30、われわれはうちゅうじんだ
部室でお弁当を食べた私が教室に戻ってくると、大きな体が入り口を塞いでいた。
「モリ君、どうしたの」
「吉村?」
はい吉村ですよ、ちょっと通してくださいね。
大きな体の脇を通り抜けて席に着くと、空になったお弁当箱を鞄に仕舞った。ちょうどそのとき、モリ君が話しかけてきた。
「吉村、現代文の教科書持ってないか」
「うん、持ってるよ」
教室の後ろのロッカーの中に入れていたはず。置き勉は駄目だと言われているけど、律儀に守っている生徒はいないし、いちいち注意する教師もいない。
「あったよ。はい」
「ありがとう」
モリ君はほっとした顔で受け取った。けっこう几帳面そうに見えるんだけど、彼はよく教科書を忘れるウッカリさんらしい。
「お前ら、いつの間に仲良くなってたんだ?」
私たちのやり取りをずっと黙ってみていた岩迫君が言った。
私とモリ君は同時に顔を見合わせ、そして同じように微妙な表情を浮かべた。
「いや、なんて言うか、ねえ?」
「なんというか、まあ、うん…」
「なんだよ教えろよ」
まさか一緒に警察のお世話になった仲とは言えなかった。
それに私が顔面に青痣作って登校してきたとき、岩迫君はすごく心配してくれたのだ。だからこそ本当のことを話すわけにはいかなかった。
「え~っと、アレだよ、アレ!」
「アレだな」
「どれだよ。何なんだよ二人とも、俺には言えないことなのかよ」
唇尖らせたってダメ!
可愛い仕草をしたって騙されないぞ。ちょっと、いやかなりグラっときたけど。
そのとき授業五分前を知らせるチャイムが鳴った。
「モリ君、もうすぐお昼休みが終わるよ」
「そうだな。じゃ、後で返しに来るから」
モリ君は大きな体をすばやく翻して教室を去っていった。めでたし、めでたし。
……にはならなかった。岩迫君がなんかめっちゃ睨んでくるんですけど。
「もういいよ」
ぷいっと顔を反対に背け、岩迫君は黙り込んでしまった。
なんだなんだ、私が悪いみたいになってんじゃん。でも本当のことも言えないしどうしたらいいんだこれは。
「い、岩迫君? ほんと大した理由なんて無いんだよ?」
しまったなあ。最初に変に誤魔化さずに「なんとなくだよ」って言っとけばよかった。
「だからもういいって言ってるだろっ」
お、怒っていらっしゃる…!
これ以上は何も言わないほうがいいかもしれない。自然に怒りが静まるのを待とう。
私は正面に向かって座りなおすと、隣を気にしつつ次の授業の準備をした。
私はこのときまだ楽観視していた。岩迫君のことだからすぐに話しかけてきてくれるだろうって思っていた。
でもその日の授業が終わっても、彼の機嫌は一向に直らなかった。
放課後、帰ろうとした私を後ろの席の甲斐君が引きとめた。そして開口一番に訊かれた。
「岩迫と何があったんだよ」
「あー……やっぱり分かる?」
「分かるに決まってるっつーの。岩迫、すっげえ機嫌悪かったじゃん。なに、お前ら喧嘩したの?」
「そんな大げさなもんじゃないと思うんだけど……たぶん」
空になった隣の座席。岩迫君はついさっき黙って部活に行ってしまった。いつもなら何か声を掛けてくれたりしてたんだけど、授業が終わった途端にテニスバッグを持って教室を出ていってしまった。
休み時間はもちろん会話なし。なによりビックリしたのが、六時間目の数学の授業だった。
あの苦手な数学で岩迫君はいつも当てられる。その度に私が解き方を教えていたんだけど、彼に「いらない」と断られてしまったのだ。
それがけっこうショックだった。そのときの岩迫君の声が冷たかったのもあるけど、なんだか急に彼が遠くに行ってしまったような感覚がしたのだ。
「後ろから見てたけど、なんか岩迫が一方的に怒ってるって感じ。昼休みに何かあったのか?」
「うーん、あったような、なかったような」
「話せ話せ。この俺が相談に乗ってやる」
甲斐君が頼もしく見える! 不思議!
「なんで急に眼鏡のレンズ拭いてんだよ」
「いや、うん、なんでもない」
ちょっとしたボケをかましたんだよ甲斐君。レンズの汚れのせいかもしれないと本気で思ったわけじゃないからね。
私はキレイになった眼鏡を掛けて、甲斐君に昼休みに起こったたったの五分間の出来事を話した。
「それじゃあつまり、雨宮ってやつとの仲を疑われたんだな」
「なんか違う。岩迫君を仲間はずれにしたから怒っちゃったんだよ」
「仲間はずれって、小坊じゃねえんだから。いいか、岩迫はお前のことが」
甲斐君の言葉を遮るように突然教室の扉が開いた。二人同時に視線をやると、そこにはモリ君がいた。
「教科書返しに来た」
それからお礼にと飴をくれた。二つもらったので一つを口に入れると、一瞬甲斐君を見てから私は残り一つをポケットに入れた。
「いや普通そこは俺にもくれるだろ」
「これすごく美味しいんだよ!?」
「もう一つやるよ」
モリ君は大人だった。
その後少しだけお喋りして彼は部活に行った。
「あれが雨宮かぁ、格好良いなぁ」
「バスケ部のスタメンなんだよ」
「バスケ部っていったら今年全国行ってなかったか? すげー」
「ねぇ、今度練習観にいこうよ。飴のお礼に二人でモリ君を応援しよう!」
「いいなそれ。じゃあさっそくこれから、ってちがーーーーーう!!」
芸人顔負けのノリツッコミに私は感心した。
今のは長さといいタイミングといい完璧だったよ。甲斐君才能あるよ。あとは所属事務所選びだけど、ここは手堅く吉本に行くべきかそれとも斜め上で太田プロダクションに行くべきか、ねえ甲斐君どっちがいい。
そんなことを考えていた私に、彼はなぜか説教をかまし始めた。
「お前がそんなのだから岩迫が怒るんだよ!」
「なにそれ、意味分かんないよ。私どんなのだよ」
「もういい。よし、バスケ部じゃなくてテニス部に行くぞ」
甲斐君は立ち上がると自分と私の分の鞄を持って教室を出ていった。私は慌ててその後ろをついていった。
「行ってどうするの?」
「誤解とくんだよ」
「誤解ぃ?」
「吉村はもう何も考えるな。いいか、雨宮君はただの友達だから誤解しないでねって言うんだぞ」
私は思わず立ち止まった。
「なにそれ。それだとまるで岩迫君が私のこと好きみたいじゃん」
甲斐君はたっぷり十秒は私の顔を見つめていたと思う。あまりにもじーっと見てくるから私も負けじと見つめ返した。そして先に逸らしたのは甲斐君だった。勝った。
「……吉村、お前もっとうぬぼれてもいいと思うぜ」
「甲斐君って宇宙人だっけ?」
「は?」
「さっきから言ってる意味が全然分かんないんだけど」
「俺にしてみたらお前のほうが宇宙人だっつーの」
「じゃあ私たち二人とも宇宙人だね」
「……そーかもな」
甲斐君は疲れた顔をして私に鞄を返してくれた。それから二人でゆっくりと歩き出した。
下駄箱に到着して靴を履き替えていると、甲斐君が何か秘密を漏らすみたいに小声で話しかけてきた。
「俺ってさ、一番後ろの席じゃん? だから色々と見えるわけよ」
「うん」
「授業中、誰が誰を見てるのかよく知ってんの」
「うん」
「吉村のことしょっちゅう見てるやついるんだぜ」
「えっ、なにそれ超怖いんだけど!」
甲斐君はなぜかやりきれないと言わんばかりの顔をした。それはまるでカップラーメンの湯きりに失敗したかのような切ない表情だった。人の顔を見てそんな表情を浮かべないで欲しい。
「……俺帰るわ。また明日な」
「テニス部見に行くんじゃなかったの?」
「なんかもういいや。だってお前全然分かってないし、それにたぶん岩迫も無自覚だろうし。なのに俺だけがムキになってて馬鹿みたいじゃん」
甲斐君はそう言うと本当に帰っていった。
その後姿を見送りながら、私の周りにいる男の子ってなんでああも勝手なやつばかりなんだろうと考えていた。自己完結して帰っちゃったよ。結局なんだったの。
今までの会話を思い出してみてもさっぱり理解できなかった私は諦めて帰ることにした。
さて、どうやって岩迫君と仲直りしよう。




