17、女子トーク
七月になった。じめじめした季節も終わって本格的な夏が始まる。今年は例年よりも暑くなるらしい。
夏休みまでもうすぐだ。クラスの中にはすでに夏休みの予定を決めている子も少なくはない。海とか旅行などの会話が休み時間によく聞こえてくる。
私はといえばようやく漫画の原稿を仕上げ、あとは印刷所に入稿するだけとなった。締め切りに間に合わなかった去年に比べて格段の進歩である。
「あれ、吉村さん、どーしたの?」
放課後になって部室に行った私は、忘れ物を思い出してまた教室に戻っていた。ほとんどの生徒が帰っていたけれど、女子の何人かが残っていた。
「体操服忘れちゃった。持って帰って洗わないと臭いもんね」
「だよねえ。私一回忘れて汗臭いの着たことあるけど悲惨だったよ」
「私もあるー!」
普段あんまり喋らない女子のグループだったけど話してみると割と気さくだ。見ると机の上にはお菓子やジュースが散らばっていた。ずっとお喋りしていたらしい。
「吉村さん急いでる? よかったらお話しようよ」
「私でよければいいよ」
「じゃあ座って座って! 私、前から吉村さんとこうして話してみたかったんだよね」
席を勧められた私は照れながらも着席した。いわゆるオシャレでイマドキといった感じの女子たちを目の前に、私なんかでちゃんと話ができるんだろうかと少し不安に思った。
「この間の数学の授業、面白かったよー」
「うわ、それは言わないでよ。今思い出しても恥ずかしいんだから」
「後で鰐淵センセに呼び出されてたよね。怒られたりした?」
「怒られたっていうか問題集運べって言われた。あの人鬼畜だよね」
「キチク! ね、それ本人に言ったの?」
「言えるわけないよ!」
だよねーと皆でキャッキャッと笑った。おぉ、私ちゃんと話せてるじゃん。妹も彼女らと似た感じだけど、こっちのほうが遥かに話しやすいぞ。
「鰐淵先生ってさぁ、カッコイイんだけど性格が冷たすぎるんだよねぇ」
「えぇ、私そういうところが好きなんだけど!」
「あんたよくセンセーに罵られたぁいとか言ってるもんね」
「ちょっと変態入ってるよね」
「どこがよ! 吉村さんなら私の言ってること分かってくれるよね!」
ぽんぽん交わされる会話から突然こっちに振られてビックリして思わず「うん」と答えると、鰐淵先生に罵られたいらしい彼女は我が意を得たと言わんばかりに私の肩を組んできたのでこれまたビックリした。
「さあ吉村さん、こいつらに言ってやんなさい!」
「なにをよ」
「吉村さん、ほうっておいていいからね」
「あはは、でも鰐淵先生はあの性格だからこそいいって私も思うよ。あれで優しかったらなんか普通すぎてつまんないって」
「でしょ!? 生徒の機嫌ばっか伺ってる教師に比べたら鰐淵先生は立派じゃない! 『君、こんな問題も分からないんですか』って心底バカにした目で言うのよ、たまんないじゃない!」
「うわこいつMだよ」
「あんた実はわざと問題分かんないフリしてるんじゃないの」
「悪い!?」
M疑惑の真柴さんはそれから十分間くらい鰐淵先生の魅力についてぶちまけてくれた。もういいよ分かったよと他の二人が白旗を上げるまで延々と。そしていつの間にか私も鰐淵先生好きの同志とみなされていた。
……いや、まあファンだけどさ、罵られたいとまでは思ってないよ。と言ったけど彼女はまったく聞いていなかった。
「私はやっぱり同い年がいいな。岩迫君とかすごい好き」
「ねー! テニス上手いし格好良いし私も好きー」
「吉村さん、よく喋ってるよね。もしかして付き合ってる?」
「ないない」
「そうよ。リホリホは私と同じで鰐淵先生が好きなんだから」
それもないない。
「数学の問題教えたらそこから仲良くなったんだよ。あと漫画とか貸してる」
「あー最近なんかやり取りしてるなあと思ってたら漫画かあ」
「漫研なんで、私」
「漫画描いたりしてるの?」
「うん、まあ」
「じゃあ今のうちにサインもらっとこーぜ!」
「どんな漫画描いてるの?」
「今度見せて」
ノリのいい人たちだ。漫研と言ったときは引かれるかなと思ってたんだけど。
その後漫画の話になって、何冊か貸す約束をした。
妹にオタクキモイと言われていたから構えてたんだけど、なんだ意外と平気なものなんだと私は拍子抜けした。たぶん彼女たちの人柄もあるんだろうけど。
「あ! テニス部が走ってる!」
「あ、ほんとだ」
「岩迫くーん!!」
窓の向こうから聞こえた「内周10周!」の掛け声にひとりが飛びつき、残りも同じように窓に張り付いた。私が一番遅れて外を見ると、男くさい集団が走っているのが見えた。
「香坂センパイ素敵ー!」
「田辺、あんたさっき岩迫君が好きって言ってなかった?」
「それはそれー!」
「頑張ってくださーい!」
「あ、こっち見たよキャー」
「リホせんぱーーーーーい!!」
「……誰あれ?」
「知ってる。一年の五味君だっけ」
「リホリホ、なんか言ってあげなよ」
あのばかやろう。
私は窓枠に突っ伏していた顔を上げた。
「転べ!!」
「テニス部めっちゃ笑ってるよ」
「なんで『転べ』なのよリホリホ」
「岩迫君が笑いすぎて咽てるよ」
リホ先輩ひどいと五味は喚いていたようだけど、テニス部の集団はあっという間に校舎の向こうへ消えていった。
「五味はあれでも漫研なので、つい」
「だからかぁ。びっくりした」
「おっ、今度はバスケ部が来たよ」
「どれどれ!?」
「塔元、あんたバスケ部に好きな人でもいんの?」
「私、背の高い人が好きなの」
こっちに向かって走ってくるバスケ部を食い入るように見つめる塔元さん。平均身長の私よりちょっと背が低い。
「身長差があるっていいよね」
「そうなのよ、私、大きい人にギュっとされたいのよ」
「彼の心臓の音が聞けたりね」
「ぐはーっそう!! ちょっとなんで私の考えてること分かるの!?」
ばしばし肩を叩かれながら漫画からの知識ですとは言えなかった私。
それにしてもなんか凄いな。私オタクなのに皆と普通に会話ができてる。なんか嬉しいな。
ていうか私も彼女たちもただの女の子なんだ。
私とは合わないって勝手に判断していた自分に自己嫌悪した。こうやって仲良く喋っている彼女たちに対してそれはすごく失礼なことだった。反省。
「手振ってるよ。誰?」
「あ、モリ君だ」
「え! リホリホの彼氏!?」
「違うよ、友達。がんばれー」
「そんなちっちゃな声じゃ届かないよ!」
「なんで塔元が興奮してんの」
「ちょっとリホリホ! あんた鰐淵先生が好きなんじゃないの!?」
「真柴落ち着きなって」
「あ、田辺さん、テニス部が一周回って戻ってきたよ」
「香坂センパーーーーイ!!」
「田辺うるさいっ」
ひとしきりはしゃいだ後、私たちは一緒に帰ることになった。寄り道してアイスを食べようと真柴さんが提案し、他の皆も賛成した。
私の中にもう気後れはなかった。
「ところで私はリホリホで決定なの?」
「今さら!」
「遅いよリホリホ!」
「いつツっこんでくれるか待ってたんだよ!」
というわけで私のあだ名にリホリホが加わった。