1、ジョブ→オタク
吉村里穂子。高校二年生。
兄はヤンキー、妹はギャル。そして私は三つ編み眼鏡のオタク女子である。
「兄妹見てると明らかにジョブチェンジ失敗したなって思うよ」
「ふーん。じゃあオタクやめたら」
「そんなのできないよ。私からオタクを取ったら眼鏡しか残らないじゃんか」
「それもそうだ」
親友はあっさりと納得した。冗談だったのに。こら後輩、笑うんじゃない。
私が所属する漫画研究部は、春日坂高校旧校舎二階にこぢんまりとだが存在した。
元は理科準備室であったそこにはホルマリン漬けされた謎の生物が今も棚に所狭しと並んでいた。日当たりも悪く、すっぱい薬品の匂いも染み付いていて部室としてはよろしくない。
良い点があるとするとすれば、ガス水道のついた小さな調理場の存在である。これだけはどこの部室にも負けていないだろう。
お陰で昼や放課後はインスタントラーメンやコーヒー紅茶が飲み放題。漫画を読みつつ優雅なティータイムも過ごせるという絶好の溜まり場なのである。
「吉村先輩って三人兄弟なんですか」
「そうだよー、私以外は二人ともリア充だよー」
話しかけてきたのは後輩の木崎真里。私たちはマリちゃんと呼んでいる。
大人しそうな外見でときどきこちらがドキっとするような言葉を吐く。今年入部した漫研のホープである。他にも二人一年生がいるが今は割愛しよう。
「家でどんな会話してるんですか? うち、弟がいるんですけど、ほとんど話たりしないんですよね」
「あぁ、うちもそんなもんだよ。むしろ嫌われてるよ。昨日も妹にオタクキモいって言われたしね」
「妹悪魔だな」
「そうなんだよ! 私、弟欲しかった!」
「弟も変わりませんよ~」
「一人っ子の私、勝ち組だな」
そう言って勝ち誇っているのは同じ二年生であり漫研副部長の北川麗華。
ちなみに本人、自分の名前を心底嫌っている。女子にしては若干身長が高くがっしりした体型をしているが、男らしい外見に反して中身は大変乙女なやつだ。愛称はキタちゃん。
「兄弟の真ん中って一番ナメられるポジションだよ。上からも下からも突き上げられてさあ。親なんて長男と末っ子ばっか可愛がって真ん中の私はスルーだよ」
「それをいいことに部屋で漫画描いてるくせに」
「キタちゃんは私を悲劇のヒロインにはさせてくれないよね」
問題ばかり起こすヤンキーの兄に、ギャルだが甘え上手で末っ子気質の妹。親はなんだかんだ言って手のかかる子供ほど可愛がるものだ。目立たず大人しかった私はあまり構われることがなく、随分と寂しい思いをしたものである。
けれど中学一年生のとき、友達のお姉さんにイケない道へと誘われそのままどっぷり。寂しさなんて忘れ去り、私は腐れた趣味へと邁進した。
今では立派にオタクである。
「あと兄弟いるとさ、その友達を家に連れてくるんだよね。兄弟以外のヤンキーとギャルが家にいる間は怖くてトイレにもいけない」
「うちも弟、部活仲間連れてくるんですけど、こないだ何て言ったと思います? ダサい姉ちゃん見られるの恥ずかしいから絶対部屋から出ないでよ、ですよ!」
「弟悪魔だな」
「弟ひどぉ! 弟ってさ、帰り道に偶然会って『姉ちゃん、鞄重いだろ。持ってやるよ』って言ってくれるんじゃないの!?」
「そんな天使いませんよ」
ショック! 弟に夢見てただけに、ショーック!
「しゃーっす!」
兄弟話に阿鼻叫喚していると、突然部室の扉が開き、一人の男子生徒が入ってきた。
「あ! なんかいい匂いがする! 何すか、紅茶!? アップルティー!? 俺も飲みたい!」
「うるせえのが来たよ」
「イケメン帰れよ」
「五味君、部活は?」
散々な言われような男子生徒、その名を五味貴志。キタちゃんが吐き捨てたとおり、漫研には似つかわしくないイケてるボーイである。テニス部と兼部しており、暇を見つけてはやってくる。リアルテニ○の王子様である。
「今日はミーティングだけなんだ。ねえねえ先輩、これ飲んでいいっすか」
「いいよ」
「やったー! ……って薄いっ、色が出ない!」
「すでに三人分出したからな」
「もっと早く来ればよかったぁ」
薄い茶色の飲み物を片手に、五味は女三人の輪の中に何のためらいもなく入ってきた。
「何の話してたんっすか」
「兄弟の話」
「妹と弟は悪魔だったよ」
「そーなんですか? うち、妹も弟もいるけど、俺に懐いてめっちゃ可愛いですよー?」
相変わらず空気の読めないイケメンである。
どうせあれだろ、イケメンはたとえバリバリのオタクだろうと結局はイケメンであるから兄弟は嫌わないのだ。人間見た目が九割強、これが悲しい現実なのだ。
「五味お前なんで漫研なんだよ!! キラッキラしやがってよー!!」
「え、マク○スF…?」
「違う!!」
ポーズとんな!
ガーガー怒鳴るも五味には堪えない。むしろ嬉しそうだった。
こいつは非常にモテるため、女の子はたいてい決まったパターンの話しかしないのだという。しかしここではオタク全開フルスロットル、女の部員は自分をうるうるした目で見つめてこないしくっついてもこない。ここが俺の理想郷、と入部三日目で言っていた。
「そうそうリホ先輩、こないだ教えてもらったサイトすっげえ面白かったっす」
「ん、そうだろうそうだろう」
「俺と先輩の好みモロ被りっすよね。俺、どこまでも先輩についていくっす!」
イケメンにそう言われて私も悪い気はしない。わざと眼鏡をクイっと直し、レンズを反射させながら言った。
「そうか、私についてくるか。じゃ、手始めにテニス部の写真撮ってこい」
「それはお断りします」
ってオイ、私についてくるんじゃなかったのかよ! 紅茶飲んでんじゃねえよ!