して乗り気ではないらしい。「鰐淵先生に私の似合っていない着物姿を見られたりしたら耐えられない」と零している。
「鰐淵先生っていえばさ、漫研の顧問になったってホント?」
「あぁ、うん…」
嫌なことを思い出した私は金槌を打つ手が止まった。
「顧問が見つかったって部長が言うから誰かと思ったら、よりにもよってあの先生だったよ」
「いいじゃん! なにショボくれてんのよ! うちの陸上部の顧問と代わってほしいくらいよ!」
金槌振り回して興奮する真柴さんには悪いけど、鰐淵先生が顧問だなんて悪夢以外のなにものでもなかった。でも顧問がいないと文化祭の展示教室も借りられないし、予算ももらえない。
いや、待てよ。鰐淵先生の顔面目当てに女子生徒の部員が増えるんじゃ…?
「吉村、看板できた?」
鰐淵先生の経済効果に思いを馳せている私に声を掛けたのは岩迫君だった。彼は喫茶スペースの内装を手がけていて、片手には脚立を持っていた。
「ううん、もうちょっとかかるよ」
「できたら俺に言ってよ。高いところに飾るんだろ、危ないから自分でやろうとしたら駄目だからな」
「へいへい」
「女の子は”はい”だろー」
「男の子だって”はい”だよ」
「とにかく言えよ。俺、あっちにいるから」
脚立を軽々担いで岩迫君は去っていった。
私は向き直り、看板の仕上げに取り掛かろうとして……複数の視線に気がついた。
「リホリホ~」
「A子このこの!」
看板チームの女子たちにビシバシ叩かれた私はよろめきながらずれた眼鏡を掛け直した。なにか誤解されている気がして口を開いた私だけど、それより先に真柴さんが言った。
「誤解だなんて言うのは無しよ。いい? 男女の友情なんて成立しないんだからね」
金槌を突きつけられて言われた私はぐうの音も出なかった。
仲直りした翌日、岩迫君はこっちがびっくりするほどいつもどおりだった。
いつもどおりの筈なんだけど、でも何かが違う気がした。その何かが私にはよく分からなかった。分かっちゃいけない気もした。
誰かに相談するのも憚られて、私はもやもやした気持ちを抱えたまま今に至っている。そのうち慣れて忘れてしまうのだろうか、そうなったらいいなと思う。
ぼんやり考えながら、私は大通りから細い路地に入った。街灯はあるけど人気はない。時刻は午後七時半を回った辺りで、空は当然暗かった。
行き交う人もない路地を歩いていると、背後から別の足音が聞こえてきた。思わず振り返ってみるけど、街灯の下にいないと何も見えない。会社帰りのサラリーマンだろうか。
すると突然後ろの足音が駆け足になった。ぎくっとして一瞬足を止めた私は、思い直して歩き出した。
いやいや、ないない。自意識過剰な私キモい。
きっと急にトイレに行きたくなったんだろう。それか家までどれだけ速く走られるか試したくなったのかもしれない。人間、突発的にいつもと違うことをしたがるものである。
横を通り過ぎていくことを期待した私だったけど、予想に反して足音はすぐ後ろで停止した。
まさかと思った瞬間、私の肩に誰かが触れた。
「っほぎゃあ!!」
自分でもどうかと思う悲鳴を上げたときにはもう私は走り出していた。
鞄を叩きつけてもよかったけど、今日に限って教科書がいっぱい詰まっていた。これでは重くて持ち上がらない。
私は走って走って走りまくった。そのときの私にはトイレの神様ならぬトラックの神様が降臨していたと思う。
三秒で捕まったけど。
「よ、吉村っ、俺だって、」
「ぎゃぁああああ、……あ?」
「俺」
岩迫君、だった。
「ごめん、いきなりでびっくりしたよな。先に声掛ければよかった」
「そ、そうだよ、私、てっきりグサっとやられるかと」
この平和な町で殺人事件なんて聞いたことなかったけど、その第一号が自分になるのだと本気で考えていた私は安心感からふらふらと座り込んでしまった。走ったせいで気持ち悪い。
何度か咳き込んでいると背中を擦られた。息が整った頃、同じようにして座り込んだ岩迫君と目が合った。
「私に何か用だったの?」
「暗いのに一人で帰ったって聞いたから追いかけてきたんだ。その、送ろうと思って」
あぁ、まただ。また違和感。
「……私、大丈夫だよ」
街灯から離れた場所にいた私たちは互いの表情が見えなかった。それが良かったのか悪かったのか、後になっても分からなかった。
「岩迫君の家、うちとは逆方向でしょ。早く帰ったほうがいいよ」
立ち上がろうとした私を、肩に置かれた手がそうはさせてくれなかった。目線がまた同じになって、私は咄嗟に地面に視線をやった。
「迷惑だった?」
「え、いや、そうじゃないけど」
「大丈夫だなんて思ってるの吉村だけだよ。さっきだって俺に簡単に捕まってただろ」
「……次は逃げられるよ」
「無理だって。もう一回やってみる?」
違和感ってもんじゃない。
変。岩迫君、変だよ。
「肩、」
「え?」
「肩小さいよな。顔も小さいけど」
「そう、ですか」
「うん。隣の席になってから結構見てるけど、吉村って全部小さくできてる」
岩迫君の声がいつもと違って聞こえるのはどうしてだろう。周囲が静かだからか、それとも彼が意識して変えているからなのか。
いつまでも肩に乗ったままの手が気になる。私は次第にそわそわと落ち着かない気分になっていた。それは岩迫君も同じなようで。
「吉村、文化祭で着物きるだろ」
「あ、うん。配膳係だし」
「俺、やばいかも」
「なにが?」
「うん、……まぁ、うん、」
「なに?」
「……もうっムリ!!」
「ヒィ!?」
突然シャウトしたかと思うと岩迫君は頭を抱えて膝に顔を埋めてしまった。あーあーと呻くこと数十秒、彼は羞恥と戦っているようだった。私は驚いた拍子に尻餅をついていた。
「くっそー全然駄目だ、うまく言えてねえしっ」
「岩迫君?」
「俺、攻めてみたんだけど分かってる? 吉村、ちゃんと分かってくれてる!?」
「は、攻め?」
君は受けじゃないかな。
などと思っている私の横で、岩迫君の言葉は止まらなかった。
「甲斐がさ、言うんだよ、もっと攻めろって、吉村ボケてるから小学生でも分かる方法で行けって、でもなんか途中から恥ずかしくなってくるし自分でも何言ってんのか分かんなくなってるし、だからさ、さっきの忘れてくれる? また今度やり直すから!」
「あ、うん」
「よし! じゃ、帰ろうぜ」
切り替えはやー!
何も無かったみたいに歩き出した彼を見て、私は驚くと同時にひどく安心している自分に気がついた。
うん、なんとなく、なんとなく分かってたんだよ。違和感の正体は、分かってないフリして分かってたんだよ。
でも分かってしまったらお終いだと思っていた。男女の友情は成立しないなんて言われたから、分かってしまったら認めるしかないって。
それがすごく怖かった。
「私にはまだ早いよ。心の準備なんてできてないし」
「なに?」
「なんでもない。それはそうと岩迫君、ベスト裏返しに着てるよ」
「うわっ、ほんとだ!」
あたふたしている彼を見て私は笑った。
ずっとこうなら楽なのにな。