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王太子殿下が人魚を隣に婚約破棄すると宣言しました。

作者: とろキオ
掲載日:2026/05/03

初めまして、とろと申します。

テンプレ婚約破棄を書こうと思いました。

 ドレイティア王国が誇る王立学園の卒業式後の記念夜会会場にて。

 卒業生を祝う在校生たちが学園での最後の会話を交わし、それぞれが婚約者たちと踊る為に楽団の音楽が始まるのを待っている、その注目の最中だった。


「シャーリィ・レイングル! 貴様との婚約を破棄する!!」


 卒業生代表でありこの場で最も身分が高い王太子、ジョナス・トッド・ドレイティアが、婚約者でもない少女を腕に引っ提げて叫んだのである。

 このフロアの令息令嬢たちは、彼とその婚約者シャーリィのファーストダンスを待っていたのであって、スキャンダルと横暴、礼儀を無視した愚行を待っていたわけではない。

 しかしジョナスは自信満々、己は何一つ間違ったことはしていない、みなにもこの素晴らしい決断を見せてやろう、と思っているのがありありと分かる顔をしている。

 さて、そんな宣言をされたシャーリィはというと、繊細な細工を施された扇子を口元に開き、ふぅ、と小さくため息を零して気合を入れなおした。

 今日のエスコートをしないと伝言があった時点でなんとなく嫌な予感はしていたし、こうなるのはある意味予想出来ていたので驚きはない。驚きはないが、まさかこの状況を自分が収拾付けねばならないのだろうか。


「私と殿下の婚約は、王命にて定められたものです。当然、陛下に許可は取っていらっしゃるのですよね?」

「は? 何を言っているんだ。そんな雑事は貴様の仕事だろう。だが貴様の悪行を知れば父上も賛成して下さる!」

「……悪行、とは?」

「しらばっくれるな! 半年前のゼイン公国の外遊の際、乗った船から俺を落とさせただろう! 自分の手を汚さず手下を使い俺を殺して国を乗っ取ろうなど! 恥を知れ!!」


 なにそれしらない。

 色んな令嬢とキャッキャウフフしているのを忠告したとか、横のお嬢さんに嫌がらせをしたとか暴漢を差し向けたとか、そういった類の言いがかりや冤罪を想定していたのに、予想の斜め上の冤罪を吹っ掛けられた。

 婚約しているだけで結婚していない、彼との間に子供もいない現段階では、ジョナスを殺しても国の乗っ取りはできないのだが、誰か彼に説明しなかったのだろうか。それとも説明したのに彼の可哀想な頭には残らなかったのだろうか。

 そう、ジョナスはかなり可哀想な出来の王子である。現在国王夫妻に子が一人しかいない為に王太子ではあるが、甘やかされちやほやされて大分思い上がっている。学園卒業前に割り振られる執務に関しては優秀な側近に丸投げ、取り巻きは下位貴族の令息や令嬢で太鼓持ち、という、こいつに国は任せられないのでは? と広範囲に思われているお花畑がジョナスである。褒められるのは見た目だけ。金髪碧眼、キラッキラの王子様フェイスの癖に、中身が一切伴っていないのだ。

 というか、横のお嬢さんが顔を真っ白にしてカタカタ震えているのだが、もしや新しい浮気相手ではあってもここに連れてこられるのは嫌だったのかもしれない。立っていられないらしくジョナスにしがみつくような格好になっているのに、ジョナスはふわふわのお胸が当たる上に縋りつかれているかっこいい俺に酔っていて、お嬢さんの顔色の悪さに気付いていない。


「海に落ちた俺を助けてくれたのが、このディオナだ。命の恩人である彼女を次の婚約者にする! そして王太子の殺害を目論んだ貴様については」

「少々お待ちください」

「俺の言葉を遮るな!!」


 冷静なシャーリィが気に食わないらしく、だむだむ地団太を踏むジョナス。

 でもちょっと考えを纏めたいので。

 海に落ちたのを助けた。ゼイン公国は海向こうの国である。海の真っただ中で落ちて助けられたというなら、それが出来るのは同乗の兵士か人魚だけだ。つまり、横のお嬢さんは人魚の国、ナレシス帝国の住人である。成程、あのお嬢さんがカタカタしている理由が分かっちゃった。


「貴様は本当に俺を敬わない!! たかだか伯爵令嬢の分際で婚約者に無理矢理収まって!! 初めて見たときから気に食わなかったんだ、気色悪い髪色をしやがって!!」


 隣のお嬢さんがカタカタぶるぶるしながら、必死に首を横に振りながらジョナスの腕を引いている。矢張りジョナスは気付かない。都合よく解釈して、大丈夫だあいつはたかだか伯爵令嬢だから王太子の俺の方が偉いんだ怯えなくていい、とか言っている。残念、お嬢さんは怯えているんじゃなくてやらかしに気付いて止めたいんです。

 シャーリィの髪の色は澄んだマリンブルーだ。両親ともにこの色ではない。ありふれた茶髪と金髪の間に生まれた突然変異だが、それで出自を疑われた経験はない。瞳は父と同じ紫だったから、という理由ではなく。

 確かにシャーリィの髪色はこの国どころか陸上ではまず見かけないし、海中や空中の種族でも見ないので、ジョナスにしてみれば気色悪いのだろう。

 しかし冤罪や浮気の暴露、婚約破棄の宣言程度ならこの場を収めればよかったが、今の発言は宜しくない。

 その不味さに気付けるような大人が居ないことも宜しくない。

 この夜会は卒業生が一人前になったことを証明する為のものであり、最低限の大人しかいないのだ。まさか使用人が王城までひとっ走りして国王たちを連れてこられる訳もない。

 王立学園に通わなかったシャーリィはこの国で近隣諸国のことをどこまで習うのか分からないが、周りを確認するに、どうもジョナスの発言の不味さを分かっていない雰囲気が漂っている。

 分かっているのがジョナスの横のお嬢さんというのが、とても皮肉である。


「まず、私は半年前は留学先に居ましたので、殿下を船から落とせと指示を出すなら証拠の手紙等がある筈ですわね?」

「燃やさせたんだろう!!」

「それで何故私の仕業ということになるのです」

「俺を殺して得があるのは貴様だけだ!!」

「……私にもありません」

「俺の事を敬わないやつが犯人だ!!」


 とんでもねぇ理論だ。そんなことを言ったら、おそらくここにいる大半が敬っていない。それをオブラートに包んで家に責が及ばないように立ち回っているだけである。

 おそらくだが、船から落ちたのは誰かに落とされた訳でも何でもなく、ジョナスのうっかりの可能性が高い。


「そもそも留学先とはどこだ!! この国の王妃になるなら学園に通うべきだろう!!」

「理由については説明しましたが、覚えていらっしゃらない?」

「この学園に通っていないのが問題なんだ!」


 覚えてないな、これは。

 と、いうか。


「横のご令嬢、えぇと、ディオナさん? は、人魚でいらっしゃる?」

「そうだ。貴様と違い美しく優しく」

「惚気は一旦仕舞って下さいな。ディオナさんとは海で出逢い、それから一度お別れしてからどこかで再会なさった?」

「いや、船にそのまま乗せて王城に迎えたが」

「ビザは???」


 あっやべっ令嬢仕草貫通してこのバカがよって顔しちゃった。


「ビザ……?」

「人魚は迷信のせいで国外に出るには厳しい出国審査があるのです。ビザを持っていない人魚は安全保障の対象外になりますので、即刻出国審査の申請をなさってください。おそらく現在ナレシス帝国内では誘拐犯の捜査がされている筈ですので」

「……?」


 ジョナスはよくわかっていない顔をしているが、ディオナはその規則を思い出したのだろう、今にも泣きそうだ。

 人魚の肉を食べれば不老長寿になれる、という下らない迷信のせいで、人魚たちは滅多に国外に出ない。出る必要がある商人たちであっても、人魚そのものであるという発言は滅多にしないくらいだ。海の魔女との取引で、ヒレを足に変える薬は庶民でも手に入るが、だからといって軽率に陸に上がるかといったらまた別の話である。


「そもそもの婚約破棄についてですが、当然、殿下の有責ですわね? 私が殿下の暗殺を企んだ、などという冤罪は裁判にて争いましょう」

「なんで身分の低い貴様の有責じゃないんだ!」

「いえ、どちらが有責かという点において、身分は関係ありません」

「俺が有責だったら慰謝料を払わなきゃならないじゃないか!」

「払って下さいませ。それか、穏便な解消にしておくか、ですわ」

「いやだ!!」


 駄々っ子がよぉ……

 ちょっとディオナも引いちゃってるじゃないか。

 なんとも下らない押し問答になってきたが、これ以上どうすればいいのか、と頭を抱えたくなった頃、入り口の扉が開く。


「なっ、ナレシス帝国、ベレル・シス・ナレシス陛下、並びに国王陛下、王妃陛下の、御成り!!」


 大慌てで来訪者を読み上げる声が響いた。

 その場の全員が臣下の礼を取る。

 読み上げられたのは3名だが、その後ろには宰相や騎士団長、魔導士長ほか、主だった大臣が続いている。


「楽にせよ」


 国王陛下が声をかけ、礼を解くが、シャーリィの目の前にはいつの間にかベレルが立っていた。


「とんだ災難に巻き込まれたようだ」

「本当ですわ」


 軽口をかけられ、軽口を返すシャーリィに、視界の端でジョナスが目を白黒させている。

 ベレルは現在60代になろうかという年齢の筈だが、玲瓏な美貌には陰りが見えない。少なくとも30代そこそこにしか見えなかった。そもそも人魚の種族特性として、老化が極端に目に見えないというものがあるのだ。そのせいで肉には不老長寿の効能があるとでまかせが広まったのだが。

 それ以上に会場の目を引き付けているのは、その髪色だった。

 腰まで伸ばし括られたマリンブルーの髪は、シャーリィと全く同じ色である。

 令息令嬢たちは顔を蒼白にしてジョナスに注目している。先ほど、気色悪い髪色と罵っていたが―――ナレシス帝国の王が、その色だった。つまり国家元首への誹謗中傷と言われても仕方がない。

 ナレシス帝国は海底にある国であり、海中を統べる巨大国家だ。

 国の領海で漁業をする、塩を精製する、海上を通過するなどの行為は許されているが、海底の資源については一律にかの国に権利があり、輸出を一手に担っている。真珠や珊瑚などの宝飾品も一級品はナレシスの専売である。機嫌を損ねれば魔道具に使われる特殊金属の輸出が止められる可能性があり、その金属は陸では取れない。空島から微量は採掘されても、それは空の国で消費されるので陸には回ってこない。

 つまり、先ほどの発言がベレルに伝われば、大変に不味いことになる。

 それがわかった令息令嬢は、必死にシャーリィにアイコンタクトを取ろうとしていた。


「それで? 我が孫娘との婚約を、破棄するんだったか」

「エッ!!」

「構わんよ。そちらがどうしてもと言うから認めたが、浮気した上に冤罪を吹っ掛けるような王子との婚約などこちらから願い下げだ。娘婿には私から通達する」


 ジョナスが間抜けな顔で口を開けている。隣のディオナは今にも卒倒しそうだ。人魚である彼女は特殊な髪色が意味するところを分かっているだろうし、いち人魚が王の目前でやらかしてしまったのだからとんでもないことになる、と気付いている。

 どうやらナレシス王の血を引く混血の人魚であるという大前提の話を、彼は忘れてしまっていたらしい。いや普通に気付いてたけど。知ってた。何しろお花畑なので。


「あとは……我が国民の拉致についてだな、シャーリィ?」

「拉致と言って良いのかしら。本人も望んでついて行って、ただ規則を忘れてしまっただけでしょうし。今からでも出国手続きをするなら、彼女については問題ないのでは?」

「誘拐犯の方はどうする」

「そうですねぇ……仮にも一国の王太子が、人魚の出国の原則を知らなかったで済ますわけには、いかないですわよねぇ」


 ぱちん、と扇を閉じ、軽く首を傾げて頬に添える。

 困ったな~、を演出しながら、ずっと顔色悪く黙っているドレイティア国王夫妻に目を向けた。


「きょ、教育を、再度やり直す。だから今回は大目に見ては貰えないだろうか。賠償金についても、こちらが支払えるだけ払う」

「大変ご迷惑をおかけしました……」


 べレルがこの国に来たのは、シャーリィの付き添いもあるが、人魚が行方不明になったという報告を受け、最後に目撃されたのがこの国の船の周辺だった為である。

 人魚が不老長寿の妙薬になるというのは、真っ赤なでたらめであるが、それはそれとして人魚には価値がある。魔力リソースとして酷使される場合もあるし、老いない人魚で長く稼ごうとする娼館も、繁殖させて兵器級の魔導士にしようという闇ギルドもある。陸上は人魚の、しかも女性にとっては、憧れはあれども気軽に行ってよい場所ではない。

 なのでたった一人であっても、陸の人間に攫われた疑惑があれば国が動く。

 今回王自ら動いたのは例外ではあるものの、攫った人間が国の中枢にいるらしい、という情報を無視できなかったのだ。


「ま、まて、まて、シャーリィ、きさ、おま、君は、人魚だったのか?」


 酸欠の金魚のように口をパクパクさせていたジョナスは、言葉を選びつつ問いかけてくる。

 初対面のときに説明されてたけどなぁ。


「そうですよ。まぁ、母が人魚の混血ではありますが。溺れた父を救った母に求婚し、余りにも熱烈だったので絆された祖父―――こちらのナレシス王が結婚を許したのです。母は王女ではありましたが、茶髪でしたので、そこまで反発もされませんでしたし」

「ちゃぱ……? そうだよな? 君の母君は、茶髪だよな?」

「ええ。ですので、王女ではありますが王位継承権はありません」

「……?」


 どうしても髪色が気になるらしく、母が王女という点ではなく茶髪であるという点に食いつくジョナス。

 お勉強不足ですよ、と言いたいのを我慢して、隣のベレルを見上げる。

 小さく頷かれるので、許可は出た、と物を知らない王太子に教えてやることにした。


「ナレシスの王は、海を操る力をもって国を護ります。その力を持つのはこの髪色で生まれるか否かで決まる為、青髪で生まれた子供にのみ王位継承権が認められているのです。青髪は王家の血を引く証であり、例え平民であっても青髪なら王家に迎えられます。私は―――まぁ、母が王女ですので、そこまで騒ぎにはなりませんでしたが」


 さらに言えば、現ナレシス王太子の叔父の子供にも青髪が居る為、シャーリィの継承権は高くない。高くないといえども、5本の指には入る。

 王位継承権を持つ、ナレシスの外にいる伯爵令嬢。

 そうなってくると王家に取り込みたいという欲が出てくるのは当然の帰結でもあるだろう。マリンブルーであるという情報が回ってきたドレイティア国王は、王命を出しシャーリィを王太子の婚約者とした。これ以上ない後ろ盾となる筈の婚約者を蔑ろにし、浮気した挙句公衆の面前で婚約破棄を宣言するなど、当時の国王には思いもよらなかっただろう。まさに親の心子知らずである。

 ナレシスの王位継承権を持つ、実質的にはナレシスの王女。

 周りの目の色が変わったのが分かった。


「先ほど留学について苦言を呈されましたけれど、仕方がないでしょう。私はナレシスの王位継承権を持つので、ナレシスの学園を卒業する必要があったのです。その説明もした筈ですが」


 シャーリィも、本当にこの国の王妃になるならこの学園に通うつもりだった。

 しかし、10歳をすぎた辺りからあっちにふらふらこっちにふらふら、彼女をまともな婚約者として扱わないということが続けば、これは遠からず破綻するぞと簡単に思いつく。ジョナスは兎に角甘言に弱いのだ。優秀な側近の忠告より、下位貴族の取り巻きのヨイショに流れる。取り巻きに婚約破棄しちゃえばいいのに! 王太子偉いんだし! と言われれば、あっさり宣言するだろうと思っていた。

 なので、王位継承権のことを引き合いに出し、ナレシスの学園に通ったのである。

 海の魔女と取引をして、足をヒレにし、母が住んでいた王城から通う海の底の学園は、陸では決して見られない光景と経験、そして様々な知識をシャーリィに与えてくれた。

 足をヒレにする魔法薬は、海の魔女と直接取引して1人1回分ずつしか手に入らない貴重品だ。一度飲めば、自由に切り替えられるので、再購入の手間の必要は無いが、悪意を持つ人間が紛れ込み犯罪を犯せないように、魔女が販売した名簿は国と共有されるし、特殊なマーキングが施される。何を隠そう、今回ディオナがどこにいるか判明したのも、そのマーキングによる。反応がこの国の王城から見つかった為にベレルが来たのだ。


「ああそうだ、婚約が無くなったということを伝えたら、あいつがな……」

「ちょ、お祖父様……?」


 もう話はついたな、と言わんばかりに、ベレルが手を打つ。

 実際、問題の大部分は解決している。あとは賠償金や慰謝料の額を決めて契約書を纏め締結するだけなので。それらは宰相を筆頭に、文官たちがベレルの滞在中に特急で書類を作るだろう。目論見がご破算になり、意気消沈した国王夫妻はすごすごと宰相たちを引き連れて会場を去っていく。ついでにジョナスたちも回収して行ってくれればよかったのに。

 婚約破棄の書類についても伯爵家当主である父より、ナレシス王の決定が優先される為、彼が認めてしまえば後からひっくり返すことも、反対することもできない。

 それに異を唱えるつもりは、シャーリィにもなかった。

 ジョナスと縁が切れるなら万々歳だし、なんならこれを機に引きこもりたいまである。

 しかし、()()()に話が行ったとなると、少々事が変わる。


「おじ、お祖父様、いつのまに、いつのまに」

「王太子が婚約破棄を叫んで行方不明の人魚を伴っていると報告が来たときに」

「こっ、ここに来る前ではないですか!」

「うむ。悪いな、シャーリィも可愛いが、あいつも可愛い孫なのだ」

「それはそうでしょうけれども!!」

「シャーリィ! フリーになったってホント?!」

「ぐぇっ!!」


 最速で手続きを完了し、有り余る魔力で転移してきただろう男に横から抱き着かれ、シャーリィから潰れたカエルのような声が出た。

 王権の象徴である青髪をポニーテールにした、べレルによく似てはいるものの朗らかな雰囲気を纏った美形だ。すらりとした長身だが、貧弱さはなく実用的な筋肉がついている。きらきらと瞬く金色の瞳はシャーリィへの愛情で染まっていた。少々、少々―――ハイライトが無いが。

 ハイライトは無いのにきらきらしてるってどういうこと。


「はァ?! 浮気!! 浮気だ!! 俺だけを責めて慰謝料をせしめようなど許されんぞ!!」


 ぎゃんぎゃん煩い。

 ジョナスとの婚約はもう破棄されたも同然なので、シャーリィが誰と何をしていようとも口を出す権利はないのだが、タイミングが最悪だ。

 ナレシス王太子の第一王子、つまり順当にいけば未来のナレシス王になるヴェインのいるところで、そんなことを言ってはならない。折角命が繋がったのに。

 にこにこ機嫌よさそうに笑っていたヴェインが、スッ、と表情を消し、ジョナスを視界に入れる。


「……なぁに、あの害虫は」


 先ほどから静まり返り続けた夜会会場に、その一言が響き渡った。

 美形のバチギレはどんな鋭い刃より突き刺さる。そんな悪意を向けられた経験がないジョナスは一瞬で顔を真っ青にした。


「あぁ、アレが元婚約者? シャーリィの苦労が偲ばれるよ。で? 実際婚約者以外を卒業夜会でエスコートして自分が浮気者ですと全身で主張した恥知らずが、シャーリィを浮気者だって言う訳? は? 頭湧いてる? 首刎ねてやろうか」

「ヴェイ、ヴェイン、ストップ、ストップ、ステイステイステイ」

「ん? どうかした?」


 思いっきり絡んでくる腕をぺしぺしと叩き、止まりそうにない悪態を止める。

 ヴェインは少しばかり過激なところがあるが、シャーリィが止めれば一瞬でシャーリィに注目する。そのあとまた敵の殲滅を再開するか有耶無耶にされるかは、正直彼女の肩にかかっているが。


「彼はね、一応ドレイティアの王太子なの。首は刎ねちゃ駄目」

「そう? じゃあ、手足を捥ぐのはアリ?」

「ナシ」

「目潰し耳削ぎは?」

「ナシ」

「全身複雑骨折までは赦されるよね」

「ナシ」

「……爪剥ぎ」

「ナシ」

「……全部の歯を」

「物理的にも精神的にも手出しすることを禁止します」

「ちょっとくらい仕返ししても」

「派手にちょっとの域を振り切ってやり過ぎるのが目に浮かぶから駄目」

「……」

「……」


 じ、と見つめ合う。

 ここで逸らしてはならない。

 少しでもよそ事を考えたりすると、手綱をぶっちぎってやりたい放題やる。

 幼い頃遊びに来ていたヴェインと一緒に、蜂に追いかけられて転んで膝を擦りむいた結果、その追ってきた蜂の巣は殲滅されたし周辺の蜂の巣も悉く殲滅された、あのやりすぎの報復を忘れてはならない。

 このときシャーリィは気付いていないが、夜会の気温は極寒だった。髪色の意味を周知されたことと似通った容貌によって、急に現れた男はナレシスの王族であることが判明している。そのぽっと出の王族が王太子を殺そうとしているのだ。殺したかっただけで死んで欲しい訳ではなかったとか言い出しそうな、空恐ろしい報復を提案しては却下されている。

 全て一拍もあけずに却下しているシャーリィに、王太子の命は委ねられていた。

 それが分かるのか、今までにない温度でジョナスは命綱―――シャーリィを拝む。


「おいお前何でシャーリィを見てるんだよ。もう婚約者じゃないんだから見るな。シャーリィが穢れるだろ。舌切り落とすぞ」

「ハイッ!!」


 ジョナスにとっては明確に初めて経験する純粋な殺意に負け、今にも泣き出しそうな顔で目を逸らす。とてもいい返事だった。もしかしたら彼に必要なのは今の宥めておだててやる気を引き出す教師陣ではなく、鬼軍曹のようなスパルタ教師だったのかもしれない。


「ヴェイン!」

「うん、ごめんね、ちょっと気色悪かったから、ついね」

「礼節はどこに置いてきたの」

「あのクソに向ける礼節は手持ちに無いかな」

「……ヴェイン……」


 ここはドレイティア、陸ではあるもの、接している海を操られてはまともに船も出せず、特殊金属の輸出停止を受ければ堪ったものではない。

 陸の国の大半は海と空の国に平伏して怒りを買わないようにしているのだ。

 つまり現在、楽しそうに眺めているベレルか、気安く会話しているシャーリィしか、ヴェインの暴走を止められる人間が居ない。そしてベレルは楽しそうなので、実質一択である。


「貴族連中が血が近いだの混血だのって反対しなければ、それをもっと早く潰せていれば、僕がシャーリィの婚約者だったのに……あの、ぽっと出の、陸のクソ王子が」

「ヴェイン」

「しかもシャーリィと婚約する僥倖に恵まれた癖に、教育から逃げ責任から逃げ、浮気した上に冤罪を吹っ掛け」

「ヴェイン」

「髪色の意味も知らない無知が。血統しか誇るもののない無能が。お飾りの国王も満足にこなせないだろう屑が」

「ヴェイン」


 どんどんと瞳孔が開いていくヴェインの名前を呼ぶものの、ぶつぶつ不穏なことしか口にしなくなってしまった。

 ヴェインとシャーリィの関係は、ヴェインが8歳、シャーリィが0歳のときにまで遡る。

 母が出産の為に里帰りして、比較的安産で生まれたシャーリィだったが、髪色がマリンブルーだった。それ故に生まれてすぐベレルに引き合わされ王位継承権を認められたのだが、そのときにヴェインも居た。

 まだ赤ん坊のシャーリィに惚れ込んだヴェインは、その日からシャーリィを婚約者にしようと動き出したが、流石に8歳で何もかもの根回しまではできず、混血であることや陸の伯爵家の娘ということなどが障害となり婚約は結ばれなかった。そこから頻繁に陸に向かいまんまと幼馴染の立場を手に入れたものの、ドレイティア国王に先手を打たれてしまう。その時の落ち込みようは酷かった。なんとか撤回させようとしたが、他国の王族、しかもレイングル伯爵家が所属する国への手出しはできず。今日に至るまでネチネチと恨みを溜め込んできたのだ。

 幼い頃はこんなヴェインに違和感を覚えたりしなかったのだが、ある程度の年齢になり、他家の令息や令嬢との交流が始まると、おや? と思うことが増えた。

 一般的な幼馴染と、幼馴染を自称する従兄と、だいぶ趣が違うぞ? と。

 普通の幼馴染は、転んだ場所を念入りに更地にしない。毎日手紙をやり取りしない。日常の細かなところまで把握しない。好物を好きになった日を把握もしてないし、嫌いな物を食べなければいけなかった日を把握もしない。

 これは、とてもとても、おかしいのでは?

 幼い頃の狭い世界の中では当たり前だったが、一歩外の世界を知ればそれは少々異常だと分かる。

 フワフワの両親は微笑ましいものを見る目だし、幼い弟はフワフワの両親の血を引いているので何も疑問には思わなかったが、シャーリィは違った。

 このままだと、何が何だかよく分からない内に何かとんでもないことになる、と危機感を抱いた。

 その頃に決まった王命の婚約者は、ある意味天の助けだと思ったほどだ。

 現在天の助けはブチ切られ、これまでの恨みを晴らされようと命の危機だが。


「ねぇシャーリィ? シャーリィは哀しかったよね、疲れたよね、もうこんな国要らないよね。大丈夫任せて全部僕に任せて。じわじわ滅ぼそうか一瞬で潰そうか。どっちがいい?」

「おいコラ人の話を聞け」


 スパコン! と後頭部をはたいて再起動をかける。

 一度病みで思考がフリーズしたヴェインは、強制再起動をかけないとこちらの言葉が届かない。


「確かに苦労はあったけど、婚約は破棄されたし、この国に恨みはないの。恨みがあるのはヴェインで、しかもそれは別にこの国に対してじゃなく、特定の誰かさんへのそれでしょ」

「それは……そう」

「でもジョナス殿下は陛下から命じられて、好きでもなく好きになれない私と婚約していただけなんだから、恨むのは筋違いだわ。そして、陛下は国益の為に最善の選択をしただけよ。逆の立場ならお祖父様も同じことをしたでしょうし」

「シャーリィは優しいから許すのかもしれないけど、僕は許したくない」

「でもヴェインのそれはかなり八つ当たりだから……」

「……」


 スッ、とヴェインが目を逸らす。

 目を逸らすということは八つ当たりの自覚があるということだ。この野郎。

 このやり取りに命がかかっているジョナスは、ディアナと一緒にカタカタしている。その瞳には初めてシャーリィへの感謝が浮かんでいた。


「……この国の横やりが無ければ、僕らが婚約してたのに」


 ぽつり、と小さな声で本音が落ちた。

 分かっていたが、結局拘っているのはそこなのだろう。

 しかし。


「え待って、別に殿下と婚約してなくても、ヴェインと婚約したかどうかは別でしょ」

「え」


 信じられないことを聞いた、と言わんばかりに目を見開くヴェイン。


「婚約の申し込みがあっても受けるかどうかは別だし。普通に私がこと」

「シャーリィ」

「……はい」

「攫われたくなかったら、分かるね」

「……はい」


 完全にハイライトが消え、瞳孔が開き、きらきらもしていない据わった瞳で念を押され、大人しく黙る。

 ここで抗ってはならない。マジで攫われる。


「ちょっとお祖父様、笑っていないで孫を止めて下さい!」

「いやぁ、久し振りにヴェインの暴走を眺めるのも面白くて」

「面白がらないで!」

「そう、じいさま、早く、王命出して。今すぐ。ここでいいから。書類はいつでも出せるから」

「お? 書類を出さずに来たのか? 詰めが甘いな」

「出してから来たって言ったらシャーリィに怒られそうだから」

「……ヴェイン?」


 それではつまり出してきたけどまだ出してないよ王命のあとだよっていう言い訳を使おうとしている???

 大暴走では???

 まだ私了承してないし、お祖父様からの王命も出てないのに???

 ベレルは一時の緊迫さを脱してざわざわし出したフロアを見渡して、一つ頷き口を開いた。


「それでは、これにて我々は退場する。王太子の失態をどう挽回するか、そこの人魚の処遇など諸々の取り決めについての発表は後日ドレイティア国王から知らされるだろう」

「おいじいさま王命王命婚約シャーリィと僕の婚約を発表しろ」

「それは完全にうちの国のゴタゴタだろう。他国の卒業夜会で発表しても意味がないぞ」

「意味はあるんだよ。僕が喜ぶだろ」

「はいはい、後でな」

「おいまてくそじじ」

「これにて失礼する。シャーリィ、お前も退出するか?」

「そうですね。両親にも連絡したいですし」


 バッタバタだが、今便乗して退出しないと面倒なことになる。

 恐らくこの夜会でヴェインに一目惚れした自信の塊のような自己肯定感のバケモノ令嬢に紹介しろと言われたり、ナレシス王女同然の身分に惹かれた野心マシマシの令息に絡まれたり、そう言ったことが予想される。

 一刻も早く退出し、王都のタウンハウスから自領の本邸に逃げ込まなければ。

 ここでベレルが王命で婚約を発表してしまえばそれらのゴタゴタからは逃げられるが、それはそれとして別のめんどくさいヴェインが絡んでくる。有象無象に絡まれるのとヴェイン一人に絡まれる厄介さが同等だなんて、何らかのバグでは。

 引き止められる前にさっさと逃げるに限る。

 ジョナスは先ほどからヴェインに対してビビり散らかしシャーリィを視界に入れることすら恐れているので、シャーリィと婚約することの旨味に思い至ったとしても、再婚約を言い出すことはないだろう。隣のお嬢さんは、結局最後まで一言も口を利かなかった。多分今夜一番可哀想だった。王子様を助けて恋に堕ちて、お姫様になった気分だったのに、邪魔な婚約者だと聞いていた女が自国の神に等しい王女だったのだ。まさかそんな馬鹿なと思ったに違いない。可哀想。

 自然な仕草で手を繋がれてしまったが、まぁそのくらいはいいだろう。





 その翌日、釣書を通り越して婚約が成立したという通知が、レイングル伯爵家のタウンハウスに届いた。

 矢張りヴェインは転移してくる前に手続きを終えていたらしい。

 いつの間に父にサインをさせていたのか。

 泊まっていたヴェインはにこにこ笑いながら、一生大切にするからね、とか言っている。

 この野郎。

 ぐっ、と握り込んだ拳を、しかしシャーリィは振るうことはなかった。

 なんだかんだ面倒だと思っても、本気でヴェインの事を嫌ったことなど一度もないのだから。

 全然嫌じゃないのが、困ったものだ。


ジョナスくんはこのあとハチャメチャ怖い鬼軍曹にしごかれながら再教育、大勢の前で宣言してしまったのでディアナと結婚します。

ディアナはこの夜会の経験で覚醒し、肝っ玉王太子妃に変貌します。


一方ヴェインの暴走に振り回されつつも、シャーリィはナレシスに移住し、立派な王妃に。

ヴェインは何かあるとすぐに監禁しようとするので毎日がたいへん。

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