24、甲斐君は見た
夏休みが終了し、二学期が始まった。
「リホリホっ、久しぶりだねえ!」
「久しぶり。焼けたねえ」
「海で泳いだからね。てかリホリホ、白すぎだよ」
「徹底的に日向を避けたからね」
廊下を歩いていると後ろから田辺さん、真柴さん、塔元さんの三人組に声をかけられたので一緒に体育館に行くことにした。これから二学期も始まるというので校長のありがたい話があるのだ。
今年も校長は「イエスウィーキャン」を使ってくるのだろうか。旬はとっくに過ぎていると思うのだが、校長はあれを持ちネタにしようとしているフシがある。
「鰐淵先生も日焼けしてなさそうよね」
「当たり前じゃない! 私イヤよ、先生が松崎しげるみたいになってたら!」
「それはそれで面白いじゃん、よし早いとこ行って確かめよう」
結果から言うと鰐淵先生は美白を保っていらっしゃった。しかもまだ暑いというのにスーツのジャケットを汗ひとつかかずに着ていらっしゃる。まあ肌着の透けた鰐淵先生なんて見たくもないけど。
夏休みはどこか行ったんですかと真柴さんが尋ねると、先生はウィーンでオペラ鑑賞をしてきましたとおっしゃった。
………この人はなんで高校教師なんてやってんだろう。
キャー素敵と言っている真柴さんには悪いけど、私と田辺さんと塔元さんはこの数学教師に対して胡散臭い気持ちを抱いたのだった。
『生徒は整列してください』
それまでお喋りに夢中になっていた生徒たちは、それぞれのクラス委員長が先頭に立つ列に加わっていった。出席番号順ではなかったので、私たち四人は固まって整列した。
三年の学年主任の先生の固い挨拶から始まり、次にいくつかの部活の大会成績が発表された。
男子テニス部は見事全国ベスト8に輝いていた。テニス部部長の香坂先輩が壇上に上ると、田辺さんがもっとよく見ようと背伸びをしていた。
そして三年のトモ先輩が所属する吹奏楽部は銀賞を受賞した。吹奏楽部の部長らしき女子生徒が緊張した顔で香坂先輩の隣に並んだ。
それから数人の部活代表者が壇上に上り、盛大な拍手が贈られた。香坂先輩への声援がどこからか飛び出し、田辺さんも負けじと声を上げていた。
次に新任の教師の紹介が行われた。
出産や定年などで夏休み前に春日坂を去った教師は何人かいた。漫研の顧問である古典のおじいちゃん先生もそのひとりだった。
後任の顧問はまだ決まっていない。はっきり言ってやることなんてほとんどないのだから誰でもいいんだけど。
新任教師の紹介をぼんやり聞いていると、後ろにいる田辺さんが話しかけてきた。
「ねえ、リホリホ」
「なに?」
「夏休み、彼氏とデートしてなかった?」
「彼氏!?」
しーんと静まり返る体育館。周囲から突き刺さる視線。塔元さんのごめんというジェスチャー。
それらすべてを受けた私は真っ赤になりながら首を竦めて小さくなった。
タイミング的にも非常にマズかった。校長が今まさに「イエスウィーキャン」を言おうとした矢先のことだった。
『あー、オホン………イエスウィーキャン』
校長めげない。ナイスガッツです。でも今日は失笑すら起こらない。
朝礼はかつてないほど微妙な空気で終了した。
教室に戻るとさっそく隣の席の甲斐君にからかわれた。なまっちろかった彼は夏休み明けにはこんがり焼けていた。交通整理のバイトをしていたらしい。
「一週間後には実力テストだからなー」
担任から試験の日程表を渡されうんざりする生徒多数。彼らが夏休み中に試験勉強をしていたとは思えない。もちろん私もその一人だ。
「じゃあ今から席替えするから、右の列から順番に籤引いてくれ」
沈んでいたクラスの空気もこれで一気に浮上した。私は真ん中から後ろだったらどこでもよかったけど、一部の生徒のテンションは凄かった。
「吉村とこれでお別れかあ」
「甲斐君、新しく隣になった子にウザがられないよう気をつけてね」
「吉村の暴言もこれが最後かと思うと感慨深いわ」
「握手しとく?」
「うん」
甲斐君、君のことはときどきウザかったけど嫌いじゃなかったよ。私が勧めたバイトを実はやってたなんてちょっと嬉しかった。
でも汗ばんだ手は若干いただけないな。
「次、四列目だぞ」
私の列だ。先生自家製の箱に手を突っ込むとぐるぐるかき回して指にひっかかった一枚を引いた。
出た数字と黒板に書かれた座席表を見る。通路側から数えて二列目の後ろから二番目だ。利点といったらすぐにトイレに行けることぐらいだな。
鞄と一緒に移動して席についた。両隣はまだ決まっていないようだ。
すると後ろからつんつんと背中をつつかれた。
「よ!」
さっき握手して別れた甲斐君がいた。なんだこの残念な気持ちは。
「名コンビ復活だな」
即解散してえよ。コンビになった覚えもないし。私は腐った魚みたいな目をして甲斐君を見ていたと思う。
「吉村、吉村」
今度はなんだよ。
右隣を見ると、なんと岩迫君がいた。
「よろしく! ていうか久しぶりだよな」
「そうだね。あ、テニス部おめでとうございます」
「ベスト8だけどな」
「それでも十分凄いと思うけど」
「いや、でも完敗だったから」
夏休み前よりも日焼けした彼はそれだけ練習に打ち込んだのだろう。爽やかさにワイルドさが加わって、男っぷりが上がったと思う。
「吉村が隣でマジ嬉しいよ。当てられたときは頼むな」
笑顔がパワーアップしてらあ。
キラキラしてるよ。彼の後ろにお花が見える。甲斐君のヘラヘラスマイルとは大違いだ。これが毎日近くで見られると思うと席替え万歳である。
「そういやさ、体育館で叫んでたの、あれって何だったの」
「え」
「彼氏って言ってたよな。吉村、彼氏できたの?」
そこを蒸し返しますか。
神谷と美術館に二人で行ったところを塔元さんに目撃されていたわけだけど、あれは従兄のお兄ちゃんですと誤魔化しておいた。正直に話すと余計な誤解を招きそうだったし、まあバレないだろう。
「従兄と一緒に歩いてたのを彼氏と間違われたんだよ」
「そうだったんだ」
「そうそう。彼氏なんているわけないじゃん」
「だったらよかったー」
直後に後ろで激しい物音がした。
「何してんの甲斐君。コントの練習ですか」
見ると甲斐君が椅子ごと仰向けに倒れていた。三枝師匠ばりの豪快な倒れ方に、私だけでなく周囲の生徒も驚いていた。そのすぐ後に笑いが起こる。
「甲斐君、頭大丈夫?」
「その言い方やめ。頭は打ってない。てかお前らってさあ、」
私と岩迫君を交互に見て、甲斐君は何かを言いかけた。けど結局何も言わなかった。
「全員、席決まったな。じゃあ本日これで終了!」
担任の号令で生徒は散り散りとなった。明日から通常授業が始まる。