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11、飛んでいくよ

 中間テストも今日で終了し、あとはテスト結果を待つばかりである。

 気の早い部活は今日から活動を再開していた。テニス部もその例に漏れず、岩迫君の肩には大きなテニスバッグが掛けられていた。

「俺、大丈夫な気がする。夏の大会、がんばるよ」

 玄関ホールまでの道のりを共にしながら岩迫君は言った。テスト結果に対する不安は微塵も見られなかった。

「吉村、今日はもう帰るのか?」

「うん。やることあるから」

 漫画を描くという大仕事がな。とは言えなかった私は笑顔の向こうで八月の大イベントに向けての過密なスケジュールを組み立てていた。新刊三冊という目標を掲げる私にとって、テスト終了すなわち夏の陣に向けての戦いの始まりである。

 テスト勉強の片手間にネームを仕上げた私はこれからペン入れに入り漫画を仕上げ印刷所に依頼しキタちゃんの小説本の表紙を描いてサイト更新、あぁ時間が足りない。

「部活がんばってね」

「うん。あ、そうだ。テスト勉強のお礼に何かしたいから、何がいいか考えといてよ」

 爽やかにそう言うと彼はテニスコートへと向かっていった。

 相変わらず格好良いなあと思いつつ、私は靴を履き変えて学校を後にした。




 学校を出ておよそ十分がたった頃。通学路の中ごろまで来た私は最大のピンチを迎えていた。

 ヤバい。これはヤバい。どんだけヤバいというと印刷所の締め切りに原稿が間に合わなかった去年よりもヤバい。

「か、勘弁してくださいぃ…!」

 通学鞄を抱きしめながら、私は人気のない路地の壁際に追い詰められていた。目の前には言っちゃ悪いが頭の悪そうな三人組がいる。

 突然すぎてまだ混乱しているが、間違いなくこれはカツアゲである。漫画では何度も見たシーンだがまさか自分がこんな目に合う日が来るとは思ってもみなかった。さっきから歯の根が合わない。泣きたくないのに泣きたくなってくる。

「ごちゃごちゃうっせえよ。鞄よこせって」

 基本、ビビリな私はいつもならさっさと鞄を渡していただろう。だが今日はできなかった。なぜなら鞄の中にはさっきコンビニで下ろしたばかりの五万円(印刷代金諸々)が入っていたからである。

「やめ、やめてください、」

「はぁ!?」

「うっわー、生意気ぃ」

「ブスがイキがってんじゃねえぞ」

 はい生意気です、はいブスです、だがこの金は渡さん!!

 お前らに分かるか、これはな寝る間を惜しんで描き上げた私の漫画を買って下さった皆様からいただいたものなんだぞ。慣れない接客のバイトをして稼いだものなんだぞ。

 文字通り汗と涙と不眠の結晶をお前らなんかにやれるか。どうせゲーセンかエロ本に消えてくくせに。オタクなめんな。

「よこせって!」

「あ!」

 鞄に手が掛かる。私は咄嗟にその手を払いのけた。間髪入れずに胸倉を掴まれる。

「てめー殴られてーのか?」

 一応女だから勘弁してやってるみたいな言い方だったけど、今にもその握った右手は私の頬にめり込みそうだった。

 おい、待て、せめてそのゴツい指輪は外してからにしてくれませんか。

「鞄渡したほうがいーよー?」

「テツがキレたらお前死ぬよ?」

 死んだら漫画が描けなくなる。この状況の中で私はそんなことを思ってしまった。

 思ったと同時に、鞄をより強く抱きしめていた。

「…本当に…やめてください」

 目の前の不良の眉間にいっそう皺が寄った。大人しそうな外見の私にこうも抵抗されるとは思ってもみなかったのだろう。それが彼のプライドを著しく傷つけたのが分かった。

 やられる。目をつぶって私は身を固くした。


「あれリホじゃない?」


 聞きなれた声に私は閉じた目をぱっと開けた。ゆっくりと視線を横にずらしてみると、そこにはアイスを片手に持つ澤田と浅野がいた。

「あ、やっぱりリホじゃん。なになに、カツアゲされてんの?」

「襲われそうな顔してるもんな」

 なんて暢気な連中だろう。だが今は許す。お前らよく来たな、ゆっくりしてってくれよな。

 私は力の限り叫んだ。

「助けてください!」

「お、セカチューみたい」

「古いよ澤田」

「俺、元カノとあの映画観たんだよね。途中で寝てすごく怒られた」

「はは、澤田らしい」

「だってつまんなかったし。っと、アイス溶けてる」

 澤田と浅野は慌ててアイスをペロペロし始めた。ちょっと待てありえないだろ。襲われかけてる私よりも溶けかけたアイスの心配か。

「アイスぐらい私が奢ってやる!! さっさと助けろお願いします!!」

「やだ」

 なん…だと…。

 私と同様、不良たちも唖然とした。

「リホ、この前俺たちのこと追い出したじゃん。だからやだ」

 プイと顔を背ける澤田に、私は開いた口がふさがらなかった。

 そんな理由で友人の妹を見捨てるというのか。可愛い顔して悪魔かこいつは。

「浅野さーん!」

 貴方なら助けてくれますよね。私が密かにインテリヤンキーと呼んでいる眼鏡をかけた彼にすがるような視線を投げかける。

 だが彼は笑顔で首を横に振った。

「なんだよこいつら…」

 不良その一が言った。私も同意する。

 たしかにやつらには私を助ける義務などない。このまま見捨てられても私に文句を言う権利はないだろう。所詮は他人なのだ。

 だがしかし! この怒りを誰かにぶつけるのは私に与えられた自由だ!

「テツ! あいつらをやれ!」

「は?」

「ほら行け、なにグズグズしてんだやっちまいな!!」

 胸倉を掴んでいたテツをけしかける。私は脅されていた事実などすっかり忘れ果て、目の前の澤田と浅野の抹殺に頭を支配されていた。

「こっちは三人だ、今謝るなら許してやる!」

「リホってさぁ……」

「はぁ……」

 ため息を零す二人。

 そのとき困惑する不良の一人が前のめりに吹っ飛んだ。

「なに敵に回ってんの、リホちゃん」

 後ろから声がする。変だなとは思っていた。澤田、浅野、ときてなぜ神谷がいないのかと。

「ま、話はこいつら片付けてからにするとして」

 私の頭に手を置いた神谷は、不良たちを見て不敵な笑みを浮かべた。




「だって知らなかったんです後ろから私を助けてくれようとしてたなんてそんなの言ってくれなきゃお釈迦様でも分かりませんよ!!」

 ものの数秒で終わった喧嘩の後、私は責められていた。

「リホってバカなの? ていうかなんでさっさと財布渡さないんだよ、このバカ」

 と澤田が言って。

「眼鏡が割られてたらどうすんの、女の子なのに」

 と浅野が言って。(そこは普通顔だろ)

「リホちゃんは隙だらけなんだよ」

 と神谷が言った。

 またしても三対一とは卑怯である。

「ごめんなさい。助けてくれてありがとうございました」

 謝る私に満足したのか、彼らはようやく解放してくれた。そして意外なことに神谷が家まで送ってくれることになった。

 帰り道、隣に並んだ神谷が私の頭に手を置きながら言った。

「怖かったよな。すぐに来てやれなくてごめんな」

「どうしたんですか神谷さん、さっきの喧嘩で頭でも殴られたんですか」

 言った瞬間、手に力が込められた。痛い、やめろ、私の頭はボールじゃねえんだぞ。

「リホちゃんって素直じゃないよな」

「ひねくれてるのは自覚してます」

「そんなんじゃ彼氏できないよ」

「いりません」

 できませんというのが正しいところだけど、今の私は彼氏というものに購買意欲を感じていなかった。

 彼氏というのは聞くところによると月に何度かデートしないといけないらしい。漫画ばっかり描いててインドアな私には無理な話だ。休みの日は漫画を描くか録画したアニメを消費するのがオタクの正しい過ごし方なのに、外に連れ出されたり部屋に来られては非常に困る。

「リホちゃん、ついたよ」

 家の前を通り過ぎようとしていた私の頭を神谷がつかんで引き戻す。いてて、私の頭はジョイスティックじゃねえぞ。

 ムカついて文句を言おうとすると、神谷は何を思ったか自分の携帯を取り出し、そして私の制服の胸ポケットに入っていた携帯を抜き取った。

 何してるんだろと眺めていると、神谷は操作を終えて私の携帯を返してくれた。どうやら自分の連絡先を登録したらしい。

「絡まれたら俺に電話すること」

「助けにきてくれるんですか」

「空飛んで来てやるよ」

 何言ってんのこの人、と思ったけど頷いておいた。普通の女の子ならイヤーン素敵と思うのかもしれないが物理的に無理である。ほんとひねくれてるな私。

 二度目がないことを祈りつつ、私はお礼を言って家へと引き上げようとした。そのときまたもや頭にぽんと手が置かれる。

「無事でよかった」

 神谷の顔を見なければよかった。

 私は不覚にもきゅんとした胸を押さえつつ、やつの背中を見送ったのだった。


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